2018年4月3日火曜日

ヴィク勇】フォトグラファー勝生 没

 最近の撮影機器は高性能になっており、特別な技術がない素人でもそこそこ良い写真が撮れる。構図を決めてくれるアプリなどというものが出回っているくらいの世の中だ。
 その上で人とは違う美しいワンシーンを切り取れるとしたら、その人物はきっと特別な世界で生きているに違いない。







 その日本の雑誌社とは長い付き合いで、ここ数年とくにいい写真を撮ってくれるので気に入っていた。
 見開き二ページ、星のように瞬くライトの間を飛ぶように腕を広げるヴィクトルの特集ページ。文章が端に並んでいるが、それも異国語ではデザインの一部に思える。

 相変わらず「あの子」はいい画を撮る。
 無愛想で口べたで、社交性を撮影の腕に費やしてしまったような野暮ったい眼鏡の青年。いつも新しいヴィクトルの顔を発見してくれる。
 あの表情の見えない眼鏡の奥の目には、どんな世界が広がっているのだろう。

 このように他国のカメラマンなどを記憶しているのは、彼がいい画を撮ってくれるカメラマンだからではなく、そもそも記憶しようとして記憶しているのではない、彼の方がヴィクトルの記憶の中に居座っているからだ。
 彼を見るにつけ「どこかで、見たような……」という、歯にものの挟まったような、痒い場所が分からないような、奇妙な感覚に陥るのだ。

 だから、彼の写真がネットで有名になり、フリーになってしまったと聞いた時は少なからず落胆したものだ。あれほどいい腕なら、確かに自分の腕ひとつで生きてゆけるだろう。
「せめて彼の名前やアカウントを知りたいな。ファンだったんだ」
「いえ、違うんです。勝生は、」
 雑誌社の担当が言葉を濁す。

「彼はフォトグラファーとしてではなく、モデルになってしまったんです」






 カツキ、カツキ、カツキ………

 何度もその名を脳内で反芻し、やっと思い出した。
 数年前から姿を見なくなった日本のトップスケーターだ。一見してヴィクトルをリスペクトしていると分かるスケーティング持ち、鮮やかなステップを持つ黒髪の青年。清潔で透明感のある滑りが印象的だった。
 が、あの眼鏡のカメラマンがどうしても一致しない。

 それで最近噂になったというSNSのアカウントを見にいって、ああ、と納得した。
 さかのぼると風景写真ばかりがある。サムネイルだけで独特の世界観に引き込んでくれる。
 しかし、それよりも、今すぐに確認せねばならぬ事柄があった。最近の投稿だ。といっても、それは数ヶ月前で途絶えている。

 何の出来心か、当人を撮影したものだった。打ちっぱなしのコンクリートの部屋を色針金のアートや造花で飾り立て、記憶にある日本のスケーターが美しい肉体で写り込んでいる。
 それは、被写体に対する不満を感じた。自分はこういう写真を撮りたいのだ、だが、被写体は自分のように動いてはくれない。かといって自分で自分を撮ればカメラの目線を動かすことはできない。
 彼のフォトは一種のアートであり、写真とは少し違う。

(そう、きみは―――)
 ヴィクトルは端を上げた唇に人差し指を当てた。


 こんなふうに俺を撮りたかったんだね。

[newpage]

 高校生の時に写真を褒められた。
「これってあの場所だよね? 全然違って見える」
 不思議なことを言うものだなあと思ったものだけれど、どうもそういうものらしい。
 その頃の勇利は、日々の全てをスケートに傾けていた。だから、写真を褒められても何ら痛痒を覚えなかったのである。

 ただ、ヴィクトル・ニキフォロフの撮影物を見るたびに、自分の目から見た彼とは違うと渋面していた。
 それは例えると、自分の顔を鏡で見た時と、証明写真を撮った時に感じる気持ちの悪い違和感。自分の住んでいる知るを航空写真のストリートビューで確認した時の味気のない不快感。

 そういうものは一種の、不衛生な菌のように思えた。触れるとざらりと不潔な感触がする。
 だから勇利は時々、自分の好きなものや、好きな場所を自分の目から見たものをカメラで切り取り、自分の世界を再確認する作業をしなければならない。そうしなければ自分の中に溜まった澱が溢れ出て、眼鏡が曇ったような視界で生きなければならないからだ。

 ただ、被写体が必要な時はうまくいかなくて、特にヴィクトル・ニキフォロフに関しては頭を抱えた。
 レンズを隔てない彼はあんなにも美しいのに、誰かの目を通し、更に液晶や紙といったフィルターを通されたヴィクトルはくすんで見える。
 いっそ一度でいいから彼を直接レンズに収めてしまえば、この胸苦しさも消えるのだろうか。
 けれども。

「記念写真? いいよ」

 せっかくそのチャンスに恵まれたのに、勇利は自らそれを蹴った。
 その後の全日本で無様を晒した勇利は足を負傷し、何ひとつ満足できないままスケート人生を終えた。





 第二の人生として選んだのはフォトグラファーだった。普通に求人募集を見て応募した。何のツテもなく入社したが、去年までこの雑誌社に撮影される側だった日本のトップスケーターが面接に来れば驚かれるし印象も違うだろう。同席した面接希望者にもじろじろ見られた。採用は殆どずるをしたのと変わらない。

 それでもここがよかった。ここなら世間やくだらない自尊心に苛まれず、責務として自分の網膜に映ったヴィクトルを二次元の世界に閉じ込められる。

 技術などろくに学んだことすらない勇利の写真は喜ばれた。
「勝生さんの写真には物語の構成美すら感じます。見慣れたものの新しい視点を教えてくれていうとか……モデルの皆さんも自分の姿に驚いてくれるんですよ」
 褒めちぎられて曖昧に微笑んだ。

 構成美? 構図? 斬新な視点?
 何を言ってるのか分からない。黄金分割だの日の丸構図だの、そんな名称も存在も初めて聞いた。
(僕はただ、僕の見える世界をそのまま写しているだけ)
 カメラは自分の目とは違うから、自分の見た世界とのすり合わせに苦労することはあるけれど、ただそれだけのことでもある。

 勇利の写真は、勇利がスケートよりも高く評価されている気がする。
 もしかすると才能というやつがあったのかもしれない。
 けれども、ちっとも嬉しくはなかった。勇利にとってはあって当たり前の、生まれた時から変わらない世界の焼付作業。
 かなうことならスケートの才能がほしかった。表彰台で彼の隣に立てるほどの実力が欲しかった。あるいは、何があっても大崩れしない不動の精神力か。

 自分が元スケーターだからか、あるいは実力が認められたからか、入社して数ヶ月ぺーぺーのカメラマンにヴィクトルを撮影するチャンスが巡ってきた。
 勇利が二度とは戻れぬ氷の上で、銀盤の女神に愛された男は今日も美しい。
 問題は、彼が動き回るもので、勇利の見た世界にピントを合わせるのに苦労したことだ。最初のうちはうまくいかなかった。それが悔しくて、ようやく写真技術について本格的に学び始めた。

 その練習にと撮った写真を、現役時代も放置していたインスタグラムに投稿してみたところ、これが思わぬ好評を得た。
「勇利! こんなに写真撮るの巧いなら、僕のことも撮ってほしかったよ」
 ピチットからのコメントはとりわけ嬉しく、レスではなくついつい電話をかけてしまったほど。

「サワディークラップ。久しぶり、ピチットくん」
「もー、全然連絡くれないんだから、勇利ってば。写真、本当によかったよ。僕が自撮り大好きなの知ってるくせに、こんな特技隠してたなんて狡い!」
「ごめん。自分の写真がこんなに喜ばれるなんて知らなかったんだ」
 ピチットくんと居た頃、デトロイドにいた頃はスケート以外の全てが見えていなかった。自分の見えている世界を他人に公開し、良し悪しを決められる未来など想像もしなかったことだ。
 スケートを失った喪失感は今も拭いきれぬが、それでもこの人生も悪くないと少しずつ思えるようになってきた。


拍手

0 件のコメント:

コメントを投稿