2019年11月4日月曜日

一時保存

 とあるひどい災害があって、地上は生物の住みにくい土地になってしまった。この先、復興するのは何百年先になるやらという話らしい。

 らしい、というのは、この物語の主人公であるカサネがその話を聞いたのは神域に召し上げられてからのことだったからだ。
 本家の楽院が天人として神域に仕えることになり、分家も神域に移住した。それで、五楽院家の長子であるカサネも、何がなんだか分からないまま天人になった。

 五楽院 歌小音。それが彼の名だ。
 ちょっと、いやかなり変わったところのある少年で、天人になった年は十六。十六にしては上背があるものの、大人と比べれば薄い体をしている。灰色がかった亜麻色の髪を持ち、顔立ちは愛らしさを残しながらきりりと整っており、出会う人は「良い目をしている」とカサネを褒めた。
 褒められるだけはある真っ直ぐした目をしていて、その目のとおり、性根もよい。ただ、根性も良い。

 楽院一族を召し上げたのは花神シキさまである。楽院一族は、召し上げられた際、この神さまに歓迎を受けて、一度だけ目通りしたことがある。カサネも末席で宴席に混ざった。
 このとき、カサネはすっかりこの神さまにのぼせあがってしまった。
 無理もない話で、花神は神々の中でもとびきりの美丈夫だった。淡い薄桃の髪、目鼻立ち、白い手のひら、何をとっても何処も花で出来たような神だったのだ。

 若いカサネが神さまにのぼせあがる、ここまでは珍しい話ではない。幾多の神や天人天女が花神に懸想している。慕うだけなら罪にもならない。

 こんなことがあった。
 花神が病にかかった。人と神ではかかる病気も違うが、まあ人で言うところの肺炎くらいの規模だ。ひどくすると神力を失い、消滅してしまうかもしれない。国中が狼狽えた。
 そうは言っても花神には最高の医師や祈祷師、薬師がついていたし、下々の者は祈ることしかできない。

 カサネは違った。花神が病気だと聞くや家を飛び出して、帰らなくなった。
 一族の者は一番年若いカサネをそれは可愛がっていたので、神さまのご病気に続き、カサネの失踪に心を痛めた。
 が、数日後にはけろりとした顔をして帰った。ただし、満身創痍で片足と片腕が折れ、血まみれだった。母親がわりにカサネを育てた四楽院の若君は卒倒し、五楽院の父は悲鳴を上げ、カサネを末の子のようにかわいがっていた楽院本家当主はカサネを問いただした。

「神さまがご病気だというので、万病に効くという薬をとりにいっていた」

 聞いて一族は真っ青になった。その薬、不死鳥の卵である。気の遠くなるような断崖絶壁にあり、おまけに不死鳥の攻撃を掻い潜って卵を盗まねばならない。よくも生きて帰ったものだ。
「落ちた時は死んだものと思ったが、天人というのは丈夫なものだと驚いた」
 驚いたとはこちらの台詞だ。些か無茶をする子だと知られていたものの、まさかこれほどまでとは思わなかった。

 不死鳥の卵は一応、奉納した。それが効いたかは不明だが、花神さまは間もなくして健康を取り戻した。

 また、あるときカサネが部屋に篭って一生懸命に祝詞を書いているので、四楽院の若君、留歌が尋ねた。
「熱心だね。何をしているんだい」
「千枚書いて千羽鶴にする」
「………」
 祝詞は色とりどりの和紙にみっちり書かれていた。千枚の祝詞が書かれた鶴。それはもはや怪奇現象ではなかろうか。
 とはいえカサネの想いのこもった千羽鶴は、いちおう奉納祭で奉納した。

 そんなこんなで幾年月、一族の者は天人になるだけはあって大らかで「カサネは本当に花神さまが好きだなあ」と朗らかに笑えるまでになった。
 こんなものは子供が英雄に憧れるようなもので、カサネの想いはどこまでも純粋であったから、そっとしておこうという結論に至ったのだ。

 だが、当人はそれで収まらない。
「なんだ、ずいぶん暗い顔だな」
「三柳の」
 七色の清水が溢れる泉のほとりで物思いにふけるカサネに、友人が声をかけた。カサネと同じく本家のついでで天人になった家の子で、それが切欠で知り合った。
 花の浮かぶ泉に足をひたして水遊びをしていたカサネは、膝に頬杖をつく。
「奉納祭では下級神さまや上天人たちがこぞって素晴らしい宝物を奉納するだろう」
「そりゃあなあ」
「俺の贈り物なんて、目にもされないまま、仕舞われておしまいだ。大切にされたいとは思わない、ただ、ひと目見てもらえるくらいの何かを贈りたい。それが出来たらもう、この想いは遂げられる」
「ふーん……」
 しゃがみこんで友人の横顔を見る三柳は、考えた。

 まあ、どうやってもいつかはけじめをつけなければならない想いだ。花神さまは生まれし時より祝福され、愛され、素晴らしいものに囲まれてきた王の器の神。どう足掻いても成り上がり天人の分家の子が相手にされる訳がない。
 カサネの並々ならぬ想いのことは知っていたので、三柳も真剣に考えた。

「そういえば……御子神さまのご機嫌をとると、願いの叶う宝玉を賜るというぞ」
 べつに、それを取りに行けという訳ではなく、思いついたものを口にしただけだったのだが、カサネはすっくと立ち上がった。
「行ってくる」
「正気か!」
 靴を履いてずんずん歩いていくカサネを見て、これはもう止められないと感じ、慌てて楽院家に知らせにいったが、
「一度こうと決めたらもう、縛り付けても止まらないので……」
 五楽院の父君と四楽院の若君が揃ってため息つくので、三柳はとんでもないことをしてしまったと後悔に駆られたのだった。

 さて、その御子神は花の国と天根の国の堺に居を構えている。
 花の国は花神の神力に護られ、どこにいても清水や果実があるので飲食物には困らない。ただ、国境ともなると花神の守護が薄れていき、曖昧になってくる。凶暴な霊獣が住み着くこともあるし、素行の悪い神が隠れ住まうこともあった。
 天人たちが護衛を連れて来るような場所に、カサネはずんずん分け入る。五色の木々が輝く土地を抜け、暗い森をゆき、何日か彷徨って汚泥の沼にたどり着いた。

 その沼に立つ岩に、幼い少年が腰掛けている。童子とも思えぬ、なんとも艶めいた少年で、カサネを見るなり鼻を鳴らした。
「なんだい、また命知らずが願いの宝玉をもらいに―――いやお前なにしてんの」
 御子神をほぼ無視して沼を迂回し、沼の脇で朽ち果てた祠をしげしげ観察するカサネに、御子神は首を向けた。

「えぇと、とりあえず撤去するしかなさそうだな」
「撤去、するな! 僕の社だぞ!」
「御神体はちゃんと確保する。俺は御子神さまのおやしろにお参りに来たんだ。なのにおやしろがこんなんじゃ困る」

 御子神は面食らった。呪われた御子神の沼にくるのは、噂を聞いて願いの宝玉を賜ることしか考えない輩ばかり。大抵が、御子神を見るなり這いつくばってそれを乞う。
 ところが、突然現れた天人の少年は、御神体を外に出して朽ちた祠を蹴飛ばして壊し、破片を片付け始めた。

 それから小瓶に入った砂のようなものを土にかけ、石と木片と蔓で作った即席の道具で土をひたすら混ぜた。
 すると木のような壁が生えてきて、それが徐々に社の形に成っていく。カサネは出来ていく社の傍らで、ひたすら土を混ぜては、その土を社の中へ運んでいた。一日や二日ではない、十日はかかったと思われる。
 その間、カサネは一度も御子神を見ることも、口をきくこともなかった。
 ようやく完成した社に御神体を移し、またどこかへ消えたかと思えば、どっさり果物を社に供えた。

「―――それで機嫌をとったつもり?」
 やっと、御子神はカサネに声をかけた。カサネもやっと御子神を振り向いて、いいえ、と言った。
「だから、俺は、お参りにきたんです。確かに願いの宝珠がほしいとは想いましたが、お参りするおやしろがないんじゃ困ります。まずそこからです」
「あ、そう……」
 呆れたが、天人の中にはこういう、変に真っ直ぐした奴がいるのは承知していたので、御子神も多くは追求しなかった。

「で、何の願いを叶えたくてここまできたの。おっかさんが病気にでもなったかい?」
「いや、そんな立派な理由じゃない。次の奉納祭で花神さまに相応しいものを献上したくて……」
「はあ」
 御子神は、何言ってんだこいつ、と思ったが、あくまでカサネは真剣だった。
「自分の望みを叶えたいんじゃなくて、花神の願いを叶えてやりたいの。そりゃまたなんで?」
「お慕いしているので」
「で、目に留まりたいって?」
「いえ、ただ、喜んで貰えたらそれでいい」
「ふうん」
 御子神は面白くもなく、鼻を鳴らした。

 御子神はその名のとおり、子の神。人間が子を贄にその魂を神と祀った、呪われた神だ。ここが神域になるまえ、この沼に沈められて殺された。
 花神と違い、その誕生は誰にも祝福されなかった。神官もいない。巫女もいない。奉納祭などあるはずもない。
 そんな自分から宝玉を賜って、愛され何にも不自由しない花神に捧げるという。面白いはずがない。

「僕のいわくは知っているね」
「存じてます」
「お前の望み、叶えてやってもいいけど条件をつけるよ。失恋したら呪いによって死んでもらう」
 絶世の女神天女に囲まれた花神に、この天人が見初められることは絶対にない。ただただ「まだ」失恋していないに過ぎないだけなのだ。御子神は彼が怖気づくだろうと勝ち誇った。
 しかし、カサネはほっとした顔をして、
「頂けるんですか」
 喜んだ。
「わかってんの。死ぬよ? 絶対死ぬよ。絶対叶わない恋なんだから」
「ああ、はい」
「死ぬの怖くないの」
「怖いと言えば怖いですが、俺はもともと人間で……たまたま天人になりましたが、いつかは死ぬ定命のものでしたし」
 御子神はますます面白くなくなった。御子神は、神になる前、殺されるのは本当に恐ろしかった。神になって久しいが、未だにあの恐怖は忘れえぬ。
「じゃあ、死ね。宝珠はくれてやる、勝手に死ね」
 天人の少年の手に小さな宝珠を生み、御子神は沼に潜った。ああ、気分が悪い。ひと眠りだ。

 カサネは御子神さまに御礼を言い、社が埋もれるほど捧げものをして、帰った。奉納祭がくるまでも、何度も足繁く通い、供物を捧げたり、社に色を塗ったり、周辺を整備したり、甲斐甲斐しくした。御子神はそれを承知していたが、知らぬふりをした。

 さて、花の国の奉納祭は国をあげて行われる豪華絢爛の祭事。この国を守護する花神さまに感謝するため、天人たちはこれでもかと贅を凝らし、工夫する。
「お前の宝珠、花神さまの目に留まるといいなあ」
 あちこちにご馳走と花の並ぶ都で、三柳はカサネに言った。供物の行列が花神宮に納められていく。毎年あの大量の供物がどこへ消えるのか不思議だが、まあ、神域だから容量などさしたる問題ではないのだろう。

 カサネはあまり笑わない子である。しかし、この日ばかりは嬉しそうにしていた。滅多に飲まない酒を呑んで、一族と、三柳と祭りを楽しんでいた。
 それが、呼び出されたのは祭りの最中であった。

「五楽院。花神さまがお呼びである。参れ」

 宮つきの神官と神兵が現れて、雅やかな音楽と歓声に包まれていた広場が俄にしんとした。このような前例はなかったし、まるで罪人を捕らえるような剣呑さだったからだ。
 楽院家ではなく、五楽院と指名されたので、青ざめた父とともにカサネは花神宮に向かった。さすがのカサネも緊張した、父にまで迷惑がかかるとは思わなかったからだ。

 宮に入ると天女たちが袖を合わせて頭を垂れ、左右に並んでおり、神官に連れられて正面の階段を登ってゆく。
 神域に召されたとき、一度だけ足を踏み入れたことのある花神の居室に再び来た。だが、今回は一族の末席、片隅ではなく、父の斜め後ろである。金の花屏風の前に座し、豊かな髪と着物を纏う花髪が、春の陽のように優しく微笑んでいる。
 その光景にうっとりしたが、それだけでなく、異変もあった。
 花神のとなりに、御子神が立っているのである。最近まで沼の底で眠っていた御子神が、機嫌のよさそうな顔でカサネを見ていた。

「固くならぬでよい。五楽院よ、以前に不死鳥の卵を奉納したな」
「は……」
「心づくしをありがとうなあ」
「申し上げます。あの品は私ではなく、私の息子である歌小音が命をかけて手に入れたものでございます」
「うん、そのようだなあ。して、この宝珠もそこな幼い天人の献上物らしいな」
 水を向けられ、カサネはかちこちに硬直していた。言葉もなかった。憧れて憧れて焦がれて焦がれて慕った神さまがそばにいて、カサネの話をしている。頭が、まっしろだった。

 花神は掌に乗せた宝珠を見つめ、フフと苦笑した。
「この宝珠は、確かに願いを叶えてくれるが、それを叶えるのは御子神どのの神力でなあ。俺がこれに願うと、神が神に願うことになってしまう」
(あ……)
 カサネはかっと赤面した。よく考えれば、そうだ。なんと浅はかなことをしてしまったのだろう。これを咎めるために呼ばれたに違いない。カサネは涙目で、震えた。

「おや、おや。まことに可憐で愛いことだ。俺はこれを使えぬが、お前の心はしかと受け取った。
 先の不死鳥の卵の件とあわせ、褒美をとらそう。何がよいかな」

 カサネはくらくらして訳が分からなくなった。神に「褒美、何がいい」と言われたら、それこそ殆どの願いが叶う。神にさえなれる。そんなことは願わないけれども、それほどのお言葉だった。
「滅相もなく……こうしてお目通りできただけで、俺はもう、なにも」
「そう言わず。お前が何を願うのか、興味もある。言うてごらん」
 このやりとりの最中、なぜか御子神はにやにやしていた。カサネにはそれが不思議だったが、まずは眼の前のことだ。

 しばらく平伏し、懸命に動かない頭で考え、覚悟を決めて顔を上げた。
「では、では……烏滸がましいことと思いますが、御髪を一本いただけますか」
「はあ!?」
 と叫んだのは御子神だ。
「髪ィ!? 一本!? 何言ってんだ、お前はこいつを慕ってんだろ!」
「おや、そうなのか」
「愛人になりたいとかお側に召してくださいとか色々あるだろ!」
「俺は御髪がほしい」
 むっとしてカサネは膨れた。もともと、見返りがほしくてやったことではない。それに、花神に憧れる者が何千といて、彼ら彼女らも一生懸命の奉納をしたことをカサネは知っている。自分だけが何かを賜るなど罰当たりだ。御髪を一本頂くことすら、烏滸がましいと思う。

「そうか」
 花髪は朗らかに笑い、ぷつんと桃色の横髪を一本抜いた。花髪は横髪だけ長くして、後ろ足は短くしている。その長い横髪を、天女が金筋の走る懐紙に乗せて、カサネに運んできた。天女は微笑んで「よかったわね」と言いたげだ。
 カサネも思わず笑みほころんで。懐紙ごと御髪を受け取った。風に飛んでは困るので、一度折り、そこにある髪を胸に抱く。

「……あ、れ」
 ぐにゃりと視界が歪んだ。頭がふらふらし、とさりと倒れる。

「おや。舞い上がってしまったかなあ」
 花神は首を傾げた。神を前にすると、稀に感涙したり、卒倒したりする者が出るので、カサネもそうだろうと思った。
 しかし、懐紙を運んだ天女がカサネの頬に触れ、青ざめて振り返った。
「命の灯が消えようとしていまする……」
「なんと」
 いくらなんでも異常なことだ。天人は丈夫なので、脳卒中などで死ぬことは滅多にない。五楽院の父は悲鳴をあげてカサネを抱き上げ、涙を漏らし、息子を揺する。

 そこで御子神が笑った。
「あはは、呪いが発動したか」
「呪いとはどういうことか、御子神どの」
「宝珠を与える代わりに呪いをかけたのさ。その恋が実らなければ死んでもらうってね。本懐を遂げて、満足して、失恋と同じ条件が揃ったのさ」
「なんと……」
 御子神がその生まれゆえに少々歪んだところがあるとは知っていたが、こうまで残酷なことをするとは思わなかった。純粋な思いにつけこんで、死の呪いをかけるなど……

「髪一本で満足してよいのか?」
 花神は立ち上がり、命尽きようとしている少年の側に膝をついた。父親に抱かれる彼の、まだ大人になりきらぬ頬に触れ、そうと撫でる。
「お前はまだ何も遂げていないではないか……思いを告げることも、その努力も、道半ばであろう。無欲もよいが、そうやすやすと満足するものではない。
 そなたを俺の側づきとして召し抱えよう」
「はあ!?」
「御子神どの。このようなことをしていては、いつまでも童子のままだぞ」
「ふん!」
 御子神はへそを曲げて窓から飛び立っていった。カサネが失意のうちに命を散らし、自分と同じように惨く死ぬ様を見そこねたので、不満なのだ。

 その後姿を一瞥し、花神は天人の少年に視線を戻した。
「名は?」
「……かさ、ね。歌に…小さな音、とかいて、かさね」
「かさねか。良い名だ。もっと俺にその名を呼ばせておくれ」
「………」
 カサネの目に、光が戻る。頬に血の気が増し、花神の目を見返した。強く輝く太陽のような目をした子供だ。花神は目を細めて笑う。

「俺は、等しく皆を愛しておるから、お前だけが特別ではない。けれども、それは失恋ではなかろう?」
「はい」
「俺のそばにおいで。お前のような子が側にいたら、きっとたのしい」
「………」
 カサネは真っ赤になって、袖で顔を隠し、ぶるぶる震えた。まさか宝珠の件でこんなことになろうとは、思っても願っても夢にもみなかった。

 こうしてカサネは花神の側づきになった。
 けれども。
「なんでしょっちゅう此処にくるわけ?」
 頻繁に御子神の沼を訪れている。
「俺は思った。神官も巫女もいないのはおかしい。神は神として祀られるべきだ。だから俺が神官になる」
「はあ!? お前、シキの側づきになったんだろ!」
「花神さまの側づきはたくさんいて、いつも俺がいる必要はない。でも、ここには誰もいない。楽院家と柳家が整備を手伝ってくれるとも言ってた。まずは石畳だな」
「………」
 鬱蒼とした森をあちこち見て「ここは霊獣の像を……」「この木はとりはらって」「こっちに神木を」と紙に書いて回るカサネは、まるで御子神の意向など知ったことではない。

「沼が汚いのも問題だな。泉にしよう、泉に」
「ここは僕が死んだ沼だぞ!」
「汚泥をさらって綺麗な寝床にしたほうがいいでしょう」
「………」

 とんでもないやつと関わってしまったのかもしれない。
 御子神の苦悩は今後しばらく続くことになる。
[newpage]
 花神シキは不死神の子として祝福されて生まれ、五穀豊穣の強い力を持ち、誰からも愛されている。
 望む前に全てのものが与えられ、望まずとも様々なものを与えられる。そして花神自身、惜しむことなく与えられるものを与えてきた。
 守護の祭事を終えて一息つき、食事の席でふと思った。
 おや、あの亜麻色の髪をした子がいない。

「あの子はどこにいったかな。歌に小さな……そう、かさねだ。かさねの顔が見たいなあ」

 花神がこのように希望を述べることは非常に少ない。
 神官たちは泡を食ってカサネを探した。宮にいない。なぜだ。側つきだろう。
 楽院のほうまで探しに行くと、当主はさすがにいたが、他の分家も出払っているらしい。
「申し訳もありませぬ。まさかお役目を放り出していたとは……カサネは御子神さまの神域を清めるのだと言ってそちらへ行っておりまする。てっきり許可を頂いているものだとばかり……」
 恐縮する楽院当主から事情を聞き、神官はカサネを捜索すると同時に、花神に報告申し上げた。

「なんでも、御子神さまの神官になると、御子神さまの神域を整えているとかで……」
「なるほど、なるほど。よい心がけである。あの子らしいなあ。気が向いたら顔を見せにおいでと伝えておくれ」
 花神は怒るでもなく、朗らかに笑った。カサネが花神にとって「その程度」の存在であったせいもあるが。

 一方その頃、カサネと楽院家、柳家はは大掛かりな工事に勤しんでいた。
 簡易住居を建て、木を切り倒して切り株を掘り、霊獣に引かせて根を抜く。そうして開墾し、土地を浄化し、御子神の神域を広げ、御子神宮を建てるのに相応しい広さを確保しているところだ。

 そこへ花神の神官と神兵が現れ、
「五楽院 歌小音はどこか!」
 天人たちはすくみあがった。またぞろカサネが何か仕出かしたかと震え、カサネを呼びつける。
 カサネは汚泥まみれの臭い姿で現れた。
「ぐっ、なんだこの匂いは!」
「沼をさらっておりまして」
「御子神の死の床をか! 正気と思えん……匂いもそうだが穢れが酷すぎる! 禊をしてから花神宮に戻るように! 花神さまがお呼びである」
「花神さまが?」
 カサネはぽっと汚れた頬を染めた。まさか、覚えていてくださったとは欠片も思わなかった。側つきは沢山いて、カサネがいてもいなくてもという状況だったので、御子神を優先したのだ。

 しかし、作業の途中だったもので、抜け出すのは大変だった。まずそのままそこいらの正常な泉を穢すわけにはいかなかったので、清めの塩で体を擦って泥を乾かし落としてから、水を汲んできて身を清め、その場を浄化する。そうしてから禊をした。
 それでも匂いがこびりついている。この状態で花神宮に行って良いものか悩んだが、呼ばれているというのなら仕方がないと戻った。
 当然、見咎められた。
「なんという穢れ……」
「けがらわしい」
「臭い」
 天人天女に嫌悪されながら、カサネは悩んだ。やはり、この状態で花神にお会いするのは……

「おや、かさねではないか」

 とって返そうとしたが、先に見つかった。後ずさりするが、供を連れた花神は此方へやってきて、
「ふむ、死の匂いがするな。御子神の沼にでも入ったか?」
 機嫌を悪くするようでもない。
「はい。御子神さまの寝所が少しでもよくなるようにと」
「おまえはやはり、良い子だなあ。みな嫌がるだろうに。感心なことだ。忙しいところを呼んで悪かったな。すこしお前の顔が見たかったのだ。相変わらずわんぱくなようで嬉しいぞ。
 その穢れを清めてやりたいところだが、まだ途中であろう」
「はい」
「では、行っておいで。しかしずっといないのは寂しいから、沼を清めたら、一度帰っておいで。その時はしっかりと清めてやろう」

 ずっといないと寂しい、というのは、おそらく他の側づきがいなくなっても仰るだろうと思われた。
 しかし、花神てずから清めるだと、と周囲は驚愕した。このように穢れたものを。
 花神はこころ優しい神だ。その労を厭わないだろう。しかし……

「お前、あまり調子に乗るものではないぞ」

 天人がこのようなことを口にするのは憚られる。憚られるけれども、花神が優しいぶん、誰かが厳しくならねばならなかった。鬼業という神官がその嫌な役目を引き受けた。
「花神さまが寛大だからといって、気まぐれで側つきになれたことを忘れてはならぬ」
「そのことなのですが」
 カサネは眉を寄せた。
「相談に乗ってくださいませんか」
「相談?」
「側つきになれたのはとても光栄で、幸福で、嬉しいことなのですが本意ではありません。
 しかし、花神さまは優しい御方だから、俺が急にいなくなっては悲しみます。なにか、俺がいなくなっても不自然じゃないような理由はないでしょうか」
「側つきで居続ける気はないと?」
「お言葉を頂けただけで、身に余る光栄です。俺は御髪を頂けただけで本当に本当に満足でした。何かないでしょうか」
「ふうむ」
 カサネの言い分はわかった。身の程をわきまえていることも把握した。鬼業は真剣に考え込む。

「実はな、花神さまには想い人がいるのだ」
「おもいびと」
 そう聞いても、不思議とカサネは落胆しなかった。失恋の呪いは未だ有効のはずだが、なにやら「まあそういうこともあるだろう」と受け止めたのだ。この呪いの発動条件は曖昧だ。
「といっても、実在するかどうかわからん」
「と、いうと」
「夢をな、見られるのだ。とても恋しい相手の夢を。花神さまは数年に一度の頻度でその夢を見られ、お嘆きになられる。
 その相手を探しに行く……というのはどうだろう。花神さまはお前の意志を尊重するようだしな」
「なるほど」
 カサネは頷いた。
「御子神さまの沼を浄化した後、それに旅立ったとお伝え頂けますか?」
「承った。良い旅路を」

 カサネは新たな目標を得てやる気を漲らせた。楽院を神域に招いてくださっただけではなく、命果てそうなカサネを側つきにしてくださった優しい花神さまの想い人を探し出せたなら、これほど誇らしいことはない。

「で、まぁた自分の恋愛はそっちのけ?」
 沼をさらいながら事情を御子神に話すと、呆れられた。
「絶対に叶うものではないと、御子神さまも仰ったじゃないか」
「お前さあ、自分が可愛くないの」
「かわいがって育ててもらったし、自分まで自分を可愛がる必要はないかと」
「恵まれた奴の言い分だな」
 そう、恵まれている。恵まれた分、誰かに……慕う相手に返したい。

 沼の浄化は容易いものではなかった。死と怨念の穢れがこびりついており、カサネは何度も体調を崩した。
「手伝うか?」
 三柳が言うが、断った。こんな穢れを何人も浴びれば、そのぶん潔斎が大変になる。
 幸い神域には浄化用の神器があるので、地上で行うよりは楽だった。汚泥を神器にうつして浄化し、それを沼に注ぐ。再び汚泥を神器に移し、沼に戻す。その気の狂いそうな作業を、朝も晩もなく繰り返した。

 一体何ヶ月それをやったろうか。ついに沼は澄み、穢れきっているのはカサネだけ、という状況に持ち込んだ。
「うわあ、くさい。口臭まで酷いぞ。内臓もやられてるんだ」
 三柳に言われて少しだけ傷ついた。この穢れが抜けるのはいつになるやら。
 ひととおりの潔斎、浄化は行ったものの、内臓にまで及んだ穢れはやすやすと消えるものではなかった。
 とはいえ、そろそろ期限だろう。

「というわけで、花神さまの想いびとを探す旅に出ます。宮のほうに許可はとってあるので」
「たまには帰るのだぞ」
「連絡はいれるのだよ」
 父と四楽院に言い含められ、楽院の一族に様々な餞別と霊獣を貰って旅に出た。

 一方、花神は国境の穢れが浄化されていくのを、日に日に感じていた。それもあってカサネの存在を忘れなかった。
「天人の身には過酷な作業であろう。御子神どのの神域も清浄になってきた。そろそろ連れ戻し、浄化してやらねば……」
「そのことですが……」
 神官が事の次第を告げる。カサネが花神の想いびとのことを知り、それを探す旅に出たことを。

 これを聞いて、花神が顔色を変えた。怒りの表情だった。この温和な神がそうした顔をするのは珍しく、神官たちは驚愕した。
「すぐに連れ戻せ」
「なぜです。健気にも、花神さまのお役に立とうとしているのですよ」
「いいからすぐに連れ戻せ。そもそも、あの穢れを一身に受けて無事であるはずがない、何を考えている。誰も止めなかったのか。
 それに、あの子に俺の夢の話をしたのは誰ぞ。あのいじらしい子なら探しに行くと言い出すのは分かるだろう」
 神官鬼業の目論見は外れた。よもや花神が、あの花神が不快を顕にするなど、想定外だった。

 このようなことが花の都で起きたなどとつゆ知らず、カサネの旅はのんきなものだった。時折具合が悪くなって吐き戻したりはしていたが、なんといっても若く、怖いもの知らずだったので、全く体を労りもしなかった。

 それよりも、新しい土地へいく喜びのほうが勝っていた。白虎のサンゲツに跨がり、意気揚々、天根の国へいく。この国は花神シキの姉、守神アマネが治めていらっしゃる。
 表向きは守神だが、別名を祟神(たたらがみ)という。アマネは戦う力を持たないが、アマネの国を脅かした者には凄惨な禍が降りかかるという。ゆえにこの大陸の神域は不可侵とされ、他の神族に脅かされず、平和を保っている。

 五色の花々が咲く花の国とは違い、天根は落ち着いた様子だった。花の国と違い、食料はそれほどない。持たされた携帯食料を齧りながらの旅路だった。野生の獣やあやかしにも注意しなければならない。それらは、ほとんどサンゲツに撃退されるのだが。

 ようやく都にたどり着いた。濃紺の木々を使った白壁の上品な町である。道ゆく天人も陽気というよりは、しずしず、しゃなりとしているのだった。

 カサネは宿を確保し、その上で鎮守宮を目指した。
「花神さまの側づかえの者なのですが、神官の方にお話をうかがえないでしょうか」
「なんと穢れし者だろう」
 門兵はあからさまに嫌な顔をした。
「貴様のようなものを宮へ入れることはまかりならん!」
「落ち着け。花神さまの側仕えであろう。騙ってよい嘘でもない。まず花神宮に問い合わせねば。客人、数日待っていただくがよろしいか」
 片方が聞く耳を持つ人でよかった。

 カサネは、旅籠でもいやな顔をされた。これでもずいぶん匂いはとれてきたと思うのだが。いやなものを見る目を向けられるのは、少し堪えた。
 しょんぼりと部屋で膝を抱えていると、女将が声をかけてきた。なんと、夜にもなる前に宮の神官のほうから出向いてくださったのだ。
「急なことで……申し訳もなく」
「こちらこそ、門前払いとは失礼をいたしました。アマネさまがお待ちです、どうぞ」
「アマネさまが?」
 アマネの神官からお話を聞ければ、程度に考えていたので、アマネに目通りするなど考えてもいなかった。
「しかし、俺はこのような穢れた身の上で」
「花神さまから即刻保護するようにと式神が飛んでまいりました。どうかご理解ください」
 そうまで言われては従うほかなく、くさい、汚れた身で、よその国の大事な神宮に縮こまって入り込むことになった。

 アマネの宮には内部に池があり、朱塗りの橋がかかっていた。なんとも雅なつくりで、白壁に上質な赤紫の織物が下がっている。
 アマネの居室には、花神宮と同じく中央に立派な階段があり、それを登って向かう。大きな注連縄が下がる部屋には、宴の準備があり、奥にアマネと思しき美しい女神が座していた。
「いらっしゃい、シキのかわいい子。じきにシキがむかえにくるわ、それまでお腹を満たしなさい」
「で、でもこんな穢れた身で……」
「御子神の沼の話は聞いています」
 アマネは琵琶を爪弾きながら、長いまつげを伏せて微笑む。

「御子神はずっと、暗く穢れた沼で眠っていました。何かを成すには誰かが傷つき穢れなければならないの。あなたの穢れは名誉の穢れです」

 褒められ、カサネは顔を熱くした。そんな自己犠牲的な理由ではなかったのだ。ただそこに、汚れた沼があって、御子神の寝床であるべきではない、と感じただけだった。

 アマネの国の料理は懐石だった。山菜の木の芽和えや緑豆のなめらかな豆腐、鳥肉の煮付けなど、上品で控えめな味わいで、とても美味しかった。いただいたお神酒は口当たりがよく、つい呑みすぎて、酒に慣れないカサネはすぐに酔ってしまった。

 ふら、と傾いだ体を受け止めたのは、ふわりとよい匂いのする、あたたかで、逞しい腕だった。
「これ、カサネ。わんぱくなのも良いが、言いつけは守るのだぞ」
 花神だった。顔が近い。酒のせいでほわほわしながら、カサネは首を傾げた。
「あの、俺、花神さまの想い人を探して……」
「おろかなことを」
 花神は悲しそうに眉をさげた。憂い顔すら麗しい。花神の腕の中で、夢見心地になった。

「もう長く、あの夢を見ては、ほうぼうを探した……もしかしたら会ったことのある相手ではないかと、希望を捨てられず。しかし、神在月の宴でも見つけられず、誰にも見つけられない。夢の中だけの存在なのだ。いまさらそなたが探し回っても、見つけられはせぬ、うたかたの翌なき花よ」

 酩酊して、花神の言葉は半分以上理解できなかった。

「それ、カサネ。口を開けなさい」
「あ」
「やはり、奥までやられているな。このままでは内臓が腐れてしまうぞ。姉さま、すまぬが潔斎場を借りる」
「どうぞ」

 ふわふわする意識が浮いた。抱え上げられたのだ。なんということだろう、花神さまにお手数をかけて。しかし、なんだか思考が定まらない。
「沼の浄化が終わったら、清めてやると言ったろう。どうして帰らなかった」
「ん……俺は側にいちゃ、いけない……」
「どうしてそう思うのだ?」
「だって……まるで自分の命を盾に、花神さまの優しさにつけこんだようだったから」
 それがずっと引っかかっていた。花神の側仕えになりたい者は、いったいどれほどいるだろう。姑息だ。卑怯だ。もっと相応しい者たちに申し訳が立たない。

 頭上からため息が聞こえた。
「カサネ。すべての出逢いは縁あってこそ。縁を蔑ろにしてはならぬ。ましてそなたは縁を自ら作り出したのだ」
「つくる……?」
「思慕のために命をも賭けて御子神どのの試練を受け、そして自らに呪いをかけた御子神どのに尽くした。誰にも愛されなかったあの憐れな神を……そなたは縁を結び、強くした。人ならではの所業だ。誇りなさい」
「わからない……なんにもわからない」
「そう酔っていてはなあ。穢れに神酒も強かったろう。さ、潔斎場に着いたぞ」

 水晶の壁で出来た部屋だった。水場があり、清水が流れている。排水口が多く見受けられた。
「まず穢れを吐き出すところからだ」
 そう言って花神はカサネを横たえ、着物をはいだ。恥ずかしいという気持ちはあったものの、穢れを抜くための神聖な儀式だから、と解釈し、なすがままになった。
 だが、花神も装束を脱ぎだしたもので、仰天した。たくましく宝玉のような肉体が顕になり、あまつさえその下までも……

「あ、え、あ……清める、て」
「俺の神気を胎から注いで満たし、穢れを汗や精から抜くのだ」

 誰か、嘘だと言ってほしい。
[newpage]
 脱いだ羽織を敷いただけの水晶の床は冷たく硬い。
 胸元を撫でた花神の大きな手だけがあたたかく、カサネはひ、ひ、と息を吸うばかりだった。

 その怯えた様子に、花神は首をかしげる。
「そなた、おぼこか。年はいくつか」
「と、とし……十六で神域にきて五回奉納祭があったから、にじゅういち?」
「二十一とな!」
 花神は思わず吹き出してしまった。もちろん馬鹿にしたのではない。花神からして、あまりに短い歳月であり、ましてカサネの中では十六で年月が止まっているのだろうから、その幼さが可愛く、おかしく思えたのだ。
 おまけにその時を止めた十六の年から花神を慕っているので、まるで性体験というのがないのが見てとれた。

 ひとしきり笑ってから、ふぅと溜息ついて、柔らかく微笑んだ。
「案ずるな。優しくしてやる」
 花神にとってこれはあくまで禊、ぐずる幼子を腕に抱いてあやすのと変わりない。
 灰色がかった亜麻色のやわらかい髪を撫で、震える唇を吸う。すぅう、と穢れを呑み、身を起こした。
「ふっ」
 外へそれを吐き出すと、禍々しい瘴気が立ち上る。何度かそれを繰り返し、吸い出す瘴気が薄くなる。
「よし、これでずいぶんと楽になったであろう。神酒も体内を浄化してくれるはずだ。しかしこれほどの瘴気を裡に溜め込んで、さぞかし辛かったろうに」
「………」
 カサネの目の焦点が合わなくなっている。長く瘴気を溜め、それと馴染んでいたので、急に失って意識が定まらないのだ。

 花神はもう一度唇を合わせ、今度は花神の清浄な神気をゆっくり流し込んだ。
「んっ!? んっん!」
 穢れた器に強い神気を流され、拒絶反応でカサネの細い身がびくびく跳ねる。その手足を抱えるようにおさえ、何度も小出しに、花神からすれば微量の神気を注意深く注ぐ。

「あ……あぅ」
 神気酔いしたカサネは涙をぽろぽろこぼし、とろりとした様子。もはや正気ではあるまい。
「よしよし、よう頑張った。だが、これからが大変だぞ」
 花神は掌にこぽと花の蜜を生み、白い脚を開かせて股座に塗りつける。幼いおぼこの蕾は淡く色づき、硬く閉ざされている。そのくぼみをやさしくやさしく丁寧に撫でた。
「はんっ……んっ」
 柔らかくなったところでつるりと爪の先を入れると、カサネは眉を寄せて目を閉じる。
「すこし感じやすいか。なおさらゆっくりと時間をかけねばな」
 手間暇をかけるのは好きだ。花は手をかけるほどに美しく咲く。

 花神はこの子を手元に置き、この手で花開かせることを楽しみにしていた。控えめで健気で、美しい髪と太陽の瞳を持つ少年。さぞ可憐で凛と咲く花になるであろう。
 ゆえに、遠ざけられることも、散らされることも望まない。手元に置いて、咲いて、できれば笑ってほしいのだ。
 神の感覚は人のそれとは違う。これは言うなれば桜の盆栽を愛でるようなもの。手塩にかければ可愛い存在。生ける宝。そういうものにしたいと花神は思う。

「ふ…ぁ、ん、ふ」
 恍惚とした様子で、蕾の内部を愛撫され、快楽を享受するカサネ。花神のやさしい指使いに淡い乳首をつんと膨れさせ、先が桃色に色づく性器からとろとろ蜜をこぼしている。
 その様がなんとも幼く見えるので、花神の心は暖かくなった。
(さて、挿れるが……)
 カサネの慎ましく小さな尻を蹂躙するには大きすぎる花神のそれをあてがい、細心の注意を払ってゆっくり、緩慢なほどに亀頭を埋め込む。
「んんぅ」
 少し呻いたが、痛みに喘ぐ様子はない。慣らしながら、徐々に埋め込んでいった。
 初物の蕾はなんとも窮屈で、甘えるようにきゅうきゅう締め付けてくる。
 しかし、内部は、やはり穢れきっていた。口吸では肺の瘴気までしか吸い出せないのだ。

「よしよし、愛い愛い。良い子だ。それ……どうか?」
「んぁん、あぅ」
 軽くゆすると慣れない様子で軽く身悶えする。可愛らしいことだ。
 慣れない快楽に震える前にそっと手を添え、介助してやる。そのまま奥を揺すってやると、カサネの息が上がり、拙く喘いだ。
 若いためか、簡単にぴゅると精を飛ばす。
「たくさん出して穢れを吐け。少し激しくするぞ」
「あっ! んぅ! はうっ…あぁああぅう」
 激しくすると言っても緩やかなものだ。加減をする花神のこめかみからつぅと汗が伝う。繊細なものを壊さぬよう扱うのは神経を使った。

「んんっんぅっ、んー、んーっ」
「そうか、心地よいか。うん、よし、神気を胎に流すぞ」
「んんーっ!」
 神の吐精は液状ではなく霊的なものだ。カサネの脆い器が強い神気にビクビク痙攣し、魂をも犯される感覚にはひゅはひゅと呼吸を繰り返す。
「よしよし頑張れ。そなたの中をすっかり塗り替えるまで続くぞ」
「ひぃん」
 揺さぶられ、愛撫され、花神の促すまま感じ、達し、快楽に溺れる。なんと愛おしいことか。
 背が床についたままでは痛かろうと膝に抱き、それこそ幼子をあやすように優しく結合部を揺すった。カサネは一生懸命に花神にしがみつき、頑張って腰を動かしていた。花神の腹筋の筋に性器の先を擦り付けるようにして……幼気な様子がまことに可愛らしく、花神は亜麻色の髪に頬ずりをした。

(ふむ……しかし、もう体力が尽きかけているようだ。ぐったりしている。あまり無理をしてはならぬなあ)

 カサネは何日でも走り回れるほど体力があるが、何分はじめての性交、それも穢れを吐き出しながらの神気を吹き込まれる行為。のぼせ、酔い、すっかり参ってしまっている。
 花神は水場で丁寧にカサネと己の身を清め、用意された襦袢に袖を通した。カサネは意識のないまま、天女たちに世話を焼かれている。
「お運びいたしましょうか」
「ああ、よい。俺が連れていこう。その子を抱いていると、つしりとした重みとあたたかさが心地よくてなあ」
 とはいえ、水垢離をした後だったのでカサネの肌はひんやりしていた。両腕にそうと抱いて幼い寝顔を覗き込むと、なんとも言えず胸がくすぐたくなる。

「禊は終わったの?」
「姉さま。それが、この子の体が持たずに切り上げたのだ。無理に動かせもしない、今宵は宿を貸しておくれ」
「あら、まあ、珍しいこと」
 アマネは赤紫の袖を口元にあて、ホホと笑った。アマネからすれば、まだ幼いやんちゃな弟が、弱った子猫を拾って世話をしているように見える。

 用意された寝所にカサネを先に寝かせ、花神も横になる。そうと抱いて頬をよせ、ぽん、ぽんと胸元をあやしてから、目を閉じた。

 目覚めた時のカサネの混乱はかなりのものだった。
 身動きできぬほど花神にしっかと抱かれ、至近距離に麗しい花の顔があり、寝息を漏らしている。
 体の中ではゆらめくように花神の神気がたゆたっているのがわかる。
 更に言えば、朦朧とはしていたものの、昨夜の記憶があった。花神に優しく抱かれ、はしたなくも縋って快楽を貪った浅ましい記憶……
「う」
 カサネは動く腕で目元を覆い、嗚咽を漏らした。

 花神はその声で目を覚まし、どうしたどうしたとカサネを撫であやす。
「う、あんな……あんな」
「うん、なんだ。恥ずかしかったのか。恥じることではないぞ、あれは禊だったのだ」
「だって、あんな、みっともない……」
「みっともないものか、いつものように健気でいじらしく、可愛らしかったぞ」
 淫らとすら呼べはしない。ただひたすらに幼気で、まぐわいという感覚もなかった。
 花神は身を起こしてカサネを膝に抱き、背を叩いた。

「昨晩は、途中で切り上げた。この調子であると、あと二、三度は禊を行わねばな」
「これ以上花神さまのお手を煩わせるなんてとんでもない!」
「御子神の死の床はそれほどに穢れていたのだ。若く活力のある天人の身だから耐えられただけで、人の身なら即死であるぞ。
 俺が禊をしてやれるからこそ、御子神の沼を浄化する許可を与えたのだ」
 それほど危険な作業だった。だからこそ、御子神の沼は今まで捨て置かれていたし、御子神に近づく者はなかった。
「そなたは立派なことをしたのだ。恥じるでない」
 いい含めて額をつけると、眉を下げたカサネはすんと鼻を鳴らした。

 花神とカサネはアマネとともに朝餉を頂き、宮を後にした。霊獣のひく網代車に乗る間、カサネの顔色は暗い。
「まだ何か不安があるか」
「畏れ多い……俺のようなものが、神様と食事をして、禊をしていただいて、同席を」
「そなたは俺の側仕えであろうが」
「お世話をするどころかお世話をされて。身の程が……」
「誰ぞに何か言われたか?」
 言われると、カサネは勢いよくかぶりを振った。この様子だと、言われたのだろう。

「な、カサネ。俺の夢の話は誰に聞いた?」
「………」
「俺の言うことを聞かぬか」
「お……鬼業神官さまに」
「鬼業が?」
 厳格かつ人情もろいところのあるあの神官が、新入りの幼い側仕えに吹聴するとは。

 そこで花神は、自国へ戻るとまずカサネを楽院家に帰し、宮で出迎えた鬼業を見てこう言った。
「この中のどれだけが俺の病と聞いて不死鳥の卵をとってきてくれるのだろうな」
 出迎えた神官や神兵、側仕えは他にもいる。もちろん、答えられる者はいない。事実、いなかったのだから。
「そのような命知らずなことをしろ……というのではない。危ないからな。寧ろ、してほしくないことだ。
 しかし、俺とて懸命な行動には心動かされる。あの断崖絶壁、神器があったところで文字通りに骨が折れるであろうな。指の皮や爪もはげるだろう。不死鳥の巣を狙って無事だったとも思えぬなあ。命をかけて……とあれの父親は言っておったが、まさに命がけであったろう。
 この国の民のどれだけが、一途な思慕のために御子神の死の呪いを受けてまで贈り物をしようと考えるだろう。ましてその呪いを授けた御子神の死の床をたった一人で浄化しようと思うだろう」
 聞いて幾人かが身震いした。あの死の床に入れば、内臓が腐れて魂までも汚染され、やがて内側から溶けるように果てる。
 カサネはそのようなこと、考えてもみなかったようだが。

「どれもこれも子供ゆえの短慮だが、こうまでされては可愛いと思うのは当然であろう。特別扱いとまで言わぬが、手助けしてやりたいと思うのは神の性。
 身の程など……そんなもの、誰にもないのではないか」

 鬼業は膝をつき「申し訳も……」と謝罪した。
 花神はその姿に苦笑した。
「謝ることはない。しかし、あれの勇気を讃えるものは人間には少ないのだな……」
 まして釘をさすとは想像もしなかった。驚いた。神々の間でカサネは一躍有名人だが、人にとってはそうでもないらしい。

 翌日、言いつけ通りカサネは来た。側仕えとしては遅かったが、作法を知らないのだ。これは誰も新しい側仕えに何も教えなかった、ということにも繋がる。側仕えや神官たちが萎縮する中、花神は苦笑していた。
 なにしろカサネ、居心地が悪そうにやってきて、どうしていいか分からずにきょろきょろとして、部屋の隅も隅、角にちんまり座ったのだ。

 さすがにこれを放置されない。というより、カサネを疎んでいる者はごく少数だ。教えなかったのも、教える機会がなかっただけだった。カサネはとにかく殆どの時を御子神の元へ行っていたので。
「そこじゃないわ、ここよ。貴方は新入りだから、ここ」
 側仕えの中でも器量よしの天女、クチナシがカサネを呼ぶ。側仕えの教育など仕える神の御前でするようなことではなかい。教えるにしても後で……とみな考えていたが、クチナシは、教える姿を花神に見せることで安心させようとした。この度量は他の者にはない。だから彼女は重用されていた。

 クチナシの顔を見上げ、そろそろと末席に座し、花神を見るカサネ。花神はうんうんと微笑んで肯定してやった。カサネの顔が少し明るくなる。
 天人天女も数百年の年を経た者ばかり。慣れない様子はまことに愛らしく、目くじらを立てる気など起きないものだ。それはやっと這い這いを覚えた赤子を見守る祖父母のような心境だった。

 花神は祭事を行うほかに、国内外の様子の報告を聞く。政治は政務宮で政務官が行っているので、それらの決定や方針に耳を傾けるのだ。神官が筆記し、その日の出来事の総評、これまでの状況とあわせてどうなるか、更にこの先のことなどを予想し、必要があれば宣託をする。

「それカサネ。ここにおいで」

 神官が筆記した巻物を広げる花神がぽんぽんと隣を叩くので、カサネは戸惑いながらも、隣に座した。示されたのだからそうするのは当然としても、神官たちはぎょっとした。神の座する上座は不可侵で、今まで神以外の者がそこに入ったことはない。

 花神は、カサネを抱くようにして巻物を広げ、眺めていた報告がどういった意味を持つのか、これを何のために行うかを、優しい声で歌うように教えた。
「御子神の神域が浄化されたでな、道を敷く案が出ておる。また国境に、小さいけれども人里を作るなどして……」
 カサネはカチコチに緊張して神妙に頷いていた。

 クチナシたちに教えられて片付けをする時も、花神はその様子をにこにこ見ていた。
 食事は、毎食、宴のようになる。宮の全員が一階の大広間に集い、余興を見ながら、食事をするのだ。
「さても、ふむ」
「何かお困りでしょうか」
 袖口で口元を覆い、考え込む素振りの花神に、神官が尋ねる。
「いやな、食事の席では、俺の前は余興のために開けられるだろう。だからカサネが遠くなる」
「側に置きたい、ということでしょうか」
「うーん、側に置きたい、というよりは、食べる様が見たい。あれは、行儀はよいが、はぐはぐ、もぐもぐと食べっぷりがよい」
 それは赤子が離乳食を食べる様ならいつまででも見ていられる、と大差ない感覚。
 要するに、カサネの扱いは、貰ってきたばかりの鳥の雛のようなものだった。

「しかし、特別扱いのように感じさせるのは、あの者の為によくありません。御子神さまの死の呪いは継続しているのでしょうし、思慕を誘発させては可哀想です」
「それがなあ、難しいのだ。俺は、そっと、見守りたい。こう、近すぎず、遠すぎず……いっそ甘やかすのも一興だが、それで死なれては元も子もない」
 花神の中でカサネは一生懸命の幼児である。幼児に「おっきくなったら、けっこんして!」と言われているような状況なのだ。禊などおしめを変えているような錯覚さえ覚えた。
 いくらその幼児が可愛くて仕方なくとも幼児の「けっこんして!」を真剣に考えられるだろうか。ただただ「そうか、そうか」と頬のゆるむ思いでしかない。
 ただ、それが命にかかわるとなれば……御子神はまことに残酷なことをする。

 午後の祭事でも、教えられて祭具を整える様はぎこちなく、もう、かわゆくてならない。これでいいのか、間違っていないのか、不安げなのだ。花神の顔はこの日、緩みきっていた。

 そんなカサネだが、次の日は来なかった。来いと言われなかったからだ。楽院のほうに問い合わせると早朝にはどこかへでかけたらしく、
「てっきり、お宮へ向かったのだと……」
 当主はおろおろしている。

「おおよそ、御子神どのの元だろう。よいよい。あれにはきっと、己の使命があるのだろう。ときおり顔をだすよう伝えておけ」

 しかし、カサネは……そして御子神も、乳児並に目を離せない子供であった。厄介な子供が二人あわさればどうなるか。
 花神が悔いるのは、ほんの数日後の出来事である。
[newpage]
 カサネが御子神の元に赴くと、楽院家や柳家の尽力の甲斐あり、暗く狭い沼とやしろがあるばかりの土地が、かなり開拓され、整地されていた。また、本格的な神宮の基礎工事も始まっている。

 ただ、カサネはあっけにとられた。透明になるほど浄化したはずの沼が、汚泥というほどではないにせよ、濁ってきていたからだ。
「なんだ、その目は。僕がここで眠るんだから、汚れるに決まっているだろう」
 長年沼を寝床にしていた御子神は、自身が穢れの元となっていた。
「まあ汚れれば浄化すればいいとして」
「簡単に言うな、お前は」
「禊に花神さまの御手を煩わせることになる。とても不本意だ。御子神さまも、沼の浄化のために花神さまに厄介をかけるのはおいやでしょう」
「それはまあ」
 同じ神として「しゃく」なことだ。自分がすべきことだ、というのは、この身勝手わがままな御子神でも理解した。

「ふーん。じゃあ、禊用の神器でも創るか」
 言ったはいいものの、御子神は考えた。浄化の神器がそれほど簡単に創れるものなら、とうに自身の手で沼をどうにかしている。
(うーん。毒を吐く場所と言えば、上か下かしかないわけだが、上は排泄のために出来ていないからな。やはり下だろう。浄化のための力はどうするか。僕じゃあ、余計に穢すだけだし。うーん。ああ、そうか)
 御子神は思いつき、紐のついた管のような神器を生み出した。

 そして御子神は小枝で土をがりがり削って地図を描く。
「いいか、ここからちょっと南下したあたりの国境に跨る渓谷は龍脈なんだ。ちょうど国境にあたる中央に、龍脈の中心部もある。そこにこの紐の先を埋めて、その管を秘部に刺せ」
「えっ」
 とんでもない話だった。神聖なる龍脈の中心部でなんということを。カサネは赤くなるやら青くなるやらだったが、御子神は大真面目だった。
「この神器は神力で対象を浄化する。この場合は龍脈の力を借りる。お前だって小便もうんこもするだろ。同じことだ」
「そ、そうだけど……」
「それともやっぱり、いちいち花神に禊させんのか?」
「うう」
「安心しろ、どうせ誰もいやしない」
 龍脈の中央は火山口のようなものだ。生き物はふつう、近寄らない。植物さえ生えないのだ。

 御子神は、それが一体どういう意味を持つのか、このとき真面目に考えるべきであった。

 カサネはなんとも言えない気分で沼を浄化し、神器を持って龍脈の中央へ出発した。渓谷は龍脈に沿って流れているので、わかりやすい。また、緑豊かだったのがただの岩場になってゆくので、なお中心部はわかりやすかった。

「このあたりかな」
 カサネは周囲を見渡し、下履きを脱いで、川の浅いところに入った。勇気を出して管を秘部に挿し……なんともいえない屈辱感を覚えながら、紐の先を、川底に埋める。

 このとき、紐を先に埋めて、管を挿していたなら「まだ」ましな結果になったろう。

「ひ?」
 ぐん、と強い力が一気に脳天まで突き抜けた。それから後は、もう分からない。カサネの体は龍脈の流れの一部となり、穢れどころかあらゆるものを一気に洗い流された。はずみで神器が外れたのは不幸中の幸いであろう。
 カサネが次に意識を取り戻したのはずっと後のことだ。

 禊に龍脈に向かう、と四楽院と父親に告げて出かけたカサネが戻らないので、三柳と四楽院がカサネを探し、川辺に倒れているところを発見した。
 下半身が流水に浸かっている状態だというのに、カサネの体はひどく熱かった。龍脈の熱が溜まっているのだ。この場合、流水に晒されていたのも幸いだった。

 御子神のもとへカサネを連れ帰ると、その様子を見て、
「えっ、なんだこれ……」
 御子神は戸惑った。これを見て、楽院の者はすぐさま花神宮へカサネの状態を報告し、程なくして、花神が車にも乗らず、文字通り飛んでやってきた。

「なんということを!」
 ひと目でカサネと御子神が何をしでかしたのか見抜いた花神は、血相を変えた。
「龍脈と繋がるなど、神でもせぬ。まして天人の身が持つはずがない。よくも命が保っているものだ。ああ、ああ、こどもというのは何と恐ろしいことをするのだろう」
 この場合の「こども」は御子神も含まれている。誰とも交流せず、こどものまま時を経て力だけをつけた御子神は、厄介な存在だった。今まで誰も彼と交流しようとしなかったから発覚しなかっただけで。

 カサネはひどい発熱に魘されていた。花神は緊急時に備えて携帯している印籠から霊薬をとり、カサネに口移しで飲み込ませた。
「一時的に熱は下がる。この間に処置をせねば」
 そして、楽院の簡易住居に薬神やら医神やらが呼び寄せられ、大騒ぎとなった。
「ホホホ、こどもというのはなんとも、思いもよらぬ火遊びをするものだて。龍脈と繋がったかぁ」
 可笑しい、というよりは、もう笑うしかない、という様子で医神が小まめに熱をとる。
 ちなみに、御子神はばつが悪いのか沼の底から出てこない。悪いことをした、という自覚があるだけよしとすべきか。

 花神はそう長く宮を空けてはいられない。宮へ戻って国のために祭事をしては、気もそぞろ。時間を見つけてはカサネの様子を見に御子神の沼へ赴く。
 この一件で、宮の者たちも「カサネは目を離してはいけない……」と学んだ。花の国の守護にまで影響が及ぶ。もちろん楽院家も学んだ、カサネのすることは今まで諦め半分だったけれども、これはとてもではないが見過ごせないと。

「不死鳥の卵の時もそうだったけれども、どれほど、どれほど、どれほど周囲が心配したか。花神さまにご心配おかけしたか!
 花神さまは食が細くなって、やつれてしまわれたよ。こんなに心配をおかけして、君という子は!」

 母親がわりの四楽院は泣きながら、目覚めたカサネに説教した。病み上がりで朦朧としていたが、構わず叱った。
 カサネは、まあ、流石に無茶に関する反省はしたけれども、御子神さまの指示に従っただけなので、今回の件は目を白黒させるばかりだった。神さまの言うことなのだから、正しいと疑わなかったのだ。

 そう、このままではいけない。
 花神は深夜、誰もいない時に、ひと柱で御子神の沼に赴き、ひっそりと語りかけた。
「御子神どの……御子神よ。これからは、これまでのように誰とも交わらぬというわけにはいかぬぞ。カサネに目をつけられてしまったからにはな」
「僕はこんなこと、頼んでないぞ」
 岩の影にいるのか、姿は見えなかったが、拗ねた返事はあった。
「勝手にやしろを作って、勝手に寝床を浄化して。僕は何も言ってないんだぞ」
「何も言わずとも勝手に神を祀り、勝手に神頼みをするのが人というものだ」
 御子神は、そのようなことも知らずに、何百年も一柱でいた。もっと気にかけるべきだったと悔やむ。仮にも神が相手なので、無礼にあたると遠慮したのが悪かった。

「カサネはそなたを慕っているから、これからも沼を浄化するであろうし、懸命に尽くすぞ」
「慕う? 呪った相手を?」
「カサネにとって、そなたは宝珠をくれた恩神なのだ。神に相手して貰うのは、人にとって嬉しくて光栄なことなのだ。そなたは神として自覚をせねばならぬなあ」
 非情な条件で願いの叶う宝珠を与え喜んでいるようではいけない。そうした性質の神は、少なくないけれども、それはすべて自覚の上でやっていること。御子神とは違う。

「カサネは、俺よりそなたを気にかけているほどだ。そなたの寝床を浄化し、やしろを建てて祀り、神官になることを使命と感じている。愛しい存在だろう、人というのは。
 だからなあ、御子神よ、ときどき俺の宮へ神の在り方を学びにおいで。神在月の宴にもともに行こう。
 人と神と交わり、さまざまなことを学ぶのだ」

 返事はなかった。
 けれども、この事件の少し後に、御子神は宮に顔を出した。回復したカサネが働きまわっている様を影から難しい顔でじいと見ている。
 花神は知らぬふりをしたが、カサネのほうが御子神に気がついて、仕事を放り出し、御子神のもとへ駆けていった。
「なにやってんだ、仕事中だろ」
「でも、御子神さま来たから」
「僕が来たから、なんだってんだい。もう、見つかるだろ」
「見つかってると思うけど」
 花神は笑いを堪えて唇を噛んだし、神官や側仕えたちの中には顔をそむけて肩を震わせる者もいた。神を笑っては、いけないのだけれど、微笑ましすぎる。

 カサネは花神の側仕えのはずだが、御子神がいるなら、御子神の側についているのが正しい、と信じて疑わないようだった。
 カサネの性格から推論すると、おそらく「花神さまには沢山の神官がついていて俺はいなくていいけれど、御子神さまには誰もいないから」と考えている。
 カサネは宮で覚えた作法をもって、御子神に尽くした。
「それ、花神宮のものだろうが!」
「花神さまは怒らないと思う」
「怒るとか怒らないとかかじゃないっ」
「うぐっ」
 と最後に呻いたのは花神である。笑うなというほうが無理がある。

「ふぅ。これ、御子神よ。そろそろ昼餉だ。食べてゆきなさい」
「ふ、ふん。食べてやらないこともない」
「御子神さま、食べる前に禊場を借りよう」
「仮にも神の手を勝手に握るなっ」
「ぶふぅ」
 もう駄目だった。沼から来た御子神は少し穢れていたので、カサネは有無を言わさず御子神の手を掴み、あるき出した。御子神も文句は言うけれども振り払わない。きゃんきゃんと子犬のように言い合いながら出ていく子供たちの姿に、花神は体を折って笑った。これほど笑ったのはいつぶりであろう。

 もはや祭事どころではなかったので、禊場へ様子を見にゆくと、水場に引きずり込まれた御子神が遠慮会釈なくカサネにじゃぶじゃぶ洗われていた。ここで、耐えきれず、花神はとうとう声を上げて「あっはっはっは」と笑った。涙まで出た。

 昼餉の席で、御子神は行儀の悪さを披露した。子供のまま殺され、今まで顧みられずに来たため、なんと握り箸だったのだ。
「御子神さま、箸はこう持つんだ」
「食べられればなんでもいいだろ!」
「帰ったら、お箸の練習をしよう。神在月の宴に行くなら笑われてしまう。今日は、俺がやる。魚を解せないだろ?」
「ふん。食わされてやる」
 二人のやりとりが面白く、余興どころではなかった。余興に舞う天女たちも忍び笑っているのだから、今日の主役は完全にこの二人だった。

 カサネに料理を口に運ばれ、不機嫌ながらも食す御子神。食べ終えて汚れた口元を拭われ、鼻を鳴らした。
「ふん、まあまあ美味かった」
「ごちそうさまって言うんだ、御子神さま」
「もう帰る!」
「じゃあ行こう。花神さま、ごちそうさまでした」
 カサネは再び、しっかと御子神の手を握った。そのまま、二人は言い合いながら去っていった。カサネは花神の側づかえで、仕事の途中であったにもかかわらず、だ。

(ああもう、かわゆい。言葉にならぬ。カサネはおそらく御子神を、手のかかる弟くらいに思っておるな。四楽院がカサネをかまう姿にそっくりではないか)

 これから御子神は、帰って文句を言いながら箸の練習をするのだろう。豆をとる練習もして、できたら威張り、カサネはそれを褒めるだろう。
(ああ、見たい、見たい。それを見られぬのが残念だ。さぞかしかわゆい……ああ)
 ふと思い出して「これ」と神官を呼んだ。
「カサネのことだがな、どうせまた沼を浄化して穢れを溜め込むだろう。今度こそは余計なことを考えず、俺の元へくるよう言い含めておくれ。楽院当主や四楽院や父親、それから三柳だったか、カサネの友人にも伝えておくれ」
「かしこみかしこみ申し上げます」
 ここまで釘をさせば、今度こそ無茶はするまい。さんざん親族に説教を食らったようでもある。

 そして暫く後、カサネはやはり穢れを溜め込んで帰ってきたが、
「あの! これで! なんとかなりませんか!!」
 カサネは玩具のような管と紐の神器を見せ、涙目で訴えた。
「ふむ。よう出来た神器だな。龍脈に刺そうなどと考えねば悪くない発想だ」
「うう」
「ただ、これを使用するには……そうだな。そなたは下履きを脱いでこれを蕾に挿し、俺が紐の先を咥えて神気を吹き込むという図になるが」
「そ……それはそれで恥ずかしい!!」
「まだるっこしいだろう。褥の作法の勉強とも思い、諦めなさい」
「ううー」
 カサネは真っ赤になって涙を浮かべる。おぼこいおぼこい、かわいいかわいい。

「さ、脱ぎなさい」
 指示をしたが、カサネはもじもじして、着物の上の紐をいじるばかり。可愛いけれども、花神にも予定があるゆえ、近づいて下履きの紐に手をかけた。
「あっあっ、やりますっ」
「どうせそのうちには慣れる、いまのうちに初々しい姿を堪能しておかねばな」
 全裸になるのは抵抗があるようなので、下履きだけで許してやった。
「尻を向けて手をつくのだ」
「こ、こうですか」
 もう半泣きだ。四つん這いになればいいところを、顎の下に手をあてて、震えている。子犬がきゅうんと耳を下げている姿によく似ている。

「よいか、蕾は繊細であるから、よくよく解さねばならぬ」
「ふひっ! ひっ! ひえ!?」
 花蜜を塗って指先で撫でただけだというのに、腰が跳ねる、暴れる。
「これこれ、おとなしくせんか」
「ふぐう」
「唇を噛むな、傷になる」
 水を怖がる小動物を風呂に入れている気分だ。かわいいけれども、手がかかるし、困る。それも楽しいが。

 震えて収縮するそこを撫でるけれども、力みすぎてぎゅうと窄まってしまっている。
「力を抜くのだ」
「ふえ……ど、どうやって?」
「どうやってときたか。体を楽にするのだ」
「ふーっ、ふーっ」
 警戒した猫か。呆れて笑う。
 いっそ神酒で酔わせたほうが楽だったと考えながらなだめすかし、ようやく指先が入った。
「蕾の口を丁寧に愛撫されると、心地よいだろう」
「うんっん、んーっ」
 相変わらず感じやすいようで、たったこれだけの刺激で前がぴんと反っている。恋い慕う花神が相手だからかもしれぬが。
「それからこの奥の、このしこり……」
「ひえんっ」
 蕩けるように熱くうねる内部で指をくちゅくちゅ蠢かすと、カサネはひゃんひゃん啼いた。触ってもない前からぴゅるぴゅる精を吐き漏らしている。

「心地よいか」
「きもちぃ…きもちぃっ、ひんっ」
「もっと奥になるともっと心地よいのだ。もうすこし解すぞ」
 注意深く慎重に、蕾を伸ばすように拡げる。指を二本いれ、縦に伸ばし、横に伸ばし……やわらかな肉が波打つ内部がよく見えるようになるまで解した。
 花神はカサネに覆いかぶさり、先端を柔らかくなった蕾に押し当てる。
「んぅ……う!? お、おっき……ひんっ」
 つぬぷ、と亀頭が入っただけでカサネは驚き悲鳴を上げた。はーはーと息を整える様子を見守り、少しゆする。
「ふひ!」
「まだまだ、奥までいれるぞ」
「おく……? ひゃ」
 ずぬる、ずぬると内部を這う。カサネの蕾は狭く締め付け溶かすように熱く、うっかりするともっていかれそうになる。
「大事ないか?」
「お、おもったより……いたく、ない」
「痛くしておらんからな。それ」
「ひゃ、ひゃ!?」
 腰を動かして奥の窄みを先端で擦るとカサネが悲鳴のように甲高い声を上げる。

「あぅ……なに、これぇ…きもち、ぃ……きもちぃっ」
「うん。何も考えず、心地よさに身を委ねろ」
「ひぁあ」
 悦い場所を、巧みに腰を使ってあやしてやる。カサネは水晶の床を掻いて身を捩り悶えた。以前も思ったが、ずいぶんと素質のある……それ用に育てればさぞ神々を喜ばせる稚児になるだろう。そのような気はまったくないが。
「あうっ、あううっ、だめ、だめだめだめっ……ふぁ!」
 奥を突かれて達する。花神も神気を放った。
 今回は、前回ほど穢れてはなかったので、これで十分だろう。あとは飲食物で浄化できる。

 尻を高く上げたままくったりするカサネからモノを引き抜き、ひっくり返すと、膝小僧が赤くなっていた。
「うーむ、潔斎場ゆえ仕方なしとは言え、行為をするには向かぬ場だなあ」
「ひぃ……ふぅ」
 とろとろになったカサネは下半身をどろどろにして、蕩けた顔で放心している。
「よし、頑張ったな」
 抱いて水場へ入り、ともに汚れを流す。カサネは花神の胸に顔を寄せ、頬を染めていた。
(そうかぁ。俺がすきか)
 微笑んで亜麻色の髪を撫でるけれども、やはり、幼子の可愛さの域は出ないのだった。
[newpage]
 神域では低く見られがちだが、地上において楽院家はかなりの名家だった。五楽院のカサネもそれは同じで、一族に愛されて育った彼は育ちが良い。
 宮での作法は未知のことゆえ仕方ないが、行儀作法についてはみっちり四楽院に仕込まれているのだった。

「立ち上がる時と座る時はこう」
「そんなことまで!」
「御子神さまは神さまだからそんなに気にしなくていいと思うけど、知ってるのと知らないのじゃ違うと思う」

 花神が夏草の見える一階の座敷で夕涼みの休憩をしていると、このようなやりとりが見られる。茶菓子を食べながらのこの時間は、一日の楽しみになっていた。
「普段、粗暴に振る舞っていても、舐められそうな時とかにちゃんと出来るってとこを見せると、ざまーみろって気持ちになる」
「ふん……なるほどな」
「偉そうにしている奴が実はちゃんと出来ていないとき、見せつけてやるとスカっとする」
「なるほどな!」
 御子神には最適な教え方だが、行儀作法の授業としてはどうかと思う会話も、花神には可笑しくてならないのだった。
 御子神が行儀見習として花神宮に来るようになったのは、進歩だった。最初は嫌がって逃げるものと思われたが、抵抗がないようで何よりだった。カサネのおかげだろう。

 しかし、内心、寂しいような、不思議な気持ちがあった。このような感情を抱くのは、愛され、何不自由なく生きてきた中で初めての経験だった。
 そんなある朝、
「おはようございます」
 御簾を括り上げた先に、いつもと違う顔が神妙に座していた。花神を起こすのはクチナシの役目であったが、カサネが来たのだ。
「おはよう、カサネ。朝一番にそなたの顔があると、元気が出るなあ」
「そうですか?」
「うん、うん」
 柔らかな亜麻色の髪を撫でる。
 練習したのか、朝の支度を覚束ずに行い、きちんと役目を果たしている様も、成長が見られて嬉しかった。こどもというのはこうしてすぐに成長してしまう。つかの間のこども時代を眺めていたいのだ。

 そうした花神のささやかな楽しみ、新芽を観察する楽しみを心よく思わない者もいた。
「急に来た成り上がりの家の、それも分家の者がな」
「ああした命知らずは今までもいたろうが、あやつは慎みがなく花神さまに露見したということ。真に奥ゆかしい者は誰が贈ったかも伏せるものだ」
 そのような立ち話を耳にしてしまい、祭具や神器の整理で運び込みをしていたカサネは立ち止まった。
 誰が贈ったか伏せる、など―――疚しい者のすることである。贈り元の所在を明らかにするのは、規則だ。ましてカサネの場合、奉納したのは父である。カサネには奉納の権利すらないのだから、当然だ。
「まあ、あれは所詮、愛玩物であろう」
「そのうち飽きられる」
 続いた言葉のほうが、カサネに衝撃を与えた。愛玩物、というのは、すこし自覚があった。神域では子供が珍しいのだろうと。しかし、飽きられると聞いて、悲しみが胸に広がった。
 物珍しさで構われているなら、確かにいつかはそうなる。彼らの言い分は間違っていなかった。

 カサネはすぐに顔に出る。そこが「慎みがない」と言えばそうだが、なにしろ可愛がられて育った一族の末の子なので、無意識の奥底で「どうしたらかまってもらえるのか」知っているのだ。
「なんだい。辛気臭い顔をして」
 御子神はつんつんカサネの頬を突いたし、クチナシは「側仕えは暗い顔をしてはいけないのよ」と叱りながらもやさしく、花神に至っては、
「おや……なにやら泣き出しそうな顔をして」
 髪と頬を撫で、
「それ、花だ」
 ぽんと鞠状になった花を咲かせてみせた。カサネが驚いて、笑ったので、花神の頬も緩むのだった。

 それはそれとして、カサネは真剣に悩んだ。慎みとは……いちおう、四楽院にも慎み深くあれと育てられた。
 なので、茶菓子をお出しする際に、そっと茶目っけのある脚の生えた鶴の折り紙を出してみたり、膳を用意するときに、折り紙で箸置きを作ってみたり。
 もちろんカサネだとは言っていないが、用意しているのはカサネで、あまりにカサネらしい行いなので、誰がやったことなのかはすぐに分かる。花神はいちいちそれらを喜んだ。
「ふむ、明日の祭事では晴れたほうが都合はいいが、こればかりは空神さまの機嫌であるなあ」
 などと呟いたなら、花神さまのご寝所の窓に、たくさんの、いろんな顔をしたてるてる坊主が吊られる。
 自分がやったと口にはしないので、敢えて追求はしないけれども、花神はカサネをつかまえ、ぐりぐりと頬ずりしたい気持ちになるのだった。

「本当の幼子でもあるまいに、あのような下卑た振る舞いで気を引いて……」
「障害があるのではないか」
「知能が低い」
 陰口は徐々に増えていった。
 カサネは名家の子で、育ちがよく、若くして天人になったこともあり、人の悪意と無縁に生きてきた。どうしてこのように言われるか分からず、自分がしっかりしていないからだ、と焦るようになった。

 ところで、育ちがよく愛されて育ち、悪意に疎いのは花神と共通した性質である。
 鬼業神官は、かつて嫌な役目を買って出た。このような状況に陥るのが目に見えていたからだ。あれは皆のためでもあったが、カサネのためでもあった。
 しかし、こうなった以上、この花神宮で性根の悪い者を捨ておけない。
「とはいえ、数百年も宮仕えをする者たちだ。何の咎もなく放り出すのは……」
「この宮で花神さまのお耳に入れたくないことを口にする行為こそが、咎と思いますけれどね」
 相談相手はクチナシだ。
「いったい、どれほど年が離れていると思うのやら……大人気ないにも程があるわ」
「それは、俺も思うが、かといって放逐もできぬ。都合が悪いからと排除するのは、陰口を叩く行為と変わらぬ」
「ではこうしましょう」
 クチナシは一計を案じた。

「カサネ、御子神さまにお宮を隅々までご案内したかしら? どういった意味を持つ部屋か、ひとつひとつをご紹介したかしら。とても大事なことよ」
 もちろん、御子神に必要なことだった。嘘ではない。
 けれども、何日かに渡り、大きな宮のたくさんの部屋をひとつひとつ紹介していけば……
「また、あの五楽院の出来損ないは」
 そんな場面に出くわす。

 御子神は自分の神官を守ってやろうなどと殊勝な精神は持ち合わせていない。
 しかしながら、カサネに行儀を習っている最中なので、
「おい、花神。お前のところの天人は行儀が悪いな。立ち話でカサネの陰口を言っていた」
 誇らしげに言いにくいことをズバリと告げる。宮に仕える者たちは憚ることも、子供の神には通用しない。

 それで花神も知るところになった案件だが、花神も困った。個人がどう思うかは、まあ自由である。しかしそれを腹の中に留めておけない者は信用に値しない。
 そこで、一日、時間を設けることにした。
「本日は祭事も執務もとりやめ、俺に日頃の不満を申すがよい。年に一度、こうした日を設けることにする。
 この日に明らかにならなかった不満を宮の中で口にすることは許可しない」
 カサネがどうこうではない。陰口を宮中で言う者がいる環境を花神は憂いた。

 陰口を言っていた者も意を決したのか、その日、苦言を申し立てた。
「新入りの分家の子を特別視するのは、些か問題かと思われます」
「なぜいかんのだ?」
 花神は不思議そうに、おっとり首を傾げた。本当に意味が分からなかったのだ。
「どうして分家の子であると、可愛がってはならぬのだろうか。どこの生まれの者であっても、可愛いものは可愛いだろう。御子神など元はどこの家の子かなど、わかったものではないぞ」
「い、いえ御子神さまは……神さまでいらっしゃるわけで……」
「確かに俺は今まで平等に接してきたが、たまたまそれが続いただけのことで、神が寵を与えることの何がおかしいだろう。そのうえ、カサネには寵らしい寵は与えておらぬ。
 可愛いと思うことが特別視であると申すのならば、俺は感情すら持ってはならぬのだろうか」
 ぐうの音もない。

 花神は「不満を聞く」とは言ったが、それを解消してやるとは一言も言っていない。神頼みは叶えてもらえるとは限らないのだ。そのことを、やさしい花神に護られてきた宮の者たちは失念しかけていた。

「カサネは、今日は来なかったが、不満はないか?」
 カサネを側に置き、寝る前の読書に耽っていた花神が尋ねると、カサネは首を傾げ、
「神さまにお願いをするというのは、自分でどうにもならないことを仕方がないから一縷の望みに縋ってするんだと思う」
 カサネはまだ天人になったばかりの、人に近い天人だ。神の力に慣れきって久しい者たちとは感覚が違うようである。
「それに、願うことすら烏滸がましいと思っていたことが叶ったので、これ以上なにかをねだる理由がない」
 花神のことを慕っているのだろうに、未だ失恋しないのは、何も望んでいないからなのだ。こういうところが、花神の、あるいは神のツボなのであった。

「お前ってほんとにあいつのこと好きなのか?」
 御子神が思わずそう尋ねるほどにはカサネの恋心というのは難解で、
「なんで?」
「なんか好きならあるだろうが、なんかしたいとかこうなりたいとか」
「お姿を側で拝み放題なのに?」
 花神にとってカサネが幼子でしかないように、カサネにとって花神はあくまで神さまなのだった。拝めるだけで幸せなのに、禊で体を重ねる現状、初心なカサネには寧ろ過剰なほどなのだろう。

(恋なあ)
 花神は、厳密に言えば誰にも恋をしたことがない。例えようもなく幸福な愛おしい相手の夢を見るので、それと同等かそれ以上の感情を持てる相手がいないのだ。
 あの夢の相手は、男なのか女なのか、それすら分からない。目を覚ますとすべて忘れているのだが、幸福だった、大好きだったという感情だけが残り、その相手が現実にいないことが悲しくて涙する。
 カサネに対するこの感情はあまりにあたたかで、あの激情とは全く違う。

 いつもの行儀作法の授業の時間、御子神と花神が見ている前で、カサネはいそいそと白い包みを開いた。
「やっと仕上がったんだ。御子神さまの晴れ着」
「晴れ着!?」
「そんなぼろじゃ駄目だろう」
 御子神は贄にされた時の装束を纏っている。楽院家が気を利かせて、霊縫の装束を用意したようだ。
 それは純白の生地で、裾に複雑な文様が白糸で刺繍されており、なかなか立派な仕立てだった。
「うん、似合うぞ」
「かっこいいぞ、御子神さま」
「うう……礼なんか言わないからな」
「うむ、神は恵むものだからな」
 神が礼なぞする必要はない。神は恵み続ける。こうした献上物こそがその礼なのだ。

「行儀作法も様になってきたし、これで神在月の宴に行っても恥ずかしくない」
 カサネはそのために、この数ヶ月努力を重ねてきた。まず御子神を神々に認知してほしいという一心なのだ。
「か、神在月の宴なんかっ」
「俺も行くから大丈夫」
「あ!?」
「うん、神官か側仕えを一人まで連れて行けるなあ」
 さすがに花神もカサネを連れて行く気はない、身の回りのことに困ってしまうから、クチナシを連れていく。
「ひとりじゃない」
 カサネがきゅっと御子神のちいさな手を握る。御子神は口をとがらせるが、もう「行かない」と駄々をこねることはなかった。

 さて、神在月の宴だが、交代で空神宮と海神宮で行われる。宴が開催されなかったほうの神は、留守神として大陸を守護することになっていた。
 今年は海神宮での宴になり、泡船に乗っていく。同行する神々も少なくないので、花神と御子神もそうした。御子神は宮への行き方も知らないのだから。
「御子神さま、海のなか、きれい」
「うぇえ、魚だ。魚が眼の前で泳いでる」
 旅は退屈しなかった。こども二人いるだけで、これほど賑やかで楽しくなるとは。花の国からの旅はそれなりに長く、毎年、読書や天女の余興で気を紛らわせているのだが、今回は長いとも感じなかった。

 ゆえに、彼女のことすら忘れていた。
「お久しゅうございます、シキさま」
 その愛らしさで知られる女神、雨玉姫だ。宴でよく顔を合わせるので周囲からは恋神だと思われることもある。実際、何度も彼女とは同衾していたし、憎くは思っていない。
「では花神さま、俺たちは探検に行って参ります」
「ああ―――」
 雨玉姫がぴっとりと密着するので、花神は思わずそう言った。カサネの呪いが発動しやしないかと、ひやひやしたのだ。
 しかし、花神はうっかりしていた。子供は目を離してはならないものだということを忘れていたのだ。

 海神宮は彼方此方が透明の壁で構成されており、海底の美しい様子が一望できる。色とりどりの魚介類が遊泳する様は、いつまで見ていても飽きないものだった。
「一度は海神さまにご挨拶申し上げるんだって」
「ふうん」
「なんだ、見ない顔だな。そのナリ、まさか御子神か」
 宴も始まっていないのにすでに酔った様子の猿頭の神が声をかけてきた。それに気づき、他の神々も子供ふたりに注目した。
「なんだよっ」
「ふーん、御子神ねえ。俺はお前を神とは認めたくねえんだよなあ」
 瓢箪をあおり、猿頭は顎をかく。
「人間が子を贄にしたってやつだろう。そりゃ神じゃなくただの怨霊だ。今の今まで宴にこなかったのも、自覚があったからだろう」
「わが神を侮辱するな!」
 御子神が何か言う前に、カサネが激昂した。天人風情が神相手に、だ。御子神は慌てた。慌てたが、こうした場面に慣れておらず、言葉が出なかった。

「なんだ貴様、無礼な! 天人風情が、殺すぞ」
「殺せばいい、みんな見ている。俺が仕える神の名誉のために殺されたと知られる。神は祀られて初めて神に成る。神なれば神を貶める発言は控えられよ!」
「………」
 あのうすらぼんやりのカサネが口達者に神を圧倒している様を見て、御子神は目を瞬く。愛嬌と勢いだけで生きている奴とばかり思っていたが、こんな一面もあったのだ。

 一度は、しんと広間が静まったが、後に誰かが笑い始めた。
「お前の負けじゃ。子供相手に情けのない」
「御子神、おいで。おいしい土産を持ってきたから、一緒に食べましょう」
 さすがに年季の入った神々、緊張した空気を一瞬で和やかにしてしまった。そのとき、騒ぎを聞きつけた花神がやってきて、
「何か粗相がありましたかな」
「何もありませんでした」
 カサネがしれ顔で嘘をつく。殺されかねない無茶をしておきながら。

「おお、花神さま」
「今年も一段と麗しく」
 花神は、あっという間に神々に囲まれて見えなくなってしまった。
 ぽつんと取り残された御子神の手を握り、カサネは歩き始める。
「大宴会場が地底で、いくつか用途別の宴会場があるって。三階以降は部屋。あと海の見えるお風呂あるって」
「花神って、やっぱすげーんだな」
 御子神がぽつと呟くのへ、カサネは振り返る。
「そりゃあ、王の器の神さまだ。国を持つことの許される神さまは大陸でも少しだし、その中でよそに分け与えるほど豊穣の強い力を持っているのは花神さまだけだ」
「ぼ……ぼくはっ。何をすればいいんだ」
「え」
 と言ってしまってから、しまったと思った。御子神が自主的に、人に恵みを与えたいと感じている。それを驚いては失礼だ。

「国をつくるのは認められてないから、とりあえず社の近辺と楽院家と柳家に恵みを与えればいいと思う」
「それは、願いを叶えてやればいーってことか?」
「うーん、どうなんだろ。しらない。じゃあ、せっかくだし神さまたちに聞いて回ろう」
「ええ……」
「あら、シキのかわいい子」
 歩き回るうちに、花神の姉アマネと遭遇した。相変わらず美しい女神で、赤紫の唇で優美に微笑んでいる。なぜか、室内なのに、朱色の傘を付き人がさしていた。

「ごきげんようございます、アマネさま。どうして傘を?」
「おまえ、聞きにくいことをいきなり行くな」
「フフ。自分の影が出来るのが苦手なの。特にこんな神の多く集まる場所ではねえ。今から母さまの元へ参りますけど、一緒にくるかしら、御子神」
「え」
 急に話をふられて、御子神は怖気づいた。花神にアマネは不死神の子、王の子だ。母さまといえば王神たる不死神である。王の器までは、まだ話せるけれども、それより上位の相手となると、もうどうして良いか分からないのだ。
 カサネは御子神の手をきゅうと握った。
「いこう、御子神さま。きっと色々教えてもらえる」
「……ふん」
 御子神はそっぽを向く。
 そんな二人の様子を、アマネが目を細めて見守っていた。
[newpage]
 不死神のおわす宴会場は海が見えなかった。上座にそれは立派な朱の着物を纏う女神がおり、不死神とわかった。アマネと花神はそれほど似ていないが、不死神は子のどちらにも似ている。不思議なものだ。

「おお、これはアマネさま」
 誰かがアマネの登場に気づくと、挨拶を受けていた不死神も気づき、
「よく来たわね、アマネ。シキは?」
「また囲まれて動けないのでしょう。それより母さま、御子神とシキの玉の枝よ」
「おや」
 不死神に凄みのある笑顔を向けられ、二人はうっと言葉に詰まった。優しい笑顔なのだが、さすがに王神は神気が強く、威圧感がある。怒鳴られたら、それだけで心臓が止まりそうだ。

「なんとかわいい組み合わせだろう。おいで、顔をよく見せて」

 女神のはずだが、声は低く、話し方は歯切れよく、おっとりのんびりの花神とは調子が違うが、どこか似ているのだった。
 御子神とカサネは、手を繋いだまま不死神の側へ寄った。本当は、側仕えの天人と神がこのようにしてはいけないのだが、それを咎める無粋な者はいなかった。
「御子神さま、れんしゅうどおりに」
「こ、こうか」
 着物の裾をはらいながら座る御子神。膝に小さな手をちょんと乗せて、背筋を伸ばす。どきどき、と小さな心音が聞こえそうな様だった。
 カサネも御子神の少し後ろに控える。

「御子神、よく来たね。お前は神なのだから、いつだって来てよかったのだよ」
「う、えと、うん」
「それと、楽院……だったかな」
「五楽院にございます」
「うんうん。我が子の病に薬を届けてくれたこと、耳にしている。御子神の沼を浄化し、ここまで連れてきたこともな。
 シキが何か与えているかもしれないが、私からも何か与えよう。何がよい?」
「………!」
 一同、ぎょっとした。神の褒美というだけで凄まじいが、王の神である。望めば御子神を超える神力を持った神になることも、国を持つことさえできる。

 ただ、相手はカサネだ。御子神はわかっていた。きっとまたろくでもない願い事を……
「申し上げます。なんでも過去を見る神器があるとか」
「うん、あるねえ」
「ぜひ!」
 カサネはガバとその場でひれ伏した。

「花神さまの幼少期を拝見したく!!!!」

 やると思ったこのバカ、と御子神は遠い目をした。千載一遇どころではない機会を。
 不死神は女神らしからぬ風情でカラカラ笑う。
「ハハハ。いや試した訳ではないのだがな、こういう子だと聞いて、私もやってみたくてねえ」
「もう、母さまったら」
「不遜でしょうか!?」
 不安げに青ざめるカサネに、一同がどっと笑う。花神を婿にくれと言えば叶うというのに、カサネの望んだことと言えば……神々はこれが可愛く、可笑しくてならない。

「シキの幼少期か。余興にはちょうどいいねえ。大きな水槽を借りてきな。過去水も大量にね。
 御子神ぃ、ちょっとおいで」

 手招きされ、御子神が側によると、不死神はぐいと御子神の小さな手を引いて、膝に乗せてしまった。
「なっなんだっ」
「あはは、かわいいねえ。愛い愛い。五楽院、おまえも側においで。かわいいのを侍らせての酒とは贅沢だ」
「母さまズルイわ」
「じゃあお前もこっちにおいで。無礼講だよ」
 水槽と過去水が用意される間、うまい肴をつまんだり、酒を呑んだりした。アマネが不死神の膝でぶすくれる御子神の頬をつついて遊んだり、カサネが不死神に撫で回されたり。概ね遊ばれていたと言っていい。

 平たい水槽が運びこまれ、中に水が注がれる。眩しいほどの行灯が落とされると水槽だけが輝き、何かを映し出した。
 まだ赤子の花神である。人で言えば一歳かそこらだろうか。うつぶせで、顔を上げ、笑っている。転がり始めた。
「あの子はねえ、這うより立つより転がるのが好きで……でも転がるだけだから方向転換できないだろう。ほら、すぐなにかにぶつかる。ぶつかると、すぐ別の方向に転がりはじめる」
 小さな赤子が転がり続ける様は何とも可笑しく可愛らしく、みな大喜びだった。カサネは食い入るように水槽を見た。

 幼いアマネが花神に女物の着物を着せて遊ぶ場面も映し出された。今でこそ体格よく美丈夫の花神だが、このころは、ほとんど童女だった。姉妹と言われても違和感ない。
 アマネのほうも、妹のように接していたらしいが、
「きゃー、母さま、シキの声がってねえ」
 ある朝声変わりをした弟に悲鳴を上げ、母の寝所に飛び込んできたらしい。恥ずかしい思い出を明かされ、アマネは袖で顔を隠す。

 大盛況の宴だったが、途中で乱入者があった。
「俺をぬきで、なんと楽しそうなことを!」
 今まで他の神々につかまっていた花神だった。ちょうど水槽の中の花神がカサネと同年代ほどに成長した頃だ。
「カサネと御子神と娘を侍らせて……」
「どうだ、羨ましいだろう」
「うらやましいっ」
「いいから早く襖をしめてこっちへおいでな」
 下天女がやるようなことを王の器の神に命じる。母、強し。カサネと御子神は、花神が自分で襖をしめる、というような姿を初めて目にした。

 花神は本来なら上がってはならない上座にやってきて、カサネを抱き上げ、膝に乗せる。カサネのほうは水槽に釘付けで、花神が来たことにすら気づいているのかどうか、という有様だ。集中しすぎだろう。
「はは、俺にもこんな時期があったか。細いなあ」
「え? へっ、花神さま!」
「本当に気づいておらんかったか……」
 抱えられてわたわたするカサネを抱き込み、花神は笑う。ここへ来るまでに呑んできたようで、ほろ酔だった。

 しかし、初めての長旅のせいもあって、御子神は既にうつらうつらしていた。それを見て花神はカサネを片腕に抱き、
「母さま、御子神を寝所へ連れて行くので貸しておくれ」
「このまま寝所に引き込んでやろうと思うたのに」
「御子神にはまだ刺激が強すぎる。いらぬ噂もたつぞ」
「まあ、そうだねえ」
 不死神はただ、この幼い神を可愛がって添い寝したいだけだが、中には下世話な想像をする者も出るだろう。そのような下卑た噂、不死神は知ったことではないが、御子神のためにはならない。

 ほとんど寝ている御子神を片腕に抱きとり、カサネと御子神を抱いて、花神は危なげなく立ち上がった。
「花神さま、俺は自分で……」
「よいではないか、無礼講の宴だ。宮で出来ぬことをやろう」
 襖は、クチナシが開けた。酔った花神が足で開ける無作法をする前に。

「あの、花神さま」

 ついてきていたのか、雨玉姫が廊下にいた。不安げにこちらを見ている。なんとも清楚で可憐な姫神だ。花神に相応しい神だ、とカサネはぼんやり考えた。
「雨玉か。これ、見てのとおり子連れでな。寝かしつけに行かねばならん。またな」
 雨玉姫の想いなど歯牙にもかけず、ほくほく顔で花神は彼女の脇を通り抜ける。
「よかったんですか。年に一度しか会えないんじゃ」
「年に一度も会うのだから、別に来年でも再来年でも構わんだろ」
 あんなに美しい姫神でもこの神を射止められないものなのか。カサネはかえって感心した。
 年に一度しか会えない相手がああもすげなくなくされるのなら、自分など飽きられたら声もかけられぬのだろうと、遠くない未来を憂う。

 寝所につくと、まず花神はカサネをおろし、両手に寝入った御子神をだいて、そっと布団に横たえた。
「この寝顔の愛いことよ。いつも沼の底で眠るからなあ」
「初めてですか」
 カサネは驚いた。そして、花神も驚いた。
「寝顔を見たことがあるのか」
「向こうにいる時は、簡易住居に遊びにやってきて、昼寝をなさるので」
 御子神は、花神の想像以上にカサネに心を許しているようだ。

 こうなると、御子神の心境が心配になった。御子神はカサネを呪ってしまっているのだ。それは撤回できるものではない。
 カサネを失ったとき、御子神は再び心を閉ざすのではないか。
 花神とて、カサネを失いたくない。今となっては御子神とカサネのいない日々など……
 不死神に相談してみるべきだろうか。

「では、俺はこれで」
 思案に耽っていると、所在なげにしていたカサネが言うので、がばと後ろから抱き込んだ。
「今日は川の字で寝るのだ」
「ええ」
 強引にカサネの羽織をはぎ、御子神の横に寝かせて、御子神を挟んで寝転んだ。二人を腕に抱き、ほろ酔いのいい気分で目を閉じる。

 翌朝、御子神が悲鳴を上げたのは言うまでもない。
「なんでこんなことになってんだ!」
「おはようごじゃいます、御子神さま」
「おまえ! 洒落や冗談じゃ済まねえだろうが! これ……っ」
「まあ、お前たちは俺の稚児くらいに思われとるだろうからな。今更だ」
「冗談じゃない!」
 傍から見れば、というやつだ。こればかりはどうしようもない。

「あっ、御子神さまのお世話する道具がない」
 荷物は御子神にあてがわれた寝所に運び込まれているので、カサネは焦った。御子神の元気な黒髪がぴょんぴょん飛んでいたので、髪油を塗って梳かさねばならない。
「貸すぞ?」
「花髪さまと同じものを身につけては、噂を助長してしまいます。とってくる」
 カサネは花神の部屋を飛び出した。

 その様子を暗い表情で見守っていた雨玉姫。
 隣にいた背の高い細身の神を見やり、頷き合う。

「―――そこな天人の少年」
 見知らぬ神に呼び止められ、カサネは立ち止まった。イタチのような顔をした細目の男神だ。
「何か御用でしょうか」
「ああ、ちょっと顔を上げて」
「?」
 言われた通り男神の顔を見上げると、細目が開いた。その目を見て、くわんと目眩を覚え、ふらつく。
「おっと」
 抱きとめられたようだが、その感触すらなかった。

 一方、いつまでたってもカサネが戻らないので、御子神も、花神も、またカサネが余計な騒ぎに巻き込まれたのでは、と不安を覚えていた。
「一人にすべきではなかったなあ」
「宮の天人に確認をお願いしますわね」
 花神の世話をしていたクチナシが腰を上げる。
 宴に来る神々は、一人だけ神官か側仕えを連れてくることができる。それ以外の用は宴会場になる神宮の者が聞くのだ。

 しばらくして、海神宮の天人が帰ってきた。
「御子神さまのお部屋ですが、誰もおらず……失礼を承知でお荷物を確認させて頂きましたところ、とりに行ったという櫛も、髪油も、そのまま残っておりました」
「部屋に戻っていないということか。しかし、天人の少年は珍しいであろうから、引き続き探しておくれ」
「畏み申し上げます」
 まあ、そうは言っても海神宮でのこと。多少の諍いはあれど、海神の膝下で面倒を起こす者はない。海神・空神は王より上位の神なのだ。

 探す天人も、花神たちも、呑気にかまえていた。どうせ、強引な誰かにつかまって、酒でも飲まされているのだろうと。
 しかし、天人たちは徐々に焦り始めた。見つからない。それどころか……
「申し上げます。件の天人は影も形もなく、海神宮から出た神が二柱。雨玉姫さまと井戸神さまだそうです」
「絶対誘拐だ!」
 御子神が思わず叫んだ。天人たちも、そう思ったからこそ、慌てた。雨玉姫が花神に執心で、毎年同衾していたことを知っている。その雨玉姫が、いま噂の的になっている花神の側づかえの少年とともに消えた。無関係とは考えられない。

 それ自体が問題であるが、もっと大問題がある。
「儂の宴で誘拐であると!!」
 海神が激怒した。その怒号は海中宮に響き渡り、建物が震えた。どこかで津波も起きているかもしれない。
「宴を楽しむ神々にも、留守を任せた空神にも面目が立たん。即刻、ひっ捕らえよ!」
 花神と御子神、はては不死神まですることがない。

「こうなれば捕まるのも時間の問題か。ばかなことしたな、その女も。まさか殺されたりはしないよな」
「いや、それより悪いかもしれぬ」
 花神の顔は暗かった。
「井戸神はこころの奥底を視る神だ。雨玉姫がこれと結託したのが気にかかる」
「視る」
 御子神は顎に手を当てた。
「おい、花神。僕が作った宝珠、持っているか」
「ああ……カサネがくれたものだしなあ」
「あれは僕の神力を固めて作ったものだ。あれを、昨日の水槽に入れてみろ。見たいものの過去が見れる。今起こってることが見れないのが難点だけど」
「そのようなことが出来るのか」
「沼で一人遊びしてた頃に、ちょっとな」
 御子神は暇を持て余していたので、自分の力で何ができるかいろいろ試していた時期がある。それも途中で飽きてしまったが。

 まだ誰も集まっていない宴会場、昨日の片付けだけされた宴会場に入る。
「待て待て、まだ水槽は片付けるな、使う」
 今にも撤去しそうだった天人たちを止め、花神は宝珠を水槽に投げ入れた。
 水槽に映し出されたもの、それは空だった。妙に上下に揺れる空。端に、木枠……のようなものが稀に見える。
「規模からして小舟か?」
「同乗者が見当たらん。雨玉姫と井戸神はそれなりの規模の船に乗って出たはずだ。ならば救命用の小舟に乗せて漂流させられているのかもしれん」
 この情報により、カサネは発見された。羽のある神が捜索をたすけてくれたのだ。カサネは、小舟に寝かされて大海原を漂っていた。

 特に外傷はなく、助け出された後、ぼんやりしていた。何があったかわからないと言う。
 医神が診療すると、ふむ……と深く唸った。
「魂に少し傷が入っておる」
「そうなると、どうなるんだ」
 焦れたように御子神が問う。
「魂というのはその者の根幹じゃ。傷が入ったということは、何か精神的に責められたのだろうな。かすり傷だが、傷がつくということは言わば魂の急所じゃ。どう反映されるかは分からぬが、浅いから問題ないとは口が裂けても言えぬ」
 つまり―――問題なのだ。
 雨玉姫が絡んでいるということは、花神がらみだろう。カサネの心の急所も想像はつく。
「治らないのか?」
「魂はひとたび傷つけば癒えることはない」
 きっぱりした診断に、御子神は項垂れた。御子神は、今となってはカサネを呪ったことを悔やんでいる。しかし、花神はカサネを拒否しないし、あわよくば上手く行く可能性もあると期待していた。
 しかし、呪われた挙げ句に魂への傷……不安になるなというほうが無理な話だ。

「花神さま?」
 きょとんと首を傾げたのは、カサネだ。花神は常になく険しい表情をしていた。その顔は、母の不死神に似ている。
「俺の側仕えの魂に傷をつけるとは……俺も舐められたものだなあ。俺とて不死神一門の生まれ、姉ほどではないが祟神の血を引く者ぞ」
 花神は、よくもあの不死神から……と言われる和霊の神だ。しかし、その本質は祟神の血族。姉に「あの」アマネを持つ神なのだ。他所の神族を震え上がらせ、大陸をまるごと不可侵の地にするほどの祟神の弟なのだ。

 その後の宴に雨玉姫が現れることは二度となかった。
[newpage]
 誘拐されたらしいが、全く記憶にないカサネ。
 魂に傷が入ったと聞いてもぴんとこない。

「これだけ神が集まって魂の傷ひとつ治せないのかよ!」
「魂の傷というのは、変形と言ったほうが正確だからのう。治した「ように」見せかけることはできるが、元のままではない。まして何が傷ついたかわからんのでは」
「カサネ。変わらず俺がすきか?」
 花神に好きかと問われて、こくんと頷く。しかし、その瞬間、胸の奥が針で刺されたような痛んだ。
「くるしい」
「やはり、俺のことか……」
「五楽院の。花神どのを好きだという気持ちをいろいろ思い出してごらん」
 医神に言われてカサネは初めて花神に目通りした時の胸の高鳴りや、花神を想って鶴を折っていたときの気持ちなどを思い起こした。
 すると、胸の奥がズキズキと痛んでたまらない。あまりの痛みに涙も溢れた。
「くるしい、くるしい」
「なるほど。花神どのを想う心を禁じられたか」
「へ……」
 御子神が目と口を丸くした。

 御子神は、カサネのおろかな恋心を嘲って呪いをかけたけれども、その想い自体を否定するだとか、消そうだとかは、全く考えなかった。
 神は心の生き物だ。意志や感情で生きている。であるから、想うのを禁ずる、という発想がなかった。

 花神が祟るまでもなく、自分の手で殺してやろうかと考え始めた御子神に、医神が「大丈夫」と言った。
「何が問題かわかれば、緩和は出来る。ただやはり、痛いものは痛いだろうの。条件反射というのがあってな、想うことは痛い、と体が覚えてしまうと、考えること自体を忌避するようになる。やがてその心は消えてしまうだろうなあ」

 消える、と聞いて花神は落胆した。ただただ一途に想うだけのカサネの恋心が、消える……とても残念なことに思えた。
 けれども、呪いの件がある。カサネのためにも、御子神のためにも、いずれ恋心が消えるのは良いことなのだろう。

「俺のそばには、いないほうが良いだろうなあ。そなたらのことは、しばらく姉さまに預けて……」
「いっ、いやだ!」
 カサネが反発した。
「痛くても、平気だ! 痛いくらい」
「カサネ。好きという気持ちは、幸福な気分になれるからこそ「好き」なのだ」
 花神は諭した。
「幸福な気持ちどころか痛みを伴うのでは好きであること自体がいやになる」
「やだぁ」
 カサネはぽろぽろ泣いた。今もきっと、痛いのだろう。胸元を掴んでいる。

 ひとまず、カサネは花神と引き離された。今回の事件もあり、挨拶をしなければならない事情もあって、御子神とカサネは海神の元へ向かった。
 それは巨大な龍の首をした亀の神で、広い居室の半分が彼の体で覆われていた。
「此度の件、痛ましい限りよ。儂の宮でこのような……」
「うっ海神さまは魂の傷は治せないの!」
 御子神が勢いよく尋ねると、龍の首がのそりと御子神に近づく。鼻息がかかるほどに。
「そこな天人だけでなく、お前の魂にも傷がある。死の傷がな。けれども、それは、お前の一部なのだ。消すというのは、お前の一部を消すことでもある。生き物は、小さな傷をたくさん負って、それと向き合いながら生きていくのだ」
「できるの! できないの!」
「傷というのは、小さく小さく、交わりながらつくものなのだ。やがて河原の丸石のように磨かれていく。その傷を消せば、他の傷も消えてしまう。その者の一部が消える。それは……お前の望む結果になるとは限らぬぞ。わかりやすく言えば、恋心そのものがなかったことになりかねん。恋もまた魂の刻印なのだ」
 であるから、医神も処置をおこわなかったらしい。

 海神の元を辞し、カサネは考えていた。
 傷がたくさんできて、やがて磨かれて丸くなるのなら、もっと傷つけばいいのだろうか。花神を大好きという気持ちで魂に傷をつけ、磨いてしまえば……

「御子神、カサネ。宴はまだ続くけれど、ひとあし先に帰るわよ」
 アマネが迎えに来た。花神に頼まれたのだろう。
 しかし、カサネはかぶりを振る。
「帰らない」
「カサネ……シキの気持ちも考えて。可愛いあなたを傷つけ続けるのは、シキにとっても辛いのよ」
「消えても構わない想いなら、こんなに傷ついたりしない」
「カサネ」
 アマネは柳眉を下げた。
「海神さまは仰った。傷は自分の一部だって。だったらこの痛みも受け入れる。否定したら、それは死ぬのとおんなじだ」
「死……」
 御子神が呟いた。

「死……恋心……呪い……」
「御子神さま?」
「お前さ」
 御子神はカサネを見上げた。
「いっそ、いっぺん死んでみるか?」
「えっ」
「宝珠を使えば、呪いそのものを変質させられるかもしれない」
 御子神は頭を回転させて考えているのか、こめかみに触れた。
「死、の定義を恋心の死に変換する。いっぺん、失恋して、お前の恋は「死ぬ」。例の傷ごと恋心を抉り取るって寸法だが……」
「そんなの、いやだ!」
「もういっぺん好きになればいいじゃねえか」
 御子神は吠えた。
「呪いも傷もなくなって一石二鳥なんだよ。お前の想いはいっぺん消えたくらいで復活しないほど安いのかよ。そこまで意地張るなら何度でも好きになってみやがれ!」
 カサネは怯んだ。この恋心が、なくなる。それは、とても、怖い。けれども。

「俺は良いと思うなあ」
 アマネの背後から、花神がやってきた。姿を表さなかったが、気になって様子はうかがっていたのだろう。
「なにより、呪いが消えてくれるのが嬉しい。カサネに接するたび、下手をすれば死んでしまうのではないかとひやひやするのは、なかなか心臓に悪くてなあ」
「心の死を甘く見ないほうがよいとも思うけれどね」
 アマネは苦々しげだ。
「神は心によって生きる。心によって死にもするのよ。それは人も変わらないはず。失恋で身投げした話なんていくらでもあるじゃないの」
「そうと聞くと怖いなあ」
「死んだりしない。恋心をなくしたって、御子神さまや家族を置いて死ねない」
 カサネの目を見て、花神は微笑んだ。相変わらず、太陽のように輝く瞳を持つ子だ。強く生命力に溢れている。

 もちろん、これらのことは素人考えで勝手に行わず、医神の意見を聞いた。
「確かに、心の死は危険だ。しかし、何かの弾みで命を落とす危険性のある呪いよりはましだろう。今の状態のほうが、実はよほど危険じゃ。特に恋心が痛むようではな。わしもついておるし、ここで処置を行うなら、たすけてやれる」
 それを聞いて、御子神とカサネは頷き合った。

 御子神は宝珠を生み出し、それを砕いて呪いを変質させた。
 次は花神の出番だった。これだけは、本当はやりたくなかった―――
「カサネ」
 診療台に腰掛けるカサネの手をとり、悲しい想いで、目を見つめる。
「俺は、お前が可愛いけれども、それは幼子に対する慈愛だ。とてもお前を恋愛の相手としては見られない」
 今まで曖昧にしてきたそれを、はっきりと告げた。

 ほろり、とカサネの瞳から涙がこぼれた。ほろり、ほろり。凛とした表情で花神を真っ直ぐ見つめたまま、その言葉を、真実を受け止めた。
「胸にぽっかり穴が空いたみたいだ。すごく、さみしい。さみしい気持ちだ」
「………」
「さみしい」
 泣き出したカサネを、花神は黙って抱きしめた。
 色々あったためか、カサネは花神の腕の中で寝息をたてはじめた。疲れたのだろう。
「さみしい、か」
 カサネを抱え、花神は目を閉じた。

「俺もさみしいぞ、カサネ」

 翌日から、カサネは花神を目で追いかけることがなくなった。
「敬う気持ちは残ってる。恋心と関係なく、花神さまは神域に召し上げてくださった方だから。でも、あのふわふわ浮ついた幸せな気持ちは静まり返って、冷たい感じだ」
 大広間の宴席の片隅で、御子神とカサネはどんちゃん騒ぎを眺めていた。二人とも、とても楽しい気持ちにはなれない。
「ぼーっとした感じ。放心状態? これから何をしていいか、何から手をつけていいか、わかんない感じ」
「別にゆっくりでいいんじゃないの」
 御子神は甘い神酒を呑みながら言う。
「僕なんか、未だに何をすればいいかなんて分からない。神になんかなってずいぶん経つのにさ。なんのために神になったのかさえ、わかんない」
「わかってることもある。御子神さまの側にいなきゃって気持ち」
「それ、なんで?」
「わからない。でも、側にいる」
 カサネの意志はいつも真っ直ぐで、強い。御子神に対してそう想うように、花神への想いもそうだったのだろう。それを抉り取った。なんとも言えない気分だ。

 ふと、御子神は顔を上げた。
「花神んとこの天女じゃない?」
 宴会場を覗いて何かを探す素振りを見せるクチナシ。おそらくは、自分たちに用があるのだろう。手をふると、やはりこちらに来た。
「大丈夫、カサネ。話は聞いたけれど」
「わからない」
「実はね、花神さまはあれからお部屋に篭ってしまわれて、とても寂しそうなの。側にいって差し上げて」
「どうしてだ? ここには花神さまを慕う神さまがたくさん―――」
「あなたじゃなきゃダメなの」
 何だか分からないが、そうと言われてはカサネも行かねばならない。御子神のことはクチナシに任せ、宴会場を出た。
 あの一件があってから、通路に天人が増えた気がする。声はかけてこないが、カサネの姿を見ている。二度もあのようなことが起きないように、だろう。

「花神さま、失礼いたします」

 手をついて挨拶し、襖を開けて更に頭を下げる。中へ入って襖を閉め、膝をついた。花神は障子戸の外の海を見上げ、こちらを見ない。
 どうお声をかけていいか分からず、じっとしていると、花神が独り言のように語り始めた。
「勝手なことを言うようだがな。あの恋に一生懸命なカサネはもういないのだと思うと、まるで恋しいあの夢から覚めた後のような悲しみに襲われる」
 カサネは俯いた。カサネもだった。何か楽しい夢を取りこぼしてしまったような気持ちなのだ。

「昨晩などは、ついにあの夢の相手がそなたの顔をしていたよ。ふたつの意味で悲しかった。どうしたらよいのだろうなあ」

 わからない。
 悲しくてさみしくて涙が畳を濡らすのに、恋心は蘇らなかった。
「さみしい」
「さみしいなあ」
 まるで二人そろって失恋をしたかのようだった。どうして、どうしてこんなことになったのだろう。痛くたって手放さなければよかったのだろうか。

 花神がやってきて、カサネを抱きしめた。口づけをした。縋るように柔らかで温かい唇に吸い付いた。舌を絡めて、目を細める。
 それはまるで傷の舐め合いだった。
[newpage]
 花神が多く祭事を行うのは、自国だけでなく荒れた地上に恵みをもたらす為である。
 祭具を持って舞い踊り、時には地上のために神器を生み出す。
 装束の袖や髪が翻るさまは夢のように美しく、カサネはそれを見るだけで胸が満たされた。
 遠くから見るだけの恋心は、今はもうない。

「―――ふぅ」

 神力の放出を止め、体から力を抜く花神の手から祭具を受け取るのはカサネの役目だ。恭しくそれを両手にとると、花神はかなしそうに目を細める。

 あれから花神は、あまり笑わなくなった。笑っても、どこか寂しそうだ。
 御子神も宮に寄り付かなくなってしまったけれども、今自分がいるべきは「此処」だと感じ、粛々と側仕えの役目を果たしている。
 花神に笑ってほしくて、折り紙を折ったりするのだけれども、花神はそれを見てさみしそうに微笑むだけだった。

(以前の俺と何が違うのだろう)
 カサネは考える。恋心を失いはしたけれども、カサネ自身は何も変わっていない。
 一生懸命に恋をするカサネがいなくなったから、こうなってしまったのだろうか。一生懸命とは、なんだろうか。いまは一生懸命ではないのだろうか。

 不死鳥の卵や宝珠がよく話に挙げられるけれど、知られもしない、千羽鶴とて同じくらいに一生懸命だった。違いと言えば命の心配がなかったことだろうか。なるほど、一生と命を懸けていない。
 かといって、別に命を捧げようと考えて不死鳥の卵をとりにいったわけではないから、命を懸けるようなこと、と考えると思いつかなかった。

 今さら御子神は命を奪うような呪いはかけてくれないだろう。せっかく解いたところになんだ、と怒られるに違いない。
「なんか千年に一度だけ咲く花とかないかな」
「千年だろうがなんだろうが、花神さまはどんな花でも咲かせられるよ」
 楽院の屋敷で四楽院が笑う。カサネが本家にいるので、四楽院も都に帰ってきていた。当主だけではカサネは手に余る。
 カサネは夕餉を宮で済ませてきたが、こうして当主と過ごすのは最近めずらしいので、寝る前に果物をつまみながら三人で団らんすることが多い。

「じいちゃん、俺はそんなに変わったかな」
 椅子に座る祖父の膝に懐いて頬を寄せると、あたたかい手が頭を撫でてくれる。
「私の目にはカサネはカサネのままに見えるよ。やんちゃで困った、うちの大事な末の子だ」
「まあこの頃は少し落ち着いたかな。以前は何をしでかすか分からなかった」
 四楽院に頬をつつかれ、カサネは膨れる。ただ思うままに行動していただけなのに。今だってそうだ。

 そういえば、そろそろ梅雨になる。地上の梅雨とは少し違って、神域の梅雨は空神の神力が安定しない時期だ。感情が落ち着かなくなるので、仕える者が大変だということを聞いたことがある。
『ふむ、明日の祭事では晴れたほうが都合はいいが、こればかりは空神さまの機嫌であるなあ』
 ひらめいた。

 翌日、カサネは早くに霊獣の飼育所で翼の生えた豚を借り、大空へ旅立った。
「えぇと、空神宮は……」
 現在地を示す神器の巻物を見ると、だいぶ遠いことが分かる。しまった、もっと近づいてから飛ぶべきだった。
 一度森に降りてから、どういう経路で向かうべきか考える。いきあたりばったりだった。
 例の祭事は外で行う。だから「晴れたほうが都合がいい」。雨になれば花神は濡れ鼠で祭事を行わねばならない。それはかわいそうだ。

 祭事までそれほど時間がない。悠長にしていては、間に合わなくなる。少なくとも前日には空神宮について、ご機嫌を直して貰わねばならない。
 空旅を想像していたので旅路は全く考えていなかった。豚はそれほど長時間、飛べないらしい。
(強行軍になるけど、仕方がない。飛んで休んで、豚には頑張ってもらう)
 かわいそうな豚は、力の限り飛ぶことになった。
 それもこの時期、やはり雨が多い。雨は余計に一人と一匹の体力を奪う。
「がんばれ、がんばれぶぅ!」
「ぶ、ぶぅ!」
 名前までつけられ、声が枯れるほどずっと応援されるので、豚も頑張った。休むときはカサネが甘やかすので、すっかり懐いている。仕打ち自体は酷いのだが、不思議なものだ。

 空神宮がようやく着く頃には、豚もカサネもぼろぼろだった。
「うわなんだ」
 空飛ぶ島にそびえ立つ宮の前、門兵が様子に驚いた。くたびれきっているが、やり遂げた様子の羽のはえた豚と、ふらふらになった天人の少年。すわ何事かと思う。
「どうした、どうした少年」
「……空神さまのご機嫌をとりに……参りました」
「そんなぼろぼろでか!」
 とにかくカサネと豚は運び込まれ、看護された。

 この時期、空神宮は空神の機嫌の悪さにぴりぴりしている。そんな折に訳のわからない訪問者があったものだから、俄にざわめいた。
「なんだ、なにがあったと言うのだ」
 宮のばたつく様子に苛立った空神が尋ねると、神官が「申し上げます」と畏まって膝をついた。

「なんでも、花神さまのところの五楽院の少年が、羽のはえた豚と共に空神さまのご機嫌をとりにきたと……」

 空神も言葉を失った。花神のところの、こどもの天人。これは話に聞いている。最近、何かと噂になる少年なのだ。海神が己の宴で誘拐沙汰があったと激怒していたのも記憶に新しい。
 それが、羽のはえた豚とぼろぼろでやってきた。
 何事かと思う。

「時間がない……と慌てておりまして。なんでも花神さまの祭事までに空神さまのご機嫌をとりたいと、何度も申しております」
 それで、少年がなにをしたいのか、空神も大体察した。
「このことを花神は知っておるのか?」
「ただいま問い合わせております」
「まあ知らんだろうな。儂に何の知らせもなく自分のところの小僧を寄越すような男ではない」
 とすると、花神の為を想ったあさはかな子供の突発的な行動なのだろう。

 まあ空神も苛々していたところなので、その小僧を呼んだ。
 空神は髪と髭が神気に揺れる、巨大な厳しい老爺の姿をしている。空神の姿にすっかり威圧された小僧は、玉座の前でちんまりしてぶるぶる震えていた。
 これを見て叱りつけるほど空神も狭量ではない。空神の玄孫よりもっとずっと幼いのだ。

 また、なぜ連れてきたのか知らないが、隣に震える豚もいて、寄り添っているので……笑う、こんなもの。なぜ豚を通した。
「申し訳ございません。引き離そうとすると豚が威嚇して少年を守ろうとしますので」
「ああ、もう、よい。どっちも近く寄れ」
 こいこいと手招くと、少年と豚はおそるおそる、近寄ってきた。差し出された大きな手に両手を乗せ、小動物のように見上げる少年をすくいあげ、膝に乗せる。豚がカリカリと前足で足元に乗り上げようとするため、こちらも膝に乗せた。

「……フフ。ハハハ」

 笑うしかない、こんなもの。なんだこの図は。
 今ごろ花神は知らせを受けて悲鳴を上げ、こちらに向かっているところだろう。どのみち、明日の祭事どころではない。
「これ、小さき者よ。このようなことを続けていては、いつか花神に迷惑をかけ、命を落とすぞ……寝ておる」
 ぶるぶる震えながらも、空神の袖にしがみつき、眠っていた。眠っているというより、失神だったかもしれない。

 その日、空神の機嫌は安定していた。空神はここに「居る」ということが重要なのだ。天候を制御し、神域を見渡し、守護をする。
 これがまた退屈でどうしようもない役目だった。であるから、突然現れた天人の少年と豚は、空神の無聊を慰めた。
 掌にすっぽり覆われてしまう少年の体はあたたかく、豚も慣れたのか、疲れているのか、膝の上でだれんと垂れている。もちのようだ。
 たまに見下ろすと、少年が小さな手で空神の袖を握っているのが見え、なんとも心があたたかくなるのだった。

 数刻もすると、花神が現れた。よほど急いでやってきたのだろう、神も装束も乱れ、色男が台無しだ。
「申し訳もなく……!」
「ああ、もう、よい。空を見れば分かるだろう、怒る気も起きんわ。それ小僧、迎えがきたぞ」
「ふえ」

 優しくゆすられ、カサネは目を覚ました。一瞬、ここが何処か分からず、周囲を見渡す。見慣れない、広い広い石造りの部屋。柱の道があり、大きな扉が見える。視界が高いというか広い。なにか温かいものに包まれていて、眼下に跪いた花神がいる。
「えと、あれ。俺、空神さまに会いに……」
「ここにおるよ」
「うわあ」
 呼ばれて仰ぎ、そうだったと気づく。空神さまに目通りをして、それで、疲労と恐怖とで気を失ったのだ。
 それに、どうしてか花神がいる。
「花神さま、明日の祭事……」
「それどころではないだろう! ここ数日、宮にも御子神の元にも姿を現さず、どれほど探したかわかるか!」
 叱られてしゅんとした。そういえば、誰にも行き先を告げていなかった。思い立って翌朝、意気揚々と出発したもので。

「また何かあったのではないかと気を揉んで……四楽院は泣いていたぞ。なんと親不孝なわるい子だろう」
「ごめんなさい……」
「よく反省するのだぞ」
 空神にも笑いまじりに叱られ、大きな指で頬を擦られた。膝から降ろされ、花神の元に帰される。

「親が子を叩きたくなる気持ちが、今はようく分かる。なんと、なんとわるい子だろう!」

 叩きたくなる、と言ったが、花神はカサネを抱きしめた。抱きしめられたまま、身じろぎして空神を振り返る。
「空神さま、明日は晴れる?」
「きっと晴れるさ」
 本当はもっときつく叱るべきなのだろうが、そのような気も起きない。こどもの頭の中は、明日、花神の祭事のために、晴れるかどうかで一杯なのだから。

 空神の間を辞し、花神はカサネの頬を軽くつねった。
「どうしてこんなことをしたのだ。空神さまにご面倒をおかけして……」
「明日のさいひ、はれうって」
 抓まれたまま、カサネは目を輝かせていた。
「晴れたほうがいいって、去年、花神さまが言ってた。去年はてるてる坊主を作るしかできなかったけど、今年はちゃんと晴れる」
「おまえと言う子は……」
 花神は脱力した。こういう子なのだ、分かっていた。最初から、出会う前からずっとこうだった。はじめは笑っていたけれども、今は楽院家の者たちの気持ちがよく分かる。

「花神さまは一生懸命な俺がいいんだろう。そうしたら笑ってくれるんだろ。前の俺じゃなきゃダメなのか。俺だって一生懸命なのに!」

 カサネの目に涙が浮かんだ。見ていれば満足の恋は終わってしまい、別の何かに変わったが、想いの強さそのものは変わっていなかった。今でも、花神が病気になれば不死鳥に挑むだろうし、花神のためなら死の呪いを受けてでも宝珠を得ようとするだろう。

 それを知って、ずっと嘆いてばかりの自分がカサネを傷つけていたのだと花神は知った。今度ことはカサネばかりが悪いのではない。花神が彼を追い詰めてしまったからなのだと。

 豚とカサネを車に乗せ、宮へ帰る道中、カサネの心境をぽつぽつと聞いた。
「恋とかは、よくわかんなくなった。そもそも前のだって恋だったのか……」
「花神さまといると、ほっとする。側にいないとさみしくなる。花神さまがさみしそうでも、さみしくなる」
「前みたいな俺がいいんなら、命を懸ければ笑ってくれるかと思った」
 それで今回、このような無茶に及んだのだ。いや、状況が状況ならもっと酷いことに挑戦していたかもしれない。

「そなたが元気で頑張っている姿を見れば、俺は十分だ。今回のことは、俺の中でなかなか整理がつかなくてなあ。こんなにそなたのことが心を占めていたとは、自分でも気付かなかった。
 そなたに何かあれば、俺は二度と笑えまい。もう無茶はしてくれるな」

 車の中で、カサネをそうと抱き寄せた。かわいいカサネ。いつの間にか花神の心に潜り込み、居座っていた。
 あたたかな塊を抱きしめていると、自然と笑みこぼれる。久々に心から笑ったためか、カサネが花神の顔をまじまじと見て、ふにゃりと笑った。きりりとした表情を崩さない子なので、こうして笑うのは珍しい。花神は、ますます顔を緩ませた。

 カサネは、もちろん四楽院に叱られた。尻たたきをされたらしい。四楽院はいかにも雅な文化人といった容姿をしているが、カサネの母親がわりなだけはあり、力にあふれているようだ。そうでなくばあの子は育てられまい。
 豚は、本当は返さなければならなかったらしいが、あまりに懐いてしまい、飼うことになったようだ。

 カサネがいないと聞いて、御子神はずっと落ち着かなかったらしく、カサネが訪ねてくるなり拗ねて沼に隠れた。
 ただ、カサネが調子を取り戻したので、花神宮に顔をだす機会は増えた。
「御子神さま、ちっちゃいカタツムリ見つけた」
「すげえ、ちっさい!」
 もはや行儀見習の授業すらしていない。花神が夕涼みをする間、あれやこれや品を変えては遊んでいる。
「これ、人間の遊戯だ。賽を転がして、升目に駒を動かす。花神さまもやろう」
「どれ」
 たまに、花神も遊戯に混ざる。

 御子神は人間のこうした遊戯や玩具を、全く知らないようだった。
「生前、遊ばなかったのか」
「人間だったころのことは、殆ど覚えてない。あれが本当に僕だったかもわからない。何を食べていたかも、周囲の人間のことも。おぼろげに覚えているのは狭い部屋だな。今思うと、座敷牢か何かだったんじゃないかな」
 このような情報から、贄のために育てられた忌み子だったのではないかと思われる。悲しいことに、人間の世界ではよくあるのだ。そのすべてがこうして神になるわけではない。
 いや、もしかしたら、そうした子供の魂が集まって生まれたのが、御子神なのかもしれない。一人の子の神力としては、御子神は強すぎるのだ。

 そうと知ってから、カサネはますます遊戯を増やした。独楽、おはじき、お手玉、などなど。御子神は特に独楽を気に入って、夢中になって回す。
 行儀作法も大事だが、今の御子神にはこうした事のほうが必要なのだろう。自分で金銀財宝だって創れるのだろうに、カサネに貰ったおはじきを、端切れで作ってもらったという巾着に入れて、大事に持っているのだ。

 あるときカサネが絵巻物を沢山携えてきて、御子神に読んでいた。
「うさぎどんは酒をのみのみ、カエルどんはひっくりかえり」
 並んでうつぶせに寝転がり読むもので、大抵、途中で二人とも寝てしまう。そうするとクチナシが毛布を持ってきて、二人にかける。

 その様子を、冷やし飴を飲みながら眺めていた花神だが、微笑んでいたはずなのに、ほたりと涙が溢れるのに気づく。
(俺は何をさみしがっていたのだろう)
 幸福は変わらず此処にあったのに。

 二人の側に寄って腰を下ろし、寝顔をよく見た。御子神は、涎が垂れている。そういえば花神の側でもこうして安心して眠れるようになったのか。以前は決して見せなかった姿だった。
(カサネは幸福を運ぶ子だな。うさぎの耳をつければ、ちょうど似合うに違いない)
 絵巻物の幸福を運ぶうさぎの絵に目をやりながら、亜麻色の髪を撫でる。

 カサネが少しだけ変わってしまったように、花神の中の感情も、少しずつ、変化していた。
[newpage]
 ゆるやかに月日は流れていき、前年の宴でのことは忘れ去られようとしていた。

「ひゃあ」

 花咲く庭で御子神が転ぶ。ひっくりかえった彼の額を、コンと竹筒が叩いた。
「大丈夫ですか、御子神さま」
「むずかしいぞ、これ!」
 縁側に腰掛けた花神は、二人の遊びを笑って見守っていた。今日はカサネが竹馬を持って来たのだ。
「おい花神、笑うな! お前はできるのかっ」
「俺には、その竹馬はちと小さいかなあ」
「花神さま用のも今度作ってくる」
 余計なことを言ったかもしれない。カサネが何やら意気込んでいる。

 冷やした仙桃を並んで食べていると、何やら視線を感じた。
「?」
 御子神は夢中で桃にまるまるかぶりついて、口元をぐちゃぐちゃに汚している。カサネが不自然に向こうを向いていた。

 ちかごろ、よくあるのだ。カサネがじぃと花神を見ていたかと思うと、視線を逸らす。一心不乱に花神を慕っていた頃は、こちらが照れるほどに見つめていたというのに。
 それもどこか恥ずかしそうというか、もじもじしているような。
(ははあ)
 花神は微笑んだ。
 そういえば、御子神の沼がずいぶん清浄になったので、暫く禊をしていない。カサネは感じやすい子だ。欲を溜め込んで困っているのかもしれない。

 そこで夜、寝所に招き、
「何か言いたいことがあるのだろう?」
 優しい声で問いかけると、カサネは肩を震わせて縮こまった。
「あの……」
「うん」
「こんなこと思うのは不遜で、いけないことだと分かってる」
「言ってみなさい」
「あの……!」
 意を決したように、カサネは顔を上げた。

「花神さまに甘えたくて!」

 うん? と花神は笑顔のまま褥で首を傾げた。
「以前は見ているだけで満足だったのに、それすら烏滸がましいほど光栄なことなのに、俺はなんて不遜なんだろう! 自分が恥ずかしい!!」
「お、おう……」
 甘えたいなら甘やかしてやろうと手を広げかけたが、カサネが突っ伏して泣き出したのでやり場を失った。
「こ、これ泣くでない。何事かと思われるだろう。仕方のない、それ」
 花神のほうから迎えにゆき、カサネを引きずって寝所に引き込む。カサネはえぐえぐと泣いていた。

「ああ、もう、仕方のない、仕方のない。愛い、愛い」
 胸に抱いて袖で涙を拭ってやり、額に口づけする。
「それほど甘えたかったのか」
「……花神さまに抱きしめられることが多くなって、きっと味をしめてしまったんだ」
 きゅうと着物の端をつかみ、顔を胸元に顔を埋めるカサネ。
「だっていいにおいがするし。あったかいし。気持ちがほかほかする」
「そうかぁ、気持ちがほかほかするのかあ」
 花神もいま、気持ちがほかほかしている。おんなじだなあ、とカサネの背を撫でた。

「カサネよ。此処は切なくないか?」
「ひゅえ」
 尻の筋を生地の上からなぞってやると、カサネがびくりと震えた。
「そなたはずいぶん感じたであるからなあ。それこそ一度味を覚えれば、我慢できぬと思うが」
「せ、せつなくなる時もあるけど……ちゃんと自己処理してる」
 胸元に顔を埋めすぎてくぐもった声がする。
「自己処理とは、自分でナカに触れるのか?」
「それは、しない。前だけで、がんばる」
「ふむ、前だけでなあ」
「あ、ちょっ……下履きのひもっ」
 するりと紐解き、中へ手を差し入れる。下生えを伝ってやわい性器をなぞるとすぐ熱をもって硬くなる。

「今日は新しい味を教えてやろう」
「あたらしい?」
 薄い行灯の明かりの下、涙目のカサネが不思議そうに花神を見上げる。
 花神は左手に小さな花を咲かせ、その花弁を鈴口に押し当ててやった。すると花の柱頭が伸び、尿道を遡っていく。
「あっ、あっ、なんかっ、なんか入ってくるっ」
 混乱して暴れようとするカサネをしっかりと抱き、大丈夫だと背を撫でる。
「あっ、奥っ……!? おくっ、ひんっ」
 柱頭は最深部に着くと、舐めるように先端を動かし始める。
 体の奥の触れられないような場所を犯され、カサネはすすり泣いた。
「心地よいだろう。癖になるぞ」
「ひんっ……ひんっ」
「蕾も可愛がってやろうな」
 カサネを腕に抱いたまま、下履きに手を差し込んで尻のあわいへ指を入れ、縮こまった蕾をつんつんと刺激する。花の蜜をたっぷり塗り込み、二本の指で入り口をくにくにと練った。

「み……禊じゃないのにぃ」
「そうだ。これは愉しむためのまぐわいだ。褥ではこうして愉しむ」
「あっ、なんでぇ……ひぃん」
 つぷんと入った指先に尻をはねさせ、カサネはきゅうと蕾に力を入れて食い締める。
「だめっ……前っ、奥っなのにっ……うしろ、いれたらぁ」
「そう、前と後ろから心地よくするのだ」
「だめ……っ、だめっ」
 どうしても締めるのをやめようとしないため、開く筒状の花を蕾に咲かせて無理にこじ開ける。
「ひえ、すうすうする?」
 何が起きたか分かっていないカサネに忍び笑い、花弁の隙間から指を差し入れた。
「いやっ、いやぁ」
「それ、ここな」
「ひぃい!」
 前からのぢくぢくする快感、後ろからのびりびりする快感に挟まれ、カサネは悶えた。
「あぁっ……はぁぁん、きもちっ、い……っん」
 すっかり蕩けきった顔で腰を揺らめかす様に、花神は苦笑を隠せない。これほど感じやすいのに我慢をしていたとは。下手な男に縋りつくまえに取り込んでおかねばなるまい。

 体勢を変え、下履きを下ろして着物の裾を捲る。筒花に押し拡げられた蕾から、中の淫靡に蠢く肉が見えた。
 その筒を抜き、後ろから被さってモノを押し当てる。
「ほしいか?」
 耳元で囁く。カサネはすすり泣きながら、こくこくと頷く。
「もっと奥、奥ほしぃ……」
「カサネは奥が好きだなあ。俺のなら届くものな」
「いれてぇ……」
 先端に収縮する蕾を擦り付けてのおねだりに微笑み、腰を掴んで固定する。ぐっと力を込めて挿入。
「ああ……ぁ」
 どこか安心したように呻くカサネ。たまに引いたりと焦らしながら奥まで結合すると、ん、ん、と甘い息を漏らしながら尻を揺らす。

「ああ、前の、抜いて……イケないぃ」
「今日は栓をしたまま達するのだ」
「ひん、ふぇ…あっ、ああっ」
 ゆったり腰を使い始めるとカサネが快楽にもがく。慣れないうちは狭すぎて窮屈だった蕾も、そろそろ咲きごろなのか甘く締め付けてくる。腰を引くと中のうねる肉が花神をねぶり、溶かされそうに具合が良い。

「あぅ……きもちい、きもちい、イケないっ……イキたいっ、イケないよぉ」

 過ぎる快楽を前から後ろから与えられているのに、達することができずにカサネは泣きじゃくった。
「頑張れ、頑張れ、そなたは筋がよい。それ」
「あっ、ひっ、はぅう…っ、ひっ」
 蜜で濡れた蕾がぱちゅぱちゅと淫猥な水音を立てる。おぼこいばかりだった花がずいぶんと艶めいたものだ。

「あっ、あぁあ……なんか、あ、なんかぁ……っ」

 波が来たのかもがくので、奥の窄まりをぐりぐりと刺激してやった。カサネの腰がビクビクとしなる。
 その状態でなお腰を動かした。
「うあっ、あっ、イッて、イッてるっ、イッてるからぁ!!」
 絶頂の最中、尿道の栓と後孔を攻めたてられ、カサネは「イッてる、イッてる」と何度も訴えた。
 花神も限界を迎え、奥に神気を注ぎ込む。同時に前へ手を回して栓をずるりと抜いてやった。

「はぅっ? は……はぅう………」

 びく…、びく…と痙攣しながら、壊れたように精を漏らす性器の口をくちゅくちゅ弄ってやる。
「あ……んん、も、ダメ、んっ」
 軽く最後に達し、カサネの体がくたくた崩れる。勢いでずるりと結合が外れた。
「よし、よし。頑張ったな」
「ふえ。ふぇえ」
 汗でしっとりした身を抱き寄せ、倒れ込む。力尽きたのか、カサネはすぐに寝息を立て始めた。
 

2019年6月17日月曜日

ロマの王かきおろし未収録

【蛍黒にまつわる宇宙の腐界論】


「絶対にあの二人はリバがある」
 というのがクラスタの通説だった。
 彼らが知るのはメディアに露出する二人の様子と、流出したフォトやムービー。きせかえクロネちゃんと猫耳でじゃれあう菊蛍とクロネちゃんのデータだ。それも今は削除されてしまった。

「そもそも男同士なんだから」
「でもほたるんはクロネちゃんをお姫様みたいにエスコートして守るじゃん! リバはない!」
「ヨシヨシしながらヤラせてやってるって絶対」
「リバ論争は荒れるから禁止ー」
 というやりとりが専用トークルームでは日常茶飯事だった。

 そこで、今も続いているクロネと志摩王のトークちゃんねるで成人向け枠があったので、一同揃って署名を募り質問を投げた。
 すると志摩王(のアバター)は俯くクロネちゃんの隣で大笑いし、
「菊蛍はああ見えてバリタチだ。クロは呼び名どおりネコ。だからリバはないよ」
 この発言はリバ派・黒蛍派に大きな波紋を呼んだ。三次元を扱うジャンルの辛さだが、真実が人を追い詰めることもある。
 実はもっと衝撃を与えたのが「蛍はバリタチ」という事実。なにしろあの流麗で儚い外見なので姫様か女神のように奉る奇特な人種もいるのだ。
 ちなみに彼らの脳内では菊蛍の体型はほっそりしている。流出ムービーを見ればなかなかのイイ肉体をしていることが分かるのだが、そこらへんは脳が補正するらしい。

 その点、古くからいる鷹蛍派は冷静だった。
「二人がデキてないの分かっててやってますし」
「蛍さんがクロネちゃん一筋なのは痛いほど伝わりますし」
「むしろ蛍黒も好き」
 古参であるがゆえに鷹揚だ。
 尤も中には過激なのもいて、噂によればクロネを呪ったせいで惨殺されたとか。
「人を呪わばってやつですね。あっ墓穴は自分の分だけでしたか」
「実在のモデルに手を出すなんて死んで当然」
「もともとヤバイ橋渡ってるのに荒波に身を投げる愚行」
 犯人に対して冷ややかだった。

 こうしてリバ騒動には一段落ついたが、今度は今度で別の疑問も浮上する。
 クロネちゃんが「理想の蛍」と本人に言った中堅サークルは現在、神扱いされている。本人は畏れ多くて辛いとのことだが、同クラスタ内では尊敬のまなざしを向けられていた。
「蛍黒神の絵柄は割と雄めのほたるんですよね…」
「もともとはマニアック向けっていうか、否定的でしたよね。あの手の絵柄は。ほたるんは姫って見解が多かったから」
「クロネちゃんの目にはああ見えてる説」
「いやでも実際、ゴリラだから。服の下めっちゃマッチョ。あと凄く強いらしい、アジャラ皇子一発KO」
「ついでにクロネちゃんも一発KOしちゃいましたよね……」
「しっ、それは言わない約束!!」
 菊蛍が洗脳によって記憶を失い、地下組織のリーダーになっていた件は宇宙中が知っている。当時はパニックになったものだ、拉致されたロマの王がなぜか敵組織の首魁として宇宙に登場したのだから。

「クロネちゃん辛かったろうな……」
「挙げ句の果に一発KO」
「それは言わんであげようって」
「クロネちゃん復帰したら今まで以上にべったり」
「噂によると、地下組織時代にクロネちゃん拉致って侍らせてたらしい。記憶ないのに」
「ガチやん」
「知ってた」
 このあたりから議論が白熱し、
「そもそも18歳のクロネちゃん保護して囲い込んじゃった訳で」
「姫のすることじゃなかろう」
「そもそも90歳の姫とは」
「姫なんです姫なんですほたるんは誰がどう言おうと姫なんです!」
「見た目だけは反則気味にたおやかで美しいからな……」
「クロネちゃんとメディア映ってるときのウキウキにこにこほたるん見てると年齢わかんなくなるよね」
「年齢も性別も蛍」
「性別蛍は理解できるけど、前から蛍姫って思考にはついてけない。いや好きな人は好きにしていいと思うけどさ」
「言っていい? 言っていい? 実のところほたるんただのスケベ親父」
「禁則事項です!」
「みんな心の底では分かってるから」
「そういえばアジャ若減ってアジャクロ増えたよねー。アジャラ殿下、クロネと結婚するって公言しちゃってるし」
「志摩王はもういいのかよ」
「まさかの展開だったよね……アジャタカクラスタ一時期盛り上がってたのに」
「ロマ若が熱すぎて大移動があったからな」
「蛍黒も熱すぎて鷹蛍から大移動」
「でもクロネちゃん、鷹蛍大好き」
「それ」
「あれどういう心理なんだろう……自分の恋人が別の人間と恋愛してるの読んでるんでしょ。ほたるんに抱っこされながら」
「らしいね。ほたるんもそれ見てご機嫌らしい。クロネちゃんがよければそれでいい思考」
「現実とファンタジーはちゃんと区別できるんじゃない、クロネちゃんは」
「自分が抱かれてる相手が抱かれてる現実と区別……」
「クロネちゃん哲学、複雑骨折してるらしいから。志摩王いわく」
「そういやクラミツ王子と兄弟発覚してから増えたよな、クラクロ。でもそっちは拒否反応だってさ」
「クラミツ王子、志摩王とは受けクラスタ多かったのに、お兄ちゃんと絡むと急に攻め扱い」
「まあもともと声が……てか志摩王が男前すぎて」
「顔は可愛いけどね?」
「増えたと言えば、デオ葛増えたよなー。いいことだ」
「あそこは微笑ましい」
「戦う様は微笑ましくない」
「いや微笑ましいよ。夫婦そろってうっれしそうにひとごろ…やっぱ微笑ましくないわ」
「脳軍ゆえいたしかたなし」
「そういえばタカクロですらあるのに、クロ葛とか葛クロはないよな。あるのかもだけど超ドマイナー」
「あそこはもう妖精だから。妖精さんだからデオルカン皇子以外とのエロはありえない」
「そこいくとクロネちゃんはハイドの件やエロ画像流出の件もあって、第二の腐界ビッチだよな」
「志摩王に続いてな。志摩王は寛容だからってのもあるけど」
「自分の触手出産もの読んで爆笑する精神はさすがだわ」
「クロネちゃんは夢レター被害に遭ったせいで触手×自分はダメらしいよ。ジャンル内でも自粛だって。あとモブおじさんやめてくれって懇願してたな」
「海賊に拉致強姦されたのに海賊×自分を笑い飛ばす志摩王よりは繊細だよね……」
「ほたるんによると、移民船で強姦されかけたのを返り討ちにしたらしいけど」
「志摩王は返り討ちどころかちんこ噛みちぎって回った八歳児だからな……メンタル強すぎだよね」
「ほたるんはそういうメンタル強い子好きなんでしょ。なんで志摩王になびかなかったのかな」
「出会ったのが確か志摩王10歳だから……いやほたるんならクロネちゃんが何歳でも育ったら食ってる。絶対食う」
「あったよね、有名サークルでほたるんがクロネちゃんを育てたらーって話」
「ブームになったなあ、あれ」
「主にショタコンが増えた」
「クロネちゃんは成人してるっちゅーに」
「クロネちゃんにはもともと熱狂的なファンいたけど、ウィッカ王でガチのほうの信奉者増えて新参増えたよね……ブリタニアスラムのさー、バッカニアの人がクロネちゃん本てどういうの見ればいいですかぁーって。なんか業界では有名な女好きらしいんだが」
「そこのバッカニア、揃って買いに来たらしいね」
「バッカニアどころか元海賊らしき人が来るよ。でもお行儀よくしないと仲間やウィッカ統括さんに叱られるから大人しいの」
「それで知り合って結婚した奴知ってるわ」
「そうそう、片方ほたるん信者で片方クロネ信者で」
「ほたるん信者はクロネを尊重してるし、クロネちゃんがほたるん大好きだからクロネ信者もほたるん崇拝してるんだよね。もともとロマの王だったのあの人だし」
「ほたるん、ハイドウィッカーの庇護もしてて実質ウィッカプールの保護者でもあったし。そういう意味ではウィッカ王も元はほたるんだったのかな」
「よくもまああのほたるんの後継げる奴が出たよな。クロネちゃんほんとすごいよ」
「しかもこんな早くね。クロネちゃんが後継ぐにしてもあと数十年後かなと思ってた」
「蛍黒尊い……」
「それな」

 今日も熱い議論がトークルームで交わされる。
 ただし最後はいつも同じ結論が出る。
[newpage]
【タカラ・シマとクロネのトークちゃんねる】


「お互い王になってもやると思わなかった」
「そもそもお前が王になると思わなかった」
「ほんとそれ」
「どうよ、王様業は」
「俺が聞きたい! 王様って何するの」
「何するのときたか」
「眼の前のやることやってるだけだよ、俺。たぶん本当に必要なことは蛍と鷹鶴がやってる」
「政治のことは優秀な官僚がやるもんだって。あいつらは右大臣に左大臣だろ」
「それなんか違う」
「あいつらだって国やるなんて考えてなかったから、けっこう苦労してるみたいよ。お前には話さないだろうけど」
「話されてない……なんかショックだ」
「みんな暗中模索ってことさ。俺も実はよくわかってない」
「いいのかそれで」
「王子の99%は王にならずに終わるんだぞ。王になる教育もない。俺に至っては王子様の教育すらされてねえ!」
「俺もですよ……短かったなあ王子時代」
「お前はなあ」
「王になって忙しくなった割には、薄い本もトークちゃんねるもやめないな」
「それやめたら俺の人生が死んじゃう。や、婿どのさえいれば死なないか。でもその婿どのとも離れ離れ! 畜生!」
「一年半くらいは一緒にいられたんだよね」
「そう! 戦時中は不幸があった人もいると思うし、俺も辛いことあったけど、それでも婿どのが側にいてくれたから……」
「俺、戦時中結局ほぼ寝て過ごした」
「それな。おかげで本編ほぼ戦中描写すっとばしの憂き目」
「一人称視点の辛いとこ。今だから聞くけど、あのときの蛍どうだった? 俺が暗殺未遂された空白の一年」
「それ聞いちゃう? やー、すごかったよ? 実際決して多くない戦力でジャイアントキリングの嵐。王軍ってなんだかんだ規模でかいから……お前は論外な!」
「艦隊戦せんとて生まれてきたような能力してるから」
「時代が時代なら覇王になってたろうな、クロも菊蛍も」
「本物のヤマトの覇王が何言ってるのか……」
「殆どたなぼた状態だったじゃん、オトツバメが暴れたゆえの」
「それこそ生まれる時代がテラの古代だったら覇王だよね」
「あいつスパルタでもやってける気がするわ。あるいはあれだろ、闘技場の奴隷王」
「皇宙軍仕込みでますます強くなったらしい」
「俺さあ、戦闘のほうはそこそこだから、クロ以下なんだよ。今となっては。だからオトの凄さがわかんない。うみあおーいレベルでしか分からん。懐かしいなあ、クロが俺にどうやって強くなればいいですかって連絡してきたの」
「あの頃はウィッカーとしてどうやってけばいいか分からなかったんで……」
「なんだかんだ親父どのは優秀だよな、腹立つことに」
「俺のトークスキルもここで鍛えられた」
「イオリコのトークルームでえっとうっと言ってた奴とは思えないよなあ」
「ほんと感謝してます。最初はどうしようと思ったけど、ここで鍛えられなかったら王になんかなれなかった」
「えっとうっと言ってる王は確かにな。無理だよな」
「人目に慣れたのもある……これはライブのおかげかな。志摩滞在中の中規模ライブで慣れた。最初注目されんの怖くて、膝抱えて殻に閉じこもった」
「そこまでか」
「タカはいきなり王子って言われて官僚に囲まれた十歳のとき大丈夫だったの」
「やあ、そういう根性だけは据わってたんで。それしかないとも言う」
「ヤマト文化財が何言ってんだ」
「そういえばお前もなにかに指定されるべきだよな。ハイドはS級危険ウィッカーだった」
「俺もそれなんじゃないの」
「ロマはアダムアイルの友好国扱いだから。ウィッカプールとは違う……今はウィッカプールも友好国か。お前が王だし」
「そういう話は聞かない。あと王だけど別に宇宙政府とお話し合いとかしたことない。いつも俺の頭素通り」
「それいかん奴じゃん」
「だろ? でも凄く不利益になることや、許せないことがあったら会議に乗り込む所存。あ、でもアスルイス陛下と話すことはあるよ」
「へえー。宇宙政府内では王はなかなか皇帝陛下に謁見できないんだけどな。逆に宇宙政府の会議にはよく駆り出されるよ」
「宇宙政府はそれでひとつの帝国って扱いだから……帝国の皇帝と独立王国の王だからじゃないかな」
「お前がウィッカ王でなければそこまでの話になってなさそうだけど。あ、政治の話続いてごめんな。今からクロの夜の話でも聞くわ。最近どうよ」
「俺が聞きたいよ。俺は別に変わってない、蛍はべったりだし。今も抱えられながらトークルームに接続してるし」
「いいなー。俺も婿どのとべたべたしてたい。できないけど」
「できないんだ」
「べたべたしてるとどうしたって、しっとりしてくるだろ。婿どのはそれがダメで、割と頻繁に洗浄ポッドに入る。ある程度乾燥してないとダメみたい。だからほんとはセックスも苦手なんだけど、もともとアダムアイルって精力も強いから……」
「ぷつーんと切れた事件は前のトークで聞いたけど」
「あれ、実は三度ほどあったんだけど、そのたびに婿どのすごく落ち込むからさ。凄くかわいい」
「うちも蛍が強要嫌いで、そこ凄く拘る。でもさ、ほんとのところ、蛍いつも余裕なんだよ。だからマグロ卒業したい。でもフェラとか騎乗位とか嫌いみたいで…!」
「かなりぶっちゃけたなお前。騎乗位かーそれは俺もやってみたいわ」
「ないの」
「ない。なんか遠慮があってさ。やっぱ相手皇族だし。てか腕力的に敵わないし」
「言ったら喜ぶと思うよ。てかこれ聞いて喜んでると思う」
「そうかなー。へへ。へへへ」
「えっタカがかわいい。タカは婿どの絡むと可愛いよな」
「婿どのの前では可愛くあるべきと思ってる。そういうお前も菊蛍の前じゃ子猫ちゃんだろ」
「いや、しらね……むしろなんでタカが知ってんの」
「データ流出したから。いやもう、あまえんぼうでちゅねクロネちゃん」
「くっ……みんなだって好きな人にはそうだろ!?」
「それにしてもお前はあまえんぼ……おっと、あんまり指摘すると菊蛍に怒られるな。あいつは慣れなくて拙いお前が好きなんだろ」
「そういう節はあるけど。タカはどうなんだ、婿どのと……」
「婿どのは何しろアダムアイルだから、でかい」
「わか……いやなんでもない」
「だからいつも受け入れるので精一杯。たぶん余計なことしないほうが婿どの的にもいいだろうしな。婿どのも経験豊富じゃないから、二人して精一杯な感じ。でもそれが幸せ」
「なんかいいな、そういうの。俺はべつに不満があるわけじゃないけど、蛍が巧すぎて翻弄される」
「だってそういう人じゃんかさあ。でもセックスに限らなければお前は菊蛍を振り回しまくってんだろ」
「そうかなあ」
「無自覚かよ。見てて不憫になるほどだぞ」
「タカだって婿どの振り回してるだろ!」
「それは自覚あるからいいの」
「自覚あんのか……」
「ところで今なにしてる?」
「蛍に抱えられながら仕事。でもたぶん蛍も仕事してる。いま頬ずりされた」
「くっそ、うらやましい!」
「婿どのとはちゃんと会えてる?」
「一応、繁忙期でなければ週一で会いにきてくれてる。とんぼ帰りだけどな」
「この前諸用で話したとき、本格的にアジャラ皇子に譲るつもりでいるって言ってたよ」
「ほんと? まあでも予定は未定だから俺には話してくれないんだろうな」
「アジャラ皇子、うまく皇軍警察やってらしたけどな。シヴァロマ皇子がいるとやっぱり抑止になるんだよな」
「婿どの復帰ってだけで犯罪率2%下がるらしいからな」
「宇宙規模で2%は大きいよなあ……ロマはクレオディスが取り締まってるけど、ウィッカプールは特に犯罪多くて」
「そりゃそうだろうな、元無法の惑星だし」
「手が足りないしほぼセキュリティで回してる。ほんとはそのセキュリティドローンに回す資材、子供らのごはんにしたいんだけど」
「子供らの安全を守るためだと思えば糧になってるよ。そうだろ」
「そっか……そっかあ。だからさあ、俺はやっぱロマの王っていうより、ウィッカ王なんだよな。殆どそっちで手一杯」
「確かに、お前がウィッカ王で菊蛍がロマ王っていうのがしっくり来るけど。でもそうするとお前はウィッカプールに住むことになるだろ」
「そしたら蛍と離れ離れか。それは……いやだな」
「ん、質問がきたぞ。これは俺も気になってたことだな。クロが鷹蛍本読むのってどういう心理?」
「え、どういうって」
「自分の好きな奴が他の奴に抱かれてる本読むの趣味じゃん」
「えー、タカだってデオロマ読むくせに!」
「デオルカン殿下だからいいんだよ」
「俺も鷹鶴だからってのはあるかな。鷹蛍本の二人は別世界の別人なんだよ。書いてる人には悪いけど、実際とはぜんぜん違う。だからなんだろ、鷹鶴と蛍をモデルにした架空のキャラみたいなかんじ」
「まあな。特に鷹鶴な、みんなが思ってるような奴じゃないからな。
 それじゃあお時間もほどほどってことで、このあたりでしーゆー!」

2019年4月3日水曜日

目が覚めたら異世界で魔法使いだった

 目が覚めると、魔法使いになっていた。
 意味が分からないと思う。俺にも分からない。だが聞いてくれ。起きたら魔法使いだったんだ。童貞がどうとかそんな問題じゃなく、魔法使いだったんだ!
 まず俺は昨晩、学校から帰って部屋にカバンを投げ出し、部活の疲れで眠りについた。弱小野球部だが練習はきつい。部長が変わってからは特に。
 で、起きたら円形の塔に住んでて、魔法使いだったんだよ。
 たとえばこれがナルニア物語だったら、箪笥の中に入ると異世界に行く。ピーターパンならピーターが迎えにきてネバーランドに行く。どっちも元の自分のままだ。
 死んで生まれ変わったなら赤ん坊になってるはずだろ。
 でも俺は、もう成人した一人前の魔法使いだったんだよ。
 顔も変わっていた、銀色の髪に碧い瞳で、ルーノサイトという人種。そういう知識もある。魔法の知識もこの世界の知識もちゃんとある。
 でも、俺は昨日までただの高校球児だったんだぞ! どうしてこんなことになってるんだ?
 ハーブだの薬草だのが壁から下がった部屋で途方に暮れながら、状況を確認する。
 まず、魔法の知識はあるが、自分が誰だか分からない。名前も分からない。いや、高校球児だった俺の名前と経歴は覚えてるけどな? この世界の魔法使いである自分の名前と経歴が分からないんだ。
 本当に自分が魔法使いなのか、試してみた。
 俺はトーテムを操る系統の魔法使いらしい。手を翳して呪文を唱えると、光り輝く治癒のトーテムがその場に立つ。ほんわりと暖かな光に包まれると、体が癒される感覚があった。
 とりあえず、外に出るべきだろうか。
 困惑していると、扉が開いた。
「よい朝じゃな、主よ!」
 誰だこいつ。
 背の高いひょろっとした印象の男だった。可愛いと美しいの半々。薄い赤髪をゆるく編んでいて、いかにもファンタジーな衣装を纏っている。
「あんた、誰だ」
 尋ねると、その男は眉を寄せ、俺の額に触れたり、頬を引っ張ったりしてから、口端をへんなふうに下げる。
「ふざけておるのか? ならば俺は悲しいぞ、主。そのような嘘はいかん」
「ふざけてない。あんた、俺の知り合いなんだな? 驚かないで、話を聞いてくれ」
 俺は事の次第を男に説明した。今まで全く別の人生を別の世界で歩んでいたこと、起きたらここにいて魔法使いになっていたこと、知識はあるけど記憶がまったくないこと。
「ふーむ。俺の視点から聞くと、むしろ別の世界で生きていたこと自体が夢のように思えるが……しかし、夢を見て記憶を失うというのは聞いたことがないの」
「俺もない」
「ともあれ、主の名はリズアルじゃ。俺と契約した過去がある」
「あんた人じゃないのか」
「それも忘れてしもうたのか。うむ」
 男は考え込む素振りを見せ―――急に艶っぽく微笑んだ。
「ならばこれも忘れてしまったのだろう。主と俺は恋仲であったのだぞ」
「はあ……? 俺もお前も男、だよな」
「俺と主は愛し合っていたのじゃ―――!」
「うわ!!」
 男に襲いかかられ、床に引き倒される。来ていた簡素な寝巻きを肩まで引き下ろされて貞操の危機を覚えた。
「―――やめろミクラエヴァ!!」
 叫んで頭突きをかまし、男を引き剥がす。男は額を抱えながらよろよろと俺の横に沈んだ。
「うむ……相変わらずの見事な石頭じゃ、主。ところで、いま、俺の名を呼ばなかったか?」
「え?」
 そういえば頭に血が昇って、何か喚いた気がするが。
 ミクラエヴァ、それがこいつの名前なのか。
「主よ」
 男、改ミクラエヴァは俺の隣に居住まいを正して座り、先ほどとうってかわって神妙な表情をする。俺も起き上がって彼に向き直った。
「記憶がないというが、俺の名前を思い出したということは、全くない……というわけではなかろう。違う世界での生活が夢か真かは別にしてな。
 ともあれ、主に記憶がないならば、留意して頂かなければならぬことがある」
「なんだ、勿体ぶって……」
「一月に一度、契約の更新をせねばならない。それを怠ると俺と主の契約は途切れる」
「その期限は……」
「新月の夜までじゃ。今はまだ問題ない。先日交換を行ったばかりゆえな」
 ていうか契約って……なんの? 使役して得があるんだろうか、このひょろっこい奴。
「なんにせよ職場へ向かおうぞ、主。社長のアルラは遅刻に煩い」
 まだ混乱は続いていたが、とにかく生きなきゃならない。帰る手段も探さなきゃだしな。
 塔の外へ出るとそこはカオスだった。
 筒みたいな体した生き物がうごうご道を歩いてるし、頭から花咲かせた女の子がいるし、四足で走るナマモノの車みたいのが走ってるし。生きている時計塔が身を揺らしながら時を刻んでいる。
 空にはクジラが飛んでいた。
「あれは動く魔法大図書館じゃ」
「ああ―――」
 知識にはある。でも見るのは初めてだから、どうにもこうにも脳にクる。

 この世界は善神が邪神に敗れ、邪神が支配している。
 とはいえ秩序を望む邪神と混沌を望む邪神がいて、折衷案で今の状態が保たれてる感じだ。ディストピアながらも一応の秩序が機能してる感じ。
 そこらへんで普通に暴行や強盗が行われてんだけどな。見ないふり……
 ここは魔法都市ゲルドラ。数多の魔法学園と研究機関がある。バイオマギノロジーが発達していて、乗り物から台所に至るまでナマモノが使用されている。

「社長、大変なのじゃ、主が」
「遅い! 給料さっぴくわよアンタら!!」
 何かのいかがわしい店かと思うくらいおピンクな内装の建物に到着すると、マニキュア塗ってる美女に叱り飛ばされた。この人が社長のアルラさんか。こ、こわい……化粧ケッバ。
 奥の生きてる窯で何かをグツグツ煮てる奴が、
「ひっひひ。ひひっひ。うひひひっひ」
 不気味な笑い声を上げている。
 そしてテーブルに髑髏だの燃え盛る香炉だの置いたフードを目深に被った奴が静かに炎を見つめていた。
 端的に何だこの職場。
「で、何が大変だって?」
「主が記憶喪失なのじゃ」
「クビね」
「魔法の使い方は覚えてるらしいのじゃ、俺がいるのだからクビは勘弁してあげてほしいのじゃー!」
「まあ、ミクラエヴァが可愛いから許してあげようかしらね。で、何を忘れたの?」
 視線を向けられて俺は縮こまった。
「その……俺は昨日まで魔法なんかない別の世界で平和に学生をやっていて……」
「昨日は普通に仕事して帰ったわよね、アンタ。夢でも見たんじゃないの」
「しかし、社長。主は俺のことも皆のことも全て忘れてるのじゃ」
「ふーん……まあ仕事に差しつかなければいいわよ」
 適当な人だな。この場合は有り難いのか。
「それで、ここは何の会社なんですか」
「それも忘れたの! めんどくさいわねえ。アンタの顔が可愛くなかったら許してないわよ」
「す、すいません……」
「うちは占いから呪殺まで幅広く請け負う解決屋。あんたは荒事専門。そのために雇ってんだから、そこはちゃんとしてよね」
「だ、大丈夫じゃ! 俺が主についておる」
 ミクラエヴァ、優しいな……右も左もわからないこの状況で、コイツがいなかったら俺、心折れてたかもしんない。
「これから予約のお客様がいらっしゃるから、しっかりしなさいよ」
 俺、野球三昧でバイトもしたことない……ちわーっす! とか言えばいいのか? 野球帽ないけど。
 お客様は小さな二足歩行のトカゲだった。ちょっとかわいい。でもあちこち包帯まいて怪我をしているようだ。痛ましい。
「実は、復讐をお願いしたくて……」
「直接コースと呪術コースがございますが、どちらにいたしますか?」
「直接! 痛みを! 奴らに教えてやっていただきたい!!」
「リズアル、ミクラエヴァ、ボコにしてらっしゃい。殺していいわよ」
「え……」
 生死問わずの復讐を託された俺は戸惑い、社長とトカゲを見比べる。
「そういうのは警察に言ったほうが……復讐は復讐しか生まないって言いますし」
「バカね。この街にはとっちめられないと分からない奴しか住んでないのよ」
「余計恨まれそうっていうか、俺も巻き込まれそうっていうか」
「そういう時のためにアンタには高い金払ってんの! つべこべ言わずに行きなさい!!」
 怖い。
 へどもどしていると、トカゲのほうも不安になってきたようで「あのう……」と手をもじつかせた。
「この方、本当に信頼できるのでしょうか?」
「そこは大丈夫! こっちのはポンコツだけど、背の高いカワイコちゃんのほうは邪神よ」
 邪神だったんかワレ!
 ぎょっとしてミクラエヴァを見上げると、へらへら笑顔を向けられた。ほんとにこいつ、邪神なのか……?
 気乗りしなさそうなトカゲと一緒に街へ出て、郊外のほうへ進んでいく。
「この都市にも階級があるんです。爬虫類の類は魔法が苦手ですからスラムに住んでいます。僕はその中でも特に弱い部類で」
「差別ってイヤだな」
「そんなことはない」
 急にミクラエヴァが憤慨し始めた。
「差別によって技術や文化は磨かれるのじゃ。差別されるから見返す努力をする。差別に屈した時こそ真なる奴隷に成り下がる時よ」
「そう……そうですね。おっしゃる通りです」
 トカゲはしょぼくれた。
 一理あるかもしれねえけどな。俺はミクラエヴァを睨みつけた。
「弱い奴に価値がないなんて誰が決めた? もしかしたら凄い何かを秘めてるかもしれないのに。人類は多様性によって発展したんだ。弱肉強食ってのはバカみたいだと思うけどな」
「差別もまた多様性の一部であるぞ?」
「差別をなくすのも差別への抵抗だろ」
 言いながら、俺は自分自身に違和感を覚えていた。野球一筋の野球バカの俺が、差別について議論してら。昨日までの俺なら絶対にしなかったことだ……
「どうじゃ、矮小なるトカゲよ。我が主はなかなかのものであろう」
 なぜか、ミクラエヴァが偉そうに胸を張った。なんなんだ、こいつ。そして早速矮小とか差別してるし。
「なんだかお二人のお話を聞いていたら、自分が本当に小さいもののように思えてきました。復讐なんてやめたほうがいいのかも……」
「自分の手で仕返ししたらどうだ?」
 とっちめること自体はやったほうがいいみたいだし、代替案を出してみる。
「もちろん一人でやれなんて言わない。俺が支援するし、危なくなったらミクラエヴァに止めさせる。きっとスッキリするぜ」
「僕にできるでしょうか……!」
「やってみなくちゃ分からないさ」
「………!」
 トカゲさんはつぶらな瞳をきらきらさせて俺を見上げる。か、かわいい……そうだ。
「お客様、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「あ、ハリです。よろしくおねがいします」
「俺は加藤……じゃなかった、リズアルだ。こっちはミクラエヴァ」
「主以外の者と特に宜しくする気はないがな」
「お前」
 トカゲさんのこと嫌いなのか? 社長に対する態度と違いすぎる。

 スラムまでやってきた。想像に勝るきったなさ。汚すぎて描写するのを憚る汚さ。お食事中の方はすみませんって看板が必要だろ、ここ。
「正面から入ると絡まれますので……」
 トカゲさんはささっと狭い路地に入るが、俺らはそこ入れねえわ。
「どこで落ち合えば?」
「正面の十字路ですー」
 正面から入らなきゃいけないのね、やっぱり。
 ガラの悪いワニとか。ヘビとか。腕組んでじろじろと俺たちを見てる。
「なあ、兄ちゃん。ちょっと金貸してほしいんだけどさあ」
 お決まりの文句でカツアゲしてこようとするワニさんにヒエッとなったが、
「我が主に触れるでない」
 顔を歪めて牙をむいたミクラエヴァが、ワニの手を握りつぶした。
「ぎゃぁああ!」
「ばか、エヴァ! やりすぎだ」
「ぷぷーん」
 何が「ぷぷーん」だよ。
 そういうやりとりがあってから、誰も近寄って来なくなった。ただ、十字路には悪そうな一団がたむろしていて、こいつらがターゲットとすぐに分かった。
「えーと……本当に大丈夫だよな」
「爬虫類ごとき、ものの数にも入らんわ」
 めっちゃ怖そうですけどね……ワニヘビって言ったら野生であったら悲鳴を上げて逃げるレベルの動物だよ。
 すっかり震え上がっちまってる俺の元へ、トカゲさんが現れた。
「お、お、おまえら! こ、このまえの…か、かか、かりを、かえしてやる!!」
「はあ? 誰だお前」
 ワニボスがフシュっと鼻から息を吹いた。
 そいつらがトカゲさんに向かって歩き出すもんで、俺はできるだけ攻撃的な……射撃トーテムを二本、両手を差し伸べて呼び出した。
 えぇと、それがだな。
 トカゲさんが何かするまでもなく、エヴァが動くまでもなく、あっという間にズドドド……とワニさんたちを乱射して鎮圧してしまった。
「あれ? えーと……」
「加減もわからんのか、主よ」
 呆れ声でエヴァに叱られた。
「え、し……死んだ?」
 倒れて動かないワニさんたちを見て、俺は青くなる。うわあ、どうしよう。殺人犯になっちまった。
 エヴァがついと指先を動かすと、彼らの体から白いもやのようなものが浮き上がった。それらはエヴァの手元にやってきて、ひとかたまりになる。エヴァはそれを口に放り込んだ。
「まずい。主よ、どうせなら上質な魂が喰らいたいぞ」
「く、く、食うなよ!」
「俺の主食は魂と負のネファーじゃ。食うなというのは酷な話よ」
 ネファーっていうのは感情エネルギー。憤怒とか憎悪とか、色々種類がある。これが集まるとネファスって怪物になったりするんだけど、今はさておき。
「トカゲさん、自分でやるって言ってたのに、なんかごめん」
「いいえ、いいのです」
 すっきりした様子で、トカゲさんはにっこりした。
「あのとき、僕は本気で挑むつもりでした。でも、本当には勝てなかったと思います。挑戦する気持ちを持てただけ、少し前に進めた気がします。
 お二人に会えてよかったです。また何かあったら依頼しに行きますね」
「うん……」
 トカゲさんは手を振りながら狭い路地に帰っていった。
 料金は前払い。後日、お礼の連絡もあったようで、
「初仕事にしちゃよかったんじゃない」
 社長もお喜びだ。
 うっかりとほっこりしかけたが、人、殺して喜ばれて礼言われるっておかしな世界だよな。この感覚に慣れちゃいけないと思う。
 完全に染まりきったらGTAの住人になっちまう。早いとこ元の世界へ帰らなくちゃ。

2018年10月4日木曜日

YOI ライトなあの子とカツキチの私

 まあちょっと聞いてくれよ。
 うちの会社は通販もやってる老舗で、私は事務、あの子は通販処理。
 これが吃驚するほど仕事ができない。遅い、ミスは多い、物覚えが悪いの三重苦。通販処理が滞るとこっちに仕事回ってくるのも遅れるんで、彼女のせいで残業した数知れず。
 おかげで今年のGPF、勝生くんのライスト見損ねちまった。ほんとは有給とってバルセロナまで行きたかったのに。
 引退するか否かの瀬戸際で今年ヴィクトル・ニキフォロフがコーチについたんだよ? 日本のスケオタお祭り騒ぎ。なのにバルセロナどころかリアタイまで逃して、銀メダルとった結果から知った。犯人知ってから推理小説読む心境だった。いや、録画した神演技に泣いたけど。

 話戻すけど、だから彼女にムカついてるって話じゃないよ。
 彼女はあれで一応正社員。で、同僚のおばちゃんがパートで仕事出来るんだけどさ、ちょっと向こうの机でその娘をヒステリックに彼女を叱るわけ。
 そんなもん日常的に聞かされるこっちの身にもなってくれよ。

 で、あるとき休憩中にさ、そのおばちゃんが話しかけてきたわけ。ほぼ彼女に聞こえるように、要は陰口。

「いつもごめんねえ、栄子ちゃん。美依子ちゃんのせいで残業ばっかりさせて。どうしてあんなに仕事が出来ないのかしらね」

 女ってさ、愚痴で繋がるとこあるじゃん。特に年配の人。
 私それ苦手でさ。バイト先や前の職場で年上の女性とうまくやれた試しがねえ。
 タバコの煙ふかしながら、足組み直した。

「人間って生存のための環境が変化し続ける生き物なんスよ」
「………え?」
「こんなハコの中で背中丸めて数字追っかけるようには出来てない。特に女。でも遺伝子は肉体の文化的事情なんか知ったこっちゃないから、事務処理が上手いか下手かなんてそんなレベルの話なんですよ」
 あらゆる環境に順応するよう知能指数そのものは上がってるんだろうけどね。日本人だって開国してから急激に体型変わってるし。

 おばちゃんはそれきり話しかけて来なくなった。
 で、私に庇われたと感じたらしい美依子ちゃんが初めて向こうから接触してきた。
 ここからが本題。

「栄子ちゃんて勝生くんのファンって聞いたけど、ほんと?」

 マッジかよオイ。
 ファンっていうか大ファンっていうかオタクっていうかカツキチだよ。
 リアルで勝生くんファンどころかスケオタに出会うこと自体ないからフワってなった。オタじゃなくてもスケート見てる人くらいはいたけどさ、去年の酷い出来にリアルもネットも勝生くんバッシングでホント辛かった。

「今年の勝生くんネットで噂になってるから見てみたらすごくいいなって。いま日本で一番の人なんでしょ?」
「今の日本のレベルが低いことを差し引いても世界レベルで凄い選手だよ」
「ねー。なんか凄くイケメンの人がコーチになって色々あったって」

 …………ん?
 新規ファン大歓迎、と上機嫌に受け応えしてたが、首を傾げた。ちょっと待って、いくらスケートに詳しくなくたって、ヴィクニキの顔と名前くらい知ってるよな、普通な?

「勝生くんのコーチはヴィクトル・ニキフォロフって言って、去年に世界選手権で五連覇果たした宇宙一スケート上手い宇宙人だよ」
「宇宙人なの?」
 少なくとも私はそう思ってるよ。

 私なりに精一杯の社交性を発揮して、今晩食事か呑みでもどう、と誘った。彼氏持ちにこういうのどうかと思ったんだけど、快くオッケー貰った。

 だが落ち着け私。相手は一般人で初心者だ。
 はっきり言って私はかなりディープなオタク。勝生ファンが落ちるトコまで落ちた通称カツキチなんだ。いくら同士を見つけたからといって熱弁したらドン引かれること間違いない。

 が、私にはとっておきの秘策があった。
 何を隠そう高校時代、勝生くんと同級生だったのだ。

[newpage]

 いま思うと実にもったいないことをしたと思うが、勝生くんって普段はホントただの眼鏡くんなんだよ。

 私も当時ピチピチの女子高生。弱小だったがバレー部の主将だった。うん、言いたいことは分かるよ。身長は171センチ。私はでかい。
 バレーに青春かけてた私がスケートに詳しいはずもなく。

 放課後、廊下の先で先生となんか話してる眼鏡くん見て、一緒に歩いてた友達が「勝生くんだ」と弾んだ声を出した。
「知り合い? てかあんな生徒いたっけ」
「遠征とか合宿とかでいないこと多いからねー。フュギアスケートの選手だよ。すっごいんだよ」
「スケート選手? オリンピックとか出んの?」
 当時の私の認識としては、スケート選手が出場するのはオリンピックだけだと思ってた。グランプリシリーズとか世界選手権とか、アイスショーの存在すら知らなかった。

 そんな私のにわか知識を友達はけたけた笑った。
「勝生くんはいまジュニアクラスだよ。でも、いつかはオリンピックにも出ると思う。そのくらい凄い子」
「へー……」
 あの野暮ったい眼鏡くんがねえ、とそのまま彼の存在を忘却の彼方に追いやってしまった。




 半個室の洒落た居酒屋に席とって、私がメニュー見るあいだ美依子はタケノコのお通し食ってた。
「普段の勝生くんって眼鏡なんだ」
「見てみ」
 スマホ弄って演技中の勝生くんとオフショットを同時に見せてやった。美依子の箸が止まる。脳が画像の不一致起こして処理落ちした顔してるよ。
「え、なんか凄い。すっぴんの私とメイクした私くらい違う」
 逆にすげーなそんな変わるのか美依子。所謂ゆるふわ系の可愛い系女子なんだが、あんたのすっぴん見てみたいわ。

「なんかね、高校時代と全く変わってない。これ23歳」
「私より年上!」
 美依子、高卒なんだよな。驚きの19歳。その19歳に毎日がなるおばちゃんはアラファイ。大人気ねえ話よ。
 そういや私と美依子ってヴィクニキと勝生くんくらいの年の差か。私が美依子のコーチやってるようなもんだよなあ。

「普段こんなんだから、まあ忘れちゃってたんだけどさ。でも、二年時に社交ダンスでクラス合同の体育の授業、三年の時に創作ダンスの授業があってさ」
「え、もしかして一緒に踊った?」
「そう、踊ったの。すげくない? 輪になって男女ペアを入れ替えながらフォークダンス。思春期だからさ、教わったばっかのダンスを照れながら手つないでたどたどしく踊るわけさ」

 でも、勝生くん一人だけレベルが違った。
 前述の通り私はバレー部主将の171センチ。時には自分より背の低い男子と当たって気まずくギクシャクしてた。男の子と気軽に話せるタイプでもなかったしねえ。
 早く終われ、早く終われってガチコチになってた時、勝生くんとの番が回ってきた。眼鏡、してなかった。一瞬誰だかわかんなくてさ。

 そんで、近眼だから眼鏡外すとちょっと顰めッ面になるのな。
 身長差はほとんどなかった。でも、するっと私の手を取って腰に手を回して、明らかに周囲と違う優雅な足運びでリードしてくれるわけよ。
 凛とした横顔に思わず惚れかけたわ。

 何だか訳わかんない内にすぐペア入れ替え。
 たぶん、女子全員があの日のこと覚えてる。前後の女子、ペア入れ替わっても二度見してたもん。今のなんだったの!?って顔して。

 で、三年時の創作ダンス。
 大学受験で殆ど授業なくなるから、卒業目前にした記念的な意味合いも含まれてたけど、大抵の奴が文句言ってたな。自分でダンス考えて踊れって公開処刑かよと。

 殆どがダンスってよりナントカ体操みたいな動きで頑張ってた。
 ただ、意外に上手い女子もいて、そういう子は小さい頃からバレエやってたり、ダンス部の子だったりして。
 少なくとも男子は完全に体操だったな。よくて新体操。

 勝生くんな。
 もう脳裏に焼き付いて忘れらんないわ。
 だってそうだろ、小さい頃から日本の文字背負ってて、バレエの先生はブノワ賞とったとかいう人で、部活やっててもインターハイで予選負けばっかしてる奴らしかそこにはいなかった。バレエやってる子だってあくまで「お稽古」の領域なんだよ。

 伸びる手足と翻る掌。曲はなんだっけな、クラシックだったはずだけど。とにかく凄かった、一人だけ発表会じゃなくてステージで踊ってるみたいだった。
 身長は同じくらいだけど、手足長い。体柔らかい。
 一人持ち時間たった一分。罰ゲームみたいな授業にうんざりしてた私ら、唖然と見守ったよ。

 私が勝生くんに興味を持ったのはそれからだ。フォークダンスの時は「あれは一体なんだったんだ……」で終わっちゃったから。
 で、興味を持ったときには既に卒業間近。卒業式の日は勝生くん、海外にいたよ……

 彼がシニアに上がり、グランプリシリーズなるものの存在を知って、動画見て呆然とした。
 私は高校最後の部活、最後まで粘ったけどやっぱり県内ベスト16にも入れなくてさ。全国大会なんか夢のまた夢。全国制覇したチームなんて雲の上の存在だった。
 それなのに、日本一すっとばして世界にいる人が、同じ学校の同じ学年にいた。

「やっぱりその頃から凄かった?」
 目を輝かせて美依子が聞くけど、私は苦笑した。
「凄かったは凄かったけど、あんたは今年から見てるんでしょ。今年のあれ、世界記録更新だよ。勝生くんは緊張しぃでさ。ミスも多くて」
「去年、負けちゃったんだよね。去年負けたのに今年凄かったーってニュースとか」
 負けたってもファイナリストだし。それ言ったらピチットくんも惨敗ってことにならない? 日本のニュースの書き方、ほんとイヤ。
 全日本はぐうの音も出ないほどだったけどね! 転倒ダイジェストご馳走様だったけど。

「そのさあ、彼氏はいつから付き合ってんの? 高校?」
「うん。いま大学生。同じ大学通おうって約束してたんだけど、私は家の事情で進学できなくなっちゃったから……」
 寂しそうにカシオレのグラス両手で持って俯く美依子。そんな事情があったんだね。頭の問題かと思ってごめんよ。そうだよな、家の都合がつけば浪人してたっておかしくない年齢なのに、もう就職してんだもんな。

「中学生くらいの頃から勝生くんのファンなんだって。その前からスケート好きだったみたいだけど。他の選手とか女子スケーターについても詳しいけど、何言ってるのか全然わかんなくて、いつも頷くだけなんだよね。専門用語多いし……」

 カレよ。非スケオタの彼女相手に専門用語がちがちで語る奴があるか。しかもこんなフワフワしたタイプの子に。相手によっては別れ話になるぞ。

「でもよかったじゃん。恋人同士で同じ選手のファンになれて。一緒に応援できるし」
「そうなんだけど………」
 美依子はもじ、と身を小さくした。なんだお前カワイイな。背もちっこいし。いいなあ、ちっこくて可愛い女の子。私もそんなふうに生まれたかった。

「応援はいいんだけど、出来れば栄子ちゃんに色々教わりたい」
「なんで?」
「だって………なんて言ったらいいか、とにかく女の子同士でキャーキャー騒ぎたい!」

 ああー、わかる。わかるわ。
 彼女いる男がアイドルにハマるのと逆バージョン。私ん時は男のほうが理解示してくれなくてさ。なんでアスリートのファンになるのが駄目なのさって聞いても、フィギュアスケートなんてちゃらちゃらなよなよして男の競技じゃないときたもんだ。
 大喧嘩して別れたけど、たぶんあれは嫉妬だったんだろうなあ。

 とりあえず私が編集して焼いた自家製勝生くんDVDを貸す約束して、その日は別れた。

[newpage]

 ところで私は腐っている。
 まさか三次元で同人する日が来るとは思わなかった。しかも同級生。
 ごめん勝生くん。でもヴィクニキと公衆の面前でいちゃつきまくる君が悪い。

 その日は缶ビール片手に腐女子仲間で地方在住の詩子(しいこ)と次の新刊について話してた。
「早くもネタ出尽くした感あるよね」
「どこのジャンルでも見たネタは既出だねえ」
 本物たちが常に我々の先をゆくからな。

「そういやさ、会社で勝生くんのファンと知り合ったよ。すげーちっこくてふわふわしたお人形みたいな子」
「お前と真逆の生き物な」
「なんかすげーんだよ、わたあめみたいなんだよ。近づくといい匂いする」
「おまわりさんこの人です。あれだぞ、そんなピュアっ子に爛れたこと吹き込むんじゃないぞ」
「特に吹き込む気はないけど、ヴィクニキが爛れてるからどうしようもない」
「それな」

 ヴィクニキはマジでどこまでガチなの? 押しかけコーチして素っ裸で抱きついてたけど。ピチットくんどころかレオくんとかグァンホンくんもいたらしいじゃん。

「あ、やべ」
「どうした」
「美依子に化したDVD、フライングキスとか跪いてキスとか、ヴィク勇シーンもダイジェスト編集して焼いてあるわ」
「それあかんやつ」
 でも全世界に流れたじゃん! 私は悪くない!

 と、そこで美依子からラインの通知が入った。
『栄子ちゃん。このこれ、なに?』
「どのどれよ」
『同じ衣装で滑ってる。イケメンのひと』
 エキシか……! 衝撃だよな、いろんな意味で。
 とりあえず美依子にはヴィクニキの動画集も見せないとなあ。そこ分からんと訳分かんないだろう。見ても分かんないかもしれないけど。
 なんで世界王者が「ゆうり可愛いよゆうり」状態になってんのか本人に問いただしてみたい。

『なんかすごい……宝塚みたい』
「げふぉぶ」
「うわ汚っ、マジで鼻水吹いたような声がした!」
 音声通話中の詩子に丸聞こえだった。すまん。実際鼻水出た。
「例のエキシがヅカっぽいって」
「的確すぎるな」
 二人とも男なのにな。ヴィクニキのせいなのかは分からんけど……いや勝生くんのほうがよりヅカっぽさがある。何でだ。衣装のせいか? ヴィクニキ単品のときは全く感じなかったのに。
 美依子のせいでもうヅカにしか見えねーよ!

「ウテナみあるよな」
「誰かがやってたよ、何度か見た」
「いっそ誰かまどまぎやってくんないかな……」
「ヴィクニキのQBみ」
「僕と契約して、五連覇してよ!」
 何一つ間違ってないとこが凄いな、コーチ契約して五連覇。ヴィクニキがいる限り勝生くんに彼女出来ることなさそうだから、魔法使い待ったなし。ただし尻の無事は保証しない。

「勝生くんてさ……尻は無事なのかな」
「GPFのフリーの前日は完全にアレだろ」
「いやでもさ、一日休んでもケツだよ? 一番大事な試合前だよ? ただでさえ負荷の強いクワド跳べるか?」
「アナルおせっくすもちゃんと慣らせば大丈夫……と言いたいところだけど、私はスケーターじゃないから分からん」
 アナルおせっくすはしたことあるんだな。いらん情報をありがとう、知りたくなかったぜ。たぶん愛する受けちゃんの気持ちが知りたいとかいう理由だったんだろうけど、そもそも我々に前立腺ねえからな?

「着氷するたび尻の痛みに耐える勝生くんか……尊いな」
「尊いけど流石にあの神プロの裏で尻の痛みに耐えてたとか考えたくない。プリセツキーが可哀想すぎる」
『わー、すごい。この黒い衣装の、愛について? 素敵』
 穢れた話で盛り上がる私と、エロスを純粋に楽しむ美依子。温度差が激しい。
 美依子もまさか勝生くんが「ヴィクニキを落とす魔性」を演じてあれ滑ってるとは思わないだろう。美しいカツ丼に至っては脳の配線どうなってんだと問い詰めたい。くそ可愛いです。

『なんか、イケメンの人がコーチになった年から急にえっち』
『え、フリーのほうも?』
『フリーのほうも』
「おい詩子。パンピー目線でもヴィクニキがコーチになってからフリーもえっちだってよ」
「ヴィクニキ何を教えに日本きたんだろうな」
「愛のレッスンだろ」
「スケートしろよ」
 スケートはしてたろうけど、それ以外のレッスンがあったであろうところがな……

「GWで地元戻ったんだけどさ」
「は!? 初耳なんだけど」
 言わなかったから。だってその頃、〆切だって泣いてたから。私はそのイベント落ちたからね。

「ストーカーにならん程度に遠巻きに見守ったんだけども、外にいる時は大抵ヴィクニキ自転車乗ってて、勝生くん走ってた」
「あー、ダイエットしてたね。てかニキ自転車乗るんだ……」
 うん、なんかすげーシュールだったよ。氷上の絶対王者が黄色いママチャリ乗って走ってんの。スポーツカー乗り回してるイメージしかなかった。
 あの人は面白そうだと思ったらセグウェイも乗るんだろうけど。

 離そば動画のもちカツキは正月に飾りたいほどだった。

『かーくんがね』
「かーくん?」
『あ、カレのこと。隣で尊い……って言ってる』
 彼氏くん改かーくん、だいぶこっちよりの人間の気がする。でも男性だよな?

『なんか拝んでる』

 どういうことだってばよ……
「美依子ちゃんの彼氏がエキシ見て尊いってつぶやきながら拝んでるらしい」
「彼氏さ、カツキチじゃない? ちょっと美依子ちゃん経由で彼氏にカツキチ知ってる?って聞いてみて」

 カツキチ。それはいくところまでいってしまった変態のための変態の集い。
 我々にとって勝生くんの転倒はご褒美であり、いつまで経っても拙いインタビューは癒やしであり、泣き顔はご本尊である。

 で、聞いてみたところ、
『かーくん、栄子ちゃんもか!って言ってる。えとね、ヴィクニキ? 降臨? の時、おのぼりさんがAVに出演したみたいーって言った人がかーくんだって』
「かーくんに私はハセツ民だと伝えてください」

2018年8月29日水曜日

婿どのは潔癖症 R18

※R18



 小体なステーションのおんぼろ船から降り立った人々は、目の前に広がる黄金郷に歓声を上げた。
 アダムアイル=ヴェルトールきっての保養惑星、志摩である。
 テラが滅びて丁度一万年、合理性の名のもとに排斥された自然を保つのは、志摩を含めても片手の指で足りるほどだ。

 観光客は我先にと、搭乗橋の下に浮かぶ仮想パネルで手続きを済ませる。船の周辺では、パイピングの制服に帽子を目深に被った船員たちが忙しく働き回っていた。
 記章をつけた者たちは乗客の行く手に並び、一人が仮想デバイスの拡声器に向けてこんな口上を述べる。
『この度はピギーバッグペイロード船シマ・ハシリガネにご乗船頂き有難うございました。ヤマト神道の惑星、志摩での観光をお楽しみください。宇宙での長旅お疲れ様でした』
「ありがとう、志摩宙軍のおにいちゃんたち!」
 乗客の子供らが小さな腕を千切れんばかりに手を振った。記章つきの二人の青年が、それらへ笑顔で手を振り返す。

 このツギハギだらけの冗談みたいな古い宇宙船は、嘘のような話だが志摩宙軍の旗艦である。
 ピギーバッグペイロード船でありながら旗艦、旗艦でありながら貨物を載せて格安ツアーも行い、しかもその船員は全て志摩宙軍の兵隊というのだから変わっている。
 志摩はヤマト星系の古い伝統を守る惑星であり、滅びたテラさながらの風景を保つ、有数の人工惑星で、観光客も絶えない。従って志摩と中皇星をつなぐシーレーンは海賊の温床となりやすい。
 普通は哨戒船や護衛艦を出すものだが、志摩宙軍は観光客を乗せて守る方針をとった。特産果物のパッケージや高級ライスブランド『シマオトメ』の輸送で外貨は稼げるし、治安も維持できるし、観光客を増やせる。
 おまけに海賊相手の実戦経験まで積めるので惑星宙軍にとってはこの上なく美味しい商売なのだ。

 宙軍に手を振った子供たちは、今は透過材質の壁の向こうに広がる稲穂と朱塗りの建物に齧りついている。今まで見たことのない光景なのだろう。
「本当によくして頂いてありがとうございました。子供たちの遊び相手にもなって頂いて……」
「いやいや、うちも子供が多いので」
 記章の青年が桃花紋の制帽を押し上げるときに見える、目尻にさした朱色の化粧が色っぽい。
 青年がその目を、荷物を抱えて走り回る船員らに流すと、ぴょっと驚いた者たちが小動物のように飛び上がり、帽子から目元が覗く。彼らにも、青年と同じく朱色のアイラインがあった。

 観光客の母親は、そんな小さな船員たちを不安そうに見つめた。
「ずいぶん幼いように見えるのですけど―――うちの子と同じくらいか、少し年上程度に。あの子らも兵隊なのですか。それとも見習い?」
「見習いであり、現役でもあります。全体で言えば少数なのですが、フォローしやすいのと訓練になるのでよくハシリガネに乗せるんですよ。あれらは、志摩の当主が実験施設から引き取った子供なので」
「実験施設?」
 目を丸くしたアヴァロン星系からやってきた金髪の女性に、青年は苦笑した。
「決して珍しい話ではありません。ウィッカーが生まれやすい星系には……」
「志摩はヤマトで唯一のウィッカー誕生地ですものね」
「何にせよ、今はこうして我ら宙軍が目を光らせておりますし、シヴァロマ皇子が皇軍警察におわす以上、悪人どもも悪さは出来ますまい」
「ほんと」
 思わず女性が吹き出す。
 アダムアイル皇族のシヴァロマは皇軍警察を任されるニヴルヘイムに外戚を持つ皇子だ。その神話に出てくるかのような冴え冴えした美貌はアダムアイルにおいて珍しくもないが、冷血、冷徹、冷淡に偏執的な絶対正義と重度の潔癖症で三三七拍子揃った断罪の使徒である。
 あの皇子が皇軍警察でとぐろを巻くようになってから、宇宙での犯罪率は異様に低下した。執念も凄いが手腕も凄い、シヴァロマ皇子は皇位争いよりも犯罪撲滅で忙しいと専らの噂だ。

「ところで、将校さんはシマ姓の……?」
「志摩にはシマ姓の人間はごまんといますよ。自分はタカラ・シマ」
「自分はクラミツ・シマでござい」
 隣で黙っていた、もうひとりの記章の青年が名乗る。この青年、伝説のヨシツネかアマクサの再来かというほど繊細なヤマト系の美青年なのだが、声が……伝説の傭兵だった。低い。見た目の繊細さと裏腹に、あまりに声が渋すぎる。
 船内放送で聞こえる声と当人の落差に初見の乗客が二度見するのは日常茶飯事だ。

 と、少年兵の一人が「若様!」と叫んだ。
「若様ー、当主さまがお呼びです」
「はいあぃ」
 呼ばれて二人のシマのうち、タカラ・シマのほうが帽子の鍔を下げて去った。
 それを見送る、観光客女性とクラミツ・シマ。
「……若様?」
「へぇ」
「軍の一番偉い人かと……」
「あれは軍主ですから、一番偉い人で間違いないですよ。指揮官は自分ですが」
「志摩で若さまって、あのかたヤマトの王子様ですよね!? ヤマト文化財の!!」
 ヤマト王族にはヤマト星だとか、ヤマト家というのはない。ヤマト星系にある出雲、讃岐、薩摩、志摩の四家がヤマト王族に該当する。
「ヤマトの王子は珍しくないですよ。自分も王子なので」
「そ……そうなんですか、あなたも」
「ま、俺は末席の華族ですがね。あれは確かに次の志摩当主です」
「身分の高い方でしたわよね!?」
「はい、あぃ」
 女性の驚愕と恐怖と興奮も、クラミツにも分からなくはない。
 いくら王族が意外と多いとは言えど、総人口と比較すれば、少ないと言える。というかあれは志摩の跡取り息子だ。惑星まるまる一つ所有する家の、ヤマト王族だ。木っ端華族の次男坊クラミツとは違い、それこそ次期ヤマト王でもおかしくはない。
 それが志摩宙軍と一緒になって貨物を運び、観光客の面倒を見て、時には海賊退治に飛び出し、少年兵や観光客の子供と嬉しそうに遊びまわっていたのだ。

「いや、まあ、うちの当主一家は、全員、ああいう感じなので……」

 これで驚いていては身が持たない。
 そう告げると、女性は子供たちが熱心に見つめる黄金郷へ、何とも言えない眼差しを向けた。





 志摩のステーションから目抜き通りを抜けると、すぐ志摩の邸に着く。
 巨大な朱塗りの木造建築は体の良い観光スポットとなっており、もちろん当主一家の住まいなので一般公開はしていないが……周囲には仮想デバイスで記録を撮る客がたむろしていた。
「あぃ、ごめんなさいよ。はい、あぃ」
 正門で邸を仰ぐコンロン人の脇を抜け、鳥居の並ぶ石段を登る。

 テラが滅びて一万年、一時は欧州文化に押されて消えかかったヤマト文化を頑なに守ってきたが、これらの様式が意味するところは失われている。コンロンの文化にも似ているが、双方ルーツは定かでない。
 テラが滅びる際、人々は方舟のごとく適当に宇宙船に詰め込まれ、文献の類はデジタルデータに至るまでほぼ失われてしまった。あの鳥居も原型とはかけ離れたシルエットなのだろう。
 木造五重の邸にしても、畳なる独特のカーペットは茶室にのみ使用されている。い草の原料である稲作の盛んな志摩だが、畳床の技術自体は衰退し、職人は絶滅危惧種。現代では殆どの物品を3Dプリンターで生成するため、プリンターの材料費を考えれば畳のように複雑な構造で、しかもたかだか十年程度で張替えが必要な消耗品を趣のためだけに採用出来ない。
 従って邸内は鏡面仕上げの木床であり、内装も『ヤマト風』であって本物のヤマト文化とは違う。どれほど伝統を守っても、環境の変化には適わない。観光客の子供たちが、観葉植物しか見たことがないのと同じように。

 この志摩神宮は志摩当主家の住居であり、同時に中央行政機関でもあった。そのための官僚が二層、三層で働いており、その世話をする使用人も行き来している。
 彼らがタカラに軽い会釈はしても泣きついて来ないということは、当主の呼び出しも大した理由ではないらしい―――あの親父が何かしでかすと、大抵『法に抵触するか』もしくは『全く法にないこと』の二択しかない。

 四層から降りてきた老爺が垂れた白い眉を上げ、深く会釈した。
「おかえりなさいませ、若」
「おぉ……」
「あにさまぁ」
 爺やの背後から降りてきた朱袴に桃花柄の着物を羽織った少女が、無邪気に段上から腕を広げて飛んだ。
「ひぃ」
 十五歳になる娘が二、三メートル先からアイキャンダイブ。いくら宙軍で兵たちと共に鍛えたタカラ・シマでも、思わず悲鳴を上げる。何とか少女を受け止め、膝で衝撃を吸収し腰をひねって少女を軟着陸させた。
「な、な、な……ななせ」
「おかえりなさいまし、あにさま。父様が呼んでいましたよ。三日くらい前から」
 あの飽き性の当主が三日もタカラを捜していたとは、明日は隕石でも降るのだろうか。
「で、親父どのは何処に?」
「天守でお酒を呑んでいましたよ。父様ったら、ぜんぜん働かないんだから」
 桃のごとき可憐な頬をぷすっと膨らませるナナセハナ。しかし、仕事をしないというよりは、仕事させてもらえないのほうが正しいような。
「何の用かは聞いたか?」
「いいえ。でもあにさまの緊急ポートに連絡しなかったのでしょう? ならきっと一大事ではないです」
 そうであると、良いのだが。
 ともかく、タカラ・シマは妹と共に五層まで上がった。
 そこには確かに昼間から働きもせず、酒をのみのみ天守から城下を見下ろす駄目当主がいる。溜息ついて、その背に迫った。
「おい、帰ったぞ親父どの」
「んぉ」
 情けない声を上げ、当主は酩酊した赤ら顔をのけぞらせた。相手が息子と知るや、志摩当主カサヌイ・シマは髷を揺らして立ち上がる。
「捜してたんだぞ、タカラ! テメー、また軍服なんぞ来やがって、どこを遊び歩いてやがった」
「………」
 酒臭い息を間近から噴射され、タカラはうっそり微笑んだ。
「おめえ様がこしらえた借金の為に外貨稼いできたんですが何か問題でもございましたか親父どの」
「あっは、俺は孝行息子を持ったなぁ」
 まるで自分の手柄のように言うカサヌイにタカラは舌打ちした。

 この親父ときたら、まったく碌でもない当主なのだ。

 タカラとナナセハナは、幼少期の殆どを宇宙船ハシリガネで育っている。
 カサヌイは子供たちに広い宇宙を見せたいと言って、商いをしながらヴェルトール中を旅して回った。
 流石に志摩神道の修練はカサヌイ直伝だったものの|(流石にこれを怠っては志摩当主である存在意義が皆無)、タカラは自分たちをよくある宇宙キャラバンの一家だと本気で信じていた。
 カサヌイも偶には我が子を連れて志摩の邸へ帰ったが、志摩邸宅は説明されねば豪華な温泉旅館にしか見えない。使用人たちが至れりつくせり世話を焼いてくれるし、一般にも解放している巨大な露天風呂がある。公衆浴場みたいな場所を、自宅の風呂とは考えないだろう。ふつう。
 当主がそのように放蕩していても誰も困ることはなかった。むしろ志摩住民にとって、この父親はいないほうが有難い存在。いれば大問題を引き起こす。その問題は、長い目で見れば志摩に利益をもたらすのだが、親父殿は思いつきでことを起こすので、計画性はなく予算を考えない。

 カサヌイ・シマはせがれが十歳になるころ、急に志摩へ降り立ち、
「俺が思うに、外に物資を頼るのが悪いと思うんだよな。人間、飯と酒とエネルギーがあれば生きてける、自給自足で行こうぜ。せっかく景観のために人工太陽あるんだからさあ」
 などとのたまった。

 こんな男でも志摩当主。彼の一言で観光と祭事だけが収入源だった志摩は、突如としてエコなロハス志向に転向した。
 食料や物資、エネルギーの殆どを外部や工業惑星に頼っていたというのに、第一次産業革命勃発、農民優遇、害虫爆誕、エネルギー問題などが次々と引き起こされた。
 その上いかにも父親面で、
「俺の息子もそろそろ大きくなったし、一人前として扱ってやりたい。志摩宙軍をタカラに任せる」
 当主不在でガタガタになっていた宙軍を、幼い息子に丸投げする。
(この親父は商人の分際で何とち狂ったことを偉そうに言ってんだ?)
 キピガイを見る目で父親を睨んだのを覚えている。
 トンデモ当主に泣かされていた人々は面構えのよいタカラに感激し、あれよあれよという間に着飾らせた。
 その間、ナナセハナは巫女たちに囲まれてお菓子をふるまわれ、ほんわかふんわか状態。

 慣れない金雀友禅の着物に『着られて』ポカンとする若干齢十歳のタカラ・シマ。そこへ入れ替わり立ち代り官僚や軍人が現れ、
「どうすればいいんですか。どうしたらいいんですか」
 恥も外聞もなく、泣きつく。
 一度は民主制の道を選んだ人類が、再び世襲制に戻ったのは何も懐古主義のためでなく、自治権を確立させるためだった。官僚たちの権限はたかが知れている。ルールブックにない問題の解決には身分ある人間に采配を振るって貰う他ないのだ。
 いくら志摩の危機でも、彼らが越権行為で出しゃばれば、自治能力なしと見做され、志摩は他王家や他皇族に蹂躙される。
 タカラは面食らったまま「見識者と専門家を連れて来てください」と学者や有能官僚を一つところに集めた。

 それからが大変だった。まずこのままではエネルギー不足で志摩は枯渇する。志摩所有小惑星に集光炉やらバイオマスプラントやらを建て、エネルギー変換出来そうなものは死体でも使った。そのエネルギーをマイクロ波に変換して志摩へ送る手はずを整える。
 人手不足の農地には、鈍った志摩宙軍を放り込んだ。訓練と称して。今でも収穫期には手伝わせている。
 やる気のない警察を解体して宙軍に吸収、宙軍と銘打ってはいるが殆ど陸空海宙自衛警察だ。そのほうが人員整理するうえで扱いやすかった。
 ここまでの計画で借金の利息が利益率を凌駕。それをタカラはライスブランドカンパニー、製紙、地酒輸出、観光ツアー強化、ついでに海賊から略奪した物品と海賊船の解体で何とか巻き返す。
 宙軍は人づかいの荒い志摩嫡男のもと、海賊退治と農業と警備で無駄に逞しくムキムキと育った。
「人間は飯と共通の敵があって考えるひまがなければ文句も言わずに働く」
 タカラの持論である。この場合の敵とはカサヌイ・シマだ。

 こうしてロハス地獄に陥った志摩も、ようやく落ち着いて利益を出すようになったのだが、追い打ちをかけるようにカサヌイは再び大問題を起こす。
 カサヌイはヤマト星系の子供を攫うウィッカー実験施設をハシリガネ一隻で壊滅させ、そこまでは良いが、収容されていた子供二千余名を志摩へ連れ帰ってきた。
「助けてきたんで、あとよろしくな」
 と、息子に押し付けて。
 これが先述の『法にないこと』の最たる例である。二千人もの素性不明の幼い子供。親元に返すにしても、どう調べれば良いのか。彼らの衣食住の世話は何処で、誰がするのか。
 保護したのは糞当主だが、あくまで志摩。自治権がある以上、皇軍警察に押し付ける訳にはゆかない。それは皇族に介入の糸口を自ら差し出すようなものだ。
 さりとて十歳以下の小さな子供たちを宇宙に放り出す訳にはいかない。暗く孤独な宇宙に子供を放り出すくらいなら処刑してやったほうがなんぼかマシだ。もちろん、統治惑星でそんな非人道な真似は出来ない。
「どうしましょう、若さま」
 半泣きの官僚を宥め、親探しをヤマト王家がそれぞれ所有する軍警察の行方不明者捜索課に依頼し、実親と里親を求め、残った孤児半数を宙軍で引き取っている。

 こうして数々の試練を乗り越えたタカラ・シマは当主以上に当主らしい跡取りへと成長した。人々が「若」と呼んで親しんでくれるのも、このあたりの経緯あってこそ。
 タカラが志摩に尽くすのは、こうして慕ってくれる人々のためであり、世情に抗って古い伝統を守る美しい志摩のためだ。
 決して父親の尻拭いのために日夜海賊の身ぐるみを下着までひっぺがしている訳ではない。断じて、違う。

 本題に戻る。
「で、何用だ。親父どの」
 どうせまた、死ぬほど碌でもない話に違いない。もし、またあの地獄が再来するような問題なら、ここで突き落として自分も死ぬ。後はナナセハナが優秀な婿をとって、いっそクラミツとでも結婚してくれれば良い。
 そんな息子の殺意を知って知らずか。
 カサヌイは酒に濁った目でじろじろと息子を値踏みし、脂っぽい顎に手を当てた。
「母親に似てきたな、タカラ。美しいぞ。クラミツほどじゃあねえが」
「クラミツほど美形でたまるか」
 気色の悪いことを言う。
 タカラはあの声の低い親友がどれほど顔で苦労してきたか、いやというほど知っている。そしてタカラ程度の顔でも、それなりの不快な思いはした。精悍になったと言われるならまだしも、美しいと賞賛されても、嬉しくはない。
 王族などはアダムアイルの皇帝へ嫁を献上するために存在するようなものだから、民族の特徴がよく出た純血の美女を次々娶る。その煽りで男児の容姿もカマくさくなりがちだ。カサヌイのようにむさ苦しいマスラオはあまり見ない。
「ニュース見てねえのか。じきに皇子様方の婿入り先を決めるイベントがあるんだよ」
「そうだっけか?」
「そうだよ。跡継ぎならニュースくらい見ておけ」
「……」
 宇宙では子供たちと海賊と戯れるのに夢中で、すっかり忘れていた。重要な速報があれば、クラミツ以下部下たちが話題にするから、さほど気にかけなかった。部下がアダムアイルの同性婚に興味を持つはずもない。
 しかし、言われてみれば皇子たちの年齢から考えてそんな時期だった。

 皇軍警察で有名なシヴァロマ皇子をはじめとするアダムアイルの皇族は、エイリアンと折衝する為に存在する人類の象徴だ。人類代表の一族であり、優れた遺伝子バンクであるため、その血は厳密に管理されている。
 皇帝は王族から妃を娶るが、皇子皇女は子孫を遺せない。皇族は皇族の他に存在しない。ゆえに、兄弟が即位した後の『居場所』として、同性の王族の元に嫁入り・婿入りするのだ。
 王族にとってこの政略結婚は、彼ら人間ダビスタの結晶たる皇族を迎える自体もさることながら、その皇子の生家とも外戚関係を結べる美味しいイベント。
 適齢期の娘息子がいるなら、逃す手はない。
 同性婚のため子孫は残せぬが、そこは兄弟が継ぐなり兄弟の子が継ぐなり、養子を迎えるなりすればいい。志摩はタカラが継ぐことになっており、しかも妹のナナセハナがいる。条件は満たしていた。

「あの、あの。私がクラライア皇女殿下と結婚しても良いのではありませんか?」
 話を聞いていたナナセハナ、やけに熱っぽく口を挟むが、タカラは手を振って否定した。
「むり。俺の友達がクラライア殿下の恋人だ」
「はぁー? てめー、どこの姫君と友達だって?」
「オリエントのヴィーヴィー王女だよ。前にお忍びで志摩へ観光に来てたんだ。ウィッカー同士、話が弾んでさ。今でも惚気話をメールしてくる。結婚するって言ってたから、皇女は諦めろ」
「わたし、憧れていましたのに」
 本気で残念そうだが、タカラとしてはあのメガゴリラみたいな皇女が義妹になるのは辛い。アダムアイルの皇族は優れた遺伝子を掛けあわせ掛けあわせ残った人間ダビスタの結晶なので、美しいだけでなく体格がいい。加えてクラライア皇女は一癖も二癖もある弟らの頭を押さえて君臨する恐怖の陸軍元帥。あの皇女が嫁に来ては、志摩が征服されかねない。

「……いいよ」
 とタカラは言った。
「婿貰って来い、と言いたいんだろ。いいよ」
「おお! もっと抵抗するかと思ったぜ」
「気構えはなかったけど、そういう慣習があると知識で知ってたからな」
 男と結婚してでも人材がほしい。
 というのがタカラの本音である。残った皇子はどれも超人、迎え入れれば即戦力。クラライア皇女が義妹になるのは辛いが、クラライア皇女と結婚しろと言われれば躊躇なく出来る。イエス政略結婚。
「それに、男とも女とも経験はある。いまさら抵抗なんざねえさ」
「だ、男性とも?」
 純粋培養、親父にも兄にも志摩の人々にも溺愛されるナナセハナが飛び上がった。
「ふけつですわ!」
「不潔かなあ」
「ふけつですわーっ」
 クラライア皇女と結婚したがっていたくせをして、ナナセハナは真っ赤になって走り去った。何をどう想像しているのか、年頃の娘は恐ろしい。お兄ちゃん知ってるんだぞ、男同士がキスしてる薄い本持ってるの。

「………」
 酔った親父がのたくた立ち上がり、息子の頭をはたいた。
「いって」
「男とヤったことがあるって、おめぇ、ガキん時のアレだろ」
「………」
「あれは違うだろ。おめぇは平気かもしれないが、ナナセに余計なこと言うな。あんなのを経験のうちに入れんじゃねえよ」
 たまにこの親父はちゃんと親父をするので腹立たしい。
 タカラは肩を竦め、
「アジャラあにさまなら、ノリで結婚してくれる気がするんだよな」
 アジャラは薩摩の姫君を母に持つ、ヤマトの血を引く皇子だ。気さくな方で、ヤマトの例祭で何度かお会いしている。
「お前、アジャラ様に可愛がられてたからなあ。よし、せいぜい気を引いてお情けで結婚してもらえ」
 制帽を被るために短く揃えた髪をぐしゃぐしゃ撫でられる。

 実を言えば、タカラの本命はシヴァロマ皇子なのだが。
 しかしニヴルヘイムの皇子がヤマト辺境の志摩へ婿に来てくださるとは思えない。ただでさえ、屈指の美女が揃うニヴルの出身だ。目は液だれするほど肥えているに違いない。扁平顔のヤマト人は大和撫子というブランドに頼る他なく、それも王子では意味もない。ヤマト王族はあまり婿をとれない傾向にあった。
(それでも、一目……)
 と思う。
 シヴァロマ皇子にお会いしたい。
 会って、十年前の礼を言いたい。

 十年前、シヴァロマ皇子は、タカラの命を救ってくれた。
 潔癖症で有名なあの皇子が、躊躇なく抱き上げて救助してくれたことを、一時も忘れたことはない。





 タカラは八歳のみぎりに誘拐された。
 自分が志摩の王子とも知らず、ウィッカーが希少人種とも知らなかった。ナナセハナも価値あるが、女性ウィッカーは十ヶ月に一度しか子を成せないため、男児のほうが誘拐対象として手頃らしい。第一、ナナセハナは見知らぬ惑星で父親から離れるような子供でなかった。
 冒険心自立心好奇心そろって旺盛でやんちゃ盛りのタカラ・シマは、父親が商談している最中、よく惑星探検に繰り出していた。
 カサヌイの管理能力のお粗末さもある。ふつうの親はヤマト文化財に指定されている息子を放任しない。

 そんなこんなで海賊に誘拐され、どこともしれぬ惑星に監禁され、穢らわしい目に遭った。ウィッカーはDNA抽出では誕生しない。なぜか、通常の性交で繁殖した例でしか現れないのだ。そのため、海賊の目的はタカラの精子だった。ウィッカー遺伝子を欲しがる金持ちは星の数ほどおり、タカラから絞りとれば絞りとるほど金になるぼろい商売……のはずだった。
 しかしタカラはまだ当時八歳。精通もしておらず、業を煮やした海賊たちは「犯せばそのうち出るはず」と言って、いや、おそらくは単純に憂さ晴らしだったのだろう。幼いタカラを嬲り者にした。
 二日目までは怖かった。
 何をされるのか分からぬし、海賊など乱暴なものだから純粋に痛い。高価な商品なので傷がつけば逐一医療用チャンバーで治療を受けたが、そのたびに処女同然になるのでそれはそれで辛かった。
 三日目になると麻痺してきたのか腹が立ってきた。このタカラ・シマ、ちょっとやそっと強姦されたくらいでヘコタレない。
 今日も今日とて幼い子供を慰み者に乱交パーティーを開く陽気な海賊どもの反り立ったブツに怒り狂い、海賊らの股間を噛みちぎって回った。
 そう、一人に飽きたらず、次々に襲いかかって噛みちぎったのだ。我ながら呆れるほど強顎である。

 そこへ突入してきたのが、シヴァロマ率いる皇軍警察だった。
 当時十五歳、紅顔の美少年であらせられたシヴァロマ皇子は、身の丈ほどもあるデンドロビウムみたいな物凄い携行砲を片手で担ぎ、ガンガン誘拐犯どもを撃ち殺しながら、その銃身で壁を貫き巨大なトランスアニマルを骨ごと貫き、タカラが囚えられていた300mmハルコンの扉を鉄球重機の如き膝でぶち抜いて、特殊鋼鉄で作られた手枷足枷を素手で引きちぎって救出してくれた。
 確かあの手枷はアダムアイルの皇族でも破れない……という触れ込みの違法製品だと海賊が自慢していたが、アダムアイルにそんなものは通用しないという実例をシヴァロマが証明した。

 こんな怪物みたいな人間が、宇宙に存在するんだ!

 タカラは感動した。もう無体を働かれたことも肉団子になった海賊のことも頭から吹っ飛んでいた。
 シヴァロマ皇子は血と白濁物に塗れたタカラに目を留めると、自身の将校コートを脱いで包み、何の躊躇もなく抱き上げて監禁先を後にした。
 冷血皇子などと呼ばれているが、シヴァロマの腕の中は温かった。
 そんなこんなで今度の婿争奪戦ではシヴァロマ目当てのタカラだが、まあ、相手にしては貰えなかろう。何しろ、各国からそれ用に調教もとい育成された王子が集う。がさつなタカラの敵うところではない。シヴァロマとは言葉さえ交わしたことがないのだ。彼にとってはタカラとの出会いなど、仕事の一環程度だろう。

「しかし、何で俺まで行かにゃならんのだ」
 不満そうな友人の肩を、生暖かく微笑むタカラ・シマが叩く。
「その皇子さまに見初められる為に神から授かったとしか思えない、無駄に洗練された美貌を今使わずにいつ使う、クラミツ・シマ」
「俺は家や志摩のために男と結婚する気はない!」
「俺だってべつに男と結婚したい訳じゃない。ただ、志摩のためには自分の人生も友の人生も犠牲にできる」
「お前なんか友達じゃねえ!」
 などと供述しているが、いざ見初められれば黙って婿を迎え入れるだろう、この男のことだ。クラミツの両親も手放しで歓迎するはずである。
 それに「いかようにもお使いに」とあの両親が言ったのだ。

 志摩ロハス事件で志摩宙軍を任された折、タカラは志摩の華族に助力を願ったのだが、彼らはこの期に当主一家を無力化して完全な傀儡にし、ゆくゆくは当主の座を奪おうと目論んでいた。
 とはいえ、流石に頼ってきた当主の息子を手ぶらで返す訳にはゆかず、ちょうど同じ年頃なので遊び相手にでもしてください、と差し出されたのが次男のクラミツだった。
 華族育ちで世間知らずのくせに欲だけは深い実家にうんざりしていたクラミツは、同年代の少年ながら孤軍奮闘するタカラに同情を寄せ、また実家を見返すために力を尽くしてきた。タカラにとっては最も信頼できる側近であり、何でも話せる親友であり、かけがえのない存在だ。
 しかし、そんな友人も志摩のためなら叩き売る。

「それに、お前受けの薄い本がけっこう出回ってるし、いけるいける」
「俺ウケ? ってのはなんだ?」
「実在する男同士の恋愛を妄想のままにコミカライズした民間出版誌だ。専用マーケットもある。志摩で人気があるのはタカラ×クラミツ、海賊や触手エイリアン×俺やお前の輪姦ものってトコだな」
「そんな不道徳なモン許容してやがるのか!」
「彼女たちは電子データではなく、実本を好む。製紙会社『たから千代』の和紙をよく使ってくれるんだよな」
 妹はまだ十五歳のため、なまぐさいエロ本は購入していないが、妹が好むというのでタカラは密かにこの未知の文化を調べた。ナナセハナはクラミツ×タカラがお好みのようだが、王道は逆CP、カサヌイ×タカラはマイナーといったところだ。
 ちなみにこの文化を知ってから、タカラはこっそりデオルカン×シヴァロマのニヴル皇子双子本を購入してみたのだが、シヴァロマ皇子が脆弱な肉体のなよなよ男として描かれており、すぐに捨てた。あんなのはシヴァロマ皇子ではない。シヴァロマはもっとこう……宇宙に住む巨大鮫のような御方だ。

「これからの時代、モノカルチャーじゃ生きていけない。需要拡大上等。彼女たちにはバンバン薄い本を制作してもらって、たから千代の名を宇宙に轟かせてほしい」
「だからって……俺とお前がアレとか……俺がお前に抱かれてるとか…………」
「ふふふ」
 苦悩する親友が微笑ましく、タカラは笑った。
 確かにCPとしてはタカラ×クラミツが多いのだが、全体的な人気はやはりヤマト文化財志摩王子のタカラが圧倒的に強く、タカラはクラミツや親父だけでなく様々な男に彼女らの頭の中で犯されまくっている。
 おそらくは幼少期に海賊に性的暴行を受けたことが、エロティックな妄想をかきたてるのだろう。実際は海賊の股間を噛みちぎって回った猟奇な結末であろうとも。
 クラミツは宇宙規模で言えば知名度が低く、志摩腐乙女には好まれるが、外星系でもタカラはよく題材に使われた。腐界のビッチといえばこのタカラ・シマだ。クラミツの苦悩などちっぽけなものである。

 クラミツは恨みがましく主君を睨む。
「しかも、宙軍のチビたちまで見た目のいい奴ばかり選んで連れてきやがって」
「皇子さまのうちにショタコンがいるかもしれない。見初められたらその子を養子にして皇子を志摩に迎える」
「最っ低だなテメーは」
「これが政治というものだ、クラミツくん」
 汚れっちまったが、特に悲しみはない。

 宙軍指揮官の会話を聞いていた宙軍のチビこと、忍部隊のコノイトがじっと二人を見つめていた。
 まだ帽子に被られているような小さな頭を撫で、タカラは破顔した。
「皇子さまに気に入られたら、もう兵隊なんかしなくていいんだぞ」
「皇子さまに気に入られたら、若の子供になれるので?」
 帽子と詰め襟からくりくりした目が覗く。
「んん……たぶん、養子にするなら親父の子供、俺の兄弟ってことになるのかな」
「若の子供がいいです」
「若さまの子になれんの?」
 乗客もいない暇な航海の最中、小さいのがわらわら集ってきた。

「若様の子になりたい」「いいなー」「誰がなるって?」「わかんない」

 我も我もタカラの子になりたいと主張する子らが可愛らしく、顔の緩みが戻らない。
 少年兵は五年前に保護され、やっと10歳から12歳になったばかり。残ったのはもともと身寄りのない子らで、タカラを親のように慕ってくれている。
 因みに助けてはくれたが、その後なにもしてくれない当主については、
「べつに皆うちの子にしてもいいが、俺の子になりたいなら、俺かナナセハナに第一子が産まれた後だぞ。跡目問題でややこしくなるからな。その頃にはお前たちも大人になってるだろう。親父どのの子なら、今すぐにでもなれる」
「やだー」
「当主さま酒くさい」
「加齢臭する」
 このように人気がない。

「がんばって皇子さまを落とすので」
 ふす、と鼻息荒く手を挙げるコノイトに、宙軍正規兵が笑う。
「本当に頑張るべきは若でしょう」
「頑張って皇子を悩殺してください」
「我ら志摩一同、若には期待しております」
「おお! 期待していろ。秘策がある。ナナセハナの美容機材で全身つるっつるだしな!!」
「全身脱毛機って、よくそんな高価なモン持ってんな、姫は」
 呆れたようにクラミツ。何ということはない、今年の誕生日にタカラが奮発して贈ったのだ、そろそろ年頃ゆえ、身ぎれいにしたいだろうと。まさか早速自分が使う羽目になるとは思わなかったが。
「気合入れすぎて股までハゲ山にしちまったんだがな」
「それは逆効果では……」

 ワキ毛はまだしも、すっかり成人したタカラ・シマがパイパンというのは、どうなのだろうか。それも、使用したのは最先端の美容機材だそうで、短くて年単位、最高で永遠に生えてこない。
 現代の技術ではある程度、老いもコントロールできるため、外見年齢は生涯変わらぬまま過ごせるとはいえ、爺さんになってもツルツルパイパン当主。
 これで皇子に見初められねば、彼は嫁をとるのだが……

 宙軍一同、敬愛する若の行く末に一抹の不安を覚えた。


***


 中央皇星は文字通り人類の心臓とも言える重要な行政惑星だ。此処にあるのは宇宙ステーションと一般用ホテル、宿泊施設としての宮殿、アダムアイルに仕える使用人の住む邸、各軍事施設、そして皇帝陛下のおわす帝宮と、それを囲うように建つ各星系の城の他は存在しない。せいぜい、それらを維持するための上下水道施設やエネルギー貯蓄システムくらいのものだ。
 一般人が此処に訪問するのは、皇星を経由して他の星系に行く場合。高価なワープ装置の問題で皇星を中心に展開されているためで、一般人はステーションとその周囲のホテル区画から外へは、決して出られない。テロ対策で天井までぶ厚い装甲で覆ってあり、宮殿をその目にすることさえ適わないのだ。

 志摩王族であるタカラさえ、この先までは見たこともない。いつもこのステーションで商いをし、観光客を拾って志摩へ帰るだけだ。
 フロートライナーから降りた少年兵たちは、志摩にあてがわれた客用宮殿に歓声を上げた。まるで修学旅行の様相である。
「他の王子さまもここに泊まるので?」
「いや、俺に用意された宮だ。他の王子もそれぞれ別の宮にいるよ」
「ほぇ……」
 志摩にも賓客用の離宮はあるが、招待客すべてに宮殿が用意されているとはスケールの大きな話だ。コノイトは豪華なゴシック調の宮殿に目を白黒させている。
「クラミツの招待状も確保出来れば、もうひとつ宮が用意されたんだろうけどなぁ」
「俺ごときの身分で来るか、そんな招待状。俺個人に宮が用意されるなんてぞっとする世界だ。俺には、むり」
「ちびどもー、探検に行くぞ」
 頑なに婿とりを拒絶するクラミツを放置して、タカラは少年兵を点呼する。この宮に配置された使用人たちは奇怪なものでも見るかのようにタカラを見送った。

「すげー、トランスアニマルの口から水が出てる」
 エントランスの噴水に感心するチビにタカラは苦笑する。
「トランスアニマルじゃねえよ。これは獅子という、テラに生息していた生き物だ」
「遺伝子操作されてないの」
「されてない。ネコ科で、大の大人が四つん這いになったくらいの大きさがある。金色のたてがみを持ち、肉食で、強い。百獣の王と呼ばれるほどの風格を持つ」
「すっげー!」
「はは……近いうち、アヴァロンの動物園に連れてって本物を見せてやる。今回連れてこれなかった奴らも一緒にな」
「やったあ!」
「ほーい、騒がない。次いくぞー」
「若、待って。デバイスに記録して、居残りのやつらにメールする」
「暫く滞在すっから、いつでも撮れる。いいから、おいで」
「…………」
 使用人たちが無言でクラミツを見つめている。あれ本当にヤマト文化財の王子ですか? アンタが本物のタカラ・シマじゃないんですか? という目だ。
(あんなんで驚いてたら、パーティー当日ひっくり返るだろうな……)
 タカラの「秘策」を知るクラミツは、笑うしかない。

 と、庭のほうへ行きかけていたタカラとチビ軍団を、執事が呼び止めた。
「おくつろぎのところ申し訳ございません。お客様がお見えです」
「客? 誰か知り合い参加するっけ」
 タカラが首を傾げると、執事が客の名を告げる前に「我ね!」という甲高い声が響く。

「タカラ! 久しぶりよ!」
 独特の訛りで叫ぶ高慢そうな少年が、招かれる前に付き人をぞろぞろ連れて宮へ押し入った。コンロン風のヒラヒラビラビラした華美な衣装を纏い、長い髪を頭の上でハート型に結っている。
 タカラは笑顔で子供らを振り返り、
「あれは飛仙髻って言う髪型なんだぞ。珍しいだろ」
「へー」
「子供に珍獣紹介するのと同じ口調で解説するのはやめるね!」
「ひさしぶりー、なんだっけお前、こ……こちゅじゃん?」
「コウ・玉林(ユーリン)ね!!」
 そう、コンロン星系は玉林の王子、コウ・ユーリンだ。昔から女みたいな顔と派手な着物だと思っていたが、なるほど婿とりの為に育てられた息子らしい。気付かなかった。

 コウ・ユーリンは毛が生えた扇子をタカラに突きつけ、
「タカラ! お前にだけは負けな…い……ょ……」
 宣戦布告の言葉が徐々に尻すぼみになる。というのも、いちおう若の護衛名目で付き添うクラミツが、部外者の登場でタカラの側に寄ったからだ。
 コウ・ユーリンはのけぞった。
「何ね! このアホみたいに美しい男は!」
「はっは、そうだろうそうだろう、うちのクラミツは皇子さまどころか皇帝陛下も落とせそうなほど美しいだろう」
「ぶっ殺すぞコノヤロウ」
「低い! 声が! 何処から出てるね!?」
 牛若丸もかくやという美貌にバトー=サンの声音。このギャップが却ってウケると、タカラは睨んでいる。

「こ……こんな隠し玉を持っていたとは」
 たっぷりした袖で口元を隠しながら打ち震えるコウ・ユーリン。彼は側人の一人、コウ・ユーリンと年かさの少年を振り返る。
「ロウホ! お前、今からでも整形するね! 傾宙の美貌になるね!」
「見初められても整形者は婚約破棄になるかとー」
「バレなきゃ犯罪ないよ!」
 大声で自らの犯行を喚いている時点で、無理かと思われる。
 コウ・ユーリンはもう一度クラミツをちらと見、顔を歪ませた後、
「お……お、覚えてるがいいね!!」
 叫んで、逃げ帰った。

 そんなコンロンの王子を、タカラは目を細めて見守った。
「相変わらず微笑ましいな、コシアンは」
「コシアンじゃなくてコウ・ユーリン様だろう」
「ほんの子供の頃に会ったきりなんだが、よく俺を覚えてたよ」

 あれはまだ、シヴァロマ皇子に出会う前、タカラが六歳か七歳で、コウ・ユーリンは五歳だったはずだ。
 今にして思えば、カサヌイは知人の王に会いに行ったのだろう。一家は半年ほど玉林の城に滞在した。
 幼いコウはちまちまとタカラの後をついてきて、
「何してるね」「どこいくね」
 つっけんどんに睨むのだ。
 遊んで欲しいのかと構おうとしても、
「触るないよ!」
 猫が毛を逆立てるように怒るのだ。それでいて、いつまでも後をついてくる。
 ずっとその調子だったのでまともな会話もないままだったのだが、いざタカラが帰るとなると、
「二度と来るないよ、ばかぁー!」
 べそべそ泣きながら叫んでいた。

「かっわいいよな」
「そりゃ可愛らしいな」
 幼い頃そのままに育ってしまったのが、またなんとも。
「あれもウィッカーなんだよ。百歌仙と呼ばれるコンロン文化財の一人だ。ただ、恋占いに特化している」
「ああそれは……儲かりそうだな」
「実際、玉林はコンニャクのおかげでかなり潤ってるはずだ。俺もそんな金になる能力欲しかった」
 コンロン百花仙というブランドもあり、あの性格と血筋であの顔なのだから、タカラよりよほど皇子の目に留まる確率は高かろう。なにも目の敵にせずともよかろうに。


――― 一連のやりとりを目撃した使用人たちは「王子という生き物はこういうものなんだ」と納得していた。概ね、間違いではない。





 足を踏み鳴らしながらあてがわれた宮に帰ったコウ・ユーリンは部屋につくなり付き人のロウホを睨んだ。
「ロウホ! 参加者のデータを洗うね!」
「はいはぁい。三分お待ちくださいね」
「遅い! 一分でやるよ!」
「はぁい」
 ふにゃふにゃした糸目のロウホは、仮想パネルを呼び出して操作を始める。文化財ではないが、ロウホもウィッカーの端くれである。情報収集に長けており、コウ王子に拾われねば軍警察にでも使われていたろう。
 コウ・ユーリンの占術は、対象の詳細データが必要となる。それで重宝されているのだ。

「出ましたよぉ」
 極秘事項である婿入り先探しの候補者リストを並べたて、パネルをコウの前に流した。
「やっぱり有力候補はタカラ・シマ様やコウ様ですね。ウィッカーで王子なのはあなた方お二人だけです。美貌と血筋、それからお父上が良き指導者となると、ニヴルのオリヴィア王子とか、アヴァロンのベネディクト王子とかですかね」
「有力候補の中で見劣りするのは、タカラ? でもあのダークホース、侮れないよ。あの男が見初められれば、あの男を養子に出来るね」
「いや、見劣りするのしないのではなく、タカラ様こそ本命でしょう」
「どういうことね!」
「コウ様が参加されるので、私なりに調査したのですがー」
「お前はやれば出来る子!」
「どういたしまして。つまり、このパーティーで注目されるのは、美貌なんか二の次三の次ということです」
「どういう意味ね。招待された以上、血筋も財力もある有力な家の王子ばかりのはずよ。あとの基準なんか、美貌くらいのものね」
「過去の婿入り先探しで最も重視されたのは、その家の将来性なんです」
 つまり、父親やその星の事業、または本人に伸びしろがあるか否か、が皇子が選ぶ基準なのだ。
 これは政略結婚だ。シンデレラストーリーではない。たとえシンデレラが宇宙一美しかろうが、アダムアイルの皇族は彼女を選ばない。実家に力がないからだ。

「そこを行くと、タカラ様は幼い頃から家を切り盛りして、数々のブランドや企業を起こして志摩を発展させてきました。名のある海賊を何人も討ち取っています。ヤマトの実験施設を壊し……たのはお父上ですが、子供たちの里親を探し、残りを引き取った話は美談として宇宙中で噂されました。あの方、すんごい知名度高いんですよ」
「……だから嫌いね!」
 コウは吐き捨てた。
「あいつ何でも出来るから!」
「ご当人の能力は、ウィッカー能力はとにかく、知能指数も身体能力も容貌も王族の中では平均程度なんですけどね。確かに器用な人ではありますよ」

 思い出すのも腹立たしい、幼いあの日……
 ヨソモノが玉林をうろうろするので、コウはタカラを見張っていた。きっとあの男は何かしでかすに違いないと、コウは読んでいた。
 ある時タカラは妹と蓮華畑に蹲り、もくもくと何かしていた。きっと呪殺の準備に違いない。
 やがてあの男は編んでいた花の冠を置き忘れて、帰っていった。
「作ったものを忘れるなんて、どじな奴よ!」
 せっかくだから貰っておいた。花の冠は子供が作ったとは思えないほど丁寧な仕上がりで、あの男に罪はあっても花に罪はなく、捨てるには勿体ない。
 持ち帰ったそれを、夜に部屋でこっそり被ってみると、
「あっ!」
 部屋の扉からそっと覗うタカラ・シマ。と妹のナナセハナ。彼らは顔を見合わせてぐっと指を突き立てる。
 花の冠を盗み、しかもそれを嬉々として頭に乗せた姿を見られたコウは、屈辱のあまり大声で泣いた。

「どうしたねコウ!?」※父王
「あーあー、タカラ、小さい子いじめんじゃねえよ」※カサヌイ
「いや、なんか花冠をプレゼントしたらすっげー泣かれた」※タカラ
「あらまあうふふ、あの子ったらよほど嬉しかったね」※母妃

 という外野の会話が聞こえぬほど泣き明かし、コウはいつの日かあの男を辱めてやる、と心に誓った。
 ちなみにこの誓いは、タカラ誘拐の速報を聞いて撤回している。彼はタカラが救出されるまで夜も眠れずに心配し、十分おきに乳母にタカラがどうなったかを尋ね、無事が確認された時には安堵のあまりギャン泣き。今では一連のことを認めたくないあまり、忘れてしまっているが。
「あのコウ王子、すっごく微笑ましい思い出のようなんですがそれは」
「それだけじゃないね! あの男に与えられた恥辱は!」
 思い出すのも辛い。あの日、あの男が玉林を出る前日の出来事は。

 自分に課せられた最後の任務|(※彼の中ではストーキングが任務にまで発展していた)を遂行するため、その日もコウはタカラを尾行していた。
 といっても城の周辺をぶらぶらして帰るだけだ。毎日、タカラとコウはそれを繰り返していた。違いはたまにナナセハナが同行するか否かで、飽きもせず二人はスパイごっこと、スパイに追われるスパイごっこをしていた。
 明日からあの騒がしい一家がいなくなる……と思うと、
(せいせいするね!)
 と自分を納得させようとするコウだが、内心は寂しくて仕方ない。ときおり泣きそうになるのをこらえていると、
「あっ」
 転んでしまった。
 城の周辺は衛星が王子二人を監視しているため、邪魔な護衛はつけられていない。コウの親は、可愛い我が子のささやかな遊びを妨げるような真似をしたくなかったのだ。
 しかし、コウは甘やかされて育った身。転んだ時、周囲に誰もいないなんて、みな何をしてるね! と憤慨した。憤慨が涙になって表れる。
「う、うぅ…ひっく」
 蹲って泣くコウの元へ、振り返ったタカラ・シマが寄ってくる。
「な…なにしにきたねっ、笑いにくるないね!」
「いーから、膝っこぞ見せろぃ」
 遠慮なくコウの着物をたくしあげるタカラ・シマ。思わず「無礼もの!」と叫んだが、タカラはまったく意に介さなかった。

「うむち、はるち、つづち」

 訳のわからぬ呪文を唱え、タカラ・シマはぱんぱん、と手を二度叩く。目の前でやられたので、殴られるかと驚いて身を竦ませた。
「ひふみ よいむ なや ここのたり ふるべ、ゆらゆらとふるべ―――いくたま、まがるかえしのたま」
「!」
 開いたタカラの手に、二つの宝玉が現れた。
 その宝玉は僅かに輝くと、陽炎のように歪んでコウの傷に染み込む。驚くことに、その現象が終るころ、コウの膝はつるりとした新しい皮膚に変わっていた。

「あんな高度な技術を見せつけて! 自慢されたね!!」
「いや、怪我治してくれたんじゃ」
 ロウホには、コウが何を根に持っているのかさっぱり分からない。おそらく、コウにも分かっていないだろう。
「大体、コウ王子の能力も凄いじゃないですか。将来性の点においても、志摩を凌駕していますし……」
 なだめると、ようやくコウは「それもそうだたね!」と大いばりで勝ち誇った。

 ただ、志摩神道は神道だけでなく、ヤマトの術文化を担うと言う。妹の巫女姫は地鎮や結界保護に長け、タカラはコウに使用した十種神宝(とくさかんだから)布瑠(ふる)の言(こと)を代表する神言に加え、陰陽道にも精通しているという話だ。コウの能力は恋占に限定されているため、多様性に欠けるが――そのあたりのことは言わないでおいた。

 そもそも彼らウィッカーと呼ばれる希少人種は、文化の信仰によってその強弱が決まる。
 医療と科学の発展により、人間の脳波を増幅させる技術が生まれた。しかし、それはただ脳波を増幅させる『だけ』。彼らの力は仮想次元によって実現される。
 いわゆる『ネット』に近い概念を持ち、様々な情報を蓄積するこの仮想次元は、専用デバイスを媒介して実世界に干渉する。仮想次元はあるいは動画を、あるいはニュースを、あるいはメールを人々に届け、目前に立体映像を映し、タッチパネル式のコンソールにもなる。
 現在のソフトマテリアルを一手に引き受けるサイバネクティックインターフェイスなのだ。仮想次元は演算機になり、宇宙船やモビルギアなどのシステムにもなる。

 その仮想次元に介入するのがウィッカーだ。
 ウィッカーが脳波増幅装置によって様々な現象を引き起こすその原理については、まだ分かっていない。分かっているのはウィッカー能力が遺伝しやすいこと、古くから多くの人に信じられたものほど強く発現するということだ。
 仮想次元は人々の迷信に強い影響を受ける――メールや通話にニュース、書籍や動画、あらゆる情報がひとつの生き物のように、育つ。
 仮想次元の中では、神道や占いなどの現実に「ありえない」ことが、リアルとして存在するのだ。人々が信じる限り。強く信じるものほど。
 ゆえにウィッカーは存在する、というのが有力説である。

 ウィッカーという呼称はテラでデジタルを思いのままに操った『ハッカー』またハッカーの中でも優秀で、魔法使いのようだと賞賛された者につけられた『ウィザード』、そのほか超能力者『エスパー』や魔女『ウィッカ』などが語源とされている。

(俺にとっては、コウ様もタカラ・シマも化け物みたいなもんだが……)
 コウにはああ言ったが、木っ端ウィッカーの端くれであるロウホも戦慄する。
 ロウホは仮想次元に少しばかりダイブして、情報を引っ張ってくる、昔ながらのハッキングのような能力しか持たない。そして多くのウィッカーはその程度だ。
 若干六歳にして実像を伴う異能など、それこそ魔法使いみたいなものだ。仮想次元はまことに、奥が深い。

「それよりコウ様、そろそろお支度をしなければ」
「そうね、そうだたね。うんとめかしこまねばよ!」
 そのように無邪気に笑うコウは大変可愛らしい。これは皇子に見初められぬまま当主になったらどうするのだろう、と心配になるが、まずそれはなかろう。コウなら逆に皇子の間で争奪戦となっても、おかしくはない。






 冷血冷徹と後ろ指さされるシヴァロマではあるが、彼にとっても処刑というのは楽しいものではない。
 また、彼は逮捕を楽しんでいるとよく言われるが、捕物より捕物に至るまでの捜査のほうが余程おもしろい。難解な事件の犯人が判明した時など報酬系が活発になり恍惚感すら覚える。逮捕劇などそれの後処理に過ぎない。
 更に処刑などというのは罰ゲームみたいなもので、どうせ殺すのだから誰でも良かろうにとうんざりする。アダムアイルに嫁を献上するどころか、王位にすら手の届かぬ末端王族の処刑など、マクロシステムで済ませてしまいたいものだ。

「帰ったか、シヴァロマ」
 ニヴル宮で昼間から酒を傾ける双子の弟に細い眉を顰め、シヴァロマは舌打ちした。
「暇そうだな、デオルカン」
「暇だ。戦争がしてえ。エイリアンを殺したい」
 などとぼやくので、前言は撤回する。皇宙軍はあくまで抑止力。この男が暇なのは宇宙が平和な証拠だ。

 ニヴルヘイムに外戚を持つこの双子の兄弟は、顔こそ瓜二つでも見間違えられることはない。性根からくる面相の違いが、あまりにはっきり出ているからだ。デオルカンは野卑さを隠そうともせず、シヴァロマは鏡で見ても神経質そうな顔をしている。自己紹介せねば双子とすら思われぬかもしれない。

「貴様は忙しそうだな」
「雑事が多すぎる。だが、規律は規律だ」
「規律、規律、規律……」
 度の強い酒をボトルのまま煽り、ソファに寝そべるデオルカンは足を組んだ。
「即位すれば、横で規律規律と貴様に喚かれるのか。鬱陶しいな。今のうちに殺しておくか」
「するがいい。出来るものならな」
「………」
 デオルカンはシヴァロマと同じバイオレットの瞳をゆっくりと此方へ向け、ふっと吹き出した。
「やめておこう。唯一味方になってくれそうな奴を潰すのは勿体ない」
「賢明だ。常に賢明に生きろ、弟よ」
「そういえば、今日は婿入り先を選ぶんじゃあなかったか? 兄よ」

 忘れてはいない。規律は規律だ。
 シヴァロマは、あまり皇帝になる気はない。やぶさかではないが、執着はなかった。デオルカンはあくまで帝位を狙うらしく、同性婚もしないらしい。ならば双子のよしみで皇帝になった後もせいぜい小言を言わせて貰う。
 長女のクラライアはとにかく、シヴァロマはアジャラやアーダーヴェインなど規律を重視しない者を皇帝にする気はなかった。その点はデオルカンも怪しいものだが、そこは双子のこと、扱い方は心得ている。

「どれにするんだ?」
「どれでもいい。他の輩が選ばなかったのを拾う」
「なら、コウ・ユーリンとタカラ・シマは諦めるんだな」
「タカラ・シマ……」
 シヴァロマは、そのヤマト系の名を苦々しく呟いた。
「あやつを他の兄弟が引き取るなら、願ってもないことだ。あれは志摩の航路で海賊を潰す」
「自治区なら問題なかろう。何が気にいらねえんだ」
「略奪品は返還するが、それ以外の物品や海賊船を金にかえて懐に入れる。ああいうグレーラインを巧妙に踏む犯罪者予備軍が最も厄介だ」
「貴様が羨むものを、持っているわけだ」
 茶化す双子を睨むが、デオルカンには氷の刃のようと評されるシヴァロマの眼光も効果がない。

「貴様は自分で思うほど潔白な人間じゃねえよ。貴様は本当は、俺のように奔放に生きたいのだ。貴様の本質は破壊衝動と悪徳への憧憬だ、俺には分かる」
「生物には誰しもある。それを理性で律するのが人間だ。それが出来ぬのは畜生よ」
「違いない。俺は獣の本分を忘れちゃいねえ。知ってるかシヴァロマ、かつてテラで地球外生物を追い出したエイリアンハーフは、本能から遠ざかって人間に近づくほど弱くなったらしい」
「貴様と頓智問答をする気はない」

 将校コートを脱ぎ、洗浄ポッドへ向かうために踏み出すが、一度振り返る。
「その気がなかろうが夜会には出席しろ。それが規則だ」
 シヴァロマにとって、それ以上に重要なことはなかった。



***



 コウ・ユーリンが歩けば人が避ける。
 恨めしげな目は心地いい。嫉妬はコウを輝かせる大事なスパイスだ。戦う前から勝ち目のない負け犬はいい引き立て役だった。
 催事用の宮殿は中央皇星でも特にきらびやかで、内装に貴重な宝石をふんだんに使用している。目も眩むような豪華さだ。テーブルクロスひとつ取っても、最高級のシルクだ。これを仕立てれば、立派なウェディングドレスになるだろう。

「ごきげんよう、コウ・ユーリン」
 大柄な護衛を連れたベネディクト王子が、コーカソイド特有の優美な顔で微笑み、声をかけてきた。
「ご機嫌は上々ね」
 お前なぞ眼中にないと、余裕を返す。
 ベネディクトはますます笑み深めた。
「誰かと一緒じゃないのかい。相変わらず友達がいないんだ?」
「と…友達なんか王族に必要ないね!」
「そう? タカラ・シマは交友関係広いみたいだけど」
「………!」
 コウの泣きどころ、タカラの話題を出されて苛立つ。実のところ、コウのタカラコンプレックスはこの男と会う度に蓄積されたものでもある。

 ベネディクトは、何も競争相手を潰してやろうと意地悪しているのではない。タカラ・シマのことで誂うと、この高慢で子供っぽい王子が取り乱すのが単純に面白いのだ。
「そういえばタカラ・シマの姿がないね。君も遅めだったけど、皇帝陛下も皇子殿下もいらしてるよ」
 彼の言うとおり、会場奥の段上の玉座には皇帝陛下がおわし、これほどの人混みでもアダムアイルの皇子は長身でよく目立った。
「我も挨拶するね。そこをどくよ」
 これ以上、タカラのことで弄られてたまるかと、コウは彼を押しのけようとするが。

 カッ―――ポポン

 談笑で騒がしい会場に、独特の音色が響き、人々が会話をやめた。
「何の音だろう」
 他の招待客がそうしているように、ベネディクトも音のするほうを見ようとしている。ただ、コウにはその音の正体が分かった。
「これは、つづみの音よ」
「ツヅミ? それは………」
「よーぉ!」

 カポン

 不思議な掛け声とともに再び鼓が鳴る。
 そうして笛が鳴り響く頃、動揺のさざめきが、歓声に変わった。これの理由は、コウには分からない。振り返って会場の入り口を見やる。
 まず、花びらを散らす桜の枝が揺れていた。意味が分からない。ヤマトの輩が、妙な歩き方で行列を作っている。やはり意味が分からない。
 しかし、最高に意味不明だったのは、美しい色打掛に前帯の格好で、短い髪を金簪やら桃の花簪で飾り立てたタカラ・シマが、三枚歯の巨大な下駄を引きずるようにして登場した時だ。

「ヤマトナデシコ!」
「うぉおおおおヤマトナデシコォオオ!!」

 会場騒然。花魁道中は、ヤマトやウィッカプールのヤマト街で行われる見世物のため、知っている人間も多い。コンロンにも民族衣装は多いのに、なぜか、ヤマトのキモノというやつは外星系に人気があった。尋常ではない、怒号のような歓声だ。
「派手だねえ。いくら無礼講のパーティーと言っても、ここまでやるかなあ、ふつう。変な人だね、タカラ・シマって」
「な、な、な………」
 わななくコウの目前で、タカラ・シマは満面の笑みで、心から楽しそうだ。登場して既にやりきった顔をしている。彼が肩に手をかけているのは、例の絶世の美男なのだが、誰も彼の美貌になど目もくれない。

「これは景気がよい」
 皇帝陛下までお喜びになられて、中央にくるよう手招きをなされる。
 嘘だろう。こんなことで。こんな一発芸のパフォーマンスなぞで………
 青くなったのはコウだけではあるまい。
 しかし、続く陛下のお言葉で安心した。

「どれ、そのほう、ひとつ舞ってみせい」

 タカラ・シマは、ロウホに調べさせた限りでは舞踊の類は出来ない。楽器はある程度扱えたはずだが、彼の多忙でまだ短い人生に舞踊稽古の入り込む余地はなかったのだ。
 だが、この格好で踊れませんは通らない。これはタカラが恥をかく姿が見られるかもしれない……
「………」
 案の定、タカラは黙り込んだ。さあ、どうする。何を言う。
 ヤマトの付き人どもが、近衛兵の指示で下がらされた。陛下の御前には無様な花魁姿のタカラ一人。
 沈黙する花魁に周囲が疑問の声を上げ始める、その頃に。
「り……」
 タカラが大きく片足を上げ、強く踏み下ろした。巨大な下駄が、とんでもない爆音を起こす。
「りん!」
 さらにタカラは、両足を踏みしめた。
「ぴょう!」
(何で返閉(はんぺい)踏み始めたね!?)
 あのバカ、どうしようもなくなって九字を唱えながら禹歩を。殿中で。花魁姿で。あの下駄で。返閉。
 同じヤマト星系から招待された讃岐の王子が「たからぁああ…」と魂消るような悲鳴を上げていた。コウも、そうしたい。

 聡明な皇帝陛下は、事情を察したらしい。呵々大笑、もうよい、とタカラを許す。
「よしよし、お前、面白い奴だの。近うおいで」
 何がそんなに陛下のおツボに入りめさるのか|(※コウ混乱中)、失態を罰するどころか側に呼ぼうとまでなさる。
 厚顔無恥なタカラ・シマ、謝罪するでもなく、恥じ入るでもなく、「あぃ」と返事して下駄を脱ぎ、段を上がる。皇帝陛下の足元で、ちょんと腰を落とした。正座というやつだ。コンロンでは失われた文化である。

 当代陛下は、オリエント出身の皇族で、何と表現しようか、非常に濃ゆいお顔をされている。
 優秀な遺伝子のみ取り入れてきたアダムアイルの皇族としては、顔面偏差値は低めだ。それでもじゅうぶん、男前ではあらせられる。
 彼はそのバタ臭い顔をほころばせ、
「愛いやつよのお。我が皇子の婚姻候補者でなくば、儂が召し上げたいほどだ」
「あちき、今晩でも陛下の褥に潜り込んでありんす」
「わっははは、そうかそうか、可愛いのー、可愛いのー」
 ひとしきり愛でられた後、タカラは帰された。

 その後、タカラ・シマはどの皇子と話すでもなく、すぐに会場から退散してゆく。あの男、何をしに来たのだろう。





「バカだバカだとは思っていたが、ここまでバカとは……」

 まだ誰もいない控室のカウチで着物の前から生足を突き出し、それを組みながら金雁首の煙管をふかす主君にクラミツがいっそ呆然と呟いた。
「え?」
「え? じゃねえよ。無礼講のパーティーで花魁道中、インパクト勝負ってとこまでは分かる。だが、脳の配線をどう間違うと陛下の御前で禹歩踏み始めるスイッチが入るんだ?」
「俺のレパートリーに、舞踊っぽいのがあれしかなかった」
「あれを舞踊っぽいものに分類するところがまず分からねえ……」
「―――タカラ!」
「ふぉっ」
 クラミツの小言を聞きながらダレていたタカラの身が、急に浮き上がる。手から煙管が落ちた。高そうな本皮のカウチに焼け跡が。

「探したぞ、タカラッ」

 身長180センチを超えるタカラを軽々しくも高く掲げる、あまりに逞しいその腕と、目の前に広がる子供のように無邪気な瞳。タカラは大口を開けた。
「アジャラあにさまっ」
「タカラ、どうして真っ先に私のところへ来ない」
 責めながら嬉しそうに笑う羽織袴の皇子は、タカラを抱いてくるくる回る。幼い頃会ったときと、対応が変わっていない。
「美しくなったな、見違えたぞ!」
「あ、美しいといえば、あれを連れてきたのですが」
「げ」
 指し示されクラミツが顔を引きつらせる。が、アジャラはクラミツを一瞥しただけで、すぐにタカラへ注意を戻した。クラミツなど存在しないような扱いだ。少年兵に至っては空気と大差ないのだろう。

「余ったら、俺のところに来るんだぞ」
「本当?」
「ああ!」
 言って、アジャラはぎゅうとタカラを抱きしめる。いや、アジャラならと思っていたが、まさかこうも簡単に皇族を確保出来るとは。
 目的を果たしたタカラ・シマは、早々に催事宮から切り上げた。

 その、数時間後―――

「コウ・ユーリンも捨てがたいのですが、タカラ・シマを希望します。彼のDNAは興味深い」
 夜会が終わった後の、皇子だけの談合で、まずアヴァロンの皇子アーダーヴェインが悪びれずに言ってのけた。トランスジェニックの研究に熱心なこの皇子、文化財を遺伝子操作する気満々である。
 それへ不服を申し立てたのが、アジャラ。そう、ヤマトの文化財だ。もちろんヤマトの母を持つ彼がアーダーヴェインをたしなめるのが、筋……

「あれは昔から、私の玩具にすると決めていたのだ! お前にはやらんぞ!」

 前言撤回。貴様ら、ヤマト屈指の文化財を何だと思ってやがる。
 シヴァロマは頭を抱えた。デオルカンは我関せずとばかり、壁際であくびをしている。眠くなると凶悪な顔が幼く見えるのが不思議だ。双子の自分も、睡魔に襲われればああなるのだろうか。気を引き締めねばならぬ。

「お前はコウ・ユーリンにすればいいだろ!」
「能力が恋占だけではねえ。タカラ・シマからはまだ色々と引き出せそうで」
「うるさい! ずっと前から目をつけていたのだぞ」
「外戚を作るのが目的ですから、貴方も彼もヤマト以外の家のほうがいいでしょう? 我が母の生家は志摩を援助できますが、志摩の政敵である薩摩のご実家はどう仰ってるんですか?」
「母の家の意見で結婚相手を左右する気はない!」

 アーダーヴェインにしろアジャラにしろ、タカラ・シマを玩具にすることで頭が一杯だ。本日は阿呆のようではあったが、タカラ・シマなりに精一杯のパフォーマンスをしたろうに、そんなことは露ほども話題に登らぬまま、微妙な理由で選ばれそうになっている。
(貴様ら、貴重な文化財を何だと……)
 憎たらしいタカラ・シマなど兄弟に押し付けてしまえばいいものを、シヴァロマの性格上、出来なかった。
 シヴァロマは無言で立ち上がり、白熱する二皇子の部屋を後にする。デオルカンは立ったまま寝ていたので放置してきた。
 待機していた皇軍警察の将校に足を用意させた。行き先は、志摩にあてがわれた宮殿だ。

 渦中の人物、タカラ・シマ。
 連れてきた少年兵と一緒に、噴水で水遊びをしていた。半裸で。とりまく使用人が無我の境地に達した表情で彼らを見守っている。エントランスの絨毯が、洪水を起こしていた。
「若ーっ、もう一回、もう一回!」
「わはははー、それー」
 そんな格好で戯れているので、少年趣味でもあるのかと思いきや、ただ遊んでやっているだけらしい。少年の一人に水をぶっかけて笑っている。かけられたほうも、猿のような声音で喜んでいた。ここは、動物園か。
 しかし、タカラ・シマもやがて此方に気が付き、笑顔が凍りついた。さすがにそのくらいの頭はあるか。心臓に剛毛は生えているようだが。
「しばっしばろま皇子。なぜ此処に」
「洗浄ポッドはどこだ」
 何より、まずそれだ。水しぶきが僅かにかかった。この服も、もう着られない。

 全身を滅菌消毒し、清潔な衣服に着替えてひと心地つけた。人の宮殿の一室で好みのウォッカを一杯煽る。呑まねばやっていられない。
「あの、シヴァロマ皇子殿下……」
 所在なげにタカラ・シマが現れた。此方も着替えている。花魁衣装よりはもっと大人しい意匠のワフクだ。
 シヴァロマは顎を上げた。
「単刀直入に申す。私と婚姻を結ぶか」
「へっ」
 間抜けな顔で目を見開き、かと思えば、タカラ・シマはみるみるうちに黄色い肌を紅潮させた。
「本気で仰っているので?」
「私が、この夜更けに、冗談を言いに此処へ出向いたと?」
「いえっ! ただ驚いただけで」
 皇帝を前に「あちき」と言ってのけた豪胆さは何処へやら、そわそわ視線を彷徨わせて指先を弄る。よく分からぬ男だ。

 部下が書類とペンを置く。
「で、どうする」
「もちろん、喜んで!」
 てっきりアジャラから求婚されているものと思ったが、タカラ・シマは二つ返事で、何の躊躇もなく、婚約書に署名しようとする。この警戒心のなさ。話に聞く限りでは、かなり用心深く食えない男のはずだったが……
「軽はずみだな。深く考えよ。私はこの婚姻に政略以上の価値を見出さん。まともな結婚生活などないと思え」
「殿下こそ、よろしいのですか。俺などで。俺はご覧のとおり、がさつで、大雑把で、雅からは縁遠い男なのですが」
「そんなものは、デオルカンで慣れている」
 噴水遊び以上に途方も無い真似を、あの双子の弟はしてのける。あんなのはデオルカンのしでかすことに比べれば、可愛いものと言えた。あの弟は気がつけば生き物で血の海を作り、噴水遊びをしているのだから。

 けっきょく、タカラ・シマは嬉々としてサインした。間違いがないよう、シヴァロマもその場でサインする。
「では、挙式は三ヶ月後とする。志摩で行うゆえ、準備するように。資金はこちらで出す。それと、我が実家の出席はない……我々双子は母の家と疎遠でな。その援助がないことも留意せよ」
「はい。俺は、シヴァロマ殿下と結婚できるだけで満足です。ああ、これからは、婿どのですね」
「………」
「婿どの。宜しくお願いします」
 そう言って、タカラ・シマは目尻に朱色のアイシャドウを顔をふにゃふにゃと綻ばせる。
 シヴァロマの胸のうちに、何かむず痒い、消化しきれぬ感情、感覚が起こった。喜びともつかぬ、嫌悪ともつかぬ……だが、彼の人生に今まで無い経験のため、感情の名も、理由も分からず、ただその場を後にした。

 これは、規律。規律に従うための、政略結婚。本当はしたくもないが、規律だから仕方がない。規律、規律……


***


 タカラは浮かれきっていた。憧れのシヴァロマ皇子。声をかける糸口もなく、諦めていたのに、あちらから求婚してくださった。
 本当に一目見たいだけだった。それはあの花魁道中の最中で果たしたのだ。皇子はタカラのほうを見てもおらず、顔を背けて退屈そうに酒を煽ってらした。望みはなさそうだと、重ねて自分を納得させたものだ。それが、どうだ。

「シヴァロマ皇子はなー、本当に格好よくてなー、もひとつ格好よくてなー」
「うるせえ! 結婚する前から惚気んな!」
 誰彼構わず捕まえては、嬉しさを爆発させる。惚けたタカラに少年兵でさえ、近寄らない。仕方ないのでむりやりクラミツを捕まえて、さらに惚ける。
「皇子が助けてくださった話もさんざん聞いたし、その皇子に憧れて海賊退治するようになったのも聞いた。散々、聞いた。何十回も聞いた」
 それほど飽きずに話し続けた相手と結婚できる喜びプライスレス。
「うひょぁあああ……きょげぇえええ」
 抱えきれない幸運に日がな一日、奇声を発して巨大ベッドを転がり続けるタカラ・シマ。宙軍一同「変な人だと思ってはいたが、ここまでとは……」と呆れている。

「それにしても、いくら憧れてても本当にシヴァロマ殿下でいいんか。俺だったら、一番結婚したくない相手だがな。やることなすこと逐一文句言われて、神経すり減らしそうだ」
「俺は文句言われても気にしないほうだから、相性はいいと思う」
「気にしろよ! シヴァロマ皇子が可哀想だろ!!」
「失礼します」
 執事がノックもせずに乗り込んできた。王族に仕える使用人としては、首が飛んでも文句の言えぬ無礼である。だが、それだけに切迫した雰囲気がある。

「アジャラ様が―――」

 執事が言い終えるのを待たず、扉が飛んだ。
 当然、その前に立っていた執事も、飛んだ。人間がバウンドして墜ちる様を見たのは、あの時以来だ。
 シヴァロマ皇子が海賊をなぎたおした、あの時以来。
「あ、アジャラあにさま?」
 二人目の皇子が候補者の宮に足を運ぶなど、異例ではなかろうか。タカラがクラミツに目配せするか否や、大股で歩を詰めたアジャラが、タカラをベッドに縫い付けた。
 いつでも明朗で優しいアジャラの顔しか知らぬタカラは、狂犬のごとく歪んだ表情に言葉もない。

「どうしてシヴァロマなんかと婚約した!」

 なんか、とは何か。
 アジャラには報告するつもりでいた。そうか良かったな、余り物にならなくて。くらいの返答があると、むしろ祝ってくれるものとばかり思っていた。
『余ったら、貰ってやる』
 アジャラはそう言った。余らなかったのだから、良いではないか。
「お前は私の玩具にするんだよ! 幼い頃に海賊にかわるがわる犯されて、平気な顔をして帰ってきた王子がいると聞いた時から、ずっとだ。どんなふうにすれば、そいつの顔は歪むのかと――楽しみにしていたのに」
「……は?」
「いいけどな、シヴァロマを殺せばいい! シヴァロマを殺してお前を奪い、即位してお前の妹のナナセハナを妃にしてやろう。壊れた人形になったお前は綺麗に飾っておいてやる。それを見た妹がどんな顔をするか、今から楽しみだな!!」
「………」

 タカラはゆっくり、首を傾げた。理解が追いつかない。いま、なんといった? 会うたびに可愛い可愛いと抱き上げて、肩車をしてくれ、遊んでくれたあのアジャラが。
「俺……アジャラあにさまのこと、本当のあにさまみたいに……」
「兄貴がこんなことをするのか」
 アジャラの大きな手が浴衣の裾に潜り込んだ。
「ひっ、あにさま……ほんとう、に……ほんきで……」
「ははは、なんだタカラ。下の毛を剃ったのか? そういう趣味か? 海賊にでもやられたのか?」
「きさ、ま……」
 下腹部を撫で、性器を弄ぶ手に、タカラも放心から脱した。海賊どもの男根を噛みちぎったあの日のような、煮えくり返る怒りが蘇る。
「貴様のような男を皇帝にしてたまるか! 貴様に妹はやらん!!」
「ここへきても妹の心配か。これは壊し甲斐があるなあ」
「ひふみ……」
「おっと」
 アジャラは掛けるタイプの枕カバーをタカラの口に突っ込んだ。タカラはかなり強力なウィッカーだが、口を塞ぐと簡単に無力化されてしまう。これほど至近距離で、これほどの怪力に抑えこめられれば尚更だった。

「んんん」
「よしよし、いい子だぞ。おとなしくしろ。シヴァロマを殺したら、すぐ結婚してやる。壊すなんて嘘だ、ナナセハナにも興味はない。大事にするぞ、本当だ。お前が欲しいんだ」
「んうーっ」
 性器を執拗にこねくり回されると、男の悲しいさがで変な気分になってくる。アジャラは巧妙にタカラの抵抗を封じながら首筋に舌を這わせ、乳首を撫でた。
「う、んっ」
「そうかそうか、ここが感じるのか? やっぱり男の味を知っている分、敏感だな。何人相手にしたんだ? もう尻だけでイケるのか?」

 腐乙女の頭ん中だけでなら、タカラは突っ込まれるだけで潮もふきまくるし妊娠もするのだが。

 残念ながらリアルのタカラは痛みしか感じたことがない。それでも合意の上でなら我慢できると思っていた。それが務めなら。大好きなあにさまのアジャラであれば……喜んで体を重ねたろうに。
 あの優しいあにさまは、もういないのだ。いや、最初から存在しなかったのか。長男で嫡男のタカラはいつも頼れる一方で、時には投げ出したくなった。兄が欲しいと願ったこともある。アジャラが本当の兄だったら、どんなに良かったかと。
 まさかシヴァロマが求婚してくるとは夢にも思わなかったから、最初からアジャラと結婚する気でいたのに。こんな裏切りはあんまりだ。
「うぅっ……うんん…ん、ぅ」
 悲しみが怒りを凌駕するころ、体から力が抜けた。先走りまで出ているのかアジャラの手がぬめっている。薄笑いを浮かべたアジャラの指が、硬く窄んだアナルの口へ滑る。
 が、その指に犯されることはなかった。
 それどころか、アジャラの体が失せ、重量感も消える。
 代わりに目の前にいたのは、ニヴルヘイムの冷血皇子だった。
 寝台の前で例のデンドロビウムみたいな愛銃を担いだシヴァロマは、それによって殴られ転がり落ちた兄弟を傲然と見下ろしていた。

「他人の婚約者に手を出すとは、ヴェルトール法5692条に反するな。おまけに皇子は皇子を殺害しても罪にならん」
「シヴァロマ!」
「ここで脱落するか、アジャラ。俺はそれでも構わん。元より貴様を皇帝にする気はさらさらない」
「タカラ、無事か!」
 大急ぎでシヴァロマを呼んで来たのだろう。クラミツがシーツでタカラを包み、抱き起こしてくれた。あの執事も救出してくれたらしい。気がつけばこの部屋にはいない。

 一触即発の様相で対峙する皇子二名。シヴァロマが述べたとおり、アダムアイルは同族殺しを許容している。蟲毒の虫のように争わせて数を減らし、優秀な者だけを残すことで今日まで存続してきた。
 彼らにしてみれば、いずれ殺し合う間柄。それが今でも一向にかまわぬのだろう。
 だが、タカラはこの二人の死体など見たくはなかった。

「吹っ切って放つ、さんびらり!」

 印を切った二本の指をアジャラに向け、神言を唱えた。タカラの体内に埋め込まれたデバイスが室内に専用仮想次元を展開、言霊が意味を持ってアジャラの意識を刈り取った。アジャラのアダムアイルらしい巨体が音を立てて崩れる。
「アダムアイルをこうも容易く落とすか」
 白目をむくアジャラを心底侮蔑した瞳で見下ろし、シヴァロマは枕元へ近寄ってきた。この血族は背が高いので、一歩が異様に広い。
 シヴァロマはそこで跪き、クラミツに肩を抱かれるタカラの手をとった。手袋ごしとはいえ、潔癖症の皇子に触れて貰えるとは貰えず、まごついてしまう。
「兄弟の犯行を許したことを謝罪する。未然に防げる事件であった」
「俺も悪いのです。たぶん、アジャラ様を傷つけた」
 余ったら俺のところに来い。あれが子供じみたアジャラの精一杯のプロポーズだったのではないか。皇子にああ言われたのに、ほかの皇子と婚約するなど、確かに無神経だ。
 アジャラは頭に血がのぼってああ言っただけで、本心は違ったのかもしれない。でなければもっと前にタカラを無理やり己のものとして、弄ぶこともできたはずだ。
 まだアジャラを信じたいだけだろうか。

 と、シヴァロマは眉を顰めてタカラの手を離す。彼の不興も買ったかと怯んだが、そうではなく、皇子は懐からクリスタルの小瓶と清潔そうなハンカチを取り出し、ハンカチをシュッとひとふきしてからタカラの首筋を几帳面に拭った。
「吸い痕ついてる」
 クラミツがそっと耳打ちしてくれた。アジャラに口づけられた箇所を、消毒されたらしい。
「怪我はないか」
「はい、おかげさまで―――」
「洗浄ポッドへ入るがいい」
 昨晩の求婚時とはうって違う、優しい声で促された。この皇子の場合、それでも硬質だが、元を知っているだけに明白な違いが出る。
 洗浄ポッドを勧めるのも、潔癖性の皇子にとっては最大限の気遣いだろう。それがうれしくて、タカラは微笑んだ。
「ありがとう、婿どの。やっぱり貴方でよかった」
「そうか」
 特に感慨もないのか、皇子の声音は記者会見でよく聞くつっけんどんな調子に戻っていた。

 タカラが洗浄から戻ると、既にシヴァロマの姿はなかった。失神したアジャラも消えたので、婿が連れ帰ったのだろう。
「おまえがシヴァロマ皇子を選んだ理由がちょっと分かったよ。皇族じゃ一番マトモなお方かもな」
 アジャラに傷つけられ、消沈するタカラに付き添ってくれているクラミツに、そうだろと弱々しく笑い返した。


***



 皇子の婚約相手が発表されると同時に、腐乙女界だけでなく仮想次元全体がその話題でもちきりとなった。
 中にはタカラへの批判、シヴァロマへの批判、この二人が結婚することへの悪い意味での嘆きもあったが、そんなことは気にしない。元より、タカラとシヴァロマはやることが過激なのでそういうものは多かった。中にはタカラに潰された海賊の残党や、かつてシヴァロマに逮捕された犯罪者もいるだろう。
 それからデオロマ|(デオルカン×シヴァロマの略称)クラスタとタカクラ|(同様にタカラ×クラミツ)クラスタはお通夜の様相で、覗いた瞬間にトークルームをそっ閉じ。

 しかし、大半は祝福のやりとりである。
 特に嬉しかったのは、シヴァロマ×タカラ、通称ロマ若が流行したことだ。今まで宇宙規模でほんの一握りしかいなかった超ドマイナーのカップリングが一挙に人気を博し、日に千と言わず数万の作品がギャラリーに投稿され、ロマ若と題されたトークルームがウン十万と乱立した。
 よくもこの短期間にここまで、という数のウ=ス異本が発行され、シヴァロマ効果で宇宙中から『たから千代』への注文が殺到、製紙が追いつかない嬉しい悲鳴。

 タカラもこっそり、バーチャルブックや個人制作アニメを購入した。というか廃人並に課金している。腐乙女の妄想力は逞しく鋭い。これだけ母体が大きいと、名を馳せたプロも多く、その重箱の隅をつつく洞察力にタカラ本人が唸るほどだ。
 タカラの誘拐事件は、元より有名である。しかし、それを救出したのがシヴァロマであるとはあまり知れていなかった。今までは。
 ロマ若が流行ってからすぐにこの事実関係は割り出され、雷のように伝播し、この婚約はこの時に運命の出会いを果たした二人の昔からの約束であったという見解が一般化している。

 それが本当だったら良かったのだが、残念ながらそんな事実はない。

 八歳と十五歳の出会いから今までの期間についての捏造ストーリーが、多種多様なネタで展開されたウ=ス異本を仕事の合間に読みあさり、寝不足で頭が働かない。
 おそらくあの潔癖皇子が相手では一生ないだろうロマンチックなキスに悶え、シヴァロマの愛の告白でもう、たまらない。
『そなただけを愛している、タカラ|(※シヴァロマはそなたとか言わない)』
『お前は宇宙で最も清潔だ|(※実際に言いそうで困る口説き文句)』
 リアルでシヴァロマに言われたい台詞ランキングは『見事だ』『大した手腕だな』『礼を言おう』と婿に認められたい願望で占められているが、捏造であればアリアリ。
 そしてここまで文化が定着すると、いずれ仮想が現実に干渉しそうで大歓迎。

 とはいえ、この騒動も嬉しいばかりとはいかなかった。
 まず最も問題となったのは、タカラの偽物が仮想次元に何名も出没したことだ。
 これは志摩の面子に関わるゆえ、皇軍警察を抑えて自らの手で逮捕した。いくら皇軍警察元帥が婿とはいえ、自治権を持つ志摩が嫡男の偽物の逮捕を他所に委任できるわけがない。
 おかげで慣れない宇宙全域の仮想次元にジョイントダイブせねばならず、骨が折れた。この捜索はタカラや志摩宙軍のウィッカーだけでは手が足りず、ナナセハナにまで手伝わせている。親父どのは宥めすかして黙らせた。親父どのを関わらせると、余計な問題をこしらえかねない。
 ただ、この事件のおかげで、シヴァロマと通信する機会が増えたことにだけは、感謝している。

 それから余波というか、タカラにとっては苦いことに、アジャラ×タカラの人気も高まった。
 アジャラは結局、誰も選ばなかった。デオルカンと同様に独身表明をしたのである。
 今まで誰にも気に留められなかったが、ヤマト王族の定例会や夜会で熱心にタカラを構うアジャラの様子はマスコミに撮影されており、今でもその記録が仮想次元に出回っている。
 今までは単なる微笑ましい姿と報道されていた。しかし、タカラがシヴァロマと婚約し、アジャラが急に独身表明したというのがあまりに意味深で、人々は様々な事情を邪推してくれた。
「お家の事情で二人は引き裂かれた」
「タカラはアジャラを愛していたが、泣く泣くシヴァロマと結婚することに」
 アジャタカ界でのタカラは一貫して悲劇のヒロインだ。ロマ若界では潔癖症で経験のない皇子の童貞を腐界のビッチことタカラが食い散らす話からリバーシブルまでネタに事欠かないにも関わらず。

 ちなみにタカクラ・クラタカ界でもこの傾向は強い。タカクラの場合はクラミツが悲劇のヒロインだ。但し、タカクラでもタカラに比重を置く腐乙女は攻め受けイケる両刀のタカラを堪能しており、クラミツ派のタカクラ乙女の顰蹙をかっている。同じCPが好きでも、色々あるらしい。

 そして兄の話題沸騰の煽りで、なぜかナナセハナ人気も高まった。ウ=ス異本カルチャーは腐乙女だけが担っているものではない、萌え漢も多く存在する。萌え漢にとってナナセハナはもう女神のような扱いで、ウ=ス異本も多い。
 自分のことは好きに料理してくれて構わぬが、妹をウ=ス異本で陵辱する真似だけは絶対に許さない。絶許。
 ウ=ス異本で題材にされる実在の人物の肖像権侵害は親告罪だ。限りなくダークなグレーである。あのジャスティス・イズ・グローリーの異名を持つシヴァロマが放置している程度のダークではあるが、確かに訴えれば勝てる。

「俺のナナセを汚す奴は、何人たりとも許さん。ウィッカーよ、咒いたくば咒うがいい。倍々返しだ。ヤマト文化財志摩神道次期当主タカラ・シマをなめるなよ」

 萌え漢にもウィッカーは多く、実際に攻撃は多く受けた。というか一部の腐乙女からも受けた。まあ、こんなことは王族商売柄よくあることだ。ただでさえ、思い上がって志摩神道を負かしてやろうという輩はいて、今更の話だ。
 またこうした輩を返り討ちにするのは志摩の信仰を高める上で役立つ。信仰とは価値だ。価値は志摩の力となる。
 ただ、余計な仕事は増えた。

「あにさま、顔色が悪いです。もうじき挙式なのに」
 昼も夜もなく、ずたぼろの肌で僵尸のごとき色をしたタカラを、ナナセハナが窘める。
 基地まで態々出向いてまでの叱責だ。それも、ご大層に眠たげな親父どのまで連れて。
「あと一週間なのですよ。もうお休みくださいまし」
「此方としても休ませたいのですが、あまりに手が足りないのですよ」
 クラミツが申し訳なさそうに謝罪する。この男は昔馴染みのタカラをぞんざいに扱うが、ナナセハナには目上の姫君として接した。
 ちなみに仮想のNL界ではクラミツ×ナナセハナことクラナナが王道だ。
 ナナセハナが即位した皇子の何れかに嫁がないなら、タカラとしてもクラミツに妹を任せたいと考えている。というか皇帝であろうと嫁にやりたくない。何処の馬の骨とも知れぬ男にもやりたくない。どうしてもナナセハナをやらねばならぬなら、苦楽を共にした親友が良い。

「なら父様をお使いくださいまし。一週間のことですし、私が責任をもって見はります。この期間にお父さまがしでかしたことは、すべて私が責任をとります。そういうつもりで励んでくださいまし、父様」
「働きたくないでござる」
「たまには働いてくださいまし!」
 愛娘にぽかぽか殴られ、カサヌイはやに下がっていた。人のことは言えぬが、親父どのはナナセハナに甘い。
 クラミツ以下宙軍は揃って迷惑そうではあったが、こんな当主でもウィッカーとしての習熟度はタカラの遥か高みをゆく。
 そういうことなら久々に親に甘えることにした。何しろタカラの顔は日に日に隈が濃くなり、むくみ、血色が悪くなる一方だったのだ。

「じゃあ、悪いけど休ませてくれ。流石にこの顔で婿どのをお迎えしたくない。切腹したくなる」
「ああ……まあ、酷い有り様だからな。よく働いたよ、おつかれさん」
 そういう自分も暫く不眠不休で働いているというのに、そんな素振りも見せずにクラミツは主君を労った。こういうときのクラミツは「抱いて!」と言いたくなるほど男前である。
「挙式までは、私が兄さまの結界も担当いたします。呪い返しは中断なさいまし。他のことはせず、体調とお肌を整えてくださいましね」
 少し前までふにゃふにゃぽえぽえのアホの娘だったのに、成長したものだ。
 結界にかけてナナセハナの右に出る者は、この宇宙にいないと断言していい。タカラほど多様性のあるウィッカーも珍しいが、この結界にかけるナナセハナの力量はヴェルトール史上例のないものと褒めそやされるほどで、タカラの神言などナナセハナの禹歩ひとつで全て弾かれる。というか、タカラに限らず彼女の結界を破ったウィッカーは今のところ、存在しない。
 実はタカラより、ナナセハナを標的にしたウィッカーのほうが、ずっと多い。彼女を打ち負かせば宇宙一を名乗れる。しかし、彼女はほんの幼い頃から全てを黙らせてきた。志摩の守護者は、本当は妹のほうだと思う。





 一方宇宙の片隅で―――
「なんで、あんなヤツがこんなに人気あるのよ!」
 と髪を引き毟る女の姿があった。

 彼女は美の崇拝者だった。不細工には生きる価値がない。一般人ならまだしも、皇王族は美形が前提だろう。
 そころいくと志摩は一家揃って顔面偏差値は下の下|(当社比)、彼女はタカラだけでなくナナセハナも気に入らなかった。あんなカマトト女の何がいいのよ! そう思っている。
 志摩には皇族なみに美しいと評判のクラミツ・シマ様がいらっしゃる。だというのに、なぜ世間はタカラ・シマを持ち上げるのか。

「なんでって、皇族並ですから。クラミツ様くらい珍しくないっていうか……」
「トークルームが荒れるので皇王族の方々の批判はやめてください。不謹慎です」
「どうせ構ってちゃんだろ。スルー推奨」
「アンチは帰れ」

 どれほどトークルームで正論を訴えても、愚鈍なバカ女は考えを改めない。中には彼女に同調する輩もいたが、どいつもこいつも頭のおかしいメンヘラばかり。あんなのと一緒にされたくはない。彼女の思想はもっと崇高なのだ。
 また、タカラ批判の萌え漢も見苦しいことこの上なし。お前らがしたいのは批判ではなくやっかみだろうと。
 その点、彼女は軽率で無様な萌え漢どもとは違う。性別すら違うのだから、嫉妬の対象にはならない。と少なくとも彼女は信じており、その考えを疑いもしない。

「タカラ様が嫌いな人は、一度ハシリガネで志摩に行くといいですよ」
「旅行の時、気張って重い荷物を持ってちゃったんだけど、タカラ・シマ様がそっとあたしの荷物を取って『お手をどうぞお嬢さん』ってぇ!! 一生の思い出よ!」
「すっごい明るい方で、ちっとも気取らないっていうか、船旅の最中よくお話できるのよね」
「少年兵の面倒見も本当によくて、船内での訓練風景とか凄く微笑ましい。クラミツさまとツーショットが見れると幸せ」

 反吐が出るような絶賛の嵐。
 皇軍警察元帥の婚約者でヤマト文化財志摩次期当主の王子の悪口など、言ったその日にリアルで首が落ちても文句を言えないほどの不敬罪なのだが、シヴァロマもタカラも批判者から情報を得て犯罪者を割り出しているので放置されているだけという事情を彼女は知らない。

 そこまで言うなら、行ってやるわよ!
 彼女は志摩ゆきを決意した。もちろんタカラ・シマおよび当主一家をこきおろすネタを探しのためだが、クラミツ・シマ様をこの目で見たい。
 かくして彼女は五十年ぶりに|(現代人類の平均寿命は200歳)集合居住惑星の自宅から一歩踏み出したのだった。
 しかし何分、体が鈍っている。その気になれば一生涯、外へ出なくとも生きてゆける昨今、彼女のような一般人は珍しくない。貨物用モビルギアを購入しておくべきだった。
 旅行荷物ともなれば相応に重く、乏しい体力を奪う。中皇星の中継ステーションに着く頃には力尽きており、志摩ゆきの船着場でへたりこんでいた。

「――お荷物お持ちしましょうか?」

 何処かで聞いた声音。
 彼女は弾かれるように顔を上げた。桃葉紋の制帽から覗く、朱色の隈取。タカラ・シマだ。
 現実で他人から声をかけられるなど、百年以上なかったこと。彼女の職業はグラフィックパタンナーであり、仕事はすべて仮想次元で行っていた。メールやトークルームでのやりとりはあれど、生の声は久々で、すっかり萎縮してしまった。
 何のかんの相手は王子様、彼女より遥かに身分の高い相手だ。
 しかし、怯んだのを認められず、また混乱して「さっさと持ちなさいよ!」と怒鳴りつける。

 タカラ・シマは驚いて切れ長の目を丸くした。そんな彼と彼女の間に、腕が一本差し入れられた。タカラ・シマを庇うように現れた、クラミツ・シマ様だ!
「いかがなさいましたか。この方は志摩次期当主タカラ・シマ様です。お客様といえど、我が主君への無礼は許されませんよ」
「落ち着け、クラミツ。ご覧のとおり、お客様はお疲れで状況判断が出来ないんだ。さ、お荷物お持ちしましょうね、お姫様。クラミツ、彼女を船室までご案内しろ」
「はいあぃ」

 何という幸運だろう。クラミツ様の長く艶やかな黒髪をうっとりしながら追う。たまさかに横顔を見上げれば、長い睫毛に彩られた伏し目がちの瞳が見えた。狐のような顔をしたタカラ・シマとは大違いの黒目がちな瞳だ。
「先程は申し訳ございませんでした。あれでも次期当主なので、立場上とがめない訳にはいかないので」
「いえ、そんな……」
 耳が孕みそうな低く心地よい声音に震えながら、彼女の声は1オクターブ上がっていた。
「それと、少年兵の中には若への無礼に過敏なのがおります。奴らはまだ子供で加減というものを知らんので、お客様を保護する目的もありました。俺が先に出れば、奴らも満足しますから」
「あの少年兵は実戦に出るのですか」
 自分の身が危険だったことより、それに反応した。子供を軍で引き取ったことにも批判は多いのに、無礼を働いた客へ襲いかかるほど戦闘訓練を受けているなど―――

 実験施設にいた子供たちはもともと軍事用に育成されたウィッカーである事実は一般にはふせられており、彼女の知るところではない。

「実戦に出ねば成長しませんよ。大人になったからと急に酒を呑んで中毒で死ぬ奴が続出するのと同じことです。子供のころは守られて、大人になった瞬間死なせていい道理はない。海賊との白兵戦は基本的にハシリガネ船内では行われず、敵船で行われるので少年兵の戦闘をお客様の目には触れませんが……ま、基本的には我々正規兵が少年兵を監督しておりますので、滅多なことはありません」
 実際、志摩宙軍の少年兵に死者が出たという話はない。これは皇軍警察が毎年きっちり調べて公表していることなので、隠蔽工作は通用しないだろう。なにせあの相手はシヴァロマ……
 と言いたいところだが、彼女は思い直した。
 そう、可哀想なシヴァロマ皇子は、何か弱みでも握られてタカラ・シマの毒牙にかかったのだ。もしかしたら、もしかするかもしれない。
 彼女はニヴル双子皇子推しであった。なんといっても、皇族の中でも群を抜いた美を誇っている。

 ピギーバックペイロード船シマ・ハシリガネは外装ほど中は古くなかった。一面赤い絨毯びきで、ロビーには桃のテクスチャが飾られており、その花びらを唐傘が遮る畳のカウチがあった。窓枠も雅な檜枠で、木材自体が珍しい昨今の宇宙では贅沢だった。
 客室の扉も、なんと和紙で飾られた麩である。触れてみると立体映像ではなく、リアルのものだ。噂に高い『たから千代』の和紙をこれほど大胆に……名前は気にいらぬが、その美には感動を覚えた。
 流石に格安ツアーだけはあり、船室自体はシャワールームのごとく狭い。小さな棚があって、ベッドがある。足の踏み場が二歩あるかないかという程度。
 それでも宇宙が見える障子窓や、照明となるヤマトの灯籠は見事だった。ベッドに敷かれた寝具など、動物の毛がふんだんに使われており、まるで雲の上で寝るかの心地。
 食事も、バイオプリンタで生成された食料とは違う、土から育った野菜や果物は五臓六腑に染みわたる味だった。また、それらを食べて育った獣の肉は舌の上で蕩けるようで、今まで食べていたケミカルミートがどれほど味気なかったかを思い知る。

 志摩観光は、ハシリガネに乗るだけでも価値がある。
 その論評だけは素直に認めざるをえない。

 が、問題はここからである。ハシリガネにはもうひとつ名物があるのだ。それが目当てで常連化している客も多いらしい。
 彼女がハシリガネに乗って二日目、日光浴ルームで読書をしている最中に、船内にスクランブルが響いた。
『ご乗船のお客様にお知らせ申し上げます。ただいま志摩所有のソノ・ブイから敵船情報を受信しました。ただいまよりピギーバックペイロード船シマ・ハシリガネは戦闘態勢に入ります。はいあぃ』
「やったあ、海賊退治だ!!」
 無邪気な御子様が飛び上がって窓に齧りつく。
 観光客を乗せたままの戦闘など危険極まる行為だが、ヤマトでは黙認されている。彼女も乗船する際「格安ツアーですので死んでも文句を言いませんように」という書類にサインさせられていた。
 宇宙での旅は常に危険と隣り合わせ。どれほど護衛艦がついていようが、撃沈される時は、される。そこをいくと今まで死者を出したことのないハシリガネは安全そのものと言えるが、とにかくタカラ・シマの気に入らない彼女はその書類にも反感を持っていた。

 その不満が、実際に海賊に襲撃され、膨らんだ。五十年も自宅に引きこもっていた彼女には刺激の強いことだった。
 しかも、ちょうど彼女が乗り合わせたこの便は、ちょっとした伝説に残る事件が起きた。
「あれ、おかしいな」
 窓を見ていた子供が首を傾げた。
「何か、船の数が多―――」

 ビーッビーッ

 無機質なスクランブルが再度けたたましく響く。
『ご乗船のお客様、それから志摩宙軍にお知らせです。敵は艦隊を組んで突撃してくる様子。クラミツ、シノノメ! ギアモビル『オモイカネ』『ヒヒイロカネ』に搭乗し待機せよ。
 ただいまより、シマ・ハシリガネは九十九システムに移行します。ちびども、久々に俺の操舵テク見せてやっから、管制室に来い』
 客への連絡と宙軍への連絡がごっちゃになった放送だった。
 続いて、改めて客への連絡が流れる。
『ご乗船のお客様へお願いがございます。ハシリガネは百年以上親しまれた船です。ヤマトでは、九十九年の時を経た道具には魂が宿るという信仰があり、九十九システム起動中のハシリガネは生きて(・・・)います。
 従って船内の飛行タレットなどの防衛モビルギアからお掃除ロボまでが自分の意志で動き回るようになります。九十九システム起動中、彼らは機械感応による支配を受けつけませんので、ご安心ください。
 ……ところでクラミツー、あのエクラノプランの動力部落とせる?』
『オープン回線で聞くな! やればいいんだろ』
『お、出来んのか。愛してるぜクラミツ』
『気色悪い』
『若ー、このコンソールパネル何?』
『九十九で呼び出してないパネルが勝手に立ち上がったら、ハシリガネが「これ必要だと思うんだけど」と相談してきてると思え。必要なければ無視して構わない。で、今回の編成は有人モビルギア二機と、それからモビルギア支援のアビオニクスとダミービームと機雷と……』
 おまけにオープンでレクチャーまで始めてしまった。

 彼女は光浴室を出て、最も大きな窓のある展望ラウンジに移動した。既に大勢の乗客が海賊退治を見物しようと集まっている。命の危険に晒されているというのに、呑気な連中だ。
 この展望窓は、普段は装甲で覆われている。この緊急時になぜ腹を見せているのだろうか。客の命より見世物が大事とでも言うのだろうか?

 ――実際は「当たったら即死」のため装甲があろうがなかろうが関係ない為だが、例によって彼女は以下略
 どのみち、彼女の思う通り危険なことに変わりはない。

 しかし、一面の透過素材の向こうに見える武装艦隊は圧巻だった。あれに一斉射撃されたら、どうするのか? モビルギア二機とオンボロ貨物船だけで。
『お客様にお知らせです。少々揺れるので歯を食いしばって何かにお掴まりください。それから慣性装置の働いていない区画への移動もご遠慮ください。そろそろ戦闘開始です。来るぞ、クラミツ、シノノメ!』
『はいあぃ』
 タカラ・シマの号令に反応したか如く、敵艦隊が放射しながら突っ込んできた。凄まじい勢いで、巨大戦艦が迫る。窓いっぱいに怪物みたいな鼻面の機体が広がった時には生きた心地がしなかった。
 ふわっと腹が浮くような感覚がある。ハシリガネが急降下したのだ。足が掬われるように浮き、優しく包み込むように床が膝を覆った。痛みはない。
『見たかー、お客さんを乗せている時には、慣性装置を利用してスペーサーに船体をねじ込むんだ』
 あれだけの放射と艦隊を軽々回避しながら、まだレクチャーを続けている。

 と、後方へ行ったはずの敵船のひとつが、火を吹きながら前方へ流れていった。無惨なほど大破しており、中の人間は全滅だろう。
『……クラミツ、俺は動力部壊せっつったんだ、誰がデブリ作れって言った?』
『それどころじゃあねえ!』
『次ゴミ出したらオメー減俸処分だ。回収処理に金かかンだろうがっ。いいかチビども、デブリは敵だ! 海賊より敵だ』
 クラミツが操縦する戦闘機型モビルギアがラウンジの前を横切っていった。
 可哀想なクラミツ様。こんな不利な戦場で無能上司に無茶振りされて。撃破したらデブリが出るなど、当たり前ではないか。
 そうこうするうちに例の怪物船(エクラノプラン)が再び立ち塞がった。
 ぐるぅ、と振り回されるように身が揺れて、壁にとんと押されて止まる。酔いそうだ。何が操舵テクだ、揺れてばかりいる。

『くーらーみーちゅー』
『すいまっせんした! もうしない、もうしないって!』
『若、何を怒ってるので?』
 少年兵が訊いたくらいなので、このやりとりの真意はタカラとクラミツにしか分からない。
 実はクラミツ、支援母艦なしの艦隊戦でかなりテンパっていた。そのせいでタカラはクラミツのミスをそうと分からぬようフォローしながら、攻撃を回避しつつ機雷とダミービームで敵を撹乱し、本来なら全滅してもおかしくないところで踏ん張った。
 クラミツはエースである。彼が浮足立てば、後方支援のシノノメも動揺する。皇軍であれば処刑ものの大失態をやらかし、それを主君に隠蔽させたのだから、クラミツが焦るのも無理はない。

 何がどうなったのか、やがてエクラノプランが沈黙。今度こそ、クラミツ様はその華麗なテクニックで無能上司の命令を遂行したのだ。モビルギアを操る美しきエースパイロット。素敵だ。
 それをあんな聞こえよがしにオープンで叱るとは、一種の醜い示威行為に相違ない。やはりタカラ・シマ、憎むべき存在だ。

 彼女は志摩に到着してから、志摩邸宅で一般解放されている露天風呂で男湯を覗き、タカラ・シマの全裸を盗撮する。自慢のグラフィック技術で数千にも及ぶ卑猥なコラージュを仮想次元に流し、淫行疑惑を浮上させたうえでシヴァロマとの婚約を破綻させようと目論んだが、程なくして皇軍警察に逮捕された。
「なんでよ! タカラ・シマのエロ本なんかいくらでもあるじゃない!」
 と彼女は訴えたが、あくまでそれはイラストとして描かれた場合。似顔絵はあくまで似顔絵、その人物とは別物として扱われ、名前は記号化する。作者が同名の別人だと主張すれば否定する手段はなく、悪魔の証明になるからだ。
 しかし、写真は言い逃れ出来ない。どれほど萌え文化が繁盛しても皇王族のアイコラが出回らない訳を、彼女は理解していなかった。

 かくして、憎きタカラ・シマと敬愛するシヴァロマの挙式は、彼女が獄中に繋がれている間に行われたのである。ショッギョムッジョ。


***


 シヴァロマ皇子の挙式を一目見るために、大勢の人間が志摩へ押し寄せた。惑星全域の民宿までもが稼働し、当日は祝言の前に惑星の何箇所かを並んで歩く姿を臣民にお披露目する手はずとなっている。
 特にシヴァロマは露出の少ない皇子だ。メディアに登場するとすれば記者会見ばかりで、まずこのような保養地を歩く姿など目撃されない。そもそも彼は休暇をとったことがないのだから。

 ニヴル皇族専用船ヨルムンガンドが重厚なエアーを発しながらゆっくりとステーションに降り立った。
 テラの伝承にあったという、世界竜の名を冠した漆黒の宇宙船は、その名に恥じぬ風格を備えている。装甲はオブシディウム合金、装備は主砲一門で、あとはモビルギア格納ハンガーのセルハッチのみである。
 通常の母艦では一つから少数の飛行甲板のみだが、ヨルムンガンドでは全戦闘機を一度に出撃させられるらしい。
(あれとやりあったら、ハシリガネなんか一溜りもなかろうな)
 苦笑しながらタカラ・シマは搭乗口を見上げいていた。万が一、シヴァロマが双子のデオルカンと決裂した場合、デオルカンが双子の後援たる志摩に攻撃する可能性はなくはない。このヨルムンガンドと同じ船で。
 皇族を迎えたからには、相応の覚悟も必要だ。そろそろ軍備の調整を考慮すべきか。海賊からかっぱらってきた良い装備は売らずに溜め込んでいることであるし。

 ミドガルズオルムが口を開けた。漆黒の船体にぽっかり穴が表れるので、妙に目立つ。ボーディングブリッジが地に伸びて、シヴァロマ皇子が姿を見せた。
「よくおいでくださいました、婿どの」
「うむ」
「こちらが志摩当主カサヌイ・シマ、こちらは妹のナナセハナ・シマです」
「そうか」
 皇子は婚約者の血縁、ヤマト文化財にも少し目をやって頷くのみだった。

 タカラは本日、お引き摺りの和装である。裾は仮想テクスチャなので汚れはしない。が、歩き方には注意が要る。足の長い皇子にはちんたらした歩行が鬱陶しいようだ。
「市民にお披露目せねばなりませんから、ご辛抱なさいませ」
「分かっている」
 という返事も、実に苛々していた。

 ステーションから出ると、仮設バリケードの外から人々がわっと歓声を上げる。無愛想な婿に代わって手を振り、志摩邸宅に入る。
「すぐに別地方に飛びますが、まずはおくつろぎください」
「ああ」
「洗浄ポッドや風呂の用意もありますが……」
「構わん」
 頷きはするが、全くリラックスする様子がない。緊張しているのではなく、これが彼の常なのだろう。軽食や酒を出されても、シヴァロマに用意したソファでじっと前を見つめるのみだ。
 タカラのほうは、遠慮なく軽食をぱくついていた。自分が好きに振る舞うことで、シヴァロマの気持ちをほぐしたかった。まあ、好物の里芋田楽が食べたかっただけでもある。甘辛味噌の焼き団子も実に絶品。

 程なくして志摩邸を出発。南地方までスカイライナーでひとっ飛びして、分社のほうまで田園地帯を歩いた。収穫が終わった後なので風景が寒々しいのが残念だ。
 そして分社にて昼食。さすがに、シヴァロマは料理に口をつけた。
 皇族たるものあらゆる食器の扱いを心得ているらしく、箸さばきが巧みである。しかし、焼き魚には箸をつけなかった。栗きんとんはお好みだったのか、全てたいらげた。この分だと薩摩芋もお好みかもしれない。そのうち薩摩から仕入れよう。

 南分社を出て次は北へ。ちょうど八つ時なので、北分社では柚子きり蕎麦や白玉ぜんざいが出た。
「若さま、白玉はたんとおかわりがありますから沢山食べてくださいね」
「わーありがとー」
 ふくふくした下膨れの顔をした巫女のおばさんに甘えて、蕎麦を二杯、ぜんざいを三杯おかわりした。最後に志摩茶と漬物を頂いて、大満足。

 それから東西と裏側の分社を巡り、人々に愛想ふりまき、夕食の祝い膳に舌鼓を打っていると、これまで口を開かなかったシヴァロマが勘弁ならぬという表情でタカラを睨んだ。
「……どれだけ食うのだ、お前は!」
「ふほっ」
 もぐもぐ、ごくん。
 鯛の塩釜焼き美味しいです。
「黙って見ておれば、貴様、朝から行く先行く先で延々食っておるではないか」
「ほうでふ?」
「はしたない! それでも王族かっ。食うか話すかどちらかにせよ!」
「………」

 ぱくぱくぱくぱくぱくぱくぱく

「……食うのをやめぬか!!」
 怒鳴られて、最後の一口を嚥下する。そしてへらっと笑った。
「婿どのは、少食ですねえ」
「予定があるのにそう腹を満たせるか」
「腹が減っては戦が出来ぬですよー。軍人たるもの、食べられる時に食べねば」
「一理あるが、貴様、体脂肪率はどうなっている」
「たいしぼー率……」
 首を傾げ、腕を組み、考え込んでから、
「腹は出てないし、鍛えてますし、でぶって言われたことないから大丈夫かと」
「明らかに消費カロリー以上のエネルギーを摂取しているだろう!」
 ご不興をかってしまった。
 しかし、このくらいで堪える性格なら、クラミツは苦労していない。天ぷらが冷めるので食事再開。あ、ごはんのおかわりお願いします。
 婿どのは頭を抱えてしまった。

「………初夜までにはその腹の中身を残らず洗浄しておけ。胃の腑にも残すな」
「初夜!?」
 驚きのあまり、飯が喉に。圧迫感に苦しんで胸元をどんどん叩く。
「んぐっ、初夜はないかと思っておりました」
「規律は規律だ。仕方あるまい」
 実に嫌そうだ。検分があるでなし、ヤったことにして口裏を合わせれば済むのではなかろうか。
(初夜……初夜か)
 確かに一応、全身磨いてあるが、実感はなかった。

 それと、休養中に房中術を習うには習ったのだが、男根の張り型にどうにも我慢ならず、咥えると必ず噛み砕いた。強顎は健在だ。
「そのように皇子殿下まで噛みちぎってしまうおつもりですか!」
 と先生に叱られ、まず尺八で馴らすことに。
 日がな一日尺八をぴろぴろすることによって、尺八の腕が上達した。そのうちハシリガネで披露しようかと思っている。フェラチオンのほうは全く上達しなかった。相変わらず、それっぽい形のものはキノコだろうがドアノブだろうが噛みちぎる。もはや習性だ。
 シヴァロマが強制さえしなければ問題ないはずだが、どうだろう。先に言うべきだろうか。


 しかし、その晩、心配は杞憂であったと思い知らされる。


 形ばかりの心のこもらない祝言の後、さんざん腸洗浄して床で待ち構えているところへ、Dスーツ姿のシヴァロマ皇子が現れた。宇宙服である。バックエアがシュコーシュコーと酸素提供していた。完全防備にも程があるだろう。
「あの……そこまでして寝る必要ありますかね」
「規律は規律だ」
 腹を決めた男の声音だ。
「タカラ・シマ。貴様は受け身の経験はあるか」
 覚えてなかろうとは思っていたが、自分がタカラを救出したことだけでなく、タカラが誘拐された事件自体、ご存知ない様子。
 ここまで綺麗さっぱり忘れ去られていると却って心地いい。素直に「ないです」と答えた。腐界では何千万人の男と寝たか知れないタカラだが、ほぼ処女同然である。セカンドバージンというやつだろうか。違うだろうか。

「ではそのように扱う」

 皇子が指を鳴らすと爆音が響き「すわテロか!」と慄くが、どうも皇子が指を鳴らした音らしい。どういう材質の骨なら、あんな音が出るのだ。
 外からワラワラと皇軍警察官たちが突入してきた。特殊部隊さながらの動作である。実際、特殊部隊なのかもしれない。
 志摩宙軍では逆立ちしても及ばぬ見事な身のこなしで、彼らは様々な機材を持ち込み、テーブルの上に各種小物を揃える。志摩側でも準備したが、ローションや張り型くらいだ。
「閣下、ご武運を!」
 ざっと一列に並んだ警官が敬礼して退去。

 唖然とするタカラを尻目に、婿は窪みがある謎のブロックを二つ、寝台の上に置いた。
「横になれ」
 前へならえ、と同じ語調の号令である。言われるままに、のそのそベッドに上がって仰向けに寝た。
「わひゃ」
 無造作にとられた足首を大きく開かされ、思わず肌襦袢の裾をおさえる。下には何も着けていない。
 シヴァロマはそういった初夜の相手に一切かまわず、例のブロックに腿を乗せ、上から同じブロックをかぶせて足を固定させた。もう片方も同じように拘束される。このブロック、見た目よりずっと重く、マットレスに食い込んでいる。大きく開脚して局部を晒す間抜けな状態にひきつる。
 次に、シヴァロマは帯を外さぬままタカラの合わせを下ろした。何やら腕まで上手く動かない。
 露わになった乳首に、コードのついた吸盤のようなものをつけられた。押し当てると空気が吸いだされてきゅっと締まる。変な感覚だ。
「うわっ」
 急に尻穴が濡れる。何をされたのかよく分からない。が、婿が防護手袋でポンプを持っている様子を見る限り、ローションかワセリンと推測される。
 それから彼はコードのついた不思議な突起物ついた棒? のようなものを持ち、
「苦痛はないと思うが、耐えろ」
「何を!? うひぎゃ」
 躊躇なく突っ込んだ。
 タカラには分からなかったが、例の『棒のようなもの』は前立腺を刺激する形状になっている。
 大した大きさではないので、痛みはない。が、ちくちくする。

 もうそろそろ見栄を張って「ヤリケツマンビッチですぅウヘヘ早く突っ込んでカモン」とでも言えば良かったと後悔し始めた。痔くらい現代の医療機器ならすぐに治る。入れてズコバコしてそれで終るなら、そのほうがましだった。
 というのも、シヴァロマが持ち込んだ機材、変態御用達・調教用の逸品らしい。かなり後になってから知った。様々な犯罪に関わってきた彼は、この機材が誘拐された婦女子に使用される現場に踏み込んだこともあり、それで知っていたとか。
 因みにこの機材自体は、違法ではない。あくまで合意の上で使うことを前提とした製品だ。アホほど高価だが。仮想次元のショップを覗いて後悔した。

 そのような事情を知らぬ今現在のタカラ・シマは、乳首と尻を襲うぴりぴりした刺激に混乱していた。
「ひぁっ、ぁ…あ、あんん……」
 思わずそんな鼻から抜けるような声が出てしまう。時折大きな波がきて、体が勝手にビクビク跳ねた。じわりとした熱が性器に溜まり、触られてもいないのに反り返ってどろどろ先走りで腹を濡らしていた。
「あぁはッ…んぅう。ひッ、んっ……ひ、ぁ……んぁあ」
 きゅうきゅう乳首を締めつける吸盤が断続的に痛痒い。尻は……どうなっているのか自分で分からぬが、焼けるように熱いし、括約筋が切なくて器具に食いつく。何やらもどかしい。指を突っ込んで掻き毟りたい衝動に襲われる。治りかけの傷がじんじん痒みを訴える感覚に、近い気がした。
「そろそろか」
 腕を組んでタカラが悶える姿を監視していた婿どのが、尻の器具を引き抜いた。もっと優しく! ちゅぽんと音を立てて一気に出たものだから、衝撃で腰が痙攣した。

「あ……あ、あ…あぁ」
 だらしなく舌を出してぼろぼろ涙を流す。これが所謂アヘ顔というやつなのかそうなのか。目はきっとレイプ目というものになっているに違いない。
 しかし、これでやっと合体してズコズコして終われる……と安堵したのも束の間、下準備はまだ終わっていなかった。
「ぎゃっふ」
 また何か突っ込まれた、今度は黒くて萎んだ何かを。

ピッ、ピッ―――

 規則正しい機材の電子音とともに、尻の中の器具が膨らみ、アナルが拡がる。それ以上は、と目を瞑るところで、プシューと空気が抜けた。
「はぁっ、はぁ……っ」
 何だろうこの謎の緊張感。気分は分娩台に乗せられた妊婦。機材のリズムがラマーズ法に似ていて余計に嫌だ。
 ピッピ、と更に器具は膨らんだ。もうだめ、と思うところで、再び萎む。もう一度。更にもう一度。二度あれば三度。
 だんだん慣れてきた、とすっかり疲弊して天井を見上げて油断するころ、それは起こった。

ヴ…ヴヴヴ……ヴー、グリュングリュン

「ひぎっ…うぎゃあぁあ…!」
 なんと中の器具が振動しながら膨らんだり萎んだりしながら、アナルの縁をマッサージし始めたのだ。中に小さな揉み玉が入っているらしく、回転しながら絶妙に襞をもみもみと。
 さんざん拡張されたので痛くはない、痛くはないが……
 尻穴の裏(・)から揉まれる(・・・・)経験など、そうはなかろう。あってたまるか。

ヴッ ヴッ ヴ プシュゥウウ……

 止まった。漸く止まってくれた。今度は生理的な涙ではなく、安堵の涙が頬を濡らす。タカラはこの時はじめてマリッジブルーを覚えていた。
「あぅ」
 すっかり緩くなったソコから器具がにゅるんと引きぬかれた。途端、ゾクゾクした快感が全身を奔り、背を反らせて打ち震える。
 すっかり改造された我が身が恐ろしい。これが腐界でよく見る『ケツマンコ』状態か。これがそうかそうなのか。仮想次元だけのファンタジーだと思っていたが、信仰を持って実現してしまったのか。ということはいずれ、突っ込まれるだけで潮吹きまくりイキっぱなしになるのか。死にたい。

 これだけの入念な処理を加えてから、ようやく、シヴァロマは自らの手でタカラの腰を掴み、立ったまま、Dスーツから出た謎の突起……完全密閉された分厚いゴム状の突起物を、押し当てた。中身はおそらくシヴァロマのペニスだろうが、ねえそれヤったことになります?
「あ…ん、はぁっ」
 先端がずるんと押し入ってきた。何というか、この時点で相当、穴が広がっている。大した巨根だ。なるほど、あれくらい拡張しないと、これは入らなかったろう。
「お前……」
 久々に婿どのが言葉を発した。が、タカラはまともに受け答え出来る状態にない。
「やはり過剰摂取ではないか! なんだこの柔い肌は!!」
「あんっや…やぁん!」
 そんな叱りながら、ずっぷり奥まで。やばい、気持ちいい、もう何だっていい。

「胸筋も大殿筋もこのように!」
「ひぃっ、ちゃ、ちゃんと腹筋割れっあっあっ」
「あれほど食して遅筋繊維ばかり鍛えていればこうもなろう!」
「あ…、いやぁ…っ、ゆる…し、あうぁあぅうう」
 時間をかけて調教したとはいえ、始めてなのにこの仕打ち。文字通り、ズッコンバッコン。固定された足が動く範囲で暴れ、つま先は丸まる。更に言うと、吸い付いたままの乳首の吸盤が地味に辛い。
 というかこれは、何プレイというのだろう。お仕置き? 何か違うような。そもそも初夜でお仕置きプレイもどうだろう。
 それからタカラの名誉のために追記しておくと、別に彼は肥満体ではない。むしろ身長に対してウェイトがなさすぎる程だ。ただ、よく食べる割に体脂肪率を気にしないのは確かで、痩せぎすではなく肉付きはよい。体脂肪率を親の敵のように憎むアダムアイルの皇族からすると、白いもち肌が妙にむっちりして見えるのだ。

「全く……!!」
「あっあっああっ」
 激しく腰を使いながら、皇子は苦々しく吐き捨てる。
「次までにそのけしからん肉体を鍛え直すがいい!」
「へ、なに…?? あ、や! やあっ……!! ッんぁあああッん」
 何か変なじわじわした強い快感の波が押し寄せ、頭の中が白く染まる。耐え難い快楽が神経を犯し、タカラはガクガク震えながら力尽きた。

 タカラから巨根を引き抜いた皇子は「フン」と鼻を鳴らし、添い寝するでもなく出ていった。あのスーツで添い寝されても、それはそれで困るが。
(……あの皇子、よく勃ったよなあ)
 呆然と手足を投げ出したまま、タカラはそのことに感心していた。


***


 近頃のシヴァロマ皇子の朝は、令夫人との通信で始まる。
『おはようございます、婿どの』
「ああ」
 その声で目覚めた殿下も、心なしご機嫌が良さそうだ。

 お部屋の壁に映し出される令夫人、タカラ・シマ様は指定された時間に秒単位できっちり通話をかけてくる。几帳面な殿下はこのことに満足されていらっしゃるようだ。
 映像のタカラ・シマ様は詰め襟姿である。シヴァロマ皇子も船上で過ごされることの多い御方だが、彼も早朝から仕事モードでいらっしゃることが多い。
 しかし―――お二人の通話を眺める、警護の軍警察官は、令夫人の姿に思う。こんな軍人がいるものかと。
 ヤマト人のタカラ・シマ様は、皇軍人から見るとあまりに小柄だ。一般人と比べればそれなりに鍛えているが、とにかく恵まれた体を鍛えに鍛え抜いて絞るガチムチ皇軍人の目には華奢にさえ見える。もし彼が皇軍に入れば、その日のうちに誰かの女にされているだろう。争奪戦で血の雨が降るかもしれない。
 おそらく、アダムアイルのごつくしい皇族として生まれたシヴァロマ皇子にも、そのように感じているはずだ。
 尤も、王族は大抵、男子もこのようなものではある。そもそも王侯貴族が軍人であるケースも少ない。その必要のない身分だ。

 タカラ・シマ様は美しい。皇族に及ぶところではないが、皇軍人に美貌は求められないのでシヴァロマ皇子に見慣れていても『美貌』と呼べるほどには美しい。
 最初はシヴァロマに似合いのきつい美人だな……と感じていた側近たちも、日々の通話を聞くうちにその印象が180度変わってしまった。
「貴様、今日の今朝のは何を?」
『今日は諸用でかなり早くに起床しましたので、その時に握り飯を五個、具はおかかと梅干しと豚の角煮と鮭といくらと蛸わさで、皆と一緒に朝食をとっておかわり三杯しました』
「食べ過ぎだ!!」
『あはは』
 泣き喚くワガママ貴族も黙るシヴァロマ皇子の一喝を受けても笑ってらっしゃる。何というか、大らかな方だ。

『そうそう、婚約した日に植えた千年桃花の盆栽が、だいぶ大きくなりましたよ。春には花をつけるでしょう』
 嬉しそうに植木を抱えて笑うお顔は、大変かわいらしい。シヴァロマ皇子が保護する形での結婚で、その事実をこの王子は知らぬはずだが、シヴァロマ皇子を素直に伴侶として慕ってなさるようだ。
 婚約の日に植えたとはまた、いじらしいことをなさる。
 カロリー過剰摂取に腹を立てていたシヴァロマ皇子も「そうか」と怒りを鎮めてしまう。この方の激昂を一瞬にして宥めるとは、ある種の才能だ。尊敬に値する。

 このような方がシヴァロマ皇子のお相手であることは、喜ばしいことだと思う。
 まず心臓が弱い方だと、シヴァロマ皇子の突然の噴火で失神しかねない。繊細で臆病な方であれば精神を病むだろう。
 タカラ・シマにはどちらの心配もない。見ていて安心感がある。
 それに、シヴァロマ皇子はあまりに滅私してヴェルトールの治安維持に務められた御方。休暇をとった日が一日たりともなく、人間らしい娯楽も知らない。何しろ、皇帝陛下と母妃の意向で五歳の時から皇軍警察に入り、醜い犯罪や悲惨な事件を処理されてきた。
 恐ろしいことに陛下は、ご自身のご子息を万引き犯の逮捕や酔っぱらいの取り調べなども幼いうちに経験させた。母妃は皇子に子供らしい遊びをさせることさえ一切許さず、甘えという甘えを彼から奪った。
 双子のデオルカン皇子は自由を許されていたにも関わらず、である。
 このあたりの事情は、王族ですらない一皇軍人である側近たちは知らない。しかし、あまりに酷いではないか。シヴァロマ皇子が潔癖症であるのも、人の温かみがない……とされるご気性や冷酷な部分も、無理からぬことだ。

 タカラ・シマ様と会話される朝のひと時、皇子の表情は心なし、柔らかい。
 しきたりのため仕方なくした結婚だからこそ、皇子の冷えきった心を溶かすきっかけになればと願わずにはおれない。

 しかし、皇子の穏やかな日々は、突如として終焉を告げる。
『……おはようございます、婿どの』
 昨日まではころころとよく変わる表情を見せてくれた令夫人が、何やら思いつめた様子で朝の挨拶を告げたのだ。シヴァロマ皇子も何事かあったかと、刑事の顔で向き直る。一種の職業病だ。
「何があった」
『何でも……』
「何でもという顔ではない。志摩に問題があったならすぐに報告しろ。伴侶の星に何かあれば、俺の責任となる」
『志摩は、関係ないです」
「では、何だ。はっきり言え」
 シヴァロマ皇子は苛々と声を荒らげる。この方は怒りはするが辛抱強くもある。どうも、タカラ様の変化に焦っている、ような……もしや心配なのか?

『………』
 その日の令夫人は和装であった。外星系の者からすると手術着のようにも見える、白い合わせ。たっぷりした袖を合わせてもじもじしているように見えた。あの服装は、そうすると胸元が見えそうで見えないのが何とも言えない。
『……が』
「なんだ」
『婿どのがっ! 来ないからっ……!』
 おもむろに令夫人は合わせを掴んで左右に開いた。ぶぼっ、という声は隣の同僚。
 タカラ・シマの細いのに肉づきの良い白い胸元で、赤く熟れた乳首がぷっくりと勃ちあがっていた。
『婿どのがあんな機械を使うから、こんなになってるんですっ! なのに放置プレイ一ヶ月目突入! なんすかこれ! 服が擦れるたびにじんじんしてっ』
 涙目で訴える令夫人。あれは確かに辛かろう。

 シヴァロマ殿下がどのような顔をされているかは、警護の者には見えなかった。スクリーンを見上げて硬直し、無言だ。
『子供たちがじゃれて、うっかり此処を触ろうものなら大惨事ですよ! 変な声漏れて若どうしたのって。ゲップ出たとか苦まぎれの言い訳レパートリーも在庫切れです! どうしてくれるんですかあ』
 そのような状態で一ヶ月苦しんでいたというのに、今日の今日まで我慢されていらしたのか……
 警護の者は同情した。いや、同僚。同僚よ。口元おさえて前かがみで皇子の伴侶のB地区をガン見するのはやめなさい。確かにこのところ色気の欠片もない任務続きで息抜きも出来ない状況だったから気持ちは分かる。しかし殿下に殺されるぞ、あのデンドロビウムみたいな愛銃で。
 あの容姿は反則だと思うのだ。老け顔の多い外星系の者からすると、ヤマト人は成人しても子供に見える。

 いわば合法ロリ

 そういう印象を、他星系出身者に与える。ヤマトの王子の中でも特にタカラ・シマは特に幼く見えた。あくまで外星系の者からすれば、という話ではあるが……
 加えてあの志摩伝統の朱色アイライン。妙に色っぽい。この王子は流し目がちなつり目をしていて、あの瞳で見られると、誘われているような錯覚を覚える。
 おまけにあのけしからん肉体は何だ。細い。細くて小作りなのに、微かに浮いた筋肉の筋がうっすら脂肪に覆われ、全体的にむっちりふっくりして見える。おまけに腰がしなやかだった。そしてあのAカップ程度の胸筋が却って卑猥。

「…………」
 シヴァロマ皇子は、顔を片手で覆って俯かれた。
「解決案を模索しておく。今日中にだ。それから明日から音声通話にするように」
『うぅ…早めにお願いします』
「分かっている」
 乱暴に通話を切り、ふぅ……と疲れた溜息をついてから。
 ツンドラの瞳が警護の者を射抜いた。

「ヨクマサカル、バック」

 前かがみの同僚がびくっと肩を揺らした。もう一人も冷や汗を伝わせる。ヨクマサカルは同僚の名だ。そしてバックとは……控えの後輩と交代しろ、と意。
 皇子の怒りが解ければ戻れるが、出世コースから遠のいた。
 肩を落とす同僚に「お前悪くねえよ!」と目だけで励ました。彼は力なく頷いてから、すごすご部屋を退出してゆく。
「ヨクマサカル先輩には申し訳ないですが、自分はこのチャンスを精一杯活かしたいと思います!」
 若手でありながら成績を認められて控えにいた好青年の後輩。
 彼も翌日、出世コースから去っていった。

『ぅ……ふっ、むこどの………ん、ぁ』

 緊張走る皇子の室内。響き渡る音声オンリー。
『んん…あふ、おはようござい……』
「…………………貴様、何をしている」
『だって』
「昨晩に届くよう、乳絆創膏を届けてやったはずだが!」
 ニップレスです皇子。乳絆創膏ってなんですか。
『……あんなのっ! 根本的な解決にならないじゃないですか』
 令夫人の言い分も尤もだ。
 あの機材を用意したのは自分なので分かるが『不感症でも五分で肉奴隷』がキャッチコピーの極悪調教機だったのだ。言いつけられた際、皇子の頭を疑ったが、我が身可愛さで注進もせず命令に従ったことを後悔している。
 皇子は此方の方面に疎く、過去の事件で知ったこの機材なら初夜に役立つだろうと深く考えず購入したのが、仇になった。

『ふっ、ぇ…ふぇえ……まえだけじゃ、たりなくて、どうしたらいいんです。うしろになにか入れればいいんですか』
 肉奴隷仕様にされたというのに放ったらかしの王子は、体が切なくて泣いてしまっているようだ。
 この王子、声はちゃんと低くて明朗なのだが、妙に腰にクるというか、無邪気な性格のせいか嬌声も嫌味がない。あの一見きつそうな目でぽろぽろ涙をこぼし、柔らかそうな唇で嗚咽を漏らしているのかと思うと……
「まて、おちつけ。話せばわかる」
『おなかがちくちくして、ひっく、んぁ、あ…ぁん』
「…………!!」
 皇子が乱暴に髪を掻き乱した。長く仕えているが、あの皇子がこれほど取り乱す姿は初めてかもしれない。
「おちつけ! この部屋には他にも人間がいる!!」
『!!!!!?』
 婿だけでなく、警護の者まであられのない声を聞いていた。
 そのことに気づいて驚いた令夫人は、即座に通話を切る。

「トリテラン、バック!!」

 仕事一筋で女っ気のない職場で悶々としていた可哀想な後輩が、鼻血を噴いた咎でチャンスをその日のうちにふいにする。
 不意打ちとはいえ、夫人に欲情するなど確かに罰されても仕方のないことではあるが、それにしてもシヴァロマ皇子にしては感情的な処断のように思えてならない。
 自分は長年鍛えた鉄面皮で何とか耐えたが………
 あれはしょうがないでしょう、ねえ。


***


 皇宙軍の仕事は主に訓練、演習、訓練と訓練、軍備調整、紛争の鎮圧、敵対エイリアンへの威嚇、逆に友好エイリアンへの軍の貸与などが該当する。
 多忙と言えば多忙だが、ひっきりなしに宇宙を奔走する皇軍警察と比べれば閑職とさえ言えた。
 双子の兄は、五歳の時分からそのクッソ忙しい罰ゲームのような職務をやらされていた。同時期にデオルカンも皇宙軍に放り込まれたものの、シヴァロマよりはマシな境遇だった。
 性格的に向いているとは思う。
 が、向いているのと限界は別問題。

「どうした、兄者」

 真昼のニヴルヘイム宮殿で、神経質な堅物の兄が酒のボトルをいくつも空けている。
 デオルカンが部屋に入る前から手を祈るように組み、そこに額を預けて憔悴した様子。これは、ただごとではない。生まれる前から一緒だった兄のこのような姿は、今までなかった。
 他人などヘモグロビンの詰まった袋程度にしか考えていないデオルカンだが、この兄には負い目がある。
 ニヴルの双子皇子は実験的な教育対象者だった。片方の大人しい子供は徹底的に厳しく躾け、片方の奔放な子供は大らかに育てる。その結果がこの、人間らしい楽しみを何一つ知らない憐れな男だ。
 彼を束縛する母妃を殺害したのは、せめてもの償いだった。母妃がいては、この先彼が人間性を得る機会さえ失われてしまう。
 この男は、女を抱いたことがない。興味すら抱けない。好意を抱くということが、どういう意味かさえ知らない。休み方も遊び方も知らない。娯楽を楽しめない。食事を美味いと感じることさえない。
 酒を呑むのは苦痛やストレスを誤魔化す為。それも普段は一杯ひっかける程度だ。

 そんな双子の兄が、自暴自棄に酒をくらっている。何事かと思う。
「………」
 既に相当呑んだのか、据わった目がデオルカンを睨みつけた。親の敵のように。いや、そういえば親の敵だったか。
 シヴァロマはボトルを掴んで前に突き出した。
「呑め」
「おう。貴様、どうしたというのだ」
「未だかつてない怒りに囚われて己を保てぬ」
 短気ではあるが、最後の一線で留まるシヴァロマが、己を保てぬほどの怒りで酒に逃げたと。
 注がれた酒を煽り、しげしげと双子を見た。常にきっちり整えられているプラチナブロンドがほつれて額にかかっている。
 彼はテーブルを拳で叩いた。勢いで端が粉砕。

「あのタカラ・シマには我慢がならぬ!!」

 なるほど、合点がいった。
 保護目的で結婚したはいいが、あのお気楽極楽あっぱらぴーの王子とは根本的に合わなかったのだろう。初めから無理があったのだ。
 しかし、夫婦喧嘩はデオルカンも食わぬ。
「嫌なら離婚してしまえ。外聞など気にするな」
「誰が離婚すると言った?」
 心外、いや不快だと言わんばかりに吐き捨てる。シヴァロマは恋人どころか友達すらいた試しがなく学ぶ機会もなかったろうが、会わない人間と無理して付き合ってもストレスが溜まる一方で得られるものなど何ひとつない。傷が浅いうちに別れるべき。
 しかし、あくまでシヴァロマは結婚生活を続ける気のようだ。
「あやつはどう言っても食事を控えん。早朝、朝食、昼食、間食、夕食、晩食、間食、夜食で酷い時には日に十度も食う」
「見かけによらず大食漢だな。しかし肥満体にも見えんし(どうでも)良いのではないか」
「よくはない。男のくせに卑猥な肉体をしおって……!!」

 ?

 話の方向性が、どうも……
 シヴァロマは憤懣遣る方無しという調子で拳が白くなるほど強く握り、奥歯を食い締める。
「あの者の緩みきった笑い顔は張り飛ばしたくなる」
「ずいぶん嫌っているな」
「それだけではない。あの不道徳に漲った腿を思い出すたびに食いちぎりたくなる。いや、腿に限らぬ、あらゆる箇所の肉をだ。それにあの貧弱な肩はベアバックで力の限り砕いてしまいたい」
「いや、貴様、それは……抱きしめたいのではないか?」
「これほどの殺意を抱いたことはない! 罪なき幼い少女を何人も拉致し皮を剥いだ姿で飼っていた凶悪犯を処刑した時よりもだ!!」
「あー、あの事件、貴様それほど怒りを……いや待て、その程度の怒りだったのか?」
「俺にも、なぜこれほど腹が立つのかわからぬが、その衝動が全身を駆け巡っている。寝ても覚めてもだ。だが……」
 シヴァロマは項垂れた。何だこいつは。本当にシヴァロマなのか? 偽物か?
「アジャラから救出した際、あの男は今にも泣き出しそうであった。あの顔は見たくない……」
 殺してやりたいほど憎んでいるというのに、泣かせたくはない。
 言っていることは猟奇的だが、彼の欲求は全く別の方向にある。そのことが、彼には処理しきれぬのだ。
 デオルカンは兄の肩を叩いた。

「二十年以上、貴様は一日たりとて休息しなかった。もういい。俺が皇軍警察を請け負う。貴様は半年ほど休め」
「下らん。休暇など必要ない」
「貴様は自分の限界を知らんだけだ。といっても急に抜けられては困る、そうだな……三ヶ月後には志摩は春を迎える。ヤマトは桜が咲く時期だ。その頃に行け」
「…………」
 もっと激しく抵抗するかと思いきや、シヴァロマは考え込んだ。この機に乗じて皇軍警察を乗っ取る気か……などの疑惑も、一切口にしない。
 頭にあるのは寝ても覚めてもシヴァロマを悩ませるタカラ・シマの『張り倒したくなる笑い顔』のこと。





『昨日はすみませんでした、婿どの。はしたない真似を……』
 よほど堪えたのか、このシヴァロマ・ヨドルグ・ヲガ・ニヴルの喝にも怯まぬタカラ・シマがしょぼくれた様子で映像通話で謝罪した。高い詰め襟に制帽を目深に被り、顔もよく見えない。
 シヴァロマはそのことに舌打ちする。理由は不明だが、苛つく。この男はシヴァロマの逆鱗に触れる天才だ。

「謝罪する必要はない。あの機材がどういったものかは、知っていた。配慮が足りなかったことを詫びる」
『いや、まあ、その……もういいです。では、これで相殺ということで』
「お前がそれで良いなら、この話はここまでだ」
『へへ』
 何が可笑しいのか帽子の鍔を上げ、へらへら笑うタカラ・シマ。
 これだ、この顔だ。このふにゃけた顔を見ると、襟首を掴んで往復ビンタをかまし、無駄にふっくらした唇に齧り付いて窒息させてやりたくなる。
 他人の粘膜に口をつけるなど、シヴァロマの感性的にありえぬ不衛生な行為だが、どうにも歯の根が疼いて耐え難いのだ。
 だからと言ってタカラ・シマに「笑うな」と命ずる気にはならなかった。食事制限はさておき、どんな表情をしようがこの男の勝手。志摩は自治領で、志摩宙軍の主はこの男だ。軍人がにやつくべきではないと言っても文化の違いはあり、シヴァロマに口を挟む権利はない。

 とにかく話題を逸らすべく、シヴァロマは咳払いした。
「しかし、根本的な解決にはならぬ」
『そうですね……あの、婿どのさえよければ、俺、専門の人に頼……』
「あァ?」
『ひぃ』
 豪胆なタカラ・シマが小動物の如く身を竦ませる。反射的にチンピラやデオルカンのやるような下品極まりない威嚇をつい真似てしまったとはいえ、怖がりすぎだろう。
 おまけに唇を震わせて眉を下げてしまう。シヴァロマは、慌てた。ヘラついた顔はまだしも、この顔だけは見たくない。
「……三ヶ月後、俺は休暇をとり、志摩で半年ほど逗留する予定だ。仕事の合間にでも忍んでくるが良い」
『休暇!? 半年!? 本当ですか、婿どの』
「貴様は俺が冗談を言うために……」
『いや、別に疑った訳ではないので。ただ吃驚して。へへ、何だか婿どのが求婚してくれた日みたいですね』
「………」
『じゃあ、俺も同じ期間、休暇をとりましょう。実を言うと、俺もまとまった休暇をとったことがないんです』
 この男の場合、航行中に手が空いたり、コンディション調整のための期間を設けたりはするようだが、その間も当主代理としての仕事は絶えぬらしく、実のところ似た者同士だったのかもしれない。
「三ヶ月間、耐えられるか」
『はい、大丈夫です。うわあ、楽しみだなあ。へへへへへー』
「………」
 男児がにへらにへらと締まりなく笑いおって、全く………

 しばき倒したい

 通話を切断してから、ニヴル皇子シヴァロマは脳内で伴侶の頬を思うさま抓る想像で己を落ち着かせつつ、モーニングコーヒーを傾けた。
 とはいえ、昨日の遣り切れぬ激情は綺麗に消えていた。デオルカンの指摘通り、疲れていたのかもしれぬ。タカラ・シマは人を疲れさせる。
 その疲れさせる相手の元に休暇へ赴く矛盾について、彼は深く考えなかった。


***


 ところがだ。
 たかが三ヶ月、常のように流星のごとく過ぎ去ると疑いもしなかったシヴァロマは、生まれて初めて時の流れの遅延を感じていた。
「シヴァロマ皇子、犯人の声明文です!」
「人質の無事は確認されません。敵の数はおよそ数百名、最新鋭銃火器を装備しております」
「ご指示を!」
 複数の回線からの報告を聞きながら、シヴァロマは虚空に浮かべた仮想パネルを忙しく操作し、各陣営に指示を送る。
 何やら腰が重く、前頭葉のあたりが朦朧とする。体調管理を怠ったのか。いや、そんなはずはない。母妃のことは今でも憎悪しているほどだが、それでも健康に関する教育だけは感謝していた。

 本陣から見える位置に火の手が上がった。モニタを移すと二足歩行軍事モビルギアが数機、テロリストの立てこもる大使館の前から光線兵器で周辺を薙ぎ払っている。
(軍事用モビルギアだと?)
 一体どの経路から流出した。
 いや、それより対策を。この展開は予測していなかった。まさか、このシヴァロマがミスか。いや違う、万が一に備えて装甲モビルギアを後方に配置していた。火器を外して前線へ置き、トーチカに。
 その指示操作の片手間に、シヴァロマは皇族専用ポートを空けて緊急連絡をかけた。

『なぁにぃ、アタシ今忙しいんですけど?』

 気怠げな声で応答したのは長女クラライア。アダムアイルが誇るゴリラ皇女である。
 彼女は何処ぞの寝室で下着一枚。ボコボコした筋骨隆々の足を晒し、同じく下着姿の黒い肌の女を抱いていた。
「クラライア! テロリストが軍事モビルギアを所持しているぞ。陸軍を回せ!」
 罵声が爆音、轟音に霧散しそうになる。皇軍警察はあくまで警察だ。戦争をするために存在する訳ではなく、陸軍(惑星で戦闘を行う軍の総称で、陸空海を兼ねる)の装備には敵わない。
『あらら、だいぶ困ってるみたいね。いいわ、その星系に駐屯する陸軍を回してあげる。でも、もう邪魔しないでね。見ての通りお楽しみ中なの』
『まあ、弟君ですか、皇女』
『そうよぉ、ヴィーヴィー。ご覧なさい、あの固めたような眉間の皺。あいつそのうち絶対ハゲるわ』

 余計な世話だ。
 嫁ぎ先の王女の額に口づける姉に苛つきながら、通信を切った。
(タカラ・シマめ!)
 なぜか怒りの矛先が伴侶へ向かう。
 やけに重装備のテロリストへの怒りも、軍事兵器が漏れたことへの怒りも、クラライアが女と乳繰り合っていたことへの怒りも、タカラに集結する。
 オリエントの王女ヴィーヴィーは、恥ずかしげもなく艶かしい脚をクラライアに絡めて甘えていた。あの女などどうでも良い。しかしあの、足の動きを見た瞬間、タカラ・シマが妖艶に微笑みながら己へ足を絡めるイメージが湧いた。あの男、この非常時にも邪魔だてするか。

 大体、昨日の晩もだ。付近の市街が炎に包まれる。昨晩、あの男は勝手に人の夢の中に現れ、事もあろうに見知らぬ男に抱かれてヨがっていた。トーチカが一つ吹き飛んで、空高く舞う。
(配置、迂回路から特殊部隊ステルス潜入準備。火器が足らんっ、通報では数十名だったはずが何処からこれほど増えた? 装備もだ!)
 テロリストはかなり計画的に犯行に及んだのだろう。大使館に装備とモビルギアを隠していた。そうとしか思えない。ということは政府側に手引した者がいたという事実に繋がる。
 そもそも、この星の自治軍はどうした? なぜ応援に来ない?

――ぁぁ、ん……婿どの…………

 なぜこんな時に夢の内容が脳内でリフレインする!!
 どこの馬の骨とも知れぬ男に抱かれながら、シヴァロマの名を呼ぶな! あの男が悪いのだ、専門の者に頼むとか何とか下らぬことで耳を汚すから―――!
「デオルカン、貴様も来い!! この星は内部分裂を起こしたのかもしれん、これは事件ではない、戦争だ!」
『おお、なかなか派手な戦場じゃねえか。こりゃ楽しめそうだ』
『ロマぁ、データ採りたいんで実験中の軍事用トランスアニマルそっちに送っていいですかぁ』
「急に割り込むな、アーダーヴェイン! 好きにしろ、但しトランスアニマルの命の保証はしないっ」
 これで戦力は確保出来た。
 とはいえ、陸軍の応援も宙軍の到着も、少なくとも今日ではない。あと数日は軍警察のみで持ち堪えねば。それも、全軍ではない。ほんの十分の一だけで、だ。全軍を投入しては他地区の治安を維持できない。
 シヴァロマの長い一日が始まった。

『婿どのっ! ご無事ですか、何か志摩に出来ることは!』
 硝煙と建築材の焦げた匂いが漂う戦地の本陣で、いつも通りの時間に通信をかけてきたタカラ・シマ。
(もう、夜明けか)
 戦況に神経を集中させていたシヴァロマの緊張の糸が、タカラ・シマによって途切れた。どっと疲れが全身を襲う。
「………俺は、無事だ。此処はヤマトから遠い、志摩宙軍はあくまで自治軍だ。貴様の裁量で軍を寄越してみろ、指導能力欠如と見做し、貴様を廃嫡させてやる」
『私軍なら問題ありませんね』
「まあ、私軍であれば……しかし」
『微力ながら助太刀させて頂きます。ご武運を!』
「………」
 敬礼だけは、一人前だ。
 何やら腹の裡、横隔膜だろうか。そのあたりが、痒い。神経痛か? 痛むほどではないが、もやもやする。肋骨付近が締め付けられるような、妙な感覚だ。
(タカラ・シマめ……)
 毒づきながら、浮かんだのは笑みだった。

 戦況は悪い。敵は宇宙から人員と装備を送っている。ヨルムンガンドが補給をある程度潰しているが、星の裏側にポッドを落とされると、もうどうしようもなかった。おそらく大使館には地下道がある。その捜索もさせているが、まだ見つかっていない。絶望的に人手が足りないのだ。
 いくらなんでも、辺境の星のたかか数十名だったテロの通報で誰がこんな展開を想定する。ほんの数時間で駆けつけただけでも表彰ものだ。
(軍事用兵器といい、何か大きな母体がある。軍警察本部からの連絡はない。情報を掴んでいないのか。どういうことだ? だとすればもしや、敵性エイリアンか)
 理屈に合わぬことが多すぎる。こういう時は大抵、人外生命体の仕業だ。ここまで大規模なのは近年なかった。
「殿下、ここは一時撤退を……」
「しかし、どう離脱する! 大気圏内でヨルムンガンドの支援はないぞ!!」
「特殊部隊が殿下の盾になります。殿下は皇帝となられる御方、我々はそう信じております。このような場所で御身を散らすなど、あってはなりません。令夫人も悲しまれます」
(死ぬ? 俺が死ぬだと)
 兄弟とやりあって命を落とすならとにかく、辺境のテロリストに敗れて死ぬ。

 まだ、タカラ・シマをこの手で抱いていない

 シヴァロマは常に全力を尽くす。故に過失があっても後悔はしない。
 だが、今、彼はどうしようもない後悔に襲われていた。なぜ、初夜のあの時にこの手で、何も覆わぬこの手で、あの肌を触れておかなかった。いつ死んでもおかしくないこの身の上で。
 部下がそこまで思いつめている事実、タカラ・シマに触れたいという欲求が自身にあるという事実に愕然とした。
「……撤退はせん」
 シヴァロマは愛銃を担ぎ、臨時司令塔装置から降り立った。
「ヨルムンガンドまで戻れる保証もない。この星を占領されれば後が厄介だ。せめて陸軍の応援が来るまで持ちこたえるぞ」
「はっ」
「随伴モビルギアを寄越せ。突入して敵兵器の数を削る」
 それが出来れば、暫く耐えられる。それが出来なければ、援軍が来るより先に消耗によって全滅する。ここが正念場だ。

 と、本陣付近の上空から青いレーザーが降った。まさか、衛星兵器か。ヨルムンガンドが破壊されたとでも?
 しかし、それは攻撃ではなかった。光が失せると共に、三体の丸いフォルムの蜘蛛型モビルギアが、足を上げて立つ。
 兵装は見えぬが、何だ? 敵か? もしやエイリアンの手先か。
 モノアイの中央に赤い点が灯り、モビルギアはぎゅるぎゅると首を回す。
『……ザ…ザー、あれ接続…おかし…婿どの、いますー?』
 不明瞭なノイズが晴れるころ、モビルギアはアームをぴこぴこさせながら左右に揺れた。このアホな動作。その発言。
「タカラ・シマか?」
『はいあぃ、タカラ・シマでございます』
『此方はカサヌイ・シマでござい』
『ナナセハナ・シマですぅ』
 他の二体までもが上下に身を振って踊りだした。援軍とは、まさかこれか。あれから大して経過していないのに、一体どうやってこんなものを……

『実は婿どのと結婚してから、思うところありまして、各星系の衛星バンクに遠隔操作モビルギアを預けていたんです。こうしておけば、婿どのに何かあってもすぐに駆けつけられるなーっと。早速役立つとはさすが俺』
『具体案は俺がしたんだがな、ガハハ』
 無能で有名な当主が自慢気に身を揺らす。
 しかし、衛星バンクになど兵器を預けられる訳がない。そんなことが出来ればテロリストが無限増殖する。従って、志摩親子がよこしたモビルギアも、ただ遠隔操作が出来るだけの鉄くずである。
「何をする気だ、そんな装備で」
『何って、あはは……婿どのったら疲れてるんですか?』
 確かに疲れた。貴様のせいで疲れた。
 駆動音を響かせながら、タカラ・ギアはモノアイを点滅させる。
『ヤマトが誇るウィッカーが三名、援軍に来たんですよ。もっと歓迎してください』
「……!」
 どうやら本当に半分眠っていたようだ。
 シヴァロマは部下を振り返り「ただちに随伴モビルギアを!」と指示する。
『ご覧のとおり、このモビルギアは遠隔操作ができて仮想次元を展開するだけの貧弱な装備です。さほど良い材質でもないので、走っているうちに関節が熱ダレしかねません』
「なぜそこで予算を削る」
『俺のポケットマネーじゃこれが限界だったんですよ!』
 全星域に配置するなら、王子の財力では無理がある。この短期間でよく用意したと褒めるべきだろう。無事に帰れたら、整備しなおしてやると心に誓った。

 トーチカを盾に気張る前衛部隊の背後に回り、現場から様子を伺う。
 殆ど廃墟と化した大使館の前には、三体の二足歩行ギアが見張りに立っていた。裏側にもう四体いるという情報をオペレーターから受信する。もうエネルギー残量もないのか、派手な掃射はしてこない。
『突っ込んでください、婿どの。何があってもお守りします』
 心強い言葉だが、シヴァロマは志摩の文化財どもに何が出来るのか、把握しきれていない。味方の装備を確認しきれぬ戦は怖いものだ。
 しかし、ウィッカーの能力を今ここで悠長に聞いてはいられなかった。
「信じるぞ、タカラ・シマ!」
『どーんとお任せくださいっ』
「………」
 シヴァロマは奥歯を喰いしめた。
 ああ、本当に、本当にこの馬鹿者は……


 生身で会ったら犯す


 シヴァロマは遮蔽物から無反動砲をぶちかました。一体の脇腹に活性酸素弾が炸裂し、機体が崩れる。敵機は倒れながら滅茶苦茶な方角に熱線を流した。付近の建物が一条の線を受けて爆発、その瓦礫の真下に味方が一名……
『神火清明、神風清明!』
 戦場に似つかわしくない愛らしい娘の声が何事かを唱えると同時、瓦礫が風に流されるかのように警官を避ける。実際、耳の側をゴッと風鳴が横切った。
『婿どの!』
 促され、シヴァロマはトーチカから躍り出た。一箇所にいては集中砲火を食らう。トーチカも最早もたない。
 味方が攻撃されてすぐに、他二体がレーザー砲を撃っている。その切れ間を狙ってトリガーを引くが、どうも狙いが定まらなかった。
『婿さまっ』
 ナナセハナ・ギアが横から襲うレーザーの前に立ちふさがり、円形のバリアを展開する。
 しかし、そこは安物のモビルギアである。
『あきゃあっ!?』
 熱で関節が溶け、無様に転がり落ちてしまった。最強の盾が早くも脱落。
『天切る土切る八方切る、天に八違い土に十の文字! 吹っ切って放つ!』
 いつか、アジャラに襲われていたタカラ・シマが唱えていた呪文を、今度は父親が唱えた。
 シヴァロマが仕留め損ねた半壊ギアが衝撃を受けて大使館の壁に激突した。しかし跳ね飛ばされながらカサヌイ・ギアに向かって熱線を発射、父親のモビルギアは原型すら失う。
『ひふみ よいむ なや ここのたり』
 父親とほぼ同時に詠唱していたタカラ・ギア。じゃっと車輪を滑らせながらシヴァロマの側についた。
『ふるべ! ゆらゆらとふるべ! 八握剣(やつかのつるぎ)!!』
 彼の言葉に反応したように、大地が震える。耐熱舗装路が地割れし、そこから巨大な刃が現れて三体目を串刺しにした。
(実像を伴う……?)
 シヴァロマは目を疑う。ウィッカーの力はおしなべて不可解なものだが、その中でも実像を伴うものは稀だ。ないとは言わぬが、あまり大規模なものは不可能らしい。
 ナナセハナのようにバリアを操る者は、他星系のウィッカーにもいる。念動力を使う者もいる。
 しかし、このような実像を伴う何かを呼び出すウィッカーは、他にいるのだろうか。まるでこれでは、魔法ではないか……
『婿どの、前門をクリア! 撤退を!』
 タカラ・ギアの声で我に帰り、シヴァロマは銃を構えながら後退した。

 その後、タカラ・ギアはシヴァロマを護衛してヨルムンガンドまで送り届けた。やがてもう一隻のヨルムンガンドがドッキングし、世界蛇は双頭となる。
「けっきょく、クラライアは来なかったのか」
「あの女にとっては、貴様を始末できる絶好のチャンスだ。何処かで高みの見物をしているだろうよ」
 戦場を求めて高揚している双子の弟の見解に溜息つく。無論、彼に対してではない。
『婿どの……』
 アームの先を突き合わせ、もじもじするタカラ・ギア。それにしても、このような低予算でよくこれほど多彩な動きが出来るものだ。
 シヴァロマは彼に改めて向き直った。
「命拾いをした、タカラ・シマ。礼を言おう」
『! あ、そんな。お礼なんて……えへ、うへへふひひ』
「………」
 シヴァロマは知らぬ「タカラが言われたい台詞ランキング一位」という地雷を踏み抜いたことにより、タカラ・ギアが気色の悪い笑い声をたてながらヨルムンガンドの床をローリングする。
 そんな彼を爪先で止め、デオルカンが愉快そうに覗きこんだ。
「こいつがタカラ・シマか」
『わっ! ……デオルカン様? うわわ、顔近いです近いです』
 小娘のようにモノアイをアームで覆って転がる蜘蛛型モビルギア。だから、なぜそのモーション性能の予算を素材に回さなかった。
「双子が世話になったな。こやつに恩を売ってやろうと思ったんだが、貴様のせいで台無しだ。賠償しろ」
『えぇ、賠償すか?』
「その者の言葉を本気にするな」
 呆れつつ、シヴァロマは横転するタカラ・ギアを捉えて自立させ、モノアイを睨むように覗きこむ。
『えっ、あっ、婿どの、顔が近……』
「重ねて礼を言う。よくやった。大した手柄だ、タカラ・シマ」
『わわ』
 タカラ・ギアはバタバタとアームを動かし、シヴァロマの手から逃れる。
『うっ、そんな褒められたら俺』
「……なぜ泣く」
『お、おお俺、もう帰ります』
 返事も待たずにタカラ・ギアは性急にシャットダウン。惜しむ間もなかった。

「………」
 光の消えたモノアイを眉を顰めて見下ろしていたが。
「あと二ヶ月か」
 思わず呟き、それを笑った双子の弟を鋭く睨んだ。


***


 シヴァロマは限界だった。
 あらゆる意味で限界だった。
 目は血走り、血管は浮き出、筋骨は盛り上がり、吐く息は鬼か悪魔の如し。出会う人すれ違う人が悲鳴を隠せない。失神者さえ続出した。

 タカラ・シマめ!
 このうえは生かしてはおけぬ!!

 だんだんと目的をはき違えて来ていることにすら、シヴァロマは気づかない。
 あらゆる雑事を倍速で片付け、あまつさえ仕事が残った状態でデオルカンに押し付けてまで志摩旅行を早めた。
 その頭にあるのは、タカラ・シマへの殺意。それのみである。

―――なぜ「会いたくて会いたくて震える」が「生かしておけない」に脳内変換されるのか、シヴァロマの思考回路は謎に満ちている。

 航行ですら苛つくので、体が鈍るのを覚悟の上でスリープポッドに入った。これで寝て目が覚めれば志摩に到着する。
「殿下、お目覚めください」
 想像以上に早かった。
 だが、これからが少々長い。長旅につかれた体を癒し、リハビリで元の状態に戻さねば。

 ホーク・ホールから志摩までの数日間で体を戻し、貧乏ゆすりをしたい思いでじりじりとヨルムンガンドがステーションに着陸する瞬間を待った。

「婿殿!」

 それは、それは嬉しそうに。
 めかしこんできたのだろう、婚約の際に植えたという千年桃花の羽織を纏ったタカラ・シマが満面の笑みで両手を広げ駆け寄ってくるのを、

 片腕に担いで攫った。

 ところで、アダムアイルは時速五十キロほどで走る。様々な臨界点を突破したシヴァロマはK点をも突破「ひげへえええひょへえあはあああ」と間抜けな悲鳴を上げるタカラ・シマになど構わず、志摩の宮殿にあたる庁舎にひた走る。
 千鳥居を駆け上がったところで(※移動装置は無視)特殊装甲の踵でブレーキをかけ、ややドリフト気味に宮入りを果たす。
「む、む、むこ…どの……?」
 軟弱にもシヴァロマの肩の上でへろへろと震えるタカラ・シマを睨みつけた。

「どこだ」
「はい?」
「貴様の部屋だ」
「………」
 タカラ・シマは震える指で上を指した。ゆえに階段を跳躍して昇る。タカラ・シマがまたも悲鳴を上げた。周囲も上げた。上げるほうが普通の感覚だが、その時のシヴァロマには「喧しい連中だ、騒乱罪で逮捕してやろうか」としか考えられなかった。

 ちなみにシヴァロマの側近もいたのだが、未だ宮殿に到着出来ていない。出来るはずがない。

 三階までの行程を四歩で済ませ、奥の角部屋らしいタカラ・シマの部屋を蹴破って押し入った。
 王子の部屋にしては、質素なものだ。むろん、家具はそれなりに高品質だったが、美術品の類はない。必要最低限といった程度だ。
 王族のくせにシングルのベッドで寝起きしているらしい。シヴァロマはタカラ・シマをその寝台へ放り投げた。

「ひぇえ、婿殿待って……まだ色々準備済ませてないですから、ていうかお道具もなくて……嘘でしょ!?」

 何も嘘ではない、真実で、現実だ。
 千年桃花の着物だと? ふざけた事をしやがって……はっ倒してくれようかこの野郎。脳内がデオルカンと同調しつつある(※デオルカンの名誉の為に言えばデオルカンはこのようなことは考えない)。やはり血は争えぬか。

 帯を引き裂き下着を破り捨て、着物に袖を通したまま裸体を晒すタカラ・シマの肌に手袋を外してそうっと触れてみた。
 指先からじわりと嫌な感覚が奔る。やはり、タカラ・シマ相手でも不潔さを感じる。とくに今の彼は冷や汗でじっとりと濡れていた。

 だが、それがどうした。

 不安がって腰の逃げるタカラ・シマの二の腕を掴んで肩を齧り、不道徳な腿の付け根を揉みしだく。
 その間、シヴァロマが蹴破り大破した扉には衝立が置かれていたが、シヴァロマの知るところではない。

「ああ、いやっ……」

 どうしてかタカラ・シマが抵抗を始める。それが腹立たしくもあり、煽られもする。
 とにかく出会ってすぐさまぶち犯す所存だったので、潤滑剤は携帯していた。ゴム? なんだそれは美味いのか?
 潔癖がなんだ。潔癖が怖くて警察やれるか。シヴァロマは潔癖だが汚れを恐れない。そんな弱点を抱えて犯罪者と戦えるはずがない。ただ少しかなり大分とても凄まじく嫌だというだけの話だ。

 例の調教装置のおかげで赤く熟れたけしからん乳首を思うさま舐めしゃぶり、性急に潤滑剤のボトルの先を足の間にこれでもかとかけ、ぐっちゃぐちゃに濡れそぼった性器に触れてさすってみた。
「あっあ、ああっ」
 胸を吸い、弄りながら性器を愛撫すれば、すぐに達して潤滑剤と精液が溶け混ざってわからなくなった。

 膝裏に手を差し込んで(手がぬめって掴みにくい)局部を露わにする。
 てらてらと光るアナルがきゅうっと怖がるように窄んでいた。
「むこど…むこどのっ……らんぼうしないで、お、おねが………」
 いつものシヴァロマであれば、タカラ・シマの泣きそうな顔は罪悪感で胸が締め付けられるはずなのだが、この時は完全に理性が飛んでいた。

 片足だけ上げさせた姿勢でぬぐぬぐと指をさしこみ、具合を試す。どれほどタカラ・シマが指を追い出そうと締め付けても、潤滑剤の魔力には敵わなかった。
 すぐに指は三本ほども受け入れるようになり、シヴァロマは張り詰めた自身を一気に突き入れた。
「うっ……ぐぅ」
 苦痛のうめき声がタカラ・シマの喉から漏れる。そのまま動かしても暫くは苦痛の悲鳴を上げていた。それさえ、今のシヴァロマには快楽のスパイスでしかない。

 しかし、一度は即席性奴隷調教を受けた身。すぐに順応してシヴァロマの背を引っかきながらもがき喘ぐようになる。
「んあぁんっ、むこどの……むこどのっ…あひ、あ、ああぁん、あ…っ!」
 アダムアイルの規格外サイズのペニスは簡単に小柄なタカラ・シマの直腸の奥にある秘所を暴いて抉りつける。抱えた足は暴れ、つま先がきゅうと丸まって快楽を主張した。

 シヴァロマのほうはといえば、潤滑剤が溢れて滑りが良すぎるあまりに快楽をうまく得られず、遮二無二腰を動かしていた。可哀そうなタカラ・シマはおかげで何度も何度もドライオーガズムを経験し、声が枯れるまで泣き叫び、シヴァロマに犯され続けた。

「――――婿殿! それ以上は息子が死んじまう!!」

 義父となったカサヌイ・シマの叫びではっと我に返る。
 のろのろと首を動かして視線を落とした先には、タカラ・シマは何の反応も返さずただ揺さぶられるがままになっていた。





 タカラ・シマが治療室へ運ばれ、シヴァロマは洗浄ポッドで身を清めてから少し。
 あの、壊れた人形のようになってしまった姿が脳裏から離れず、祈るようにして時が過ぎるのを待っていた。
「いやあ、びっくりしました」
 案外と平気そうな顔で帰って来た時には、反動で殴り倒しそうになったものである。

 ここは、客用に作られたという宮の離れ。
 朱塗りの御殿とは違い、素朴な木造の美を追求した屋敷で、昨今の宇宙ではまずお目に掛かれない見事な花や獣の木細工が柱などに散見される。
 縁側に置かれたカウチにいたシヴァロマの隣に腰を下ろし、タカラ・シマはにこにこしている。
「何がそんなに嬉しい」
「ええ? だって婿殿がDスーツなしで抱いてくれましたし、あんなに余裕なく俺を求めてくれたんだなって思うと、もしかして俺、愛されてる? って」


 愛?


 とんと縁のない単語だ。好悪ですら、シヴァロマにはよくわからぬというのに。
「それにね、案外、平気だったから。ううん、婿殿だからかな」
「なんだ」
「俺ね、むかし、海賊に凌辱されたんですよー」

 覚えていたのか……

 あまりに何でもない風にふるまい、助けたシヴァロマにも何も言わぬもので、てっきり幼さと事件のショックで忘れ去っているものと思った。
 シヴァロマも最近までは忘れていたが、タカラ・シマと結婚するにあたって過去を洗い、そして思い出した。あの小さな小さな痛ましい被害者と、図々しいほどふてぶてしいこの男が重ならなかったのだ。
 しかし、よくよく思い返すと海賊どもの性器を食いちぎって回ったらしいので、やはりタカラ・シマは幼くともタカラ・シマだったのだな、と今なら思う。

「こんな俺でも、それなりにトラウマがあるみたいで、今でも棒状のものを口元に持ってこられると、ダメなんです。婿殿はイラマチオとかしないから大丈夫でしたけど」
 けたけた笑うタカラ・シマは、先ほどの出来事をなかったことにしようとしているようだが。
「……許されたいとは思わない」
 シヴァロマは覚悟をしていた。あれは、例え夫婦間であっても許される所業ではなかった。シヴァロマともあろうものが、なぜああまでととち狂ってしまったのか、理解に苦しむ。

(なぜ、俺は……)
 隣で笑うタカラ・シマ。この男は、このように笑っている姿がよく似合う。それなのに、どうしてあんな顔で泣かせられた? どうしてそのくるくると志摩の四季よりも変化に富む表情が消えて失せるまで犯すことが出来た。

「俺は自首しようと思う」
「はあ!? いやいや、あれは和姦ですって。聞いてましたか? 俺、嬉しかったんですよー」
「そういう問題ではない。規律は、規律だ」
「規律だっていうなら、和姦で自首してきた男がいたとして、婿殿はどうしますか?」
 それはもちろん、追い返すが。追い返すけれども。

「だが、このままでは俺の気がおさまらぬ」
「そこまで仰るなら……うーん。そうだなあ、キス、してみませんか?」
「なに?」
「キスです。唇と唇を合わせて」
「あの、数百種類の菌が蠢く粘膜と粘膜を合わせるアレか?」
「そういわれてしまうと、アレなんですけども……」
 苦笑しながら、タカラ・シマは庭木の下に積もる葉を指さした。

「あの中には大量のダニがいます」
「ぐぬう!!」
「ダニは、葉を食べて分解し、やがて土にするのです。土から植物は生まれ、その植物を動物が食む……水も似たようなものです。ダニは星の清浄者なんです。決して汚いものなんかではないんですよ」

 シヴァロマは、いや現代において殆どの人間は人工整備された建物の中で育ち、生涯の殆どをそうして過ごす。殺菌消毒は当たり前のことで、それが清潔であるという認識がぬぐい切れない。
 志摩のような保養惑星では、いやかつて人類が住んでいたテラでは、天然の分解者がすべてを循環させることが当たり前だった。それこそが、志摩こそが自然としてあるべき姿なのだ。

「掌にも菌はいます。いるべくしています。俺たちを守ってくれているんです。あんまり嫌わらないであげてください。人間と人間の間に本物の愛は存在しないかもしれないけど、この子たちだけは間違うことはあっても絶対に裏切らない」

 シヴァロマは己の手を見つめた。この手が菌に塗れていることは知っている。あらゆる皮膚、あるいは体内にも菌はいる。
 他人のそれが嫌だという感覚はあった。
 しかし、それらがタカラ・シマを、この妻を守ってくれているのだと思うと、急に感謝の念のようなものが沸いてきた。

「キスを、するか」

 尋ねると、タカラ・シマは頬を染めて頷いた。夕日の赤色を吸ったような色であった。
 シヴァロマはごく自然に、嫌という感情もなく、タカラ・シマの柔らかな唇を味わった。





 月日はあっと言う間に過ぎ、志摩でのひとときは夢の泡のように消えていった。
 滞在中、挙式の時にはまったく眼中になかった志摩の美しい景色を妻と共に堪能し、行く先々で体を重ね、口づけをして、体温を分かち合った。

 タカラ・シマに教わった。このことを愛というのだと。触れ合い、寄り添い、胸が熱くなるこの感情が愛なのだと。

「ずいぶん腑抜けた顔になって帰ってきやがったな」
 皇軍警察を預かっていた双子の弟に揶揄われても調子が出ない。
 久方ぶりの軍用マントを重く感じながら、シヴァロマは双子をぼんやりと見返した。
「デオルカン。皇族をやめるにはどうしたらいいんだろうな」
「はあ? アダムアイルは死ぬまでアダムアイル、やめられるもんかよ」
「ならばせめて、皇軍警察を辞したい。幼少期からやっているんだ、もうよかろう。時間はとれぬし婿に入ったというのに志摩にも行けぬ」
「本気か? 骨抜きにされちまったのか」

 なんとでも言うがいい。もはやうんざりなのだ、犯罪者の尻を追いかけて不毛な戦いを続けるのは。
 タカラ・シマはヤマト王になると息巻いているし、それを手伝ってやりたい。アダムアイル皇子シヴァロマとしてではなく、ただのシヴァロマになりたかった。
 こんな感情は初めてだ。

「いや、いや、いや……せめて次の皇帝が即位して皇子が育つまでは無理だ」
「ならば皇宙軍を俺によこせ。貴様にそのまま皇軍警察を任せる。そのほうが自由が利く」
「冗談じゃないわ。こんなクソな職務やってられるか」
「そのクソな職務をずっと俺に任せきりにしていた貴様が言えたクチか。嫌ならばさっさと即位して子供を作ることだな。
 これから陛下に言上してくる」
「ちょっと待てロ……ロマァ!!」

 何とも晴れやかな気分だ。清々しい。皇宙軍なら皇軍警察と違って数か月に一度は休みをとれるし、タカラ・シマをヨルムンガンドに誘うことすら可能だ。



 愛を知らず、愛を知った皇子、シヴァロマ。
 そして彼に愛を教えた王子タカラ・シマ。
 彼らの物語は続くが、シヴァロマが愛を知ったところで一応の幕が下りる。

 願わくば彼らの愛が永遠のものであることを、千年桃花に祈る。


【第一部 完】