目が覚めると、魔法使いになっていた。
意味が分からないと思う。俺にも分からない。だが聞いてくれ。起きたら魔法使いだったんだ。童貞がどうとかそんな問題じゃなく、魔法使いだったんだ!
まず俺は昨晩、学校から帰って部屋にカバンを投げ出し、部活の疲れで眠りについた。弱小野球部だが練習はきつい。部長が変わってからは特に。
で、起きたら円形の塔に住んでて、魔法使いだったんだよ。
たとえばこれがナルニア物語だったら、箪笥の中に入ると異世界に行く。ピーターパンならピーターが迎えにきてネバーランドに行く。どっちも元の自分のままだ。
死んで生まれ変わったなら赤ん坊になってるはずだろ。
でも俺は、もう成人した一人前の魔法使いだったんだよ。
顔も変わっていた、銀色の髪に碧い瞳で、ルーノサイトという人種。そういう知識もある。魔法の知識もこの世界の知識もちゃんとある。
でも、俺は昨日までただの高校球児だったんだぞ! どうしてこんなことになってるんだ?
ハーブだの薬草だのが壁から下がった部屋で途方に暮れながら、状況を確認する。
まず、魔法の知識はあるが、自分が誰だか分からない。名前も分からない。いや、高校球児だった俺の名前と経歴は覚えてるけどな? この世界の魔法使いである自分の名前と経歴が分からないんだ。
本当に自分が魔法使いなのか、試してみた。
俺はトーテムを操る系統の魔法使いらしい。手を翳して呪文を唱えると、光り輝く治癒のトーテムがその場に立つ。ほんわりと暖かな光に包まれると、体が癒される感覚があった。
とりあえず、外に出るべきだろうか。
困惑していると、扉が開いた。
「よい朝じゃな、主よ!」
誰だこいつ。
背の高いひょろっとした印象の男だった。可愛いと美しいの半々。薄い赤髪をゆるく編んでいて、いかにもファンタジーな衣装を纏っている。
「あんた、誰だ」
尋ねると、その男は眉を寄せ、俺の額に触れたり、頬を引っ張ったりしてから、口端をへんなふうに下げる。
「ふざけておるのか? ならば俺は悲しいぞ、主。そのような嘘はいかん」
「ふざけてない。あんた、俺の知り合いなんだな? 驚かないで、話を聞いてくれ」
俺は事の次第を男に説明した。今まで全く別の人生を別の世界で歩んでいたこと、起きたらここにいて魔法使いになっていたこと、知識はあるけど記憶がまったくないこと。
「ふーむ。俺の視点から聞くと、むしろ別の世界で生きていたこと自体が夢のように思えるが……しかし、夢を見て記憶を失うというのは聞いたことがないの」
「俺もない」
「ともあれ、主の名はリズアルじゃ。俺と契約した過去がある」
「あんた人じゃないのか」
「それも忘れてしもうたのか。うむ」
男は考え込む素振りを見せ―――急に艶っぽく微笑んだ。
「ならばこれも忘れてしまったのだろう。主と俺は恋仲であったのだぞ」
「はあ……? 俺もお前も男、だよな」
「俺と主は愛し合っていたのじゃ―――!」
「うわ!!」
男に襲いかかられ、床に引き倒される。来ていた簡素な寝巻きを肩まで引き下ろされて貞操の危機を覚えた。
「―――やめろミクラエヴァ!!」
叫んで頭突きをかまし、男を引き剥がす。男は額を抱えながらよろよろと俺の横に沈んだ。
「うむ……相変わらずの見事な石頭じゃ、主。ところで、いま、俺の名を呼ばなかったか?」
「え?」
そういえば頭に血が昇って、何か喚いた気がするが。
ミクラエヴァ、それがこいつの名前なのか。
「主よ」
男、改ミクラエヴァは俺の隣に居住まいを正して座り、先ほどとうってかわって神妙な表情をする。俺も起き上がって彼に向き直った。
「記憶がないというが、俺の名前を思い出したということは、全くない……というわけではなかろう。違う世界での生活が夢か真かは別にしてな。
ともあれ、主に記憶がないならば、留意して頂かなければならぬことがある」
「なんだ、勿体ぶって……」
「一月に一度、契約の更新をせねばならない。それを怠ると俺と主の契約は途切れる」
「その期限は……」
「新月の夜までじゃ。今はまだ問題ない。先日交換を行ったばかりゆえな」
ていうか契約って……なんの? 使役して得があるんだろうか、このひょろっこい奴。
「なんにせよ職場へ向かおうぞ、主。社長のアルラは遅刻に煩い」
まだ混乱は続いていたが、とにかく生きなきゃならない。帰る手段も探さなきゃだしな。
塔の外へ出るとそこはカオスだった。
筒みたいな体した生き物がうごうご道を歩いてるし、頭から花咲かせた女の子がいるし、四足で走るナマモノの車みたいのが走ってるし。生きている時計塔が身を揺らしながら時を刻んでいる。
空にはクジラが飛んでいた。
「あれは動く魔法大図書館じゃ」
「ああ―――」
知識にはある。でも見るのは初めてだから、どうにもこうにも脳にクる。
この世界は善神が邪神に敗れ、邪神が支配している。
とはいえ秩序を望む邪神と混沌を望む邪神がいて、折衷案で今の状態が保たれてる感じだ。ディストピアながらも一応の秩序が機能してる感じ。
そこらへんで普通に暴行や強盗が行われてんだけどな。見ないふり……
ここは魔法都市ゲルドラ。数多の魔法学園と研究機関がある。バイオマギノロジーが発達していて、乗り物から台所に至るまでナマモノが使用されている。
「社長、大変なのじゃ、主が」
「遅い! 給料さっぴくわよアンタら!!」
何かのいかがわしい店かと思うくらいおピンクな内装の建物に到着すると、マニキュア塗ってる美女に叱り飛ばされた。この人が社長のアルラさんか。こ、こわい……化粧ケッバ。
奥の生きてる窯で何かをグツグツ煮てる奴が、
「ひっひひ。ひひっひ。うひひひっひ」
不気味な笑い声を上げている。
そしてテーブルに髑髏だの燃え盛る香炉だの置いたフードを目深に被った奴が静かに炎を見つめていた。
端的に何だこの職場。
「で、何が大変だって?」
「主が記憶喪失なのじゃ」
「クビね」
「魔法の使い方は覚えてるらしいのじゃ、俺がいるのだからクビは勘弁してあげてほしいのじゃー!」
「まあ、ミクラエヴァが可愛いから許してあげようかしらね。で、何を忘れたの?」
視線を向けられて俺は縮こまった。
「その……俺は昨日まで魔法なんかない別の世界で平和に学生をやっていて……」
「昨日は普通に仕事して帰ったわよね、アンタ。夢でも見たんじゃないの」
「しかし、社長。主は俺のことも皆のことも全て忘れてるのじゃ」
「ふーん……まあ仕事に差しつかなければいいわよ」
適当な人だな。この場合は有り難いのか。
「それで、ここは何の会社なんですか」
「それも忘れたの! めんどくさいわねえ。アンタの顔が可愛くなかったら許してないわよ」
「す、すいません……」
「うちは占いから呪殺まで幅広く請け負う解決屋。あんたは荒事専門。そのために雇ってんだから、そこはちゃんとしてよね」
「だ、大丈夫じゃ! 俺が主についておる」
ミクラエヴァ、優しいな……右も左もわからないこの状況で、コイツがいなかったら俺、心折れてたかもしんない。
「これから予約のお客様がいらっしゃるから、しっかりしなさいよ」
俺、野球三昧でバイトもしたことない……ちわーっす! とか言えばいいのか? 野球帽ないけど。
お客様は小さな二足歩行のトカゲだった。ちょっとかわいい。でもあちこち包帯まいて怪我をしているようだ。痛ましい。
「実は、復讐をお願いしたくて……」
「直接コースと呪術コースがございますが、どちらにいたしますか?」
「直接! 痛みを! 奴らに教えてやっていただきたい!!」
「リズアル、ミクラエヴァ、ボコにしてらっしゃい。殺していいわよ」
「え……」
生死問わずの復讐を託された俺は戸惑い、社長とトカゲを見比べる。
「そういうのは警察に言ったほうが……復讐は復讐しか生まないって言いますし」
「バカね。この街にはとっちめられないと分からない奴しか住んでないのよ」
「余計恨まれそうっていうか、俺も巻き込まれそうっていうか」
「そういう時のためにアンタには高い金払ってんの! つべこべ言わずに行きなさい!!」
怖い。
へどもどしていると、トカゲのほうも不安になってきたようで「あのう……」と手をもじつかせた。
「この方、本当に信頼できるのでしょうか?」
「そこは大丈夫! こっちのはポンコツだけど、背の高いカワイコちゃんのほうは邪神よ」
邪神だったんかワレ!
ぎょっとしてミクラエヴァを見上げると、へらへら笑顔を向けられた。ほんとにこいつ、邪神なのか……?
気乗りしなさそうなトカゲと一緒に街へ出て、郊外のほうへ進んでいく。
「この都市にも階級があるんです。爬虫類の類は魔法が苦手ですからスラムに住んでいます。僕はその中でも特に弱い部類で」
「差別ってイヤだな」
「そんなことはない」
急にミクラエヴァが憤慨し始めた。
「差別によって技術や文化は磨かれるのじゃ。差別されるから見返す努力をする。差別に屈した時こそ真なる奴隷に成り下がる時よ」
「そう……そうですね。おっしゃる通りです」
トカゲはしょぼくれた。
一理あるかもしれねえけどな。俺はミクラエヴァを睨みつけた。
「弱い奴に価値がないなんて誰が決めた? もしかしたら凄い何かを秘めてるかもしれないのに。人類は多様性によって発展したんだ。弱肉強食ってのはバカみたいだと思うけどな」
「差別もまた多様性の一部であるぞ?」
「差別をなくすのも差別への抵抗だろ」
言いながら、俺は自分自身に違和感を覚えていた。野球一筋の野球バカの俺が、差別について議論してら。昨日までの俺なら絶対にしなかったことだ……
「どうじゃ、矮小なるトカゲよ。我が主はなかなかのものであろう」
なぜか、ミクラエヴァが偉そうに胸を張った。なんなんだ、こいつ。そして早速矮小とか差別してるし。
「なんだかお二人のお話を聞いていたら、自分が本当に小さいもののように思えてきました。復讐なんてやめたほうがいいのかも……」
「自分の手で仕返ししたらどうだ?」
とっちめること自体はやったほうがいいみたいだし、代替案を出してみる。
「もちろん一人でやれなんて言わない。俺が支援するし、危なくなったらミクラエヴァに止めさせる。きっとスッキリするぜ」
「僕にできるでしょうか……!」
「やってみなくちゃ分からないさ」
「………!」
トカゲさんはつぶらな瞳をきらきらさせて俺を見上げる。か、かわいい……そうだ。
「お客様、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「あ、ハリです。よろしくおねがいします」
「俺は加藤……じゃなかった、リズアルだ。こっちはミクラエヴァ」
「主以外の者と特に宜しくする気はないがな」
「お前」
トカゲさんのこと嫌いなのか? 社長に対する態度と違いすぎる。
スラムまでやってきた。想像に勝るきったなさ。汚すぎて描写するのを憚る汚さ。お食事中の方はすみませんって看板が必要だろ、ここ。
「正面から入ると絡まれますので……」
トカゲさんはささっと狭い路地に入るが、俺らはそこ入れねえわ。
「どこで落ち合えば?」
「正面の十字路ですー」
正面から入らなきゃいけないのね、やっぱり。
ガラの悪いワニとか。ヘビとか。腕組んでじろじろと俺たちを見てる。
「なあ、兄ちゃん。ちょっと金貸してほしいんだけどさあ」
お決まりの文句でカツアゲしてこようとするワニさんにヒエッとなったが、
「我が主に触れるでない」
顔を歪めて牙をむいたミクラエヴァが、ワニの手を握りつぶした。
「ぎゃぁああ!」
「ばか、エヴァ! やりすぎだ」
「ぷぷーん」
何が「ぷぷーん」だよ。
そういうやりとりがあってから、誰も近寄って来なくなった。ただ、十字路には悪そうな一団がたむろしていて、こいつらがターゲットとすぐに分かった。
「えーと……本当に大丈夫だよな」
「爬虫類ごとき、ものの数にも入らんわ」
めっちゃ怖そうですけどね……ワニヘビって言ったら野生であったら悲鳴を上げて逃げるレベルの動物だよ。
すっかり震え上がっちまってる俺の元へ、トカゲさんが現れた。
「お、お、おまえら! こ、このまえの…か、かか、かりを、かえしてやる!!」
「はあ? 誰だお前」
ワニボスがフシュっと鼻から息を吹いた。
そいつらがトカゲさんに向かって歩き出すもんで、俺はできるだけ攻撃的な……射撃トーテムを二本、両手を差し伸べて呼び出した。
えぇと、それがだな。
トカゲさんが何かするまでもなく、エヴァが動くまでもなく、あっという間にズドドド……とワニさんたちを乱射して鎮圧してしまった。
「あれ? えーと……」
「加減もわからんのか、主よ」
呆れ声でエヴァに叱られた。
「え、し……死んだ?」
倒れて動かないワニさんたちを見て、俺は青くなる。うわあ、どうしよう。殺人犯になっちまった。
エヴァがついと指先を動かすと、彼らの体から白いもやのようなものが浮き上がった。それらはエヴァの手元にやってきて、ひとかたまりになる。エヴァはそれを口に放り込んだ。
「まずい。主よ、どうせなら上質な魂が喰らいたいぞ」
「く、く、食うなよ!」
「俺の主食は魂と負のネファーじゃ。食うなというのは酷な話よ」
ネファーっていうのは感情エネルギー。憤怒とか憎悪とか、色々種類がある。これが集まるとネファスって怪物になったりするんだけど、今はさておき。
「トカゲさん、自分でやるって言ってたのに、なんかごめん」
「いいえ、いいのです」
すっきりした様子で、トカゲさんはにっこりした。
「あのとき、僕は本気で挑むつもりでした。でも、本当には勝てなかったと思います。挑戦する気持ちを持てただけ、少し前に進めた気がします。
お二人に会えてよかったです。また何かあったら依頼しに行きますね」
「うん……」
トカゲさんは手を振りながら狭い路地に帰っていった。
料金は前払い。後日、お礼の連絡もあったようで、
「初仕事にしちゃよかったんじゃない」
社長もお喜びだ。
うっかりとほっこりしかけたが、人、殺して喜ばれて礼言われるっておかしな世界だよな。この感覚に慣れちゃいけないと思う。
完全に染まりきったらGTAの住人になっちまう。早いとこ元の世界へ帰らなくちゃ。
ネファーとネファス、こちらにつながってきたんですね! トカゲさんが可愛くて癒されました♪ エヴァさんとリズさんは(女性CPみたいですね)恋人同士なのか、それともエヴァさんの口から出まかせなのか、とっても気になります。
返信削除繋がってるというか、設定引っ張ってきた感じです。トカゲさん、二度と出てこないけどカワイイですね!エヴァと加藤…リズアルの関係は今後明かされていきます
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