まあちょっと聞いてくれよ。
うちの会社は通販もやってる老舗で、私は事務、あの子は通販処理。
これが吃驚するほど仕事ができない。遅い、ミスは多い、物覚えが悪いの三重苦。通販処理が滞るとこっちに仕事回ってくるのも遅れるんで、彼女のせいで残業した数知れず。
おかげで今年のGPF、勝生くんのライスト見損ねちまった。ほんとは有給とってバルセロナまで行きたかったのに。
引退するか否かの瀬戸際で今年ヴィクトル・ニキフォロフがコーチについたんだよ? 日本のスケオタお祭り騒ぎ。なのにバルセロナどころかリアタイまで逃して、銀メダルとった結果から知った。犯人知ってから推理小説読む心境だった。いや、録画した神演技に泣いたけど。
話戻すけど、だから彼女にムカついてるって話じゃないよ。
彼女はあれで一応正社員。で、同僚のおばちゃんがパートで仕事出来るんだけどさ、ちょっと向こうの机でその娘をヒステリックに彼女を叱るわけ。
そんなもん日常的に聞かされるこっちの身にもなってくれよ。
で、あるとき休憩中にさ、そのおばちゃんが話しかけてきたわけ。ほぼ彼女に聞こえるように、要は陰口。
「いつもごめんねえ、栄子ちゃん。美依子ちゃんのせいで残業ばっかりさせて。どうしてあんなに仕事が出来ないのかしらね」
女ってさ、愚痴で繋がるとこあるじゃん。特に年配の人。
私それ苦手でさ。バイト先や前の職場で年上の女性とうまくやれた試しがねえ。
タバコの煙ふかしながら、足組み直した。
「人間って生存のための環境が変化し続ける生き物なんスよ」
「………え?」
「こんなハコの中で背中丸めて数字追っかけるようには出来てない。特に女。でも遺伝子は肉体の文化的事情なんか知ったこっちゃないから、事務処理が上手いか下手かなんてそんなレベルの話なんですよ」
あらゆる環境に順応するよう知能指数そのものは上がってるんだろうけどね。日本人だって開国してから急激に体型変わってるし。
おばちゃんはそれきり話しかけて来なくなった。
で、私に庇われたと感じたらしい美依子ちゃんが初めて向こうから接触してきた。
ここからが本題。
「栄子ちゃんて勝生くんのファンって聞いたけど、ほんと?」
マッジかよオイ。
ファンっていうか大ファンっていうかオタクっていうかカツキチだよ。
リアルで勝生くんファンどころかスケオタに出会うこと自体ないからフワってなった。オタじゃなくてもスケート見てる人くらいはいたけどさ、去年の酷い出来にリアルもネットも勝生くんバッシングでホント辛かった。
「今年の勝生くんネットで噂になってるから見てみたらすごくいいなって。いま日本で一番の人なんでしょ?」
「今の日本のレベルが低いことを差し引いても世界レベルで凄い選手だよ」
「ねー。なんか凄くイケメンの人がコーチになって色々あったって」
…………ん?
新規ファン大歓迎、と上機嫌に受け応えしてたが、首を傾げた。ちょっと待って、いくらスケートに詳しくなくたって、ヴィクニキの顔と名前くらい知ってるよな、普通な?
「勝生くんのコーチはヴィクトル・ニキフォロフって言って、去年に世界選手権で五連覇果たした宇宙一スケート上手い宇宙人だよ」
「宇宙人なの?」
少なくとも私はそう思ってるよ。
私なりに精一杯の社交性を発揮して、今晩食事か呑みでもどう、と誘った。彼氏持ちにこういうのどうかと思ったんだけど、快くオッケー貰った。
だが落ち着け私。相手は一般人で初心者だ。
はっきり言って私はかなりディープなオタク。勝生ファンが落ちるトコまで落ちた通称カツキチなんだ。いくら同士を見つけたからといって熱弁したらドン引かれること間違いない。
が、私にはとっておきの秘策があった。
何を隠そう高校時代、勝生くんと同級生だったのだ。
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いま思うと実にもったいないことをしたと思うが、勝生くんって普段はホントただの眼鏡くんなんだよ。
私も当時ピチピチの女子高生。弱小だったがバレー部の主将だった。うん、言いたいことは分かるよ。身長は171センチ。私はでかい。
バレーに青春かけてた私がスケートに詳しいはずもなく。
放課後、廊下の先で先生となんか話してる眼鏡くん見て、一緒に歩いてた友達が「勝生くんだ」と弾んだ声を出した。
「知り合い? てかあんな生徒いたっけ」
「遠征とか合宿とかでいないこと多いからねー。フュギアスケートの選手だよ。すっごいんだよ」
「スケート選手? オリンピックとか出んの?」
当時の私の認識としては、スケート選手が出場するのはオリンピックだけだと思ってた。グランプリシリーズとか世界選手権とか、アイスショーの存在すら知らなかった。
そんな私のにわか知識を友達はけたけた笑った。
「勝生くんはいまジュニアクラスだよ。でも、いつかはオリンピックにも出ると思う。そのくらい凄い子」
「へー……」
あの野暮ったい眼鏡くんがねえ、とそのまま彼の存在を忘却の彼方に追いやってしまった。
半個室の洒落た居酒屋に席とって、私がメニュー見るあいだ美依子はタケノコのお通し食ってた。
「普段の勝生くんって眼鏡なんだ」
「見てみ」
スマホ弄って演技中の勝生くんとオフショットを同時に見せてやった。美依子の箸が止まる。脳が画像の不一致起こして処理落ちした顔してるよ。
「え、なんか凄い。すっぴんの私とメイクした私くらい違う」
逆にすげーなそんな変わるのか美依子。所謂ゆるふわ系の可愛い系女子なんだが、あんたのすっぴん見てみたいわ。
「なんかね、高校時代と全く変わってない。これ23歳」
「私より年上!」
美依子、高卒なんだよな。驚きの19歳。その19歳に毎日がなるおばちゃんはアラファイ。大人気ねえ話よ。
そういや私と美依子ってヴィクニキと勝生くんくらいの年の差か。私が美依子のコーチやってるようなもんだよなあ。
「普段こんなんだから、まあ忘れちゃってたんだけどさ。でも、二年時に社交ダンスでクラス合同の体育の授業、三年の時に創作ダンスの授業があってさ」
「え、もしかして一緒に踊った?」
「そう、踊ったの。すげくない? 輪になって男女ペアを入れ替えながらフォークダンス。思春期だからさ、教わったばっかのダンスを照れながら手つないでたどたどしく踊るわけさ」
でも、勝生くん一人だけレベルが違った。
前述の通り私はバレー部主将の171センチ。時には自分より背の低い男子と当たって気まずくギクシャクしてた。男の子と気軽に話せるタイプでもなかったしねえ。
早く終われ、早く終われってガチコチになってた時、勝生くんとの番が回ってきた。眼鏡、してなかった。一瞬誰だかわかんなくてさ。
そんで、近眼だから眼鏡外すとちょっと顰めッ面になるのな。
身長差はほとんどなかった。でも、するっと私の手を取って腰に手を回して、明らかに周囲と違う優雅な足運びでリードしてくれるわけよ。
凛とした横顔に思わず惚れかけたわ。
何だか訳わかんない内にすぐペア入れ替え。
たぶん、女子全員があの日のこと覚えてる。前後の女子、ペア入れ替わっても二度見してたもん。今のなんだったの!?って顔して。
で、三年時の創作ダンス。
大学受験で殆ど授業なくなるから、卒業目前にした記念的な意味合いも含まれてたけど、大抵の奴が文句言ってたな。自分でダンス考えて踊れって公開処刑かよと。
殆どがダンスってよりナントカ体操みたいな動きで頑張ってた。
ただ、意外に上手い女子もいて、そういう子は小さい頃からバレエやってたり、ダンス部の子だったりして。
少なくとも男子は完全に体操だったな。よくて新体操。
勝生くんな。
もう脳裏に焼き付いて忘れらんないわ。
だってそうだろ、小さい頃から日本の文字背負ってて、バレエの先生はブノワ賞とったとかいう人で、部活やっててもインターハイで予選負けばっかしてる奴らしかそこにはいなかった。バレエやってる子だってあくまで「お稽古」の領域なんだよ。
伸びる手足と翻る掌。曲はなんだっけな、クラシックだったはずだけど。とにかく凄かった、一人だけ発表会じゃなくてステージで踊ってるみたいだった。
身長は同じくらいだけど、手足長い。体柔らかい。
一人持ち時間たった一分。罰ゲームみたいな授業にうんざりしてた私ら、唖然と見守ったよ。
私が勝生くんに興味を持ったのはそれからだ。フォークダンスの時は「あれは一体なんだったんだ……」で終わっちゃったから。
で、興味を持ったときには既に卒業間近。卒業式の日は勝生くん、海外にいたよ……
彼がシニアに上がり、グランプリシリーズなるものの存在を知って、動画見て呆然とした。
私は高校最後の部活、最後まで粘ったけどやっぱり県内ベスト16にも入れなくてさ。全国大会なんか夢のまた夢。全国制覇したチームなんて雲の上の存在だった。
それなのに、日本一すっとばして世界にいる人が、同じ学校の同じ学年にいた。
「やっぱりその頃から凄かった?」
目を輝かせて美依子が聞くけど、私は苦笑した。
「凄かったは凄かったけど、あんたは今年から見てるんでしょ。今年のあれ、世界記録更新だよ。勝生くんは緊張しぃでさ。ミスも多くて」
「去年、負けちゃったんだよね。去年負けたのに今年凄かったーってニュースとか」
負けたってもファイナリストだし。それ言ったらピチットくんも惨敗ってことにならない? 日本のニュースの書き方、ほんとイヤ。
全日本はぐうの音も出ないほどだったけどね! 転倒ダイジェストご馳走様だったけど。
「そのさあ、彼氏はいつから付き合ってんの? 高校?」
「うん。いま大学生。同じ大学通おうって約束してたんだけど、私は家の事情で進学できなくなっちゃったから……」
寂しそうにカシオレのグラス両手で持って俯く美依子。そんな事情があったんだね。頭の問題かと思ってごめんよ。そうだよな、家の都合がつけば浪人してたっておかしくない年齢なのに、もう就職してんだもんな。
「中学生くらいの頃から勝生くんのファンなんだって。その前からスケート好きだったみたいだけど。他の選手とか女子スケーターについても詳しいけど、何言ってるのか全然わかんなくて、いつも頷くだけなんだよね。専門用語多いし……」
カレよ。非スケオタの彼女相手に専門用語がちがちで語る奴があるか。しかもこんなフワフワしたタイプの子に。相手によっては別れ話になるぞ。
「でもよかったじゃん。恋人同士で同じ選手のファンになれて。一緒に応援できるし」
「そうなんだけど………」
美依子はもじ、と身を小さくした。なんだお前カワイイな。背もちっこいし。いいなあ、ちっこくて可愛い女の子。私もそんなふうに生まれたかった。
「応援はいいんだけど、出来れば栄子ちゃんに色々教わりたい」
「なんで?」
「だって………なんて言ったらいいか、とにかく女の子同士でキャーキャー騒ぎたい!」
ああー、わかる。わかるわ。
彼女いる男がアイドルにハマるのと逆バージョン。私ん時は男のほうが理解示してくれなくてさ。なんでアスリートのファンになるのが駄目なのさって聞いても、フィギュアスケートなんてちゃらちゃらなよなよして男の競技じゃないときたもんだ。
大喧嘩して別れたけど、たぶんあれは嫉妬だったんだろうなあ。
とりあえず私が編集して焼いた自家製勝生くんDVDを貸す約束して、その日は別れた。
[newpage]
ところで私は腐っている。
まさか三次元で同人する日が来るとは思わなかった。しかも同級生。
ごめん勝生くん。でもヴィクニキと公衆の面前でいちゃつきまくる君が悪い。
その日は缶ビール片手に腐女子仲間で地方在住の詩子(しいこ)と次の新刊について話してた。
「早くもネタ出尽くした感あるよね」
「どこのジャンルでも見たネタは既出だねえ」
本物たちが常に我々の先をゆくからな。
「そういやさ、会社で勝生くんのファンと知り合ったよ。すげーちっこくてふわふわしたお人形みたいな子」
「お前と真逆の生き物な」
「なんかすげーんだよ、わたあめみたいなんだよ。近づくといい匂いする」
「おまわりさんこの人です。あれだぞ、そんなピュアっ子に爛れたこと吹き込むんじゃないぞ」
「特に吹き込む気はないけど、ヴィクニキが爛れてるからどうしようもない」
「それな」
ヴィクニキはマジでどこまでガチなの? 押しかけコーチして素っ裸で抱きついてたけど。ピチットくんどころかレオくんとかグァンホンくんもいたらしいじゃん。
「あ、やべ」
「どうした」
「美依子に化したDVD、フライングキスとか跪いてキスとか、ヴィク勇シーンもダイジェスト編集して焼いてあるわ」
「それあかんやつ」
でも全世界に流れたじゃん! 私は悪くない!
と、そこで美依子からラインの通知が入った。
『栄子ちゃん。このこれ、なに?』
「どのどれよ」
『同じ衣装で滑ってる。イケメンのひと』
エキシか……! 衝撃だよな、いろんな意味で。
とりあえず美依子にはヴィクニキの動画集も見せないとなあ。そこ分からんと訳分かんないだろう。見ても分かんないかもしれないけど。
なんで世界王者が「ゆうり可愛いよゆうり」状態になってんのか本人に問いただしてみたい。
『なんかすごい……宝塚みたい』
「げふぉぶ」
「うわ汚っ、マジで鼻水吹いたような声がした!」
音声通話中の詩子に丸聞こえだった。すまん。実際鼻水出た。
「例のエキシがヅカっぽいって」
「的確すぎるな」
二人とも男なのにな。ヴィクニキのせいなのかは分からんけど……いや勝生くんのほうがよりヅカっぽさがある。何でだ。衣装のせいか? ヴィクニキ単品のときは全く感じなかったのに。
美依子のせいでもうヅカにしか見えねーよ!
「ウテナみあるよな」
「誰かがやってたよ、何度か見た」
「いっそ誰かまどまぎやってくんないかな……」
「ヴィクニキのQBみ」
「僕と契約して、五連覇してよ!」
何一つ間違ってないとこが凄いな、コーチ契約して五連覇。ヴィクニキがいる限り勝生くんに彼女出来ることなさそうだから、魔法使い待ったなし。ただし尻の無事は保証しない。
「勝生くんてさ……尻は無事なのかな」
「GPFのフリーの前日は完全にアレだろ」
「いやでもさ、一日休んでもケツだよ? 一番大事な試合前だよ? ただでさえ負荷の強いクワド跳べるか?」
「アナルおせっくすもちゃんと慣らせば大丈夫……と言いたいところだけど、私はスケーターじゃないから分からん」
アナルおせっくすはしたことあるんだな。いらん情報をありがとう、知りたくなかったぜ。たぶん愛する受けちゃんの気持ちが知りたいとかいう理由だったんだろうけど、そもそも我々に前立腺ねえからな?
「着氷するたび尻の痛みに耐える勝生くんか……尊いな」
「尊いけど流石にあの神プロの裏で尻の痛みに耐えてたとか考えたくない。プリセツキーが可哀想すぎる」
『わー、すごい。この黒い衣装の、愛について? 素敵』
穢れた話で盛り上がる私と、エロスを純粋に楽しむ美依子。温度差が激しい。
美依子もまさか勝生くんが「ヴィクニキを落とす魔性」を演じてあれ滑ってるとは思わないだろう。美しいカツ丼に至っては脳の配線どうなってんだと問い詰めたい。くそ可愛いです。
『なんか、イケメンの人がコーチになった年から急にえっち』
『え、フリーのほうも?』
『フリーのほうも』
「おい詩子。パンピー目線でもヴィクニキがコーチになってからフリーもえっちだってよ」
「ヴィクニキ何を教えに日本きたんだろうな」
「愛のレッスンだろ」
「スケートしろよ」
スケートはしてたろうけど、それ以外のレッスンがあったであろうところがな……
「GWで地元戻ったんだけどさ」
「は!? 初耳なんだけど」
言わなかったから。だってその頃、〆切だって泣いてたから。私はそのイベント落ちたからね。
「ストーカーにならん程度に遠巻きに見守ったんだけども、外にいる時は大抵ヴィクニキ自転車乗ってて、勝生くん走ってた」
「あー、ダイエットしてたね。てかニキ自転車乗るんだ……」
うん、なんかすげーシュールだったよ。氷上の絶対王者が黄色いママチャリ乗って走ってんの。スポーツカー乗り回してるイメージしかなかった。
あの人は面白そうだと思ったらセグウェイも乗るんだろうけど。
離そば動画のもちカツキは正月に飾りたいほどだった。
『かーくんがね』
「かーくん?」
『あ、カレのこと。隣で尊い……って言ってる』
彼氏くん改かーくん、だいぶこっちよりの人間の気がする。でも男性だよな?
『なんか拝んでる』
どういうことだってばよ……
「美依子ちゃんの彼氏がエキシ見て尊いってつぶやきながら拝んでるらしい」
「彼氏さ、カツキチじゃない? ちょっと美依子ちゃん経由で彼氏にカツキチ知ってる?って聞いてみて」
カツキチ。それはいくところまでいってしまった変態のための変態の集い。
我々にとって勝生くんの転倒はご褒美であり、いつまで経っても拙いインタビューは癒やしであり、泣き顔はご本尊である。
で、聞いてみたところ、
『かーくん、栄子ちゃんもか!って言ってる。えとね、ヴィクニキ? 降臨? の時、おのぼりさんがAVに出演したみたいーって言った人がかーくんだって』
「かーくんに私はハセツ民だと伝えてください」
新しいお話を拝読できて大変うれしゅうございます💛 「カツキチ」って、すごくありそう!と大きく肯いてしまいました。なぜ‘ヅカっぽい’師弟に多くの腐女子がハマったのか、突き詰めてみたら論文が一本かけそうですよね。幸せなひとときをありがとうございました。
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