2019年11月4日月曜日

一時保存

 とあるひどい災害があって、地上は生物の住みにくい土地になってしまった。この先、復興するのは何百年先になるやらという話らしい。

 らしい、というのは、この物語の主人公であるカサネがその話を聞いたのは神域に召し上げられてからのことだったからだ。
 本家の楽院が天人として神域に仕えることになり、分家も神域に移住した。それで、五楽院家の長子であるカサネも、何がなんだか分からないまま天人になった。

 五楽院 歌小音。それが彼の名だ。
 ちょっと、いやかなり変わったところのある少年で、天人になった年は十六。十六にしては上背があるものの、大人と比べれば薄い体をしている。灰色がかった亜麻色の髪を持ち、顔立ちは愛らしさを残しながらきりりと整っており、出会う人は「良い目をしている」とカサネを褒めた。
 褒められるだけはある真っ直ぐした目をしていて、その目のとおり、性根もよい。ただ、根性も良い。

 楽院一族を召し上げたのは花神シキさまである。楽院一族は、召し上げられた際、この神さまに歓迎を受けて、一度だけ目通りしたことがある。カサネも末席で宴席に混ざった。
 このとき、カサネはすっかりこの神さまにのぼせあがってしまった。
 無理もない話で、花神は神々の中でもとびきりの美丈夫だった。淡い薄桃の髪、目鼻立ち、白い手のひら、何をとっても何処も花で出来たような神だったのだ。

 若いカサネが神さまにのぼせあがる、ここまでは珍しい話ではない。幾多の神や天人天女が花神に懸想している。慕うだけなら罪にもならない。

 こんなことがあった。
 花神が病にかかった。人と神ではかかる病気も違うが、まあ人で言うところの肺炎くらいの規模だ。ひどくすると神力を失い、消滅してしまうかもしれない。国中が狼狽えた。
 そうは言っても花神には最高の医師や祈祷師、薬師がついていたし、下々の者は祈ることしかできない。

 カサネは違った。花神が病気だと聞くや家を飛び出して、帰らなくなった。
 一族の者は一番年若いカサネをそれは可愛がっていたので、神さまのご病気に続き、カサネの失踪に心を痛めた。
 が、数日後にはけろりとした顔をして帰った。ただし、満身創痍で片足と片腕が折れ、血まみれだった。母親がわりにカサネを育てた四楽院の若君は卒倒し、五楽院の父は悲鳴を上げ、カサネを末の子のようにかわいがっていた楽院本家当主はカサネを問いただした。

「神さまがご病気だというので、万病に効くという薬をとりにいっていた」

 聞いて一族は真っ青になった。その薬、不死鳥の卵である。気の遠くなるような断崖絶壁にあり、おまけに不死鳥の攻撃を掻い潜って卵を盗まねばならない。よくも生きて帰ったものだ。
「落ちた時は死んだものと思ったが、天人というのは丈夫なものだと驚いた」
 驚いたとはこちらの台詞だ。些か無茶をする子だと知られていたものの、まさかこれほどまでとは思わなかった。

 不死鳥の卵は一応、奉納した。それが効いたかは不明だが、花神さまは間もなくして健康を取り戻した。

 また、あるときカサネが部屋に篭って一生懸命に祝詞を書いているので、四楽院の若君、留歌が尋ねた。
「熱心だね。何をしているんだい」
「千枚書いて千羽鶴にする」
「………」
 祝詞は色とりどりの和紙にみっちり書かれていた。千枚の祝詞が書かれた鶴。それはもはや怪奇現象ではなかろうか。
 とはいえカサネの想いのこもった千羽鶴は、いちおう奉納祭で奉納した。

 そんなこんなで幾年月、一族の者は天人になるだけはあって大らかで「カサネは本当に花神さまが好きだなあ」と朗らかに笑えるまでになった。
 こんなものは子供が英雄に憧れるようなもので、カサネの想いはどこまでも純粋であったから、そっとしておこうという結論に至ったのだ。

 だが、当人はそれで収まらない。
「なんだ、ずいぶん暗い顔だな」
「三柳の」
 七色の清水が溢れる泉のほとりで物思いにふけるカサネに、友人が声をかけた。カサネと同じく本家のついでで天人になった家の子で、それが切欠で知り合った。
 花の浮かぶ泉に足をひたして水遊びをしていたカサネは、膝に頬杖をつく。
「奉納祭では下級神さまや上天人たちがこぞって素晴らしい宝物を奉納するだろう」
「そりゃあなあ」
「俺の贈り物なんて、目にもされないまま、仕舞われておしまいだ。大切にされたいとは思わない、ただ、ひと目見てもらえるくらいの何かを贈りたい。それが出来たらもう、この想いは遂げられる」
「ふーん……」
 しゃがみこんで友人の横顔を見る三柳は、考えた。

 まあ、どうやってもいつかはけじめをつけなければならない想いだ。花神さまは生まれし時より祝福され、愛され、素晴らしいものに囲まれてきた王の器の神。どう足掻いても成り上がり天人の分家の子が相手にされる訳がない。
 カサネの並々ならぬ想いのことは知っていたので、三柳も真剣に考えた。

「そういえば……御子神さまのご機嫌をとると、願いの叶う宝玉を賜るというぞ」
 べつに、それを取りに行けという訳ではなく、思いついたものを口にしただけだったのだが、カサネはすっくと立ち上がった。
「行ってくる」
「正気か!」
 靴を履いてずんずん歩いていくカサネを見て、これはもう止められないと感じ、慌てて楽院家に知らせにいったが、
「一度こうと決めたらもう、縛り付けても止まらないので……」
 五楽院の父君と四楽院の若君が揃ってため息つくので、三柳はとんでもないことをしてしまったと後悔に駆られたのだった。

 さて、その御子神は花の国と天根の国の堺に居を構えている。
 花の国は花神の神力に護られ、どこにいても清水や果実があるので飲食物には困らない。ただ、国境ともなると花神の守護が薄れていき、曖昧になってくる。凶暴な霊獣が住み着くこともあるし、素行の悪い神が隠れ住まうこともあった。
 天人たちが護衛を連れて来るような場所に、カサネはずんずん分け入る。五色の木々が輝く土地を抜け、暗い森をゆき、何日か彷徨って汚泥の沼にたどり着いた。

 その沼に立つ岩に、幼い少年が腰掛けている。童子とも思えぬ、なんとも艶めいた少年で、カサネを見るなり鼻を鳴らした。
「なんだい、また命知らずが願いの宝玉をもらいに―――いやお前なにしてんの」
 御子神をほぼ無視して沼を迂回し、沼の脇で朽ち果てた祠をしげしげ観察するカサネに、御子神は首を向けた。

「えぇと、とりあえず撤去するしかなさそうだな」
「撤去、するな! 僕の社だぞ!」
「御神体はちゃんと確保する。俺は御子神さまのおやしろにお参りに来たんだ。なのにおやしろがこんなんじゃ困る」

 御子神は面食らった。呪われた御子神の沼にくるのは、噂を聞いて願いの宝玉を賜ることしか考えない輩ばかり。大抵が、御子神を見るなり這いつくばってそれを乞う。
 ところが、突然現れた天人の少年は、御神体を外に出して朽ちた祠を蹴飛ばして壊し、破片を片付け始めた。

 それから小瓶に入った砂のようなものを土にかけ、石と木片と蔓で作った即席の道具で土をひたすら混ぜた。
 すると木のような壁が生えてきて、それが徐々に社の形に成っていく。カサネは出来ていく社の傍らで、ひたすら土を混ぜては、その土を社の中へ運んでいた。一日や二日ではない、十日はかかったと思われる。
 その間、カサネは一度も御子神を見ることも、口をきくこともなかった。
 ようやく完成した社に御神体を移し、またどこかへ消えたかと思えば、どっさり果物を社に供えた。

「―――それで機嫌をとったつもり?」
 やっと、御子神はカサネに声をかけた。カサネもやっと御子神を振り向いて、いいえ、と言った。
「だから、俺は、お参りにきたんです。確かに願いの宝珠がほしいとは想いましたが、お参りするおやしろがないんじゃ困ります。まずそこからです」
「あ、そう……」
 呆れたが、天人の中にはこういう、変に真っ直ぐした奴がいるのは承知していたので、御子神も多くは追求しなかった。

「で、何の願いを叶えたくてここまできたの。おっかさんが病気にでもなったかい?」
「いや、そんな立派な理由じゃない。次の奉納祭で花神さまに相応しいものを献上したくて……」
「はあ」
 御子神は、何言ってんだこいつ、と思ったが、あくまでカサネは真剣だった。
「自分の望みを叶えたいんじゃなくて、花神の願いを叶えてやりたいの。そりゃまたなんで?」
「お慕いしているので」
「で、目に留まりたいって?」
「いえ、ただ、喜んで貰えたらそれでいい」
「ふうん」
 御子神は面白くもなく、鼻を鳴らした。

 御子神はその名のとおり、子の神。人間が子を贄にその魂を神と祀った、呪われた神だ。ここが神域になるまえ、この沼に沈められて殺された。
 花神と違い、その誕生は誰にも祝福されなかった。神官もいない。巫女もいない。奉納祭などあるはずもない。
 そんな自分から宝玉を賜って、愛され何にも不自由しない花神に捧げるという。面白いはずがない。

「僕のいわくは知っているね」
「存じてます」
「お前の望み、叶えてやってもいいけど条件をつけるよ。失恋したら呪いによって死んでもらう」
 絶世の女神天女に囲まれた花神に、この天人が見初められることは絶対にない。ただただ「まだ」失恋していないに過ぎないだけなのだ。御子神は彼が怖気づくだろうと勝ち誇った。
 しかし、カサネはほっとした顔をして、
「頂けるんですか」
 喜んだ。
「わかってんの。死ぬよ? 絶対死ぬよ。絶対叶わない恋なんだから」
「ああ、はい」
「死ぬの怖くないの」
「怖いと言えば怖いですが、俺はもともと人間で……たまたま天人になりましたが、いつかは死ぬ定命のものでしたし」
 御子神はますます面白くなくなった。御子神は、神になる前、殺されるのは本当に恐ろしかった。神になって久しいが、未だにあの恐怖は忘れえぬ。
「じゃあ、死ね。宝珠はくれてやる、勝手に死ね」
 天人の少年の手に小さな宝珠を生み、御子神は沼に潜った。ああ、気分が悪い。ひと眠りだ。

 カサネは御子神さまに御礼を言い、社が埋もれるほど捧げものをして、帰った。奉納祭がくるまでも、何度も足繁く通い、供物を捧げたり、社に色を塗ったり、周辺を整備したり、甲斐甲斐しくした。御子神はそれを承知していたが、知らぬふりをした。

 さて、花の国の奉納祭は国をあげて行われる豪華絢爛の祭事。この国を守護する花神さまに感謝するため、天人たちはこれでもかと贅を凝らし、工夫する。
「お前の宝珠、花神さまの目に留まるといいなあ」
 あちこちにご馳走と花の並ぶ都で、三柳はカサネに言った。供物の行列が花神宮に納められていく。毎年あの大量の供物がどこへ消えるのか不思議だが、まあ、神域だから容量などさしたる問題ではないのだろう。

 カサネはあまり笑わない子である。しかし、この日ばかりは嬉しそうにしていた。滅多に飲まない酒を呑んで、一族と、三柳と祭りを楽しんでいた。
 それが、呼び出されたのは祭りの最中であった。

「五楽院。花神さまがお呼びである。参れ」

 宮つきの神官と神兵が現れて、雅やかな音楽と歓声に包まれていた広場が俄にしんとした。このような前例はなかったし、まるで罪人を捕らえるような剣呑さだったからだ。
 楽院家ではなく、五楽院と指名されたので、青ざめた父とともにカサネは花神宮に向かった。さすがのカサネも緊張した、父にまで迷惑がかかるとは思わなかったからだ。

 宮に入ると天女たちが袖を合わせて頭を垂れ、左右に並んでおり、神官に連れられて正面の階段を登ってゆく。
 神域に召されたとき、一度だけ足を踏み入れたことのある花神の居室に再び来た。だが、今回は一族の末席、片隅ではなく、父の斜め後ろである。金の花屏風の前に座し、豊かな髪と着物を纏う花髪が、春の陽のように優しく微笑んでいる。
 その光景にうっとりしたが、それだけでなく、異変もあった。
 花神のとなりに、御子神が立っているのである。最近まで沼の底で眠っていた御子神が、機嫌のよさそうな顔でカサネを見ていた。

「固くならぬでよい。五楽院よ、以前に不死鳥の卵を奉納したな」
「は……」
「心づくしをありがとうなあ」
「申し上げます。あの品は私ではなく、私の息子である歌小音が命をかけて手に入れたものでございます」
「うん、そのようだなあ。して、この宝珠もそこな幼い天人の献上物らしいな」
 水を向けられ、カサネはかちこちに硬直していた。言葉もなかった。憧れて憧れて焦がれて焦がれて慕った神さまがそばにいて、カサネの話をしている。頭が、まっしろだった。

 花神は掌に乗せた宝珠を見つめ、フフと苦笑した。
「この宝珠は、確かに願いを叶えてくれるが、それを叶えるのは御子神どのの神力でなあ。俺がこれに願うと、神が神に願うことになってしまう」
(あ……)
 カサネはかっと赤面した。よく考えれば、そうだ。なんと浅はかなことをしてしまったのだろう。これを咎めるために呼ばれたに違いない。カサネは涙目で、震えた。

「おや、おや。まことに可憐で愛いことだ。俺はこれを使えぬが、お前の心はしかと受け取った。
 先の不死鳥の卵の件とあわせ、褒美をとらそう。何がよいかな」

 カサネはくらくらして訳が分からなくなった。神に「褒美、何がいい」と言われたら、それこそ殆どの願いが叶う。神にさえなれる。そんなことは願わないけれども、それほどのお言葉だった。
「滅相もなく……こうしてお目通りできただけで、俺はもう、なにも」
「そう言わず。お前が何を願うのか、興味もある。言うてごらん」
 このやりとりの最中、なぜか御子神はにやにやしていた。カサネにはそれが不思議だったが、まずは眼の前のことだ。

 しばらく平伏し、懸命に動かない頭で考え、覚悟を決めて顔を上げた。
「では、では……烏滸がましいことと思いますが、御髪を一本いただけますか」
「はあ!?」
 と叫んだのは御子神だ。
「髪ィ!? 一本!? 何言ってんだ、お前はこいつを慕ってんだろ!」
「おや、そうなのか」
「愛人になりたいとかお側に召してくださいとか色々あるだろ!」
「俺は御髪がほしい」
 むっとしてカサネは膨れた。もともと、見返りがほしくてやったことではない。それに、花神に憧れる者が何千といて、彼ら彼女らも一生懸命の奉納をしたことをカサネは知っている。自分だけが何かを賜るなど罰当たりだ。御髪を一本頂くことすら、烏滸がましいと思う。

「そうか」
 花髪は朗らかに笑い、ぷつんと桃色の横髪を一本抜いた。花髪は横髪だけ長くして、後ろ足は短くしている。その長い横髪を、天女が金筋の走る懐紙に乗せて、カサネに運んできた。天女は微笑んで「よかったわね」と言いたげだ。
 カサネも思わず笑みほころんで。懐紙ごと御髪を受け取った。風に飛んでは困るので、一度折り、そこにある髪を胸に抱く。

「……あ、れ」
 ぐにゃりと視界が歪んだ。頭がふらふらし、とさりと倒れる。

「おや。舞い上がってしまったかなあ」
 花神は首を傾げた。神を前にすると、稀に感涙したり、卒倒したりする者が出るので、カサネもそうだろうと思った。
 しかし、懐紙を運んだ天女がカサネの頬に触れ、青ざめて振り返った。
「命の灯が消えようとしていまする……」
「なんと」
 いくらなんでも異常なことだ。天人は丈夫なので、脳卒中などで死ぬことは滅多にない。五楽院の父は悲鳴をあげてカサネを抱き上げ、涙を漏らし、息子を揺する。

 そこで御子神が笑った。
「あはは、呪いが発動したか」
「呪いとはどういうことか、御子神どの」
「宝珠を与える代わりに呪いをかけたのさ。その恋が実らなければ死んでもらうってね。本懐を遂げて、満足して、失恋と同じ条件が揃ったのさ」
「なんと……」
 御子神がその生まれゆえに少々歪んだところがあるとは知っていたが、こうまで残酷なことをするとは思わなかった。純粋な思いにつけこんで、死の呪いをかけるなど……

「髪一本で満足してよいのか?」
 花神は立ち上がり、命尽きようとしている少年の側に膝をついた。父親に抱かれる彼の、まだ大人になりきらぬ頬に触れ、そうと撫でる。
「お前はまだ何も遂げていないではないか……思いを告げることも、その努力も、道半ばであろう。無欲もよいが、そうやすやすと満足するものではない。
 そなたを俺の側づきとして召し抱えよう」
「はあ!?」
「御子神どの。このようなことをしていては、いつまでも童子のままだぞ」
「ふん!」
 御子神はへそを曲げて窓から飛び立っていった。カサネが失意のうちに命を散らし、自分と同じように惨く死ぬ様を見そこねたので、不満なのだ。

 その後姿を一瞥し、花神は天人の少年に視線を戻した。
「名は?」
「……かさ、ね。歌に…小さな音、とかいて、かさね」
「かさねか。良い名だ。もっと俺にその名を呼ばせておくれ」
「………」
 カサネの目に、光が戻る。頬に血の気が増し、花神の目を見返した。強く輝く太陽のような目をした子供だ。花神は目を細めて笑う。

「俺は、等しく皆を愛しておるから、お前だけが特別ではない。けれども、それは失恋ではなかろう?」
「はい」
「俺のそばにおいで。お前のような子が側にいたら、きっとたのしい」
「………」
 カサネは真っ赤になって、袖で顔を隠し、ぶるぶる震えた。まさか宝珠の件でこんなことになろうとは、思っても願っても夢にもみなかった。

 こうしてカサネは花神の側づきになった。
 けれども。
「なんでしょっちゅう此処にくるわけ?」
 頻繁に御子神の沼を訪れている。
「俺は思った。神官も巫女もいないのはおかしい。神は神として祀られるべきだ。だから俺が神官になる」
「はあ!? お前、シキの側づきになったんだろ!」
「花神さまの側づきはたくさんいて、いつも俺がいる必要はない。でも、ここには誰もいない。楽院家と柳家が整備を手伝ってくれるとも言ってた。まずは石畳だな」
「………」
 鬱蒼とした森をあちこち見て「ここは霊獣の像を……」「この木はとりはらって」「こっちに神木を」と紙に書いて回るカサネは、まるで御子神の意向など知ったことではない。

「沼が汚いのも問題だな。泉にしよう、泉に」
「ここは僕が死んだ沼だぞ!」
「汚泥をさらって綺麗な寝床にしたほうがいいでしょう」
「………」

 とんでもないやつと関わってしまったのかもしれない。
 御子神の苦悩は今後しばらく続くことになる。
[newpage]
 花神シキは不死神の子として祝福されて生まれ、五穀豊穣の強い力を持ち、誰からも愛されている。
 望む前に全てのものが与えられ、望まずとも様々なものを与えられる。そして花神自身、惜しむことなく与えられるものを与えてきた。
 守護の祭事を終えて一息つき、食事の席でふと思った。
 おや、あの亜麻色の髪をした子がいない。

「あの子はどこにいったかな。歌に小さな……そう、かさねだ。かさねの顔が見たいなあ」

 花神がこのように希望を述べることは非常に少ない。
 神官たちは泡を食ってカサネを探した。宮にいない。なぜだ。側つきだろう。
 楽院のほうまで探しに行くと、当主はさすがにいたが、他の分家も出払っているらしい。
「申し訳もありませぬ。まさかお役目を放り出していたとは……カサネは御子神さまの神域を清めるのだと言ってそちらへ行っておりまする。てっきり許可を頂いているものだとばかり……」
 恐縮する楽院当主から事情を聞き、神官はカサネを捜索すると同時に、花神に報告申し上げた。

「なんでも、御子神さまの神官になると、御子神さまの神域を整えているとかで……」
「なるほど、なるほど。よい心がけである。あの子らしいなあ。気が向いたら顔を見せにおいでと伝えておくれ」
 花神は怒るでもなく、朗らかに笑った。カサネが花神にとって「その程度」の存在であったせいもあるが。

 一方その頃、カサネと楽院家、柳家はは大掛かりな工事に勤しんでいた。
 簡易住居を建て、木を切り倒して切り株を掘り、霊獣に引かせて根を抜く。そうして開墾し、土地を浄化し、御子神の神域を広げ、御子神宮を建てるのに相応しい広さを確保しているところだ。

 そこへ花神の神官と神兵が現れ、
「五楽院 歌小音はどこか!」
 天人たちはすくみあがった。またぞろカサネが何か仕出かしたかと震え、カサネを呼びつける。
 カサネは汚泥まみれの臭い姿で現れた。
「ぐっ、なんだこの匂いは!」
「沼をさらっておりまして」
「御子神の死の床をか! 正気と思えん……匂いもそうだが穢れが酷すぎる! 禊をしてから花神宮に戻るように! 花神さまがお呼びである」
「花神さまが?」
 カサネはぽっと汚れた頬を染めた。まさか、覚えていてくださったとは欠片も思わなかった。側つきは沢山いて、カサネがいてもいなくてもという状況だったので、御子神を優先したのだ。

 しかし、作業の途中だったもので、抜け出すのは大変だった。まずそのままそこいらの正常な泉を穢すわけにはいかなかったので、清めの塩で体を擦って泥を乾かし落としてから、水を汲んできて身を清め、その場を浄化する。そうしてから禊をした。
 それでも匂いがこびりついている。この状態で花神宮に行って良いものか悩んだが、呼ばれているというのなら仕方がないと戻った。
 当然、見咎められた。
「なんという穢れ……」
「けがらわしい」
「臭い」
 天人天女に嫌悪されながら、カサネは悩んだ。やはり、この状態で花神にお会いするのは……

「おや、かさねではないか」

 とって返そうとしたが、先に見つかった。後ずさりするが、供を連れた花神は此方へやってきて、
「ふむ、死の匂いがするな。御子神の沼にでも入ったか?」
 機嫌を悪くするようでもない。
「はい。御子神さまの寝所が少しでもよくなるようにと」
「おまえはやはり、良い子だなあ。みな嫌がるだろうに。感心なことだ。忙しいところを呼んで悪かったな。すこしお前の顔が見たかったのだ。相変わらずわんぱくなようで嬉しいぞ。
 その穢れを清めてやりたいところだが、まだ途中であろう」
「はい」
「では、行っておいで。しかしずっといないのは寂しいから、沼を清めたら、一度帰っておいで。その時はしっかりと清めてやろう」

 ずっといないと寂しい、というのは、おそらく他の側づきがいなくなっても仰るだろうと思われた。
 しかし、花神てずから清めるだと、と周囲は驚愕した。このように穢れたものを。
 花神はこころ優しい神だ。その労を厭わないだろう。しかし……

「お前、あまり調子に乗るものではないぞ」

 天人がこのようなことを口にするのは憚られる。憚られるけれども、花神が優しいぶん、誰かが厳しくならねばならなかった。鬼業という神官がその嫌な役目を引き受けた。
「花神さまが寛大だからといって、気まぐれで側つきになれたことを忘れてはならぬ」
「そのことなのですが」
 カサネは眉を寄せた。
「相談に乗ってくださいませんか」
「相談?」
「側つきになれたのはとても光栄で、幸福で、嬉しいことなのですが本意ではありません。
 しかし、花神さまは優しい御方だから、俺が急にいなくなっては悲しみます。なにか、俺がいなくなっても不自然じゃないような理由はないでしょうか」
「側つきで居続ける気はないと?」
「お言葉を頂けただけで、身に余る光栄です。俺は御髪を頂けただけで本当に本当に満足でした。何かないでしょうか」
「ふうむ」
 カサネの言い分はわかった。身の程をわきまえていることも把握した。鬼業は真剣に考え込む。

「実はな、花神さまには想い人がいるのだ」
「おもいびと」
 そう聞いても、不思議とカサネは落胆しなかった。失恋の呪いは未だ有効のはずだが、なにやら「まあそういうこともあるだろう」と受け止めたのだ。この呪いの発動条件は曖昧だ。
「といっても、実在するかどうかわからん」
「と、いうと」
「夢をな、見られるのだ。とても恋しい相手の夢を。花神さまは数年に一度の頻度でその夢を見られ、お嘆きになられる。
 その相手を探しに行く……というのはどうだろう。花神さまはお前の意志を尊重するようだしな」
「なるほど」
 カサネは頷いた。
「御子神さまの沼を浄化した後、それに旅立ったとお伝え頂けますか?」
「承った。良い旅路を」

 カサネは新たな目標を得てやる気を漲らせた。楽院を神域に招いてくださっただけではなく、命果てそうなカサネを側つきにしてくださった優しい花神さまの想い人を探し出せたなら、これほど誇らしいことはない。

「で、まぁた自分の恋愛はそっちのけ?」
 沼をさらいながら事情を御子神に話すと、呆れられた。
「絶対に叶うものではないと、御子神さまも仰ったじゃないか」
「お前さあ、自分が可愛くないの」
「かわいがって育ててもらったし、自分まで自分を可愛がる必要はないかと」
「恵まれた奴の言い分だな」
 そう、恵まれている。恵まれた分、誰かに……慕う相手に返したい。

 沼の浄化は容易いものではなかった。死と怨念の穢れがこびりついており、カサネは何度も体調を崩した。
「手伝うか?」
 三柳が言うが、断った。こんな穢れを何人も浴びれば、そのぶん潔斎が大変になる。
 幸い神域には浄化用の神器があるので、地上で行うよりは楽だった。汚泥を神器にうつして浄化し、それを沼に注ぐ。再び汚泥を神器に移し、沼に戻す。その気の狂いそうな作業を、朝も晩もなく繰り返した。

 一体何ヶ月それをやったろうか。ついに沼は澄み、穢れきっているのはカサネだけ、という状況に持ち込んだ。
「うわあ、くさい。口臭まで酷いぞ。内臓もやられてるんだ」
 三柳に言われて少しだけ傷ついた。この穢れが抜けるのはいつになるやら。
 ひととおりの潔斎、浄化は行ったものの、内臓にまで及んだ穢れはやすやすと消えるものではなかった。
 とはいえ、そろそろ期限だろう。

「というわけで、花神さまの想いびとを探す旅に出ます。宮のほうに許可はとってあるので」
「たまには帰るのだぞ」
「連絡はいれるのだよ」
 父と四楽院に言い含められ、楽院の一族に様々な餞別と霊獣を貰って旅に出た。

 一方、花神は国境の穢れが浄化されていくのを、日に日に感じていた。それもあってカサネの存在を忘れなかった。
「天人の身には過酷な作業であろう。御子神どのの神域も清浄になってきた。そろそろ連れ戻し、浄化してやらねば……」
「そのことですが……」
 神官が事の次第を告げる。カサネが花神の想いびとのことを知り、それを探す旅に出たことを。

 これを聞いて、花神が顔色を変えた。怒りの表情だった。この温和な神がそうした顔をするのは珍しく、神官たちは驚愕した。
「すぐに連れ戻せ」
「なぜです。健気にも、花神さまのお役に立とうとしているのですよ」
「いいからすぐに連れ戻せ。そもそも、あの穢れを一身に受けて無事であるはずがない、何を考えている。誰も止めなかったのか。
 それに、あの子に俺の夢の話をしたのは誰ぞ。あのいじらしい子なら探しに行くと言い出すのは分かるだろう」
 神官鬼業の目論見は外れた。よもや花神が、あの花神が不快を顕にするなど、想定外だった。

 このようなことが花の都で起きたなどとつゆ知らず、カサネの旅はのんきなものだった。時折具合が悪くなって吐き戻したりはしていたが、なんといっても若く、怖いもの知らずだったので、全く体を労りもしなかった。

 それよりも、新しい土地へいく喜びのほうが勝っていた。白虎のサンゲツに跨がり、意気揚々、天根の国へいく。この国は花神シキの姉、守神アマネが治めていらっしゃる。
 表向きは守神だが、別名を祟神(たたらがみ)という。アマネは戦う力を持たないが、アマネの国を脅かした者には凄惨な禍が降りかかるという。ゆえにこの大陸の神域は不可侵とされ、他の神族に脅かされず、平和を保っている。

 五色の花々が咲く花の国とは違い、天根は落ち着いた様子だった。花の国と違い、食料はそれほどない。持たされた携帯食料を齧りながらの旅路だった。野生の獣やあやかしにも注意しなければならない。それらは、ほとんどサンゲツに撃退されるのだが。

 ようやく都にたどり着いた。濃紺の木々を使った白壁の上品な町である。道ゆく天人も陽気というよりは、しずしず、しゃなりとしているのだった。

 カサネは宿を確保し、その上で鎮守宮を目指した。
「花神さまの側づかえの者なのですが、神官の方にお話をうかがえないでしょうか」
「なんと穢れし者だろう」
 門兵はあからさまに嫌な顔をした。
「貴様のようなものを宮へ入れることはまかりならん!」
「落ち着け。花神さまの側仕えであろう。騙ってよい嘘でもない。まず花神宮に問い合わせねば。客人、数日待っていただくがよろしいか」
 片方が聞く耳を持つ人でよかった。

 カサネは、旅籠でもいやな顔をされた。これでもずいぶん匂いはとれてきたと思うのだが。いやなものを見る目を向けられるのは、少し堪えた。
 しょんぼりと部屋で膝を抱えていると、女将が声をかけてきた。なんと、夜にもなる前に宮の神官のほうから出向いてくださったのだ。
「急なことで……申し訳もなく」
「こちらこそ、門前払いとは失礼をいたしました。アマネさまがお待ちです、どうぞ」
「アマネさまが?」
 アマネの神官からお話を聞ければ、程度に考えていたので、アマネに目通りするなど考えてもいなかった。
「しかし、俺はこのような穢れた身の上で」
「花神さまから即刻保護するようにと式神が飛んでまいりました。どうかご理解ください」
 そうまで言われては従うほかなく、くさい、汚れた身で、よその国の大事な神宮に縮こまって入り込むことになった。

 アマネの宮には内部に池があり、朱塗りの橋がかかっていた。なんとも雅なつくりで、白壁に上質な赤紫の織物が下がっている。
 アマネの居室には、花神宮と同じく中央に立派な階段があり、それを登って向かう。大きな注連縄が下がる部屋には、宴の準備があり、奥にアマネと思しき美しい女神が座していた。
「いらっしゃい、シキのかわいい子。じきにシキがむかえにくるわ、それまでお腹を満たしなさい」
「で、でもこんな穢れた身で……」
「御子神の沼の話は聞いています」
 アマネは琵琶を爪弾きながら、長いまつげを伏せて微笑む。

「御子神はずっと、暗く穢れた沼で眠っていました。何かを成すには誰かが傷つき穢れなければならないの。あなたの穢れは名誉の穢れです」

 褒められ、カサネは顔を熱くした。そんな自己犠牲的な理由ではなかったのだ。ただそこに、汚れた沼があって、御子神の寝床であるべきではない、と感じただけだった。

 アマネの国の料理は懐石だった。山菜の木の芽和えや緑豆のなめらかな豆腐、鳥肉の煮付けなど、上品で控えめな味わいで、とても美味しかった。いただいたお神酒は口当たりがよく、つい呑みすぎて、酒に慣れないカサネはすぐに酔ってしまった。

 ふら、と傾いだ体を受け止めたのは、ふわりとよい匂いのする、あたたかで、逞しい腕だった。
「これ、カサネ。わんぱくなのも良いが、言いつけは守るのだぞ」
 花神だった。顔が近い。酒のせいでほわほわしながら、カサネは首を傾げた。
「あの、俺、花神さまの想い人を探して……」
「おろかなことを」
 花神は悲しそうに眉をさげた。憂い顔すら麗しい。花神の腕の中で、夢見心地になった。

「もう長く、あの夢を見ては、ほうぼうを探した……もしかしたら会ったことのある相手ではないかと、希望を捨てられず。しかし、神在月の宴でも見つけられず、誰にも見つけられない。夢の中だけの存在なのだ。いまさらそなたが探し回っても、見つけられはせぬ、うたかたの翌なき花よ」

 酩酊して、花神の言葉は半分以上理解できなかった。

「それ、カサネ。口を開けなさい」
「あ」
「やはり、奥までやられているな。このままでは内臓が腐れてしまうぞ。姉さま、すまぬが潔斎場を借りる」
「どうぞ」

 ふわふわする意識が浮いた。抱え上げられたのだ。なんということだろう、花神さまにお手数をかけて。しかし、なんだか思考が定まらない。
「沼の浄化が終わったら、清めてやると言ったろう。どうして帰らなかった」
「ん……俺は側にいちゃ、いけない……」
「どうしてそう思うのだ?」
「だって……まるで自分の命を盾に、花神さまの優しさにつけこんだようだったから」
 それがずっと引っかかっていた。花神の側仕えになりたい者は、いったいどれほどいるだろう。姑息だ。卑怯だ。もっと相応しい者たちに申し訳が立たない。

 頭上からため息が聞こえた。
「カサネ。すべての出逢いは縁あってこそ。縁を蔑ろにしてはならぬ。ましてそなたは縁を自ら作り出したのだ」
「つくる……?」
「思慕のために命をも賭けて御子神どのの試練を受け、そして自らに呪いをかけた御子神どのに尽くした。誰にも愛されなかったあの憐れな神を……そなたは縁を結び、強くした。人ならではの所業だ。誇りなさい」
「わからない……なんにもわからない」
「そう酔っていてはなあ。穢れに神酒も強かったろう。さ、潔斎場に着いたぞ」

 水晶の壁で出来た部屋だった。水場があり、清水が流れている。排水口が多く見受けられた。
「まず穢れを吐き出すところからだ」
 そう言って花神はカサネを横たえ、着物をはいだ。恥ずかしいという気持ちはあったものの、穢れを抜くための神聖な儀式だから、と解釈し、なすがままになった。
 だが、花神も装束を脱ぎだしたもので、仰天した。たくましく宝玉のような肉体が顕になり、あまつさえその下までも……

「あ、え、あ……清める、て」
「俺の神気を胎から注いで満たし、穢れを汗や精から抜くのだ」

 誰か、嘘だと言ってほしい。
[newpage]
 脱いだ羽織を敷いただけの水晶の床は冷たく硬い。
 胸元を撫でた花神の大きな手だけがあたたかく、カサネはひ、ひ、と息を吸うばかりだった。

 その怯えた様子に、花神は首をかしげる。
「そなた、おぼこか。年はいくつか」
「と、とし……十六で神域にきて五回奉納祭があったから、にじゅういち?」
「二十一とな!」
 花神は思わず吹き出してしまった。もちろん馬鹿にしたのではない。花神からして、あまりに短い歳月であり、ましてカサネの中では十六で年月が止まっているのだろうから、その幼さが可愛く、おかしく思えたのだ。
 おまけにその時を止めた十六の年から花神を慕っているので、まるで性体験というのがないのが見てとれた。

 ひとしきり笑ってから、ふぅと溜息ついて、柔らかく微笑んだ。
「案ずるな。優しくしてやる」
 花神にとってこれはあくまで禊、ぐずる幼子を腕に抱いてあやすのと変わりない。
 灰色がかった亜麻色のやわらかい髪を撫で、震える唇を吸う。すぅう、と穢れを呑み、身を起こした。
「ふっ」
 外へそれを吐き出すと、禍々しい瘴気が立ち上る。何度かそれを繰り返し、吸い出す瘴気が薄くなる。
「よし、これでずいぶんと楽になったであろう。神酒も体内を浄化してくれるはずだ。しかしこれほどの瘴気を裡に溜め込んで、さぞかし辛かったろうに」
「………」
 カサネの目の焦点が合わなくなっている。長く瘴気を溜め、それと馴染んでいたので、急に失って意識が定まらないのだ。

 花神はもう一度唇を合わせ、今度は花神の清浄な神気をゆっくり流し込んだ。
「んっ!? んっん!」
 穢れた器に強い神気を流され、拒絶反応でカサネの細い身がびくびく跳ねる。その手足を抱えるようにおさえ、何度も小出しに、花神からすれば微量の神気を注意深く注ぐ。

「あ……あぅ」
 神気酔いしたカサネは涙をぽろぽろこぼし、とろりとした様子。もはや正気ではあるまい。
「よしよし、よう頑張った。だが、これからが大変だぞ」
 花神は掌にこぽと花の蜜を生み、白い脚を開かせて股座に塗りつける。幼いおぼこの蕾は淡く色づき、硬く閉ざされている。そのくぼみをやさしくやさしく丁寧に撫でた。
「はんっ……んっ」
 柔らかくなったところでつるりと爪の先を入れると、カサネは眉を寄せて目を閉じる。
「すこし感じやすいか。なおさらゆっくりと時間をかけねばな」
 手間暇をかけるのは好きだ。花は手をかけるほどに美しく咲く。

 花神はこの子を手元に置き、この手で花開かせることを楽しみにしていた。控えめで健気で、美しい髪と太陽の瞳を持つ少年。さぞ可憐で凛と咲く花になるであろう。
 ゆえに、遠ざけられることも、散らされることも望まない。手元に置いて、咲いて、できれば笑ってほしいのだ。
 神の感覚は人のそれとは違う。これは言うなれば桜の盆栽を愛でるようなもの。手塩にかければ可愛い存在。生ける宝。そういうものにしたいと花神は思う。

「ふ…ぁ、ん、ふ」
 恍惚とした様子で、蕾の内部を愛撫され、快楽を享受するカサネ。花神のやさしい指使いに淡い乳首をつんと膨れさせ、先が桃色に色づく性器からとろとろ蜜をこぼしている。
 その様がなんとも幼く見えるので、花神の心は暖かくなった。
(さて、挿れるが……)
 カサネの慎ましく小さな尻を蹂躙するには大きすぎる花神のそれをあてがい、細心の注意を払ってゆっくり、緩慢なほどに亀頭を埋め込む。
「んんぅ」
 少し呻いたが、痛みに喘ぐ様子はない。慣らしながら、徐々に埋め込んでいった。
 初物の蕾はなんとも窮屈で、甘えるようにきゅうきゅう締め付けてくる。
 しかし、内部は、やはり穢れきっていた。口吸では肺の瘴気までしか吸い出せないのだ。

「よしよし、愛い愛い。良い子だ。それ……どうか?」
「んぁん、あぅ」
 軽くゆすると慣れない様子で軽く身悶えする。可愛らしいことだ。
 慣れない快楽に震える前にそっと手を添え、介助してやる。そのまま奥を揺すってやると、カサネの息が上がり、拙く喘いだ。
 若いためか、簡単にぴゅると精を飛ばす。
「たくさん出して穢れを吐け。少し激しくするぞ」
「あっ! んぅ! はうっ…あぁああぅう」
 激しくすると言っても緩やかなものだ。加減をする花神のこめかみからつぅと汗が伝う。繊細なものを壊さぬよう扱うのは神経を使った。

「んんっんぅっ、んー、んーっ」
「そうか、心地よいか。うん、よし、神気を胎に流すぞ」
「んんーっ!」
 神の吐精は液状ではなく霊的なものだ。カサネの脆い器が強い神気にビクビク痙攣し、魂をも犯される感覚にはひゅはひゅと呼吸を繰り返す。
「よしよし頑張れ。そなたの中をすっかり塗り替えるまで続くぞ」
「ひぃん」
 揺さぶられ、愛撫され、花神の促すまま感じ、達し、快楽に溺れる。なんと愛おしいことか。
 背が床についたままでは痛かろうと膝に抱き、それこそ幼子をあやすように優しく結合部を揺すった。カサネは一生懸命に花神にしがみつき、頑張って腰を動かしていた。花神の腹筋の筋に性器の先を擦り付けるようにして……幼気な様子がまことに可愛らしく、花神は亜麻色の髪に頬ずりをした。

(ふむ……しかし、もう体力が尽きかけているようだ。ぐったりしている。あまり無理をしてはならぬなあ)

 カサネは何日でも走り回れるほど体力があるが、何分はじめての性交、それも穢れを吐き出しながらの神気を吹き込まれる行為。のぼせ、酔い、すっかり参ってしまっている。
 花神は水場で丁寧にカサネと己の身を清め、用意された襦袢に袖を通した。カサネは意識のないまま、天女たちに世話を焼かれている。
「お運びいたしましょうか」
「ああ、よい。俺が連れていこう。その子を抱いていると、つしりとした重みとあたたかさが心地よくてなあ」
 とはいえ、水垢離をした後だったのでカサネの肌はひんやりしていた。両腕にそうと抱いて幼い寝顔を覗き込むと、なんとも言えず胸がくすぐたくなる。

「禊は終わったの?」
「姉さま。それが、この子の体が持たずに切り上げたのだ。無理に動かせもしない、今宵は宿を貸しておくれ」
「あら、まあ、珍しいこと」
 アマネは赤紫の袖を口元にあて、ホホと笑った。アマネからすれば、まだ幼いやんちゃな弟が、弱った子猫を拾って世話をしているように見える。

 用意された寝所にカサネを先に寝かせ、花神も横になる。そうと抱いて頬をよせ、ぽん、ぽんと胸元をあやしてから、目を閉じた。

 目覚めた時のカサネの混乱はかなりのものだった。
 身動きできぬほど花神にしっかと抱かれ、至近距離に麗しい花の顔があり、寝息を漏らしている。
 体の中ではゆらめくように花神の神気がたゆたっているのがわかる。
 更に言えば、朦朧とはしていたものの、昨夜の記憶があった。花神に優しく抱かれ、はしたなくも縋って快楽を貪った浅ましい記憶……
「う」
 カサネは動く腕で目元を覆い、嗚咽を漏らした。

 花神はその声で目を覚まし、どうしたどうしたとカサネを撫であやす。
「う、あんな……あんな」
「うん、なんだ。恥ずかしかったのか。恥じることではないぞ、あれは禊だったのだ」
「だって、あんな、みっともない……」
「みっともないものか、いつものように健気でいじらしく、可愛らしかったぞ」
 淫らとすら呼べはしない。ただひたすらに幼気で、まぐわいという感覚もなかった。
 花神は身を起こしてカサネを膝に抱き、背を叩いた。

「昨晩は、途中で切り上げた。この調子であると、あと二、三度は禊を行わねばな」
「これ以上花神さまのお手を煩わせるなんてとんでもない!」
「御子神の死の床はそれほどに穢れていたのだ。若く活力のある天人の身だから耐えられただけで、人の身なら即死であるぞ。
 俺が禊をしてやれるからこそ、御子神の沼を浄化する許可を与えたのだ」
 それほど危険な作業だった。だからこそ、御子神の沼は今まで捨て置かれていたし、御子神に近づく者はなかった。
「そなたは立派なことをしたのだ。恥じるでない」
 いい含めて額をつけると、眉を下げたカサネはすんと鼻を鳴らした。

 花神とカサネはアマネとともに朝餉を頂き、宮を後にした。霊獣のひく網代車に乗る間、カサネの顔色は暗い。
「まだ何か不安があるか」
「畏れ多い……俺のようなものが、神様と食事をして、禊をしていただいて、同席を」
「そなたは俺の側仕えであろうが」
「お世話をするどころかお世話をされて。身の程が……」
「誰ぞに何か言われたか?」
 言われると、カサネは勢いよくかぶりを振った。この様子だと、言われたのだろう。

「な、カサネ。俺の夢の話は誰に聞いた?」
「………」
「俺の言うことを聞かぬか」
「お……鬼業神官さまに」
「鬼業が?」
 厳格かつ人情もろいところのあるあの神官が、新入りの幼い側仕えに吹聴するとは。

 そこで花神は、自国へ戻るとまずカサネを楽院家に帰し、宮で出迎えた鬼業を見てこう言った。
「この中のどれだけが俺の病と聞いて不死鳥の卵をとってきてくれるのだろうな」
 出迎えた神官や神兵、側仕えは他にもいる。もちろん、答えられる者はいない。事実、いなかったのだから。
「そのような命知らずなことをしろ……というのではない。危ないからな。寧ろ、してほしくないことだ。
 しかし、俺とて懸命な行動には心動かされる。あの断崖絶壁、神器があったところで文字通りに骨が折れるであろうな。指の皮や爪もはげるだろう。不死鳥の巣を狙って無事だったとも思えぬなあ。命をかけて……とあれの父親は言っておったが、まさに命がけであったろう。
 この国の民のどれだけが、一途な思慕のために御子神の死の呪いを受けてまで贈り物をしようと考えるだろう。ましてその呪いを授けた御子神の死の床をたった一人で浄化しようと思うだろう」
 聞いて幾人かが身震いした。あの死の床に入れば、内臓が腐れて魂までも汚染され、やがて内側から溶けるように果てる。
 カサネはそのようなこと、考えてもみなかったようだが。

「どれもこれも子供ゆえの短慮だが、こうまでされては可愛いと思うのは当然であろう。特別扱いとまで言わぬが、手助けしてやりたいと思うのは神の性。
 身の程など……そんなもの、誰にもないのではないか」

 鬼業は膝をつき「申し訳も……」と謝罪した。
 花神はその姿に苦笑した。
「謝ることはない。しかし、あれの勇気を讃えるものは人間には少ないのだな……」
 まして釘をさすとは想像もしなかった。驚いた。神々の間でカサネは一躍有名人だが、人にとってはそうでもないらしい。

 翌日、言いつけ通りカサネは来た。側仕えとしては遅かったが、作法を知らないのだ。これは誰も新しい側仕えに何も教えなかった、ということにも繋がる。側仕えや神官たちが萎縮する中、花神は苦笑していた。
 なにしろカサネ、居心地が悪そうにやってきて、どうしていいか分からずにきょろきょろとして、部屋の隅も隅、角にちんまり座ったのだ。

 さすがにこれを放置されない。というより、カサネを疎んでいる者はごく少数だ。教えなかったのも、教える機会がなかっただけだった。カサネはとにかく殆どの時を御子神の元へ行っていたので。
「そこじゃないわ、ここよ。貴方は新入りだから、ここ」
 側仕えの中でも器量よしの天女、クチナシがカサネを呼ぶ。側仕えの教育など仕える神の御前でするようなことではなかい。教えるにしても後で……とみな考えていたが、クチナシは、教える姿を花神に見せることで安心させようとした。この度量は他の者にはない。だから彼女は重用されていた。

 クチナシの顔を見上げ、そろそろと末席に座し、花神を見るカサネ。花神はうんうんと微笑んで肯定してやった。カサネの顔が少し明るくなる。
 天人天女も数百年の年を経た者ばかり。慣れない様子はまことに愛らしく、目くじらを立てる気など起きないものだ。それはやっと這い這いを覚えた赤子を見守る祖父母のような心境だった。

 花神は祭事を行うほかに、国内外の様子の報告を聞く。政治は政務宮で政務官が行っているので、それらの決定や方針に耳を傾けるのだ。神官が筆記し、その日の出来事の総評、これまでの状況とあわせてどうなるか、更にこの先のことなどを予想し、必要があれば宣託をする。

「それカサネ。ここにおいで」

 神官が筆記した巻物を広げる花神がぽんぽんと隣を叩くので、カサネは戸惑いながらも、隣に座した。示されたのだからそうするのは当然としても、神官たちはぎょっとした。神の座する上座は不可侵で、今まで神以外の者がそこに入ったことはない。

 花神は、カサネを抱くようにして巻物を広げ、眺めていた報告がどういった意味を持つのか、これを何のために行うかを、優しい声で歌うように教えた。
「御子神の神域が浄化されたでな、道を敷く案が出ておる。また国境に、小さいけれども人里を作るなどして……」
 カサネはカチコチに緊張して神妙に頷いていた。

 クチナシたちに教えられて片付けをする時も、花神はその様子をにこにこ見ていた。
 食事は、毎食、宴のようになる。宮の全員が一階の大広間に集い、余興を見ながら、食事をするのだ。
「さても、ふむ」
「何かお困りでしょうか」
 袖口で口元を覆い、考え込む素振りの花神に、神官が尋ねる。
「いやな、食事の席では、俺の前は余興のために開けられるだろう。だからカサネが遠くなる」
「側に置きたい、ということでしょうか」
「うーん、側に置きたい、というよりは、食べる様が見たい。あれは、行儀はよいが、はぐはぐ、もぐもぐと食べっぷりがよい」
 それは赤子が離乳食を食べる様ならいつまででも見ていられる、と大差ない感覚。
 要するに、カサネの扱いは、貰ってきたばかりの鳥の雛のようなものだった。

「しかし、特別扱いのように感じさせるのは、あの者の為によくありません。御子神さまの死の呪いは継続しているのでしょうし、思慕を誘発させては可哀想です」
「それがなあ、難しいのだ。俺は、そっと、見守りたい。こう、近すぎず、遠すぎず……いっそ甘やかすのも一興だが、それで死なれては元も子もない」
 花神の中でカサネは一生懸命の幼児である。幼児に「おっきくなったら、けっこんして!」と言われているような状況なのだ。禊などおしめを変えているような錯覚さえ覚えた。
 いくらその幼児が可愛くて仕方なくとも幼児の「けっこんして!」を真剣に考えられるだろうか。ただただ「そうか、そうか」と頬のゆるむ思いでしかない。
 ただ、それが命にかかわるとなれば……御子神はまことに残酷なことをする。

 午後の祭事でも、教えられて祭具を整える様はぎこちなく、もう、かわゆくてならない。これでいいのか、間違っていないのか、不安げなのだ。花神の顔はこの日、緩みきっていた。

 そんなカサネだが、次の日は来なかった。来いと言われなかったからだ。楽院のほうに問い合わせると早朝にはどこかへでかけたらしく、
「てっきり、お宮へ向かったのだと……」
 当主はおろおろしている。

「おおよそ、御子神どのの元だろう。よいよい。あれにはきっと、己の使命があるのだろう。ときおり顔をだすよう伝えておけ」

 しかし、カサネは……そして御子神も、乳児並に目を離せない子供であった。厄介な子供が二人あわさればどうなるか。
 花神が悔いるのは、ほんの数日後の出来事である。
[newpage]
 カサネが御子神の元に赴くと、楽院家や柳家の尽力の甲斐あり、暗く狭い沼とやしろがあるばかりの土地が、かなり開拓され、整地されていた。また、本格的な神宮の基礎工事も始まっている。

 ただ、カサネはあっけにとられた。透明になるほど浄化したはずの沼が、汚泥というほどではないにせよ、濁ってきていたからだ。
「なんだ、その目は。僕がここで眠るんだから、汚れるに決まっているだろう」
 長年沼を寝床にしていた御子神は、自身が穢れの元となっていた。
「まあ汚れれば浄化すればいいとして」
「簡単に言うな、お前は」
「禊に花神さまの御手を煩わせることになる。とても不本意だ。御子神さまも、沼の浄化のために花神さまに厄介をかけるのはおいやでしょう」
「それはまあ」
 同じ神として「しゃく」なことだ。自分がすべきことだ、というのは、この身勝手わがままな御子神でも理解した。

「ふーん。じゃあ、禊用の神器でも創るか」
 言ったはいいものの、御子神は考えた。浄化の神器がそれほど簡単に創れるものなら、とうに自身の手で沼をどうにかしている。
(うーん。毒を吐く場所と言えば、上か下かしかないわけだが、上は排泄のために出来ていないからな。やはり下だろう。浄化のための力はどうするか。僕じゃあ、余計に穢すだけだし。うーん。ああ、そうか)
 御子神は思いつき、紐のついた管のような神器を生み出した。

 そして御子神は小枝で土をがりがり削って地図を描く。
「いいか、ここからちょっと南下したあたりの国境に跨る渓谷は龍脈なんだ。ちょうど国境にあたる中央に、龍脈の中心部もある。そこにこの紐の先を埋めて、その管を秘部に刺せ」
「えっ」
 とんでもない話だった。神聖なる龍脈の中心部でなんということを。カサネは赤くなるやら青くなるやらだったが、御子神は大真面目だった。
「この神器は神力で対象を浄化する。この場合は龍脈の力を借りる。お前だって小便もうんこもするだろ。同じことだ」
「そ、そうだけど……」
「それともやっぱり、いちいち花神に禊させんのか?」
「うう」
「安心しろ、どうせ誰もいやしない」
 龍脈の中央は火山口のようなものだ。生き物はふつう、近寄らない。植物さえ生えないのだ。

 御子神は、それが一体どういう意味を持つのか、このとき真面目に考えるべきであった。

 カサネはなんとも言えない気分で沼を浄化し、神器を持って龍脈の中央へ出発した。渓谷は龍脈に沿って流れているので、わかりやすい。また、緑豊かだったのがただの岩場になってゆくので、なお中心部はわかりやすかった。

「このあたりかな」
 カサネは周囲を見渡し、下履きを脱いで、川の浅いところに入った。勇気を出して管を秘部に挿し……なんともいえない屈辱感を覚えながら、紐の先を、川底に埋める。

 このとき、紐を先に埋めて、管を挿していたなら「まだ」ましな結果になったろう。

「ひ?」
 ぐん、と強い力が一気に脳天まで突き抜けた。それから後は、もう分からない。カサネの体は龍脈の流れの一部となり、穢れどころかあらゆるものを一気に洗い流された。はずみで神器が外れたのは不幸中の幸いであろう。
 カサネが次に意識を取り戻したのはずっと後のことだ。

 禊に龍脈に向かう、と四楽院と父親に告げて出かけたカサネが戻らないので、三柳と四楽院がカサネを探し、川辺に倒れているところを発見した。
 下半身が流水に浸かっている状態だというのに、カサネの体はひどく熱かった。龍脈の熱が溜まっているのだ。この場合、流水に晒されていたのも幸いだった。

 御子神のもとへカサネを連れ帰ると、その様子を見て、
「えっ、なんだこれ……」
 御子神は戸惑った。これを見て、楽院の者はすぐさま花神宮へカサネの状態を報告し、程なくして、花神が車にも乗らず、文字通り飛んでやってきた。

「なんということを!」
 ひと目でカサネと御子神が何をしでかしたのか見抜いた花神は、血相を変えた。
「龍脈と繋がるなど、神でもせぬ。まして天人の身が持つはずがない。よくも命が保っているものだ。ああ、ああ、こどもというのは何と恐ろしいことをするのだろう」
 この場合の「こども」は御子神も含まれている。誰とも交流せず、こどものまま時を経て力だけをつけた御子神は、厄介な存在だった。今まで誰も彼と交流しようとしなかったから発覚しなかっただけで。

 カサネはひどい発熱に魘されていた。花神は緊急時に備えて携帯している印籠から霊薬をとり、カサネに口移しで飲み込ませた。
「一時的に熱は下がる。この間に処置をせねば」
 そして、楽院の簡易住居に薬神やら医神やらが呼び寄せられ、大騒ぎとなった。
「ホホホ、こどもというのはなんとも、思いもよらぬ火遊びをするものだて。龍脈と繋がったかぁ」
 可笑しい、というよりは、もう笑うしかない、という様子で医神が小まめに熱をとる。
 ちなみに、御子神はばつが悪いのか沼の底から出てこない。悪いことをした、という自覚があるだけよしとすべきか。

 花神はそう長く宮を空けてはいられない。宮へ戻って国のために祭事をしては、気もそぞろ。時間を見つけてはカサネの様子を見に御子神の沼へ赴く。
 この一件で、宮の者たちも「カサネは目を離してはいけない……」と学んだ。花の国の守護にまで影響が及ぶ。もちろん楽院家も学んだ、カサネのすることは今まで諦め半分だったけれども、これはとてもではないが見過ごせないと。

「不死鳥の卵の時もそうだったけれども、どれほど、どれほど、どれほど周囲が心配したか。花神さまにご心配おかけしたか!
 花神さまは食が細くなって、やつれてしまわれたよ。こんなに心配をおかけして、君という子は!」

 母親がわりの四楽院は泣きながら、目覚めたカサネに説教した。病み上がりで朦朧としていたが、構わず叱った。
 カサネは、まあ、流石に無茶に関する反省はしたけれども、御子神さまの指示に従っただけなので、今回の件は目を白黒させるばかりだった。神さまの言うことなのだから、正しいと疑わなかったのだ。

 そう、このままではいけない。
 花神は深夜、誰もいない時に、ひと柱で御子神の沼に赴き、ひっそりと語りかけた。
「御子神どの……御子神よ。これからは、これまでのように誰とも交わらぬというわけにはいかぬぞ。カサネに目をつけられてしまったからにはな」
「僕はこんなこと、頼んでないぞ」
 岩の影にいるのか、姿は見えなかったが、拗ねた返事はあった。
「勝手にやしろを作って、勝手に寝床を浄化して。僕は何も言ってないんだぞ」
「何も言わずとも勝手に神を祀り、勝手に神頼みをするのが人というものだ」
 御子神は、そのようなことも知らずに、何百年も一柱でいた。もっと気にかけるべきだったと悔やむ。仮にも神が相手なので、無礼にあたると遠慮したのが悪かった。

「カサネはそなたを慕っているから、これからも沼を浄化するであろうし、懸命に尽くすぞ」
「慕う? 呪った相手を?」
「カサネにとって、そなたは宝珠をくれた恩神なのだ。神に相手して貰うのは、人にとって嬉しくて光栄なことなのだ。そなたは神として自覚をせねばならぬなあ」
 非情な条件で願いの叶う宝珠を与え喜んでいるようではいけない。そうした性質の神は、少なくないけれども、それはすべて自覚の上でやっていること。御子神とは違う。

「カサネは、俺よりそなたを気にかけているほどだ。そなたの寝床を浄化し、やしろを建てて祀り、神官になることを使命と感じている。愛しい存在だろう、人というのは。
 だからなあ、御子神よ、ときどき俺の宮へ神の在り方を学びにおいで。神在月の宴にもともに行こう。
 人と神と交わり、さまざまなことを学ぶのだ」

 返事はなかった。
 けれども、この事件の少し後に、御子神は宮に顔を出した。回復したカサネが働きまわっている様を影から難しい顔でじいと見ている。
 花神は知らぬふりをしたが、カサネのほうが御子神に気がついて、仕事を放り出し、御子神のもとへ駆けていった。
「なにやってんだ、仕事中だろ」
「でも、御子神さま来たから」
「僕が来たから、なんだってんだい。もう、見つかるだろ」
「見つかってると思うけど」
 花神は笑いを堪えて唇を噛んだし、神官や側仕えたちの中には顔をそむけて肩を震わせる者もいた。神を笑っては、いけないのだけれど、微笑ましすぎる。

 カサネは花神の側仕えのはずだが、御子神がいるなら、御子神の側についているのが正しい、と信じて疑わないようだった。
 カサネの性格から推論すると、おそらく「花神さまには沢山の神官がついていて俺はいなくていいけれど、御子神さまには誰もいないから」と考えている。
 カサネは宮で覚えた作法をもって、御子神に尽くした。
「それ、花神宮のものだろうが!」
「花神さまは怒らないと思う」
「怒るとか怒らないとかかじゃないっ」
「うぐっ」
 と最後に呻いたのは花神である。笑うなというほうが無理がある。

「ふぅ。これ、御子神よ。そろそろ昼餉だ。食べてゆきなさい」
「ふ、ふん。食べてやらないこともない」
「御子神さま、食べる前に禊場を借りよう」
「仮にも神の手を勝手に握るなっ」
「ぶふぅ」
 もう駄目だった。沼から来た御子神は少し穢れていたので、カサネは有無を言わさず御子神の手を掴み、あるき出した。御子神も文句は言うけれども振り払わない。きゃんきゃんと子犬のように言い合いながら出ていく子供たちの姿に、花神は体を折って笑った。これほど笑ったのはいつぶりであろう。

 もはや祭事どころではなかったので、禊場へ様子を見にゆくと、水場に引きずり込まれた御子神が遠慮会釈なくカサネにじゃぶじゃぶ洗われていた。ここで、耐えきれず、花神はとうとう声を上げて「あっはっはっは」と笑った。涙まで出た。

 昼餉の席で、御子神は行儀の悪さを披露した。子供のまま殺され、今まで顧みられずに来たため、なんと握り箸だったのだ。
「御子神さま、箸はこう持つんだ」
「食べられればなんでもいいだろ!」
「帰ったら、お箸の練習をしよう。神在月の宴に行くなら笑われてしまう。今日は、俺がやる。魚を解せないだろ?」
「ふん。食わされてやる」
 二人のやりとりが面白く、余興どころではなかった。余興に舞う天女たちも忍び笑っているのだから、今日の主役は完全にこの二人だった。

 カサネに料理を口に運ばれ、不機嫌ながらも食す御子神。食べ終えて汚れた口元を拭われ、鼻を鳴らした。
「ふん、まあまあ美味かった」
「ごちそうさまって言うんだ、御子神さま」
「もう帰る!」
「じゃあ行こう。花神さま、ごちそうさまでした」
 カサネは再び、しっかと御子神の手を握った。そのまま、二人は言い合いながら去っていった。カサネは花神の側づかえで、仕事の途中であったにもかかわらず、だ。

(ああもう、かわゆい。言葉にならぬ。カサネはおそらく御子神を、手のかかる弟くらいに思っておるな。四楽院がカサネをかまう姿にそっくりではないか)

 これから御子神は、帰って文句を言いながら箸の練習をするのだろう。豆をとる練習もして、できたら威張り、カサネはそれを褒めるだろう。
(ああ、見たい、見たい。それを見られぬのが残念だ。さぞかしかわゆい……ああ)
 ふと思い出して「これ」と神官を呼んだ。
「カサネのことだがな、どうせまた沼を浄化して穢れを溜め込むだろう。今度こそは余計なことを考えず、俺の元へくるよう言い含めておくれ。楽院当主や四楽院や父親、それから三柳だったか、カサネの友人にも伝えておくれ」
「かしこみかしこみ申し上げます」
 ここまで釘をさせば、今度こそ無茶はするまい。さんざん親族に説教を食らったようでもある。

 そして暫く後、カサネはやはり穢れを溜め込んで帰ってきたが、
「あの! これで! なんとかなりませんか!!」
 カサネは玩具のような管と紐の神器を見せ、涙目で訴えた。
「ふむ。よう出来た神器だな。龍脈に刺そうなどと考えねば悪くない発想だ」
「うう」
「ただ、これを使用するには……そうだな。そなたは下履きを脱いでこれを蕾に挿し、俺が紐の先を咥えて神気を吹き込むという図になるが」
「そ……それはそれで恥ずかしい!!」
「まだるっこしいだろう。褥の作法の勉強とも思い、諦めなさい」
「ううー」
 カサネは真っ赤になって涙を浮かべる。おぼこいおぼこい、かわいいかわいい。

「さ、脱ぎなさい」
 指示をしたが、カサネはもじもじして、着物の上の紐をいじるばかり。可愛いけれども、花神にも予定があるゆえ、近づいて下履きの紐に手をかけた。
「あっあっ、やりますっ」
「どうせそのうちには慣れる、いまのうちに初々しい姿を堪能しておかねばな」
 全裸になるのは抵抗があるようなので、下履きだけで許してやった。
「尻を向けて手をつくのだ」
「こ、こうですか」
 もう半泣きだ。四つん這いになればいいところを、顎の下に手をあてて、震えている。子犬がきゅうんと耳を下げている姿によく似ている。

「よいか、蕾は繊細であるから、よくよく解さねばならぬ」
「ふひっ! ひっ! ひえ!?」
 花蜜を塗って指先で撫でただけだというのに、腰が跳ねる、暴れる。
「これこれ、おとなしくせんか」
「ふぐう」
「唇を噛むな、傷になる」
 水を怖がる小動物を風呂に入れている気分だ。かわいいけれども、手がかかるし、困る。それも楽しいが。

 震えて収縮するそこを撫でるけれども、力みすぎてぎゅうと窄まってしまっている。
「力を抜くのだ」
「ふえ……ど、どうやって?」
「どうやってときたか。体を楽にするのだ」
「ふーっ、ふーっ」
 警戒した猫か。呆れて笑う。
 いっそ神酒で酔わせたほうが楽だったと考えながらなだめすかし、ようやく指先が入った。
「蕾の口を丁寧に愛撫されると、心地よいだろう」
「うんっん、んーっ」
 相変わらず感じやすいようで、たったこれだけの刺激で前がぴんと反っている。恋い慕う花神が相手だからかもしれぬが。
「それからこの奥の、このしこり……」
「ひえんっ」
 蕩けるように熱くうねる内部で指をくちゅくちゅ蠢かすと、カサネはひゃんひゃん啼いた。触ってもない前からぴゅるぴゅる精を吐き漏らしている。

「心地よいか」
「きもちぃ…きもちぃっ、ひんっ」
「もっと奥になるともっと心地よいのだ。もうすこし解すぞ」
 注意深く慎重に、蕾を伸ばすように拡げる。指を二本いれ、縦に伸ばし、横に伸ばし……やわらかな肉が波打つ内部がよく見えるようになるまで解した。
 花神はカサネに覆いかぶさり、先端を柔らかくなった蕾に押し当てる。
「んぅ……う!? お、おっき……ひんっ」
 つぬぷ、と亀頭が入っただけでカサネは驚き悲鳴を上げた。はーはーと息を整える様子を見守り、少しゆする。
「ふひ!」
「まだまだ、奥までいれるぞ」
「おく……? ひゃ」
 ずぬる、ずぬると内部を這う。カサネの蕾は狭く締め付け溶かすように熱く、うっかりするともっていかれそうになる。
「大事ないか?」
「お、おもったより……いたく、ない」
「痛くしておらんからな。それ」
「ひゃ、ひゃ!?」
 腰を動かして奥の窄みを先端で擦るとカサネが悲鳴のように甲高い声を上げる。

「あぅ……なに、これぇ…きもち、ぃ……きもちぃっ」
「うん。何も考えず、心地よさに身を委ねろ」
「ひぁあ」
 悦い場所を、巧みに腰を使ってあやしてやる。カサネは水晶の床を掻いて身を捩り悶えた。以前も思ったが、ずいぶんと素質のある……それ用に育てればさぞ神々を喜ばせる稚児になるだろう。そのような気はまったくないが。
「あうっ、あううっ、だめ、だめだめだめっ……ふぁ!」
 奥を突かれて達する。花神も神気を放った。
 今回は、前回ほど穢れてはなかったので、これで十分だろう。あとは飲食物で浄化できる。

 尻を高く上げたままくったりするカサネからモノを引き抜き、ひっくり返すと、膝小僧が赤くなっていた。
「うーむ、潔斎場ゆえ仕方なしとは言え、行為をするには向かぬ場だなあ」
「ひぃ……ふぅ」
 とろとろになったカサネは下半身をどろどろにして、蕩けた顔で放心している。
「よし、頑張ったな」
 抱いて水場へ入り、ともに汚れを流す。カサネは花神の胸に顔を寄せ、頬を染めていた。
(そうかぁ。俺がすきか)
 微笑んで亜麻色の髪を撫でるけれども、やはり、幼子の可愛さの域は出ないのだった。
[newpage]
 神域では低く見られがちだが、地上において楽院家はかなりの名家だった。五楽院のカサネもそれは同じで、一族に愛されて育った彼は育ちが良い。
 宮での作法は未知のことゆえ仕方ないが、行儀作法についてはみっちり四楽院に仕込まれているのだった。

「立ち上がる時と座る時はこう」
「そんなことまで!」
「御子神さまは神さまだからそんなに気にしなくていいと思うけど、知ってるのと知らないのじゃ違うと思う」

 花神が夏草の見える一階の座敷で夕涼みの休憩をしていると、このようなやりとりが見られる。茶菓子を食べながらのこの時間は、一日の楽しみになっていた。
「普段、粗暴に振る舞っていても、舐められそうな時とかにちゃんと出来るってとこを見せると、ざまーみろって気持ちになる」
「ふん……なるほどな」
「偉そうにしている奴が実はちゃんと出来ていないとき、見せつけてやるとスカっとする」
「なるほどな!」
 御子神には最適な教え方だが、行儀作法の授業としてはどうかと思う会話も、花神には可笑しくてならないのだった。
 御子神が行儀見習として花神宮に来るようになったのは、進歩だった。最初は嫌がって逃げるものと思われたが、抵抗がないようで何よりだった。カサネのおかげだろう。

 しかし、内心、寂しいような、不思議な気持ちがあった。このような感情を抱くのは、愛され、何不自由なく生きてきた中で初めての経験だった。
 そんなある朝、
「おはようございます」
 御簾を括り上げた先に、いつもと違う顔が神妙に座していた。花神を起こすのはクチナシの役目であったが、カサネが来たのだ。
「おはよう、カサネ。朝一番にそなたの顔があると、元気が出るなあ」
「そうですか?」
「うん、うん」
 柔らかな亜麻色の髪を撫でる。
 練習したのか、朝の支度を覚束ずに行い、きちんと役目を果たしている様も、成長が見られて嬉しかった。こどもというのはこうしてすぐに成長してしまう。つかの間のこども時代を眺めていたいのだ。

 そうした花神のささやかな楽しみ、新芽を観察する楽しみを心よく思わない者もいた。
「急に来た成り上がりの家の、それも分家の者がな」
「ああした命知らずは今までもいたろうが、あやつは慎みがなく花神さまに露見したということ。真に奥ゆかしい者は誰が贈ったかも伏せるものだ」
 そのような立ち話を耳にしてしまい、祭具や神器の整理で運び込みをしていたカサネは立ち止まった。
 誰が贈ったか伏せる、など―――疚しい者のすることである。贈り元の所在を明らかにするのは、規則だ。ましてカサネの場合、奉納したのは父である。カサネには奉納の権利すらないのだから、当然だ。
「まあ、あれは所詮、愛玩物であろう」
「そのうち飽きられる」
 続いた言葉のほうが、カサネに衝撃を与えた。愛玩物、というのは、すこし自覚があった。神域では子供が珍しいのだろうと。しかし、飽きられると聞いて、悲しみが胸に広がった。
 物珍しさで構われているなら、確かにいつかはそうなる。彼らの言い分は間違っていなかった。

 カサネはすぐに顔に出る。そこが「慎みがない」と言えばそうだが、なにしろ可愛がられて育った一族の末の子なので、無意識の奥底で「どうしたらかまってもらえるのか」知っているのだ。
「なんだい。辛気臭い顔をして」
 御子神はつんつんカサネの頬を突いたし、クチナシは「側仕えは暗い顔をしてはいけないのよ」と叱りながらもやさしく、花神に至っては、
「おや……なにやら泣き出しそうな顔をして」
 髪と頬を撫で、
「それ、花だ」
 ぽんと鞠状になった花を咲かせてみせた。カサネが驚いて、笑ったので、花神の頬も緩むのだった。

 それはそれとして、カサネは真剣に悩んだ。慎みとは……いちおう、四楽院にも慎み深くあれと育てられた。
 なので、茶菓子をお出しする際に、そっと茶目っけのある脚の生えた鶴の折り紙を出してみたり、膳を用意するときに、折り紙で箸置きを作ってみたり。
 もちろんカサネだとは言っていないが、用意しているのはカサネで、あまりにカサネらしい行いなので、誰がやったことなのかはすぐに分かる。花神はいちいちそれらを喜んだ。
「ふむ、明日の祭事では晴れたほうが都合はいいが、こればかりは空神さまの機嫌であるなあ」
 などと呟いたなら、花神さまのご寝所の窓に、たくさんの、いろんな顔をしたてるてる坊主が吊られる。
 自分がやったと口にはしないので、敢えて追求はしないけれども、花神はカサネをつかまえ、ぐりぐりと頬ずりしたい気持ちになるのだった。

「本当の幼子でもあるまいに、あのような下卑た振る舞いで気を引いて……」
「障害があるのではないか」
「知能が低い」
 陰口は徐々に増えていった。
 カサネは名家の子で、育ちがよく、若くして天人になったこともあり、人の悪意と無縁に生きてきた。どうしてこのように言われるか分からず、自分がしっかりしていないからだ、と焦るようになった。

 ところで、育ちがよく愛されて育ち、悪意に疎いのは花神と共通した性質である。
 鬼業神官は、かつて嫌な役目を買って出た。このような状況に陥るのが目に見えていたからだ。あれは皆のためでもあったが、カサネのためでもあった。
 しかし、こうなった以上、この花神宮で性根の悪い者を捨ておけない。
「とはいえ、数百年も宮仕えをする者たちだ。何の咎もなく放り出すのは……」
「この宮で花神さまのお耳に入れたくないことを口にする行為こそが、咎と思いますけれどね」
 相談相手はクチナシだ。
「いったい、どれほど年が離れていると思うのやら……大人気ないにも程があるわ」
「それは、俺も思うが、かといって放逐もできぬ。都合が悪いからと排除するのは、陰口を叩く行為と変わらぬ」
「ではこうしましょう」
 クチナシは一計を案じた。

「カサネ、御子神さまにお宮を隅々までご案内したかしら? どういった意味を持つ部屋か、ひとつひとつをご紹介したかしら。とても大事なことよ」
 もちろん、御子神に必要なことだった。嘘ではない。
 けれども、何日かに渡り、大きな宮のたくさんの部屋をひとつひとつ紹介していけば……
「また、あの五楽院の出来損ないは」
 そんな場面に出くわす。

 御子神は自分の神官を守ってやろうなどと殊勝な精神は持ち合わせていない。
 しかしながら、カサネに行儀を習っている最中なので、
「おい、花神。お前のところの天人は行儀が悪いな。立ち話でカサネの陰口を言っていた」
 誇らしげに言いにくいことをズバリと告げる。宮に仕える者たちは憚ることも、子供の神には通用しない。

 それで花神も知るところになった案件だが、花神も困った。個人がどう思うかは、まあ自由である。しかしそれを腹の中に留めておけない者は信用に値しない。
 そこで、一日、時間を設けることにした。
「本日は祭事も執務もとりやめ、俺に日頃の不満を申すがよい。年に一度、こうした日を設けることにする。
 この日に明らかにならなかった不満を宮の中で口にすることは許可しない」
 カサネがどうこうではない。陰口を宮中で言う者がいる環境を花神は憂いた。

 陰口を言っていた者も意を決したのか、その日、苦言を申し立てた。
「新入りの分家の子を特別視するのは、些か問題かと思われます」
「なぜいかんのだ?」
 花神は不思議そうに、おっとり首を傾げた。本当に意味が分からなかったのだ。
「どうして分家の子であると、可愛がってはならぬのだろうか。どこの生まれの者であっても、可愛いものは可愛いだろう。御子神など元はどこの家の子かなど、わかったものではないぞ」
「い、いえ御子神さまは……神さまでいらっしゃるわけで……」
「確かに俺は今まで平等に接してきたが、たまたまそれが続いただけのことで、神が寵を与えることの何がおかしいだろう。そのうえ、カサネには寵らしい寵は与えておらぬ。
 可愛いと思うことが特別視であると申すのならば、俺は感情すら持ってはならぬのだろうか」
 ぐうの音もない。

 花神は「不満を聞く」とは言ったが、それを解消してやるとは一言も言っていない。神頼みは叶えてもらえるとは限らないのだ。そのことを、やさしい花神に護られてきた宮の者たちは失念しかけていた。

「カサネは、今日は来なかったが、不満はないか?」
 カサネを側に置き、寝る前の読書に耽っていた花神が尋ねると、カサネは首を傾げ、
「神さまにお願いをするというのは、自分でどうにもならないことを仕方がないから一縷の望みに縋ってするんだと思う」
 カサネはまだ天人になったばかりの、人に近い天人だ。神の力に慣れきって久しい者たちとは感覚が違うようである。
「それに、願うことすら烏滸がましいと思っていたことが叶ったので、これ以上なにかをねだる理由がない」
 花神のことを慕っているのだろうに、未だ失恋しないのは、何も望んでいないからなのだ。こういうところが、花神の、あるいは神のツボなのであった。

「お前ってほんとにあいつのこと好きなのか?」
 御子神が思わずそう尋ねるほどにはカサネの恋心というのは難解で、
「なんで?」
「なんか好きならあるだろうが、なんかしたいとかこうなりたいとか」
「お姿を側で拝み放題なのに?」
 花神にとってカサネが幼子でしかないように、カサネにとって花神はあくまで神さまなのだった。拝めるだけで幸せなのに、禊で体を重ねる現状、初心なカサネには寧ろ過剰なほどなのだろう。

(恋なあ)
 花神は、厳密に言えば誰にも恋をしたことがない。例えようもなく幸福な愛おしい相手の夢を見るので、それと同等かそれ以上の感情を持てる相手がいないのだ。
 あの夢の相手は、男なのか女なのか、それすら分からない。目を覚ますとすべて忘れているのだが、幸福だった、大好きだったという感情だけが残り、その相手が現実にいないことが悲しくて涙する。
 カサネに対するこの感情はあまりにあたたかで、あの激情とは全く違う。

 いつもの行儀作法の授業の時間、御子神と花神が見ている前で、カサネはいそいそと白い包みを開いた。
「やっと仕上がったんだ。御子神さまの晴れ着」
「晴れ着!?」
「そんなぼろじゃ駄目だろう」
 御子神は贄にされた時の装束を纏っている。楽院家が気を利かせて、霊縫の装束を用意したようだ。
 それは純白の生地で、裾に複雑な文様が白糸で刺繍されており、なかなか立派な仕立てだった。
「うん、似合うぞ」
「かっこいいぞ、御子神さま」
「うう……礼なんか言わないからな」
「うむ、神は恵むものだからな」
 神が礼なぞする必要はない。神は恵み続ける。こうした献上物こそがその礼なのだ。

「行儀作法も様になってきたし、これで神在月の宴に行っても恥ずかしくない」
 カサネはそのために、この数ヶ月努力を重ねてきた。まず御子神を神々に認知してほしいという一心なのだ。
「か、神在月の宴なんかっ」
「俺も行くから大丈夫」
「あ!?」
「うん、神官か側仕えを一人まで連れて行けるなあ」
 さすがに花神もカサネを連れて行く気はない、身の回りのことに困ってしまうから、クチナシを連れていく。
「ひとりじゃない」
 カサネがきゅっと御子神のちいさな手を握る。御子神は口をとがらせるが、もう「行かない」と駄々をこねることはなかった。

 さて、神在月の宴だが、交代で空神宮と海神宮で行われる。宴が開催されなかったほうの神は、留守神として大陸を守護することになっていた。
 今年は海神宮での宴になり、泡船に乗っていく。同行する神々も少なくないので、花神と御子神もそうした。御子神は宮への行き方も知らないのだから。
「御子神さま、海のなか、きれい」
「うぇえ、魚だ。魚が眼の前で泳いでる」
 旅は退屈しなかった。こども二人いるだけで、これほど賑やかで楽しくなるとは。花の国からの旅はそれなりに長く、毎年、読書や天女の余興で気を紛らわせているのだが、今回は長いとも感じなかった。

 ゆえに、彼女のことすら忘れていた。
「お久しゅうございます、シキさま」
 その愛らしさで知られる女神、雨玉姫だ。宴でよく顔を合わせるので周囲からは恋神だと思われることもある。実際、何度も彼女とは同衾していたし、憎くは思っていない。
「では花神さま、俺たちは探検に行って参ります」
「ああ―――」
 雨玉姫がぴっとりと密着するので、花神は思わずそう言った。カサネの呪いが発動しやしないかと、ひやひやしたのだ。
 しかし、花神はうっかりしていた。子供は目を離してはならないものだということを忘れていたのだ。

 海神宮は彼方此方が透明の壁で構成されており、海底の美しい様子が一望できる。色とりどりの魚介類が遊泳する様は、いつまで見ていても飽きないものだった。
「一度は海神さまにご挨拶申し上げるんだって」
「ふうん」
「なんだ、見ない顔だな。そのナリ、まさか御子神か」
 宴も始まっていないのにすでに酔った様子の猿頭の神が声をかけてきた。それに気づき、他の神々も子供ふたりに注目した。
「なんだよっ」
「ふーん、御子神ねえ。俺はお前を神とは認めたくねえんだよなあ」
 瓢箪をあおり、猿頭は顎をかく。
「人間が子を贄にしたってやつだろう。そりゃ神じゃなくただの怨霊だ。今の今まで宴にこなかったのも、自覚があったからだろう」
「わが神を侮辱するな!」
 御子神が何か言う前に、カサネが激昂した。天人風情が神相手に、だ。御子神は慌てた。慌てたが、こうした場面に慣れておらず、言葉が出なかった。

「なんだ貴様、無礼な! 天人風情が、殺すぞ」
「殺せばいい、みんな見ている。俺が仕える神の名誉のために殺されたと知られる。神は祀られて初めて神に成る。神なれば神を貶める発言は控えられよ!」
「………」
 あのうすらぼんやりのカサネが口達者に神を圧倒している様を見て、御子神は目を瞬く。愛嬌と勢いだけで生きている奴とばかり思っていたが、こんな一面もあったのだ。

 一度は、しんと広間が静まったが、後に誰かが笑い始めた。
「お前の負けじゃ。子供相手に情けのない」
「御子神、おいで。おいしい土産を持ってきたから、一緒に食べましょう」
 さすがに年季の入った神々、緊張した空気を一瞬で和やかにしてしまった。そのとき、騒ぎを聞きつけた花神がやってきて、
「何か粗相がありましたかな」
「何もありませんでした」
 カサネがしれ顔で嘘をつく。殺されかねない無茶をしておきながら。

「おお、花神さま」
「今年も一段と麗しく」
 花神は、あっという間に神々に囲まれて見えなくなってしまった。
 ぽつんと取り残された御子神の手を握り、カサネは歩き始める。
「大宴会場が地底で、いくつか用途別の宴会場があるって。三階以降は部屋。あと海の見えるお風呂あるって」
「花神って、やっぱすげーんだな」
 御子神がぽつと呟くのへ、カサネは振り返る。
「そりゃあ、王の器の神さまだ。国を持つことの許される神さまは大陸でも少しだし、その中でよそに分け与えるほど豊穣の強い力を持っているのは花神さまだけだ」
「ぼ……ぼくはっ。何をすればいいんだ」
「え」
 と言ってしまってから、しまったと思った。御子神が自主的に、人に恵みを与えたいと感じている。それを驚いては失礼だ。

「国をつくるのは認められてないから、とりあえず社の近辺と楽院家と柳家に恵みを与えればいいと思う」
「それは、願いを叶えてやればいーってことか?」
「うーん、どうなんだろ。しらない。じゃあ、せっかくだし神さまたちに聞いて回ろう」
「ええ……」
「あら、シキのかわいい子」
 歩き回るうちに、花神の姉アマネと遭遇した。相変わらず美しい女神で、赤紫の唇で優美に微笑んでいる。なぜか、室内なのに、朱色の傘を付き人がさしていた。

「ごきげんようございます、アマネさま。どうして傘を?」
「おまえ、聞きにくいことをいきなり行くな」
「フフ。自分の影が出来るのが苦手なの。特にこんな神の多く集まる場所ではねえ。今から母さまの元へ参りますけど、一緒にくるかしら、御子神」
「え」
 急に話をふられて、御子神は怖気づいた。花神にアマネは不死神の子、王の子だ。母さまといえば王神たる不死神である。王の器までは、まだ話せるけれども、それより上位の相手となると、もうどうして良いか分からないのだ。
 カサネは御子神の手をきゅうと握った。
「いこう、御子神さま。きっと色々教えてもらえる」
「……ふん」
 御子神はそっぽを向く。
 そんな二人の様子を、アマネが目を細めて見守っていた。
[newpage]
 不死神のおわす宴会場は海が見えなかった。上座にそれは立派な朱の着物を纏う女神がおり、不死神とわかった。アマネと花神はそれほど似ていないが、不死神は子のどちらにも似ている。不思議なものだ。

「おお、これはアマネさま」
 誰かがアマネの登場に気づくと、挨拶を受けていた不死神も気づき、
「よく来たわね、アマネ。シキは?」
「また囲まれて動けないのでしょう。それより母さま、御子神とシキの玉の枝よ」
「おや」
 不死神に凄みのある笑顔を向けられ、二人はうっと言葉に詰まった。優しい笑顔なのだが、さすがに王神は神気が強く、威圧感がある。怒鳴られたら、それだけで心臓が止まりそうだ。

「なんとかわいい組み合わせだろう。おいで、顔をよく見せて」

 女神のはずだが、声は低く、話し方は歯切れよく、おっとりのんびりの花神とは調子が違うが、どこか似ているのだった。
 御子神とカサネは、手を繋いだまま不死神の側へ寄った。本当は、側仕えの天人と神がこのようにしてはいけないのだが、それを咎める無粋な者はいなかった。
「御子神さま、れんしゅうどおりに」
「こ、こうか」
 着物の裾をはらいながら座る御子神。膝に小さな手をちょんと乗せて、背筋を伸ばす。どきどき、と小さな心音が聞こえそうな様だった。
 カサネも御子神の少し後ろに控える。

「御子神、よく来たね。お前は神なのだから、いつだって来てよかったのだよ」
「う、えと、うん」
「それと、楽院……だったかな」
「五楽院にございます」
「うんうん。我が子の病に薬を届けてくれたこと、耳にしている。御子神の沼を浄化し、ここまで連れてきたこともな。
 シキが何か与えているかもしれないが、私からも何か与えよう。何がよい?」
「………!」
 一同、ぎょっとした。神の褒美というだけで凄まじいが、王の神である。望めば御子神を超える神力を持った神になることも、国を持つことさえできる。

 ただ、相手はカサネだ。御子神はわかっていた。きっとまたろくでもない願い事を……
「申し上げます。なんでも過去を見る神器があるとか」
「うん、あるねえ」
「ぜひ!」
 カサネはガバとその場でひれ伏した。

「花神さまの幼少期を拝見したく!!!!」

 やると思ったこのバカ、と御子神は遠い目をした。千載一遇どころではない機会を。
 不死神は女神らしからぬ風情でカラカラ笑う。
「ハハハ。いや試した訳ではないのだがな、こういう子だと聞いて、私もやってみたくてねえ」
「もう、母さまったら」
「不遜でしょうか!?」
 不安げに青ざめるカサネに、一同がどっと笑う。花神を婿にくれと言えば叶うというのに、カサネの望んだことと言えば……神々はこれが可愛く、可笑しくてならない。

「シキの幼少期か。余興にはちょうどいいねえ。大きな水槽を借りてきな。過去水も大量にね。
 御子神ぃ、ちょっとおいで」

 手招きされ、御子神が側によると、不死神はぐいと御子神の小さな手を引いて、膝に乗せてしまった。
「なっなんだっ」
「あはは、かわいいねえ。愛い愛い。五楽院、おまえも側においで。かわいいのを侍らせての酒とは贅沢だ」
「母さまズルイわ」
「じゃあお前もこっちにおいで。無礼講だよ」
 水槽と過去水が用意される間、うまい肴をつまんだり、酒を呑んだりした。アマネが不死神の膝でぶすくれる御子神の頬をつついて遊んだり、カサネが不死神に撫で回されたり。概ね遊ばれていたと言っていい。

 平たい水槽が運びこまれ、中に水が注がれる。眩しいほどの行灯が落とされると水槽だけが輝き、何かを映し出した。
 まだ赤子の花神である。人で言えば一歳かそこらだろうか。うつぶせで、顔を上げ、笑っている。転がり始めた。
「あの子はねえ、這うより立つより転がるのが好きで……でも転がるだけだから方向転換できないだろう。ほら、すぐなにかにぶつかる。ぶつかると、すぐ別の方向に転がりはじめる」
 小さな赤子が転がり続ける様は何とも可笑しく可愛らしく、みな大喜びだった。カサネは食い入るように水槽を見た。

 幼いアマネが花神に女物の着物を着せて遊ぶ場面も映し出された。今でこそ体格よく美丈夫の花神だが、このころは、ほとんど童女だった。姉妹と言われても違和感ない。
 アマネのほうも、妹のように接していたらしいが、
「きゃー、母さま、シキの声がってねえ」
 ある朝声変わりをした弟に悲鳴を上げ、母の寝所に飛び込んできたらしい。恥ずかしい思い出を明かされ、アマネは袖で顔を隠す。

 大盛況の宴だったが、途中で乱入者があった。
「俺をぬきで、なんと楽しそうなことを!」
 今まで他の神々につかまっていた花神だった。ちょうど水槽の中の花神がカサネと同年代ほどに成長した頃だ。
「カサネと御子神と娘を侍らせて……」
「どうだ、羨ましいだろう」
「うらやましいっ」
「いいから早く襖をしめてこっちへおいでな」
 下天女がやるようなことを王の器の神に命じる。母、強し。カサネと御子神は、花神が自分で襖をしめる、というような姿を初めて目にした。

 花神は本来なら上がってはならない上座にやってきて、カサネを抱き上げ、膝に乗せる。カサネのほうは水槽に釘付けで、花神が来たことにすら気づいているのかどうか、という有様だ。集中しすぎだろう。
「はは、俺にもこんな時期があったか。細いなあ」
「え? へっ、花神さま!」
「本当に気づいておらんかったか……」
 抱えられてわたわたするカサネを抱き込み、花神は笑う。ここへ来るまでに呑んできたようで、ほろ酔だった。

 しかし、初めての長旅のせいもあって、御子神は既にうつらうつらしていた。それを見て花神はカサネを片腕に抱き、
「母さま、御子神を寝所へ連れて行くので貸しておくれ」
「このまま寝所に引き込んでやろうと思うたのに」
「御子神にはまだ刺激が強すぎる。いらぬ噂もたつぞ」
「まあ、そうだねえ」
 不死神はただ、この幼い神を可愛がって添い寝したいだけだが、中には下世話な想像をする者も出るだろう。そのような下卑た噂、不死神は知ったことではないが、御子神のためにはならない。

 ほとんど寝ている御子神を片腕に抱きとり、カサネと御子神を抱いて、花神は危なげなく立ち上がった。
「花神さま、俺は自分で……」
「よいではないか、無礼講の宴だ。宮で出来ぬことをやろう」
 襖は、クチナシが開けた。酔った花神が足で開ける無作法をする前に。

「あの、花神さま」

 ついてきていたのか、雨玉姫が廊下にいた。不安げにこちらを見ている。なんとも清楚で可憐な姫神だ。花神に相応しい神だ、とカサネはぼんやり考えた。
「雨玉か。これ、見てのとおり子連れでな。寝かしつけに行かねばならん。またな」
 雨玉姫の想いなど歯牙にもかけず、ほくほく顔で花神は彼女の脇を通り抜ける。
「よかったんですか。年に一度しか会えないんじゃ」
「年に一度も会うのだから、別に来年でも再来年でも構わんだろ」
 あんなに美しい姫神でもこの神を射止められないものなのか。カサネはかえって感心した。
 年に一度しか会えない相手がああもすげなくなくされるのなら、自分など飽きられたら声もかけられぬのだろうと、遠くない未来を憂う。

 寝所につくと、まず花神はカサネをおろし、両手に寝入った御子神をだいて、そっと布団に横たえた。
「この寝顔の愛いことよ。いつも沼の底で眠るからなあ」
「初めてですか」
 カサネは驚いた。そして、花神も驚いた。
「寝顔を見たことがあるのか」
「向こうにいる時は、簡易住居に遊びにやってきて、昼寝をなさるので」
 御子神は、花神の想像以上にカサネに心を許しているようだ。

 こうなると、御子神の心境が心配になった。御子神はカサネを呪ってしまっているのだ。それは撤回できるものではない。
 カサネを失ったとき、御子神は再び心を閉ざすのではないか。
 花神とて、カサネを失いたくない。今となっては御子神とカサネのいない日々など……
 不死神に相談してみるべきだろうか。

「では、俺はこれで」
 思案に耽っていると、所在なげにしていたカサネが言うので、がばと後ろから抱き込んだ。
「今日は川の字で寝るのだ」
「ええ」
 強引にカサネの羽織をはぎ、御子神の横に寝かせて、御子神を挟んで寝転んだ。二人を腕に抱き、ほろ酔いのいい気分で目を閉じる。

 翌朝、御子神が悲鳴を上げたのは言うまでもない。
「なんでこんなことになってんだ!」
「おはようごじゃいます、御子神さま」
「おまえ! 洒落や冗談じゃ済まねえだろうが! これ……っ」
「まあ、お前たちは俺の稚児くらいに思われとるだろうからな。今更だ」
「冗談じゃない!」
 傍から見れば、というやつだ。こればかりはどうしようもない。

「あっ、御子神さまのお世話する道具がない」
 荷物は御子神にあてがわれた寝所に運び込まれているので、カサネは焦った。御子神の元気な黒髪がぴょんぴょん飛んでいたので、髪油を塗って梳かさねばならない。
「貸すぞ?」
「花髪さまと同じものを身につけては、噂を助長してしまいます。とってくる」
 カサネは花神の部屋を飛び出した。

 その様子を暗い表情で見守っていた雨玉姫。
 隣にいた背の高い細身の神を見やり、頷き合う。

「―――そこな天人の少年」
 見知らぬ神に呼び止められ、カサネは立ち止まった。イタチのような顔をした細目の男神だ。
「何か御用でしょうか」
「ああ、ちょっと顔を上げて」
「?」
 言われた通り男神の顔を見上げると、細目が開いた。その目を見て、くわんと目眩を覚え、ふらつく。
「おっと」
 抱きとめられたようだが、その感触すらなかった。

 一方、いつまでたってもカサネが戻らないので、御子神も、花神も、またカサネが余計な騒ぎに巻き込まれたのでは、と不安を覚えていた。
「一人にすべきではなかったなあ」
「宮の天人に確認をお願いしますわね」
 花神の世話をしていたクチナシが腰を上げる。
 宴に来る神々は、一人だけ神官か側仕えを連れてくることができる。それ以外の用は宴会場になる神宮の者が聞くのだ。

 しばらくして、海神宮の天人が帰ってきた。
「御子神さまのお部屋ですが、誰もおらず……失礼を承知でお荷物を確認させて頂きましたところ、とりに行ったという櫛も、髪油も、そのまま残っておりました」
「部屋に戻っていないということか。しかし、天人の少年は珍しいであろうから、引き続き探しておくれ」
「畏み申し上げます」
 まあ、そうは言っても海神宮でのこと。多少の諍いはあれど、海神の膝下で面倒を起こす者はない。海神・空神は王より上位の神なのだ。

 探す天人も、花神たちも、呑気にかまえていた。どうせ、強引な誰かにつかまって、酒でも飲まされているのだろうと。
 しかし、天人たちは徐々に焦り始めた。見つからない。それどころか……
「申し上げます。件の天人は影も形もなく、海神宮から出た神が二柱。雨玉姫さまと井戸神さまだそうです」
「絶対誘拐だ!」
 御子神が思わず叫んだ。天人たちも、そう思ったからこそ、慌てた。雨玉姫が花神に執心で、毎年同衾していたことを知っている。その雨玉姫が、いま噂の的になっている花神の側づかえの少年とともに消えた。無関係とは考えられない。

 それ自体が問題であるが、もっと大問題がある。
「儂の宴で誘拐であると!!」
 海神が激怒した。その怒号は海中宮に響き渡り、建物が震えた。どこかで津波も起きているかもしれない。
「宴を楽しむ神々にも、留守を任せた空神にも面目が立たん。即刻、ひっ捕らえよ!」
 花神と御子神、はては不死神まですることがない。

「こうなれば捕まるのも時間の問題か。ばかなことしたな、その女も。まさか殺されたりはしないよな」
「いや、それより悪いかもしれぬ」
 花神の顔は暗かった。
「井戸神はこころの奥底を視る神だ。雨玉姫がこれと結託したのが気にかかる」
「視る」
 御子神は顎に手を当てた。
「おい、花神。僕が作った宝珠、持っているか」
「ああ……カサネがくれたものだしなあ」
「あれは僕の神力を固めて作ったものだ。あれを、昨日の水槽に入れてみろ。見たいものの過去が見れる。今起こってることが見れないのが難点だけど」
「そのようなことが出来るのか」
「沼で一人遊びしてた頃に、ちょっとな」
 御子神は暇を持て余していたので、自分の力で何ができるかいろいろ試していた時期がある。それも途中で飽きてしまったが。

 まだ誰も集まっていない宴会場、昨日の片付けだけされた宴会場に入る。
「待て待て、まだ水槽は片付けるな、使う」
 今にも撤去しそうだった天人たちを止め、花神は宝珠を水槽に投げ入れた。
 水槽に映し出されたもの、それは空だった。妙に上下に揺れる空。端に、木枠……のようなものが稀に見える。
「規模からして小舟か?」
「同乗者が見当たらん。雨玉姫と井戸神はそれなりの規模の船に乗って出たはずだ。ならば救命用の小舟に乗せて漂流させられているのかもしれん」
 この情報により、カサネは発見された。羽のある神が捜索をたすけてくれたのだ。カサネは、小舟に寝かされて大海原を漂っていた。

 特に外傷はなく、助け出された後、ぼんやりしていた。何があったかわからないと言う。
 医神が診療すると、ふむ……と深く唸った。
「魂に少し傷が入っておる」
「そうなると、どうなるんだ」
 焦れたように御子神が問う。
「魂というのはその者の根幹じゃ。傷が入ったということは、何か精神的に責められたのだろうな。かすり傷だが、傷がつくということは言わば魂の急所じゃ。どう反映されるかは分からぬが、浅いから問題ないとは口が裂けても言えぬ」
 つまり―――問題なのだ。
 雨玉姫が絡んでいるということは、花神がらみだろう。カサネの心の急所も想像はつく。
「治らないのか?」
「魂はひとたび傷つけば癒えることはない」
 きっぱりした診断に、御子神は項垂れた。御子神は、今となってはカサネを呪ったことを悔やんでいる。しかし、花神はカサネを拒否しないし、あわよくば上手く行く可能性もあると期待していた。
 しかし、呪われた挙げ句に魂への傷……不安になるなというほうが無理な話だ。

「花神さま?」
 きょとんと首を傾げたのは、カサネだ。花神は常になく険しい表情をしていた。その顔は、母の不死神に似ている。
「俺の側仕えの魂に傷をつけるとは……俺も舐められたものだなあ。俺とて不死神一門の生まれ、姉ほどではないが祟神の血を引く者ぞ」
 花神は、よくもあの不死神から……と言われる和霊の神だ。しかし、その本質は祟神の血族。姉に「あの」アマネを持つ神なのだ。他所の神族を震え上がらせ、大陸をまるごと不可侵の地にするほどの祟神の弟なのだ。

 その後の宴に雨玉姫が現れることは二度となかった。
[newpage]
 誘拐されたらしいが、全く記憶にないカサネ。
 魂に傷が入ったと聞いてもぴんとこない。

「これだけ神が集まって魂の傷ひとつ治せないのかよ!」
「魂の傷というのは、変形と言ったほうが正確だからのう。治した「ように」見せかけることはできるが、元のままではない。まして何が傷ついたかわからんのでは」
「カサネ。変わらず俺がすきか?」
 花神に好きかと問われて、こくんと頷く。しかし、その瞬間、胸の奥が針で刺されたような痛んだ。
「くるしい」
「やはり、俺のことか……」
「五楽院の。花神どのを好きだという気持ちをいろいろ思い出してごらん」
 医神に言われてカサネは初めて花神に目通りした時の胸の高鳴りや、花神を想って鶴を折っていたときの気持ちなどを思い起こした。
 すると、胸の奥がズキズキと痛んでたまらない。あまりの痛みに涙も溢れた。
「くるしい、くるしい」
「なるほど。花神どのを想う心を禁じられたか」
「へ……」
 御子神が目と口を丸くした。

 御子神は、カサネのおろかな恋心を嘲って呪いをかけたけれども、その想い自体を否定するだとか、消そうだとかは、全く考えなかった。
 神は心の生き物だ。意志や感情で生きている。であるから、想うのを禁ずる、という発想がなかった。

 花神が祟るまでもなく、自分の手で殺してやろうかと考え始めた御子神に、医神が「大丈夫」と言った。
「何が問題かわかれば、緩和は出来る。ただやはり、痛いものは痛いだろうの。条件反射というのがあってな、想うことは痛い、と体が覚えてしまうと、考えること自体を忌避するようになる。やがてその心は消えてしまうだろうなあ」

 消える、と聞いて花神は落胆した。ただただ一途に想うだけのカサネの恋心が、消える……とても残念なことに思えた。
 けれども、呪いの件がある。カサネのためにも、御子神のためにも、いずれ恋心が消えるのは良いことなのだろう。

「俺のそばには、いないほうが良いだろうなあ。そなたらのことは、しばらく姉さまに預けて……」
「いっ、いやだ!」
 カサネが反発した。
「痛くても、平気だ! 痛いくらい」
「カサネ。好きという気持ちは、幸福な気分になれるからこそ「好き」なのだ」
 花神は諭した。
「幸福な気持ちどころか痛みを伴うのでは好きであること自体がいやになる」
「やだぁ」
 カサネはぽろぽろ泣いた。今もきっと、痛いのだろう。胸元を掴んでいる。

 ひとまず、カサネは花神と引き離された。今回の事件もあり、挨拶をしなければならない事情もあって、御子神とカサネは海神の元へ向かった。
 それは巨大な龍の首をした亀の神で、広い居室の半分が彼の体で覆われていた。
「此度の件、痛ましい限りよ。儂の宮でこのような……」
「うっ海神さまは魂の傷は治せないの!」
 御子神が勢いよく尋ねると、龍の首がのそりと御子神に近づく。鼻息がかかるほどに。
「そこな天人だけでなく、お前の魂にも傷がある。死の傷がな。けれども、それは、お前の一部なのだ。消すというのは、お前の一部を消すことでもある。生き物は、小さな傷をたくさん負って、それと向き合いながら生きていくのだ」
「できるの! できないの!」
「傷というのは、小さく小さく、交わりながらつくものなのだ。やがて河原の丸石のように磨かれていく。その傷を消せば、他の傷も消えてしまう。その者の一部が消える。それは……お前の望む結果になるとは限らぬぞ。わかりやすく言えば、恋心そのものがなかったことになりかねん。恋もまた魂の刻印なのだ」
 であるから、医神も処置をおこわなかったらしい。

 海神の元を辞し、カサネは考えていた。
 傷がたくさんできて、やがて磨かれて丸くなるのなら、もっと傷つけばいいのだろうか。花神を大好きという気持ちで魂に傷をつけ、磨いてしまえば……

「御子神、カサネ。宴はまだ続くけれど、ひとあし先に帰るわよ」
 アマネが迎えに来た。花神に頼まれたのだろう。
 しかし、カサネはかぶりを振る。
「帰らない」
「カサネ……シキの気持ちも考えて。可愛いあなたを傷つけ続けるのは、シキにとっても辛いのよ」
「消えても構わない想いなら、こんなに傷ついたりしない」
「カサネ」
 アマネは柳眉を下げた。
「海神さまは仰った。傷は自分の一部だって。だったらこの痛みも受け入れる。否定したら、それは死ぬのとおんなじだ」
「死……」
 御子神が呟いた。

「死……恋心……呪い……」
「御子神さま?」
「お前さ」
 御子神はカサネを見上げた。
「いっそ、いっぺん死んでみるか?」
「えっ」
「宝珠を使えば、呪いそのものを変質させられるかもしれない」
 御子神は頭を回転させて考えているのか、こめかみに触れた。
「死、の定義を恋心の死に変換する。いっぺん、失恋して、お前の恋は「死ぬ」。例の傷ごと恋心を抉り取るって寸法だが……」
「そんなの、いやだ!」
「もういっぺん好きになればいいじゃねえか」
 御子神は吠えた。
「呪いも傷もなくなって一石二鳥なんだよ。お前の想いはいっぺん消えたくらいで復活しないほど安いのかよ。そこまで意地張るなら何度でも好きになってみやがれ!」
 カサネは怯んだ。この恋心が、なくなる。それは、とても、怖い。けれども。

「俺は良いと思うなあ」
 アマネの背後から、花神がやってきた。姿を表さなかったが、気になって様子はうかがっていたのだろう。
「なにより、呪いが消えてくれるのが嬉しい。カサネに接するたび、下手をすれば死んでしまうのではないかとひやひやするのは、なかなか心臓に悪くてなあ」
「心の死を甘く見ないほうがよいとも思うけれどね」
 アマネは苦々しげだ。
「神は心によって生きる。心によって死にもするのよ。それは人も変わらないはず。失恋で身投げした話なんていくらでもあるじゃないの」
「そうと聞くと怖いなあ」
「死んだりしない。恋心をなくしたって、御子神さまや家族を置いて死ねない」
 カサネの目を見て、花神は微笑んだ。相変わらず、太陽のように輝く瞳を持つ子だ。強く生命力に溢れている。

 もちろん、これらのことは素人考えで勝手に行わず、医神の意見を聞いた。
「確かに、心の死は危険だ。しかし、何かの弾みで命を落とす危険性のある呪いよりはましだろう。今の状態のほうが、実はよほど危険じゃ。特に恋心が痛むようではな。わしもついておるし、ここで処置を行うなら、たすけてやれる」
 それを聞いて、御子神とカサネは頷き合った。

 御子神は宝珠を生み出し、それを砕いて呪いを変質させた。
 次は花神の出番だった。これだけは、本当はやりたくなかった―――
「カサネ」
 診療台に腰掛けるカサネの手をとり、悲しい想いで、目を見つめる。
「俺は、お前が可愛いけれども、それは幼子に対する慈愛だ。とてもお前を恋愛の相手としては見られない」
 今まで曖昧にしてきたそれを、はっきりと告げた。

 ほろり、とカサネの瞳から涙がこぼれた。ほろり、ほろり。凛とした表情で花神を真っ直ぐ見つめたまま、その言葉を、真実を受け止めた。
「胸にぽっかり穴が空いたみたいだ。すごく、さみしい。さみしい気持ちだ」
「………」
「さみしい」
 泣き出したカサネを、花神は黙って抱きしめた。
 色々あったためか、カサネは花神の腕の中で寝息をたてはじめた。疲れたのだろう。
「さみしい、か」
 カサネを抱え、花神は目を閉じた。

「俺もさみしいぞ、カサネ」

 翌日から、カサネは花神を目で追いかけることがなくなった。
「敬う気持ちは残ってる。恋心と関係なく、花神さまは神域に召し上げてくださった方だから。でも、あのふわふわ浮ついた幸せな気持ちは静まり返って、冷たい感じだ」
 大広間の宴席の片隅で、御子神とカサネはどんちゃん騒ぎを眺めていた。二人とも、とても楽しい気持ちにはなれない。
「ぼーっとした感じ。放心状態? これから何をしていいか、何から手をつけていいか、わかんない感じ」
「別にゆっくりでいいんじゃないの」
 御子神は甘い神酒を呑みながら言う。
「僕なんか、未だに何をすればいいかなんて分からない。神になんかなってずいぶん経つのにさ。なんのために神になったのかさえ、わかんない」
「わかってることもある。御子神さまの側にいなきゃって気持ち」
「それ、なんで?」
「わからない。でも、側にいる」
 カサネの意志はいつも真っ直ぐで、強い。御子神に対してそう想うように、花神への想いもそうだったのだろう。それを抉り取った。なんとも言えない気分だ。

 ふと、御子神は顔を上げた。
「花神んとこの天女じゃない?」
 宴会場を覗いて何かを探す素振りを見せるクチナシ。おそらくは、自分たちに用があるのだろう。手をふると、やはりこちらに来た。
「大丈夫、カサネ。話は聞いたけれど」
「わからない」
「実はね、花神さまはあれからお部屋に篭ってしまわれて、とても寂しそうなの。側にいって差し上げて」
「どうしてだ? ここには花神さまを慕う神さまがたくさん―――」
「あなたじゃなきゃダメなの」
 何だか分からないが、そうと言われてはカサネも行かねばならない。御子神のことはクチナシに任せ、宴会場を出た。
 あの一件があってから、通路に天人が増えた気がする。声はかけてこないが、カサネの姿を見ている。二度もあのようなことが起きないように、だろう。

「花神さま、失礼いたします」

 手をついて挨拶し、襖を開けて更に頭を下げる。中へ入って襖を閉め、膝をついた。花神は障子戸の外の海を見上げ、こちらを見ない。
 どうお声をかけていいか分からず、じっとしていると、花神が独り言のように語り始めた。
「勝手なことを言うようだがな。あの恋に一生懸命なカサネはもういないのだと思うと、まるで恋しいあの夢から覚めた後のような悲しみに襲われる」
 カサネは俯いた。カサネもだった。何か楽しい夢を取りこぼしてしまったような気持ちなのだ。

「昨晩などは、ついにあの夢の相手がそなたの顔をしていたよ。ふたつの意味で悲しかった。どうしたらよいのだろうなあ」

 わからない。
 悲しくてさみしくて涙が畳を濡らすのに、恋心は蘇らなかった。
「さみしい」
「さみしいなあ」
 まるで二人そろって失恋をしたかのようだった。どうして、どうしてこんなことになったのだろう。痛くたって手放さなければよかったのだろうか。

 花神がやってきて、カサネを抱きしめた。口づけをした。縋るように柔らかで温かい唇に吸い付いた。舌を絡めて、目を細める。
 それはまるで傷の舐め合いだった。
[newpage]
 花神が多く祭事を行うのは、自国だけでなく荒れた地上に恵みをもたらす為である。
 祭具を持って舞い踊り、時には地上のために神器を生み出す。
 装束の袖や髪が翻るさまは夢のように美しく、カサネはそれを見るだけで胸が満たされた。
 遠くから見るだけの恋心は、今はもうない。

「―――ふぅ」

 神力の放出を止め、体から力を抜く花神の手から祭具を受け取るのはカサネの役目だ。恭しくそれを両手にとると、花神はかなしそうに目を細める。

 あれから花神は、あまり笑わなくなった。笑っても、どこか寂しそうだ。
 御子神も宮に寄り付かなくなってしまったけれども、今自分がいるべきは「此処」だと感じ、粛々と側仕えの役目を果たしている。
 花神に笑ってほしくて、折り紙を折ったりするのだけれども、花神はそれを見てさみしそうに微笑むだけだった。

(以前の俺と何が違うのだろう)
 カサネは考える。恋心を失いはしたけれども、カサネ自身は何も変わっていない。
 一生懸命に恋をするカサネがいなくなったから、こうなってしまったのだろうか。一生懸命とは、なんだろうか。いまは一生懸命ではないのだろうか。

 不死鳥の卵や宝珠がよく話に挙げられるけれど、知られもしない、千羽鶴とて同じくらいに一生懸命だった。違いと言えば命の心配がなかったことだろうか。なるほど、一生と命を懸けていない。
 かといって、別に命を捧げようと考えて不死鳥の卵をとりにいったわけではないから、命を懸けるようなこと、と考えると思いつかなかった。

 今さら御子神は命を奪うような呪いはかけてくれないだろう。せっかく解いたところになんだ、と怒られるに違いない。
「なんか千年に一度だけ咲く花とかないかな」
「千年だろうがなんだろうが、花神さまはどんな花でも咲かせられるよ」
 楽院の屋敷で四楽院が笑う。カサネが本家にいるので、四楽院も都に帰ってきていた。当主だけではカサネは手に余る。
 カサネは夕餉を宮で済ませてきたが、こうして当主と過ごすのは最近めずらしいので、寝る前に果物をつまみながら三人で団らんすることが多い。

「じいちゃん、俺はそんなに変わったかな」
 椅子に座る祖父の膝に懐いて頬を寄せると、あたたかい手が頭を撫でてくれる。
「私の目にはカサネはカサネのままに見えるよ。やんちゃで困った、うちの大事な末の子だ」
「まあこの頃は少し落ち着いたかな。以前は何をしでかすか分からなかった」
 四楽院に頬をつつかれ、カサネは膨れる。ただ思うままに行動していただけなのに。今だってそうだ。

 そういえば、そろそろ梅雨になる。地上の梅雨とは少し違って、神域の梅雨は空神の神力が安定しない時期だ。感情が落ち着かなくなるので、仕える者が大変だということを聞いたことがある。
『ふむ、明日の祭事では晴れたほうが都合はいいが、こればかりは空神さまの機嫌であるなあ』
 ひらめいた。

 翌日、カサネは早くに霊獣の飼育所で翼の生えた豚を借り、大空へ旅立った。
「えぇと、空神宮は……」
 現在地を示す神器の巻物を見ると、だいぶ遠いことが分かる。しまった、もっと近づいてから飛ぶべきだった。
 一度森に降りてから、どういう経路で向かうべきか考える。いきあたりばったりだった。
 例の祭事は外で行う。だから「晴れたほうが都合がいい」。雨になれば花神は濡れ鼠で祭事を行わねばならない。それはかわいそうだ。

 祭事までそれほど時間がない。悠長にしていては、間に合わなくなる。少なくとも前日には空神宮について、ご機嫌を直して貰わねばならない。
 空旅を想像していたので旅路は全く考えていなかった。豚はそれほど長時間、飛べないらしい。
(強行軍になるけど、仕方がない。飛んで休んで、豚には頑張ってもらう)
 かわいそうな豚は、力の限り飛ぶことになった。
 それもこの時期、やはり雨が多い。雨は余計に一人と一匹の体力を奪う。
「がんばれ、がんばれぶぅ!」
「ぶ、ぶぅ!」
 名前までつけられ、声が枯れるほどずっと応援されるので、豚も頑張った。休むときはカサネが甘やかすので、すっかり懐いている。仕打ち自体は酷いのだが、不思議なものだ。

 空神宮がようやく着く頃には、豚もカサネもぼろぼろだった。
「うわなんだ」
 空飛ぶ島にそびえ立つ宮の前、門兵が様子に驚いた。くたびれきっているが、やり遂げた様子の羽のはえた豚と、ふらふらになった天人の少年。すわ何事かと思う。
「どうした、どうした少年」
「……空神さまのご機嫌をとりに……参りました」
「そんなぼろぼろでか!」
 とにかくカサネと豚は運び込まれ、看護された。

 この時期、空神宮は空神の機嫌の悪さにぴりぴりしている。そんな折に訳のわからない訪問者があったものだから、俄にざわめいた。
「なんだ、なにがあったと言うのだ」
 宮のばたつく様子に苛立った空神が尋ねると、神官が「申し上げます」と畏まって膝をついた。

「なんでも、花神さまのところの五楽院の少年が、羽のはえた豚と共に空神さまのご機嫌をとりにきたと……」

 空神も言葉を失った。花神のところの、こどもの天人。これは話に聞いている。最近、何かと噂になる少年なのだ。海神が己の宴で誘拐沙汰があったと激怒していたのも記憶に新しい。
 それが、羽のはえた豚とぼろぼろでやってきた。
 何事かと思う。

「時間がない……と慌てておりまして。なんでも花神さまの祭事までに空神さまのご機嫌をとりたいと、何度も申しております」
 それで、少年がなにをしたいのか、空神も大体察した。
「このことを花神は知っておるのか?」
「ただいま問い合わせております」
「まあ知らんだろうな。儂に何の知らせもなく自分のところの小僧を寄越すような男ではない」
 とすると、花神の為を想ったあさはかな子供の突発的な行動なのだろう。

 まあ空神も苛々していたところなので、その小僧を呼んだ。
 空神は髪と髭が神気に揺れる、巨大な厳しい老爺の姿をしている。空神の姿にすっかり威圧された小僧は、玉座の前でちんまりしてぶるぶる震えていた。
 これを見て叱りつけるほど空神も狭量ではない。空神の玄孫よりもっとずっと幼いのだ。

 また、なぜ連れてきたのか知らないが、隣に震える豚もいて、寄り添っているので……笑う、こんなもの。なぜ豚を通した。
「申し訳ございません。引き離そうとすると豚が威嚇して少年を守ろうとしますので」
「ああ、もう、よい。どっちも近く寄れ」
 こいこいと手招くと、少年と豚はおそるおそる、近寄ってきた。差し出された大きな手に両手を乗せ、小動物のように見上げる少年をすくいあげ、膝に乗せる。豚がカリカリと前足で足元に乗り上げようとするため、こちらも膝に乗せた。

「……フフ。ハハハ」

 笑うしかない、こんなもの。なんだこの図は。
 今ごろ花神は知らせを受けて悲鳴を上げ、こちらに向かっているところだろう。どのみち、明日の祭事どころではない。
「これ、小さき者よ。このようなことを続けていては、いつか花神に迷惑をかけ、命を落とすぞ……寝ておる」
 ぶるぶる震えながらも、空神の袖にしがみつき、眠っていた。眠っているというより、失神だったかもしれない。

 その日、空神の機嫌は安定していた。空神はここに「居る」ということが重要なのだ。天候を制御し、神域を見渡し、守護をする。
 これがまた退屈でどうしようもない役目だった。であるから、突然現れた天人の少年と豚は、空神の無聊を慰めた。
 掌にすっぽり覆われてしまう少年の体はあたたかく、豚も慣れたのか、疲れているのか、膝の上でだれんと垂れている。もちのようだ。
 たまに見下ろすと、少年が小さな手で空神の袖を握っているのが見え、なんとも心があたたかくなるのだった。

 数刻もすると、花神が現れた。よほど急いでやってきたのだろう、神も装束も乱れ、色男が台無しだ。
「申し訳もなく……!」
「ああ、もう、よい。空を見れば分かるだろう、怒る気も起きんわ。それ小僧、迎えがきたぞ」
「ふえ」

 優しくゆすられ、カサネは目を覚ました。一瞬、ここが何処か分からず、周囲を見渡す。見慣れない、広い広い石造りの部屋。柱の道があり、大きな扉が見える。視界が高いというか広い。なにか温かいものに包まれていて、眼下に跪いた花神がいる。
「えと、あれ。俺、空神さまに会いに……」
「ここにおるよ」
「うわあ」
 呼ばれて仰ぎ、そうだったと気づく。空神さまに目通りをして、それで、疲労と恐怖とで気を失ったのだ。
 それに、どうしてか花神がいる。
「花神さま、明日の祭事……」
「それどころではないだろう! ここ数日、宮にも御子神の元にも姿を現さず、どれほど探したかわかるか!」
 叱られてしゅんとした。そういえば、誰にも行き先を告げていなかった。思い立って翌朝、意気揚々と出発したもので。

「また何かあったのではないかと気を揉んで……四楽院は泣いていたぞ。なんと親不孝なわるい子だろう」
「ごめんなさい……」
「よく反省するのだぞ」
 空神にも笑いまじりに叱られ、大きな指で頬を擦られた。膝から降ろされ、花神の元に帰される。

「親が子を叩きたくなる気持ちが、今はようく分かる。なんと、なんとわるい子だろう!」

 叩きたくなる、と言ったが、花神はカサネを抱きしめた。抱きしめられたまま、身じろぎして空神を振り返る。
「空神さま、明日は晴れる?」
「きっと晴れるさ」
 本当はもっときつく叱るべきなのだろうが、そのような気も起きない。こどもの頭の中は、明日、花神の祭事のために、晴れるかどうかで一杯なのだから。

 空神の間を辞し、花神はカサネの頬を軽くつねった。
「どうしてこんなことをしたのだ。空神さまにご面倒をおかけして……」
「明日のさいひ、はれうって」
 抓まれたまま、カサネは目を輝かせていた。
「晴れたほうがいいって、去年、花神さまが言ってた。去年はてるてる坊主を作るしかできなかったけど、今年はちゃんと晴れる」
「おまえと言う子は……」
 花神は脱力した。こういう子なのだ、分かっていた。最初から、出会う前からずっとこうだった。はじめは笑っていたけれども、今は楽院家の者たちの気持ちがよく分かる。

「花神さまは一生懸命な俺がいいんだろう。そうしたら笑ってくれるんだろ。前の俺じゃなきゃダメなのか。俺だって一生懸命なのに!」

 カサネの目に涙が浮かんだ。見ていれば満足の恋は終わってしまい、別の何かに変わったが、想いの強さそのものは変わっていなかった。今でも、花神が病気になれば不死鳥に挑むだろうし、花神のためなら死の呪いを受けてでも宝珠を得ようとするだろう。

 それを知って、ずっと嘆いてばかりの自分がカサネを傷つけていたのだと花神は知った。今度ことはカサネばかりが悪いのではない。花神が彼を追い詰めてしまったからなのだと。

 豚とカサネを車に乗せ、宮へ帰る道中、カサネの心境をぽつぽつと聞いた。
「恋とかは、よくわかんなくなった。そもそも前のだって恋だったのか……」
「花神さまといると、ほっとする。側にいないとさみしくなる。花神さまがさみしそうでも、さみしくなる」
「前みたいな俺がいいんなら、命を懸ければ笑ってくれるかと思った」
 それで今回、このような無茶に及んだのだ。いや、状況が状況ならもっと酷いことに挑戦していたかもしれない。

「そなたが元気で頑張っている姿を見れば、俺は十分だ。今回のことは、俺の中でなかなか整理がつかなくてなあ。こんなにそなたのことが心を占めていたとは、自分でも気付かなかった。
 そなたに何かあれば、俺は二度と笑えまい。もう無茶はしてくれるな」

 車の中で、カサネをそうと抱き寄せた。かわいいカサネ。いつの間にか花神の心に潜り込み、居座っていた。
 あたたかな塊を抱きしめていると、自然と笑みこぼれる。久々に心から笑ったためか、カサネが花神の顔をまじまじと見て、ふにゃりと笑った。きりりとした表情を崩さない子なので、こうして笑うのは珍しい。花神は、ますます顔を緩ませた。

 カサネは、もちろん四楽院に叱られた。尻たたきをされたらしい。四楽院はいかにも雅な文化人といった容姿をしているが、カサネの母親がわりなだけはあり、力にあふれているようだ。そうでなくばあの子は育てられまい。
 豚は、本当は返さなければならなかったらしいが、あまりに懐いてしまい、飼うことになったようだ。

 カサネがいないと聞いて、御子神はずっと落ち着かなかったらしく、カサネが訪ねてくるなり拗ねて沼に隠れた。
 ただ、カサネが調子を取り戻したので、花神宮に顔をだす機会は増えた。
「御子神さま、ちっちゃいカタツムリ見つけた」
「すげえ、ちっさい!」
 もはや行儀見習の授業すらしていない。花神が夕涼みをする間、あれやこれや品を変えては遊んでいる。
「これ、人間の遊戯だ。賽を転がして、升目に駒を動かす。花神さまもやろう」
「どれ」
 たまに、花神も遊戯に混ざる。

 御子神は人間のこうした遊戯や玩具を、全く知らないようだった。
「生前、遊ばなかったのか」
「人間だったころのことは、殆ど覚えてない。あれが本当に僕だったかもわからない。何を食べていたかも、周囲の人間のことも。おぼろげに覚えているのは狭い部屋だな。今思うと、座敷牢か何かだったんじゃないかな」
 このような情報から、贄のために育てられた忌み子だったのではないかと思われる。悲しいことに、人間の世界ではよくあるのだ。そのすべてがこうして神になるわけではない。
 いや、もしかしたら、そうした子供の魂が集まって生まれたのが、御子神なのかもしれない。一人の子の神力としては、御子神は強すぎるのだ。

 そうと知ってから、カサネはますます遊戯を増やした。独楽、おはじき、お手玉、などなど。御子神は特に独楽を気に入って、夢中になって回す。
 行儀作法も大事だが、今の御子神にはこうした事のほうが必要なのだろう。自分で金銀財宝だって創れるのだろうに、カサネに貰ったおはじきを、端切れで作ってもらったという巾着に入れて、大事に持っているのだ。

 あるときカサネが絵巻物を沢山携えてきて、御子神に読んでいた。
「うさぎどんは酒をのみのみ、カエルどんはひっくりかえり」
 並んでうつぶせに寝転がり読むもので、大抵、途中で二人とも寝てしまう。そうするとクチナシが毛布を持ってきて、二人にかける。

 その様子を、冷やし飴を飲みながら眺めていた花神だが、微笑んでいたはずなのに、ほたりと涙が溢れるのに気づく。
(俺は何をさみしがっていたのだろう)
 幸福は変わらず此処にあったのに。

 二人の側に寄って腰を下ろし、寝顔をよく見た。御子神は、涎が垂れている。そういえば花神の側でもこうして安心して眠れるようになったのか。以前は決して見せなかった姿だった。
(カサネは幸福を運ぶ子だな。うさぎの耳をつければ、ちょうど似合うに違いない)
 絵巻物の幸福を運ぶうさぎの絵に目をやりながら、亜麻色の髪を撫でる。

 カサネが少しだけ変わってしまったように、花神の中の感情も、少しずつ、変化していた。
[newpage]
 ゆるやかに月日は流れていき、前年の宴でのことは忘れ去られようとしていた。

「ひゃあ」

 花咲く庭で御子神が転ぶ。ひっくりかえった彼の額を、コンと竹筒が叩いた。
「大丈夫ですか、御子神さま」
「むずかしいぞ、これ!」
 縁側に腰掛けた花神は、二人の遊びを笑って見守っていた。今日はカサネが竹馬を持って来たのだ。
「おい花神、笑うな! お前はできるのかっ」
「俺には、その竹馬はちと小さいかなあ」
「花神さま用のも今度作ってくる」
 余計なことを言ったかもしれない。カサネが何やら意気込んでいる。

 冷やした仙桃を並んで食べていると、何やら視線を感じた。
「?」
 御子神は夢中で桃にまるまるかぶりついて、口元をぐちゃぐちゃに汚している。カサネが不自然に向こうを向いていた。

 ちかごろ、よくあるのだ。カサネがじぃと花神を見ていたかと思うと、視線を逸らす。一心不乱に花神を慕っていた頃は、こちらが照れるほどに見つめていたというのに。
 それもどこか恥ずかしそうというか、もじもじしているような。
(ははあ)
 花神は微笑んだ。
 そういえば、御子神の沼がずいぶん清浄になったので、暫く禊をしていない。カサネは感じやすい子だ。欲を溜め込んで困っているのかもしれない。

 そこで夜、寝所に招き、
「何か言いたいことがあるのだろう?」
 優しい声で問いかけると、カサネは肩を震わせて縮こまった。
「あの……」
「うん」
「こんなこと思うのは不遜で、いけないことだと分かってる」
「言ってみなさい」
「あの……!」
 意を決したように、カサネは顔を上げた。

「花神さまに甘えたくて!」

 うん? と花神は笑顔のまま褥で首を傾げた。
「以前は見ているだけで満足だったのに、それすら烏滸がましいほど光栄なことなのに、俺はなんて不遜なんだろう! 自分が恥ずかしい!!」
「お、おう……」
 甘えたいなら甘やかしてやろうと手を広げかけたが、カサネが突っ伏して泣き出したのでやり場を失った。
「こ、これ泣くでない。何事かと思われるだろう。仕方のない、それ」
 花神のほうから迎えにゆき、カサネを引きずって寝所に引き込む。カサネはえぐえぐと泣いていた。

「ああ、もう、仕方のない、仕方のない。愛い、愛い」
 胸に抱いて袖で涙を拭ってやり、額に口づけする。
「それほど甘えたかったのか」
「……花神さまに抱きしめられることが多くなって、きっと味をしめてしまったんだ」
 きゅうと着物の端をつかみ、顔を胸元に顔を埋めるカサネ。
「だっていいにおいがするし。あったかいし。気持ちがほかほかする」
「そうかぁ、気持ちがほかほかするのかあ」
 花神もいま、気持ちがほかほかしている。おんなじだなあ、とカサネの背を撫でた。

「カサネよ。此処は切なくないか?」
「ひゅえ」
 尻の筋を生地の上からなぞってやると、カサネがびくりと震えた。
「そなたはずいぶん感じたであるからなあ。それこそ一度味を覚えれば、我慢できぬと思うが」
「せ、せつなくなる時もあるけど……ちゃんと自己処理してる」
 胸元に顔を埋めすぎてくぐもった声がする。
「自己処理とは、自分でナカに触れるのか?」
「それは、しない。前だけで、がんばる」
「ふむ、前だけでなあ」
「あ、ちょっ……下履きのひもっ」
 するりと紐解き、中へ手を差し入れる。下生えを伝ってやわい性器をなぞるとすぐ熱をもって硬くなる。

「今日は新しい味を教えてやろう」
「あたらしい?」
 薄い行灯の明かりの下、涙目のカサネが不思議そうに花神を見上げる。
 花神は左手に小さな花を咲かせ、その花弁を鈴口に押し当ててやった。すると花の柱頭が伸び、尿道を遡っていく。
「あっ、あっ、なんかっ、なんか入ってくるっ」
 混乱して暴れようとするカサネをしっかりと抱き、大丈夫だと背を撫でる。
「あっ、奥っ……!? おくっ、ひんっ」
 柱頭は最深部に着くと、舐めるように先端を動かし始める。
 体の奥の触れられないような場所を犯され、カサネはすすり泣いた。
「心地よいだろう。癖になるぞ」
「ひんっ……ひんっ」
「蕾も可愛がってやろうな」
 カサネを腕に抱いたまま、下履きに手を差し込んで尻のあわいへ指を入れ、縮こまった蕾をつんつんと刺激する。花の蜜をたっぷり塗り込み、二本の指で入り口をくにくにと練った。

「み……禊じゃないのにぃ」
「そうだ。これは愉しむためのまぐわいだ。褥ではこうして愉しむ」
「あっ、なんでぇ……ひぃん」
 つぷんと入った指先に尻をはねさせ、カサネはきゅうと蕾に力を入れて食い締める。
「だめっ……前っ、奥っなのにっ……うしろ、いれたらぁ」
「そう、前と後ろから心地よくするのだ」
「だめ……っ、だめっ」
 どうしても締めるのをやめようとしないため、開く筒状の花を蕾に咲かせて無理にこじ開ける。
「ひえ、すうすうする?」
 何が起きたか分かっていないカサネに忍び笑い、花弁の隙間から指を差し入れた。
「いやっ、いやぁ」
「それ、ここな」
「ひぃい!」
 前からのぢくぢくする快感、後ろからのびりびりする快感に挟まれ、カサネは悶えた。
「あぁっ……はぁぁん、きもちっ、い……っん」
 すっかり蕩けきった顔で腰を揺らめかす様に、花神は苦笑を隠せない。これほど感じやすいのに我慢をしていたとは。下手な男に縋りつくまえに取り込んでおかねばなるまい。

 体勢を変え、下履きを下ろして着物の裾を捲る。筒花に押し拡げられた蕾から、中の淫靡に蠢く肉が見えた。
 その筒を抜き、後ろから被さってモノを押し当てる。
「ほしいか?」
 耳元で囁く。カサネはすすり泣きながら、こくこくと頷く。
「もっと奥、奥ほしぃ……」
「カサネは奥が好きだなあ。俺のなら届くものな」
「いれてぇ……」
 先端に収縮する蕾を擦り付けてのおねだりに微笑み、腰を掴んで固定する。ぐっと力を込めて挿入。
「ああ……ぁ」
 どこか安心したように呻くカサネ。たまに引いたりと焦らしながら奥まで結合すると、ん、ん、と甘い息を漏らしながら尻を揺らす。

「ああ、前の、抜いて……イケないぃ」
「今日は栓をしたまま達するのだ」
「ひん、ふぇ…あっ、ああっ」
 ゆったり腰を使い始めるとカサネが快楽にもがく。慣れないうちは狭すぎて窮屈だった蕾も、そろそろ咲きごろなのか甘く締め付けてくる。腰を引くと中のうねる肉が花神をねぶり、溶かされそうに具合が良い。

「あぅ……きもちい、きもちい、イケないっ……イキたいっ、イケないよぉ」

 過ぎる快楽を前から後ろから与えられているのに、達することができずにカサネは泣きじゃくった。
「頑張れ、頑張れ、そなたは筋がよい。それ」
「あっ、ひっ、はぅう…っ、ひっ」
 蜜で濡れた蕾がぱちゅぱちゅと淫猥な水音を立てる。おぼこいばかりだった花がずいぶんと艶めいたものだ。

「あっ、あぁあ……なんか、あ、なんかぁ……っ」

 波が来たのかもがくので、奥の窄まりをぐりぐりと刺激してやった。カサネの腰がビクビクとしなる。
 その状態でなお腰を動かした。
「うあっ、あっ、イッて、イッてるっ、イッてるからぁ!!」
 絶頂の最中、尿道の栓と後孔を攻めたてられ、カサネは「イッてる、イッてる」と何度も訴えた。
 花神も限界を迎え、奥に神気を注ぎ込む。同時に前へ手を回して栓をずるりと抜いてやった。

「はぅっ? は……はぅう………」

 びく…、びく…と痙攣しながら、壊れたように精を漏らす性器の口をくちゅくちゅ弄ってやる。
「あ……んん、も、ダメ、んっ」
 軽く最後に達し、カサネの体がくたくた崩れる。勢いでずるりと結合が外れた。
「よし、よし。頑張ったな」
「ふえ。ふぇえ」
 汗でしっとりした身を抱き寄せ、倒れ込む。力尽きたのか、カサネはすぐに寝息を立て始めた。
 

2019年6月17日月曜日

ロマの王かきおろし未収録

【蛍黒にまつわる宇宙の腐界論】


「絶対にあの二人はリバがある」
 というのがクラスタの通説だった。
 彼らが知るのはメディアに露出する二人の様子と、流出したフォトやムービー。きせかえクロネちゃんと猫耳でじゃれあう菊蛍とクロネちゃんのデータだ。それも今は削除されてしまった。

「そもそも男同士なんだから」
「でもほたるんはクロネちゃんをお姫様みたいにエスコートして守るじゃん! リバはない!」
「ヨシヨシしながらヤラせてやってるって絶対」
「リバ論争は荒れるから禁止ー」
 というやりとりが専用トークルームでは日常茶飯事だった。

 そこで、今も続いているクロネと志摩王のトークちゃんねるで成人向け枠があったので、一同揃って署名を募り質問を投げた。
 すると志摩王(のアバター)は俯くクロネちゃんの隣で大笑いし、
「菊蛍はああ見えてバリタチだ。クロは呼び名どおりネコ。だからリバはないよ」
 この発言はリバ派・黒蛍派に大きな波紋を呼んだ。三次元を扱うジャンルの辛さだが、真実が人を追い詰めることもある。
 実はもっと衝撃を与えたのが「蛍はバリタチ」という事実。なにしろあの流麗で儚い外見なので姫様か女神のように奉る奇特な人種もいるのだ。
 ちなみに彼らの脳内では菊蛍の体型はほっそりしている。流出ムービーを見ればなかなかのイイ肉体をしていることが分かるのだが、そこらへんは脳が補正するらしい。

 その点、古くからいる鷹蛍派は冷静だった。
「二人がデキてないの分かっててやってますし」
「蛍さんがクロネちゃん一筋なのは痛いほど伝わりますし」
「むしろ蛍黒も好き」
 古参であるがゆえに鷹揚だ。
 尤も中には過激なのもいて、噂によればクロネを呪ったせいで惨殺されたとか。
「人を呪わばってやつですね。あっ墓穴は自分の分だけでしたか」
「実在のモデルに手を出すなんて死んで当然」
「もともとヤバイ橋渡ってるのに荒波に身を投げる愚行」
 犯人に対して冷ややかだった。

 こうしてリバ騒動には一段落ついたが、今度は今度で別の疑問も浮上する。
 クロネちゃんが「理想の蛍」と本人に言った中堅サークルは現在、神扱いされている。本人は畏れ多くて辛いとのことだが、同クラスタ内では尊敬のまなざしを向けられていた。
「蛍黒神の絵柄は割と雄めのほたるんですよね…」
「もともとはマニアック向けっていうか、否定的でしたよね。あの手の絵柄は。ほたるんは姫って見解が多かったから」
「クロネちゃんの目にはああ見えてる説」
「いやでも実際、ゴリラだから。服の下めっちゃマッチョ。あと凄く強いらしい、アジャラ皇子一発KO」
「ついでにクロネちゃんも一発KOしちゃいましたよね……」
「しっ、それは言わない約束!!」
 菊蛍が洗脳によって記憶を失い、地下組織のリーダーになっていた件は宇宙中が知っている。当時はパニックになったものだ、拉致されたロマの王がなぜか敵組織の首魁として宇宙に登場したのだから。

「クロネちゃん辛かったろうな……」
「挙げ句の果に一発KO」
「それは言わんであげようって」
「クロネちゃん復帰したら今まで以上にべったり」
「噂によると、地下組織時代にクロネちゃん拉致って侍らせてたらしい。記憶ないのに」
「ガチやん」
「知ってた」
 このあたりから議論が白熱し、
「そもそも18歳のクロネちゃん保護して囲い込んじゃった訳で」
「姫のすることじゃなかろう」
「そもそも90歳の姫とは」
「姫なんです姫なんですほたるんは誰がどう言おうと姫なんです!」
「見た目だけは反則気味にたおやかで美しいからな……」
「クロネちゃんとメディア映ってるときのウキウキにこにこほたるん見てると年齢わかんなくなるよね」
「年齢も性別も蛍」
「性別蛍は理解できるけど、前から蛍姫って思考にはついてけない。いや好きな人は好きにしていいと思うけどさ」
「言っていい? 言っていい? 実のところほたるんただのスケベ親父」
「禁則事項です!」
「みんな心の底では分かってるから」
「そういえばアジャ若減ってアジャクロ増えたよねー。アジャラ殿下、クロネと結婚するって公言しちゃってるし」
「志摩王はもういいのかよ」
「まさかの展開だったよね……アジャタカクラスタ一時期盛り上がってたのに」
「ロマ若が熱すぎて大移動があったからな」
「蛍黒も熱すぎて鷹蛍から大移動」
「でもクロネちゃん、鷹蛍大好き」
「それ」
「あれどういう心理なんだろう……自分の恋人が別の人間と恋愛してるの読んでるんでしょ。ほたるんに抱っこされながら」
「らしいね。ほたるんもそれ見てご機嫌らしい。クロネちゃんがよければそれでいい思考」
「現実とファンタジーはちゃんと区別できるんじゃない、クロネちゃんは」
「自分が抱かれてる相手が抱かれてる現実と区別……」
「クロネちゃん哲学、複雑骨折してるらしいから。志摩王いわく」
「そういやクラミツ王子と兄弟発覚してから増えたよな、クラクロ。でもそっちは拒否反応だってさ」
「クラミツ王子、志摩王とは受けクラスタ多かったのに、お兄ちゃんと絡むと急に攻め扱い」
「まあもともと声が……てか志摩王が男前すぎて」
「顔は可愛いけどね?」
「増えたと言えば、デオ葛増えたよなー。いいことだ」
「あそこは微笑ましい」
「戦う様は微笑ましくない」
「いや微笑ましいよ。夫婦そろってうっれしそうにひとごろ…やっぱ微笑ましくないわ」
「脳軍ゆえいたしかたなし」
「そういえばタカクロですらあるのに、クロ葛とか葛クロはないよな。あるのかもだけど超ドマイナー」
「あそこはもう妖精だから。妖精さんだからデオルカン皇子以外とのエロはありえない」
「そこいくとクロネちゃんはハイドの件やエロ画像流出の件もあって、第二の腐界ビッチだよな」
「志摩王に続いてな。志摩王は寛容だからってのもあるけど」
「自分の触手出産もの読んで爆笑する精神はさすがだわ」
「クロネちゃんは夢レター被害に遭ったせいで触手×自分はダメらしいよ。ジャンル内でも自粛だって。あとモブおじさんやめてくれって懇願してたな」
「海賊に拉致強姦されたのに海賊×自分を笑い飛ばす志摩王よりは繊細だよね……」
「ほたるんによると、移民船で強姦されかけたのを返り討ちにしたらしいけど」
「志摩王は返り討ちどころかちんこ噛みちぎって回った八歳児だからな……メンタル強すぎだよね」
「ほたるんはそういうメンタル強い子好きなんでしょ。なんで志摩王になびかなかったのかな」
「出会ったのが確か志摩王10歳だから……いやほたるんならクロネちゃんが何歳でも育ったら食ってる。絶対食う」
「あったよね、有名サークルでほたるんがクロネちゃんを育てたらーって話」
「ブームになったなあ、あれ」
「主にショタコンが増えた」
「クロネちゃんは成人してるっちゅーに」
「クロネちゃんにはもともと熱狂的なファンいたけど、ウィッカ王でガチのほうの信奉者増えて新参増えたよね……ブリタニアスラムのさー、バッカニアの人がクロネちゃん本てどういうの見ればいいですかぁーって。なんか業界では有名な女好きらしいんだが」
「そこのバッカニア、揃って買いに来たらしいね」
「バッカニアどころか元海賊らしき人が来るよ。でもお行儀よくしないと仲間やウィッカ統括さんに叱られるから大人しいの」
「それで知り合って結婚した奴知ってるわ」
「そうそう、片方ほたるん信者で片方クロネ信者で」
「ほたるん信者はクロネを尊重してるし、クロネちゃんがほたるん大好きだからクロネ信者もほたるん崇拝してるんだよね。もともとロマの王だったのあの人だし」
「ほたるん、ハイドウィッカーの庇護もしてて実質ウィッカプールの保護者でもあったし。そういう意味ではウィッカ王も元はほたるんだったのかな」
「よくもまああのほたるんの後継げる奴が出たよな。クロネちゃんほんとすごいよ」
「しかもこんな早くね。クロネちゃんが後継ぐにしてもあと数十年後かなと思ってた」
「蛍黒尊い……」
「それな」

 今日も熱い議論がトークルームで交わされる。
 ただし最後はいつも同じ結論が出る。
[newpage]
【タカラ・シマとクロネのトークちゃんねる】


「お互い王になってもやると思わなかった」
「そもそもお前が王になると思わなかった」
「ほんとそれ」
「どうよ、王様業は」
「俺が聞きたい! 王様って何するの」
「何するのときたか」
「眼の前のやることやってるだけだよ、俺。たぶん本当に必要なことは蛍と鷹鶴がやってる」
「政治のことは優秀な官僚がやるもんだって。あいつらは右大臣に左大臣だろ」
「それなんか違う」
「あいつらだって国やるなんて考えてなかったから、けっこう苦労してるみたいよ。お前には話さないだろうけど」
「話されてない……なんかショックだ」
「みんな暗中模索ってことさ。俺も実はよくわかってない」
「いいのかそれで」
「王子の99%は王にならずに終わるんだぞ。王になる教育もない。俺に至っては王子様の教育すらされてねえ!」
「俺もですよ……短かったなあ王子時代」
「お前はなあ」
「王になって忙しくなった割には、薄い本もトークちゃんねるもやめないな」
「それやめたら俺の人生が死んじゃう。や、婿どのさえいれば死なないか。でもその婿どのとも離れ離れ! 畜生!」
「一年半くらいは一緒にいられたんだよね」
「そう! 戦時中は不幸があった人もいると思うし、俺も辛いことあったけど、それでも婿どのが側にいてくれたから……」
「俺、戦時中結局ほぼ寝て過ごした」
「それな。おかげで本編ほぼ戦中描写すっとばしの憂き目」
「一人称視点の辛いとこ。今だから聞くけど、あのときの蛍どうだった? 俺が暗殺未遂された空白の一年」
「それ聞いちゃう? やー、すごかったよ? 実際決して多くない戦力でジャイアントキリングの嵐。王軍ってなんだかんだ規模でかいから……お前は論外な!」
「艦隊戦せんとて生まれてきたような能力してるから」
「時代が時代なら覇王になってたろうな、クロも菊蛍も」
「本物のヤマトの覇王が何言ってるのか……」
「殆どたなぼた状態だったじゃん、オトツバメが暴れたゆえの」
「それこそ生まれる時代がテラの古代だったら覇王だよね」
「あいつスパルタでもやってける気がするわ。あるいはあれだろ、闘技場の奴隷王」
「皇宙軍仕込みでますます強くなったらしい」
「俺さあ、戦闘のほうはそこそこだから、クロ以下なんだよ。今となっては。だからオトの凄さがわかんない。うみあおーいレベルでしか分からん。懐かしいなあ、クロが俺にどうやって強くなればいいですかって連絡してきたの」
「あの頃はウィッカーとしてどうやってけばいいか分からなかったんで……」
「なんだかんだ親父どのは優秀だよな、腹立つことに」
「俺のトークスキルもここで鍛えられた」
「イオリコのトークルームでえっとうっと言ってた奴とは思えないよなあ」
「ほんと感謝してます。最初はどうしようと思ったけど、ここで鍛えられなかったら王になんかなれなかった」
「えっとうっと言ってる王は確かにな。無理だよな」
「人目に慣れたのもある……これはライブのおかげかな。志摩滞在中の中規模ライブで慣れた。最初注目されんの怖くて、膝抱えて殻に閉じこもった」
「そこまでか」
「タカはいきなり王子って言われて官僚に囲まれた十歳のとき大丈夫だったの」
「やあ、そういう根性だけは据わってたんで。それしかないとも言う」
「ヤマト文化財が何言ってんだ」
「そういえばお前もなにかに指定されるべきだよな。ハイドはS級危険ウィッカーだった」
「俺もそれなんじゃないの」
「ロマはアダムアイルの友好国扱いだから。ウィッカプールとは違う……今はウィッカプールも友好国か。お前が王だし」
「そういう話は聞かない。あと王だけど別に宇宙政府とお話し合いとかしたことない。いつも俺の頭素通り」
「それいかん奴じゃん」
「だろ? でも凄く不利益になることや、許せないことがあったら会議に乗り込む所存。あ、でもアスルイス陛下と話すことはあるよ」
「へえー。宇宙政府内では王はなかなか皇帝陛下に謁見できないんだけどな。逆に宇宙政府の会議にはよく駆り出されるよ」
「宇宙政府はそれでひとつの帝国って扱いだから……帝国の皇帝と独立王国の王だからじゃないかな」
「お前がウィッカ王でなければそこまでの話になってなさそうだけど。あ、政治の話続いてごめんな。今からクロの夜の話でも聞くわ。最近どうよ」
「俺が聞きたいよ。俺は別に変わってない、蛍はべったりだし。今も抱えられながらトークルームに接続してるし」
「いいなー。俺も婿どのとべたべたしてたい。できないけど」
「できないんだ」
「べたべたしてるとどうしたって、しっとりしてくるだろ。婿どのはそれがダメで、割と頻繁に洗浄ポッドに入る。ある程度乾燥してないとダメみたい。だからほんとはセックスも苦手なんだけど、もともとアダムアイルって精力も強いから……」
「ぷつーんと切れた事件は前のトークで聞いたけど」
「あれ、実は三度ほどあったんだけど、そのたびに婿どのすごく落ち込むからさ。凄くかわいい」
「うちも蛍が強要嫌いで、そこ凄く拘る。でもさ、ほんとのところ、蛍いつも余裕なんだよ。だからマグロ卒業したい。でもフェラとか騎乗位とか嫌いみたいで…!」
「かなりぶっちゃけたなお前。騎乗位かーそれは俺もやってみたいわ」
「ないの」
「ない。なんか遠慮があってさ。やっぱ相手皇族だし。てか腕力的に敵わないし」
「言ったら喜ぶと思うよ。てかこれ聞いて喜んでると思う」
「そうかなー。へへ。へへへ」
「えっタカがかわいい。タカは婿どの絡むと可愛いよな」
「婿どのの前では可愛くあるべきと思ってる。そういうお前も菊蛍の前じゃ子猫ちゃんだろ」
「いや、しらね……むしろなんでタカが知ってんの」
「データ流出したから。いやもう、あまえんぼうでちゅねクロネちゃん」
「くっ……みんなだって好きな人にはそうだろ!?」
「それにしてもお前はあまえんぼ……おっと、あんまり指摘すると菊蛍に怒られるな。あいつは慣れなくて拙いお前が好きなんだろ」
「そういう節はあるけど。タカはどうなんだ、婿どのと……」
「婿どのは何しろアダムアイルだから、でかい」
「わか……いやなんでもない」
「だからいつも受け入れるので精一杯。たぶん余計なことしないほうが婿どの的にもいいだろうしな。婿どのも経験豊富じゃないから、二人して精一杯な感じ。でもそれが幸せ」
「なんかいいな、そういうの。俺はべつに不満があるわけじゃないけど、蛍が巧すぎて翻弄される」
「だってそういう人じゃんかさあ。でもセックスに限らなければお前は菊蛍を振り回しまくってんだろ」
「そうかなあ」
「無自覚かよ。見てて不憫になるほどだぞ」
「タカだって婿どの振り回してるだろ!」
「それは自覚あるからいいの」
「自覚あんのか……」
「ところで今なにしてる?」
「蛍に抱えられながら仕事。でもたぶん蛍も仕事してる。いま頬ずりされた」
「くっそ、うらやましい!」
「婿どのとはちゃんと会えてる?」
「一応、繁忙期でなければ週一で会いにきてくれてる。とんぼ帰りだけどな」
「この前諸用で話したとき、本格的にアジャラ皇子に譲るつもりでいるって言ってたよ」
「ほんと? まあでも予定は未定だから俺には話してくれないんだろうな」
「アジャラ皇子、うまく皇軍警察やってらしたけどな。シヴァロマ皇子がいるとやっぱり抑止になるんだよな」
「婿どの復帰ってだけで犯罪率2%下がるらしいからな」
「宇宙規模で2%は大きいよなあ……ロマはクレオディスが取り締まってるけど、ウィッカプールは特に犯罪多くて」
「そりゃそうだろうな、元無法の惑星だし」
「手が足りないしほぼセキュリティで回してる。ほんとはそのセキュリティドローンに回す資材、子供らのごはんにしたいんだけど」
「子供らの安全を守るためだと思えば糧になってるよ。そうだろ」
「そっか……そっかあ。だからさあ、俺はやっぱロマの王っていうより、ウィッカ王なんだよな。殆どそっちで手一杯」
「確かに、お前がウィッカ王で菊蛍がロマ王っていうのがしっくり来るけど。でもそうするとお前はウィッカプールに住むことになるだろ」
「そしたら蛍と離れ離れか。それは……いやだな」
「ん、質問がきたぞ。これは俺も気になってたことだな。クロが鷹蛍本読むのってどういう心理?」
「え、どういうって」
「自分の好きな奴が他の奴に抱かれてる本読むの趣味じゃん」
「えー、タカだってデオロマ読むくせに!」
「デオルカン殿下だからいいんだよ」
「俺も鷹鶴だからってのはあるかな。鷹蛍本の二人は別世界の別人なんだよ。書いてる人には悪いけど、実際とはぜんぜん違う。だからなんだろ、鷹鶴と蛍をモデルにした架空のキャラみたいなかんじ」
「まあな。特に鷹鶴な、みんなが思ってるような奴じゃないからな。
 それじゃあお時間もほどほどってことで、このあたりでしーゆー!」

2019年4月3日水曜日

目が覚めたら異世界で魔法使いだった

 目が覚めると、魔法使いになっていた。
 意味が分からないと思う。俺にも分からない。だが聞いてくれ。起きたら魔法使いだったんだ。童貞がどうとかそんな問題じゃなく、魔法使いだったんだ!
 まず俺は昨晩、学校から帰って部屋にカバンを投げ出し、部活の疲れで眠りについた。弱小野球部だが練習はきつい。部長が変わってからは特に。
 で、起きたら円形の塔に住んでて、魔法使いだったんだよ。
 たとえばこれがナルニア物語だったら、箪笥の中に入ると異世界に行く。ピーターパンならピーターが迎えにきてネバーランドに行く。どっちも元の自分のままだ。
 死んで生まれ変わったなら赤ん坊になってるはずだろ。
 でも俺は、もう成人した一人前の魔法使いだったんだよ。
 顔も変わっていた、銀色の髪に碧い瞳で、ルーノサイトという人種。そういう知識もある。魔法の知識もこの世界の知識もちゃんとある。
 でも、俺は昨日までただの高校球児だったんだぞ! どうしてこんなことになってるんだ?
 ハーブだの薬草だのが壁から下がった部屋で途方に暮れながら、状況を確認する。
 まず、魔法の知識はあるが、自分が誰だか分からない。名前も分からない。いや、高校球児だった俺の名前と経歴は覚えてるけどな? この世界の魔法使いである自分の名前と経歴が分からないんだ。
 本当に自分が魔法使いなのか、試してみた。
 俺はトーテムを操る系統の魔法使いらしい。手を翳して呪文を唱えると、光り輝く治癒のトーテムがその場に立つ。ほんわりと暖かな光に包まれると、体が癒される感覚があった。
 とりあえず、外に出るべきだろうか。
 困惑していると、扉が開いた。
「よい朝じゃな、主よ!」
 誰だこいつ。
 背の高いひょろっとした印象の男だった。可愛いと美しいの半々。薄い赤髪をゆるく編んでいて、いかにもファンタジーな衣装を纏っている。
「あんた、誰だ」
 尋ねると、その男は眉を寄せ、俺の額に触れたり、頬を引っ張ったりしてから、口端をへんなふうに下げる。
「ふざけておるのか? ならば俺は悲しいぞ、主。そのような嘘はいかん」
「ふざけてない。あんた、俺の知り合いなんだな? 驚かないで、話を聞いてくれ」
 俺は事の次第を男に説明した。今まで全く別の人生を別の世界で歩んでいたこと、起きたらここにいて魔法使いになっていたこと、知識はあるけど記憶がまったくないこと。
「ふーむ。俺の視点から聞くと、むしろ別の世界で生きていたこと自体が夢のように思えるが……しかし、夢を見て記憶を失うというのは聞いたことがないの」
「俺もない」
「ともあれ、主の名はリズアルじゃ。俺と契約した過去がある」
「あんた人じゃないのか」
「それも忘れてしもうたのか。うむ」
 男は考え込む素振りを見せ―――急に艶っぽく微笑んだ。
「ならばこれも忘れてしまったのだろう。主と俺は恋仲であったのだぞ」
「はあ……? 俺もお前も男、だよな」
「俺と主は愛し合っていたのじゃ―――!」
「うわ!!」
 男に襲いかかられ、床に引き倒される。来ていた簡素な寝巻きを肩まで引き下ろされて貞操の危機を覚えた。
「―――やめろミクラエヴァ!!」
 叫んで頭突きをかまし、男を引き剥がす。男は額を抱えながらよろよろと俺の横に沈んだ。
「うむ……相変わらずの見事な石頭じゃ、主。ところで、いま、俺の名を呼ばなかったか?」
「え?」
 そういえば頭に血が昇って、何か喚いた気がするが。
 ミクラエヴァ、それがこいつの名前なのか。
「主よ」
 男、改ミクラエヴァは俺の隣に居住まいを正して座り、先ほどとうってかわって神妙な表情をする。俺も起き上がって彼に向き直った。
「記憶がないというが、俺の名前を思い出したということは、全くない……というわけではなかろう。違う世界での生活が夢か真かは別にしてな。
 ともあれ、主に記憶がないならば、留意して頂かなければならぬことがある」
「なんだ、勿体ぶって……」
「一月に一度、契約の更新をせねばならない。それを怠ると俺と主の契約は途切れる」
「その期限は……」
「新月の夜までじゃ。今はまだ問題ない。先日交換を行ったばかりゆえな」
 ていうか契約って……なんの? 使役して得があるんだろうか、このひょろっこい奴。
「なんにせよ職場へ向かおうぞ、主。社長のアルラは遅刻に煩い」
 まだ混乱は続いていたが、とにかく生きなきゃならない。帰る手段も探さなきゃだしな。
 塔の外へ出るとそこはカオスだった。
 筒みたいな体した生き物がうごうご道を歩いてるし、頭から花咲かせた女の子がいるし、四足で走るナマモノの車みたいのが走ってるし。生きている時計塔が身を揺らしながら時を刻んでいる。
 空にはクジラが飛んでいた。
「あれは動く魔法大図書館じゃ」
「ああ―――」
 知識にはある。でも見るのは初めてだから、どうにもこうにも脳にクる。

 この世界は善神が邪神に敗れ、邪神が支配している。
 とはいえ秩序を望む邪神と混沌を望む邪神がいて、折衷案で今の状態が保たれてる感じだ。ディストピアながらも一応の秩序が機能してる感じ。
 そこらへんで普通に暴行や強盗が行われてんだけどな。見ないふり……
 ここは魔法都市ゲルドラ。数多の魔法学園と研究機関がある。バイオマギノロジーが発達していて、乗り物から台所に至るまでナマモノが使用されている。

「社長、大変なのじゃ、主が」
「遅い! 給料さっぴくわよアンタら!!」
 何かのいかがわしい店かと思うくらいおピンクな内装の建物に到着すると、マニキュア塗ってる美女に叱り飛ばされた。この人が社長のアルラさんか。こ、こわい……化粧ケッバ。
 奥の生きてる窯で何かをグツグツ煮てる奴が、
「ひっひひ。ひひっひ。うひひひっひ」
 不気味な笑い声を上げている。
 そしてテーブルに髑髏だの燃え盛る香炉だの置いたフードを目深に被った奴が静かに炎を見つめていた。
 端的に何だこの職場。
「で、何が大変だって?」
「主が記憶喪失なのじゃ」
「クビね」
「魔法の使い方は覚えてるらしいのじゃ、俺がいるのだからクビは勘弁してあげてほしいのじゃー!」
「まあ、ミクラエヴァが可愛いから許してあげようかしらね。で、何を忘れたの?」
 視線を向けられて俺は縮こまった。
「その……俺は昨日まで魔法なんかない別の世界で平和に学生をやっていて……」
「昨日は普通に仕事して帰ったわよね、アンタ。夢でも見たんじゃないの」
「しかし、社長。主は俺のことも皆のことも全て忘れてるのじゃ」
「ふーん……まあ仕事に差しつかなければいいわよ」
 適当な人だな。この場合は有り難いのか。
「それで、ここは何の会社なんですか」
「それも忘れたの! めんどくさいわねえ。アンタの顔が可愛くなかったら許してないわよ」
「す、すいません……」
「うちは占いから呪殺まで幅広く請け負う解決屋。あんたは荒事専門。そのために雇ってんだから、そこはちゃんとしてよね」
「だ、大丈夫じゃ! 俺が主についておる」
 ミクラエヴァ、優しいな……右も左もわからないこの状況で、コイツがいなかったら俺、心折れてたかもしんない。
「これから予約のお客様がいらっしゃるから、しっかりしなさいよ」
 俺、野球三昧でバイトもしたことない……ちわーっす! とか言えばいいのか? 野球帽ないけど。
 お客様は小さな二足歩行のトカゲだった。ちょっとかわいい。でもあちこち包帯まいて怪我をしているようだ。痛ましい。
「実は、復讐をお願いしたくて……」
「直接コースと呪術コースがございますが、どちらにいたしますか?」
「直接! 痛みを! 奴らに教えてやっていただきたい!!」
「リズアル、ミクラエヴァ、ボコにしてらっしゃい。殺していいわよ」
「え……」
 生死問わずの復讐を託された俺は戸惑い、社長とトカゲを見比べる。
「そういうのは警察に言ったほうが……復讐は復讐しか生まないって言いますし」
「バカね。この街にはとっちめられないと分からない奴しか住んでないのよ」
「余計恨まれそうっていうか、俺も巻き込まれそうっていうか」
「そういう時のためにアンタには高い金払ってんの! つべこべ言わずに行きなさい!!」
 怖い。
 へどもどしていると、トカゲのほうも不安になってきたようで「あのう……」と手をもじつかせた。
「この方、本当に信頼できるのでしょうか?」
「そこは大丈夫! こっちのはポンコツだけど、背の高いカワイコちゃんのほうは邪神よ」
 邪神だったんかワレ!
 ぎょっとしてミクラエヴァを見上げると、へらへら笑顔を向けられた。ほんとにこいつ、邪神なのか……?
 気乗りしなさそうなトカゲと一緒に街へ出て、郊外のほうへ進んでいく。
「この都市にも階級があるんです。爬虫類の類は魔法が苦手ですからスラムに住んでいます。僕はその中でも特に弱い部類で」
「差別ってイヤだな」
「そんなことはない」
 急にミクラエヴァが憤慨し始めた。
「差別によって技術や文化は磨かれるのじゃ。差別されるから見返す努力をする。差別に屈した時こそ真なる奴隷に成り下がる時よ」
「そう……そうですね。おっしゃる通りです」
 トカゲはしょぼくれた。
 一理あるかもしれねえけどな。俺はミクラエヴァを睨みつけた。
「弱い奴に価値がないなんて誰が決めた? もしかしたら凄い何かを秘めてるかもしれないのに。人類は多様性によって発展したんだ。弱肉強食ってのはバカみたいだと思うけどな」
「差別もまた多様性の一部であるぞ?」
「差別をなくすのも差別への抵抗だろ」
 言いながら、俺は自分自身に違和感を覚えていた。野球一筋の野球バカの俺が、差別について議論してら。昨日までの俺なら絶対にしなかったことだ……
「どうじゃ、矮小なるトカゲよ。我が主はなかなかのものであろう」
 なぜか、ミクラエヴァが偉そうに胸を張った。なんなんだ、こいつ。そして早速矮小とか差別してるし。
「なんだかお二人のお話を聞いていたら、自分が本当に小さいもののように思えてきました。復讐なんてやめたほうがいいのかも……」
「自分の手で仕返ししたらどうだ?」
 とっちめること自体はやったほうがいいみたいだし、代替案を出してみる。
「もちろん一人でやれなんて言わない。俺が支援するし、危なくなったらミクラエヴァに止めさせる。きっとスッキリするぜ」
「僕にできるでしょうか……!」
「やってみなくちゃ分からないさ」
「………!」
 トカゲさんはつぶらな瞳をきらきらさせて俺を見上げる。か、かわいい……そうだ。
「お客様、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「あ、ハリです。よろしくおねがいします」
「俺は加藤……じゃなかった、リズアルだ。こっちはミクラエヴァ」
「主以外の者と特に宜しくする気はないがな」
「お前」
 トカゲさんのこと嫌いなのか? 社長に対する態度と違いすぎる。

 スラムまでやってきた。想像に勝るきったなさ。汚すぎて描写するのを憚る汚さ。お食事中の方はすみませんって看板が必要だろ、ここ。
「正面から入ると絡まれますので……」
 トカゲさんはささっと狭い路地に入るが、俺らはそこ入れねえわ。
「どこで落ち合えば?」
「正面の十字路ですー」
 正面から入らなきゃいけないのね、やっぱり。
 ガラの悪いワニとか。ヘビとか。腕組んでじろじろと俺たちを見てる。
「なあ、兄ちゃん。ちょっと金貸してほしいんだけどさあ」
 お決まりの文句でカツアゲしてこようとするワニさんにヒエッとなったが、
「我が主に触れるでない」
 顔を歪めて牙をむいたミクラエヴァが、ワニの手を握りつぶした。
「ぎゃぁああ!」
「ばか、エヴァ! やりすぎだ」
「ぷぷーん」
 何が「ぷぷーん」だよ。
 そういうやりとりがあってから、誰も近寄って来なくなった。ただ、十字路には悪そうな一団がたむろしていて、こいつらがターゲットとすぐに分かった。
「えーと……本当に大丈夫だよな」
「爬虫類ごとき、ものの数にも入らんわ」
 めっちゃ怖そうですけどね……ワニヘビって言ったら野生であったら悲鳴を上げて逃げるレベルの動物だよ。
 すっかり震え上がっちまってる俺の元へ、トカゲさんが現れた。
「お、お、おまえら! こ、このまえの…か、かか、かりを、かえしてやる!!」
「はあ? 誰だお前」
 ワニボスがフシュっと鼻から息を吹いた。
 そいつらがトカゲさんに向かって歩き出すもんで、俺はできるだけ攻撃的な……射撃トーテムを二本、両手を差し伸べて呼び出した。
 えぇと、それがだな。
 トカゲさんが何かするまでもなく、エヴァが動くまでもなく、あっという間にズドドド……とワニさんたちを乱射して鎮圧してしまった。
「あれ? えーと……」
「加減もわからんのか、主よ」
 呆れ声でエヴァに叱られた。
「え、し……死んだ?」
 倒れて動かないワニさんたちを見て、俺は青くなる。うわあ、どうしよう。殺人犯になっちまった。
 エヴァがついと指先を動かすと、彼らの体から白いもやのようなものが浮き上がった。それらはエヴァの手元にやってきて、ひとかたまりになる。エヴァはそれを口に放り込んだ。
「まずい。主よ、どうせなら上質な魂が喰らいたいぞ」
「く、く、食うなよ!」
「俺の主食は魂と負のネファーじゃ。食うなというのは酷な話よ」
 ネファーっていうのは感情エネルギー。憤怒とか憎悪とか、色々種類がある。これが集まるとネファスって怪物になったりするんだけど、今はさておき。
「トカゲさん、自分でやるって言ってたのに、なんかごめん」
「いいえ、いいのです」
 すっきりした様子で、トカゲさんはにっこりした。
「あのとき、僕は本気で挑むつもりでした。でも、本当には勝てなかったと思います。挑戦する気持ちを持てただけ、少し前に進めた気がします。
 お二人に会えてよかったです。また何かあったら依頼しに行きますね」
「うん……」
 トカゲさんは手を振りながら狭い路地に帰っていった。
 料金は前払い。後日、お礼の連絡もあったようで、
「初仕事にしちゃよかったんじゃない」
 社長もお喜びだ。
 うっかりとほっこりしかけたが、人、殺して喜ばれて礼言われるっておかしな世界だよな。この感覚に慣れちゃいけないと思う。
 完全に染まりきったらGTAの住人になっちまう。早いとこ元の世界へ帰らなくちゃ。